2012年12月20日木曜日

今年最後の体験講座

 12月22日土曜日12時!
「偶然から生まれる美術」
紙に絵具をのせ、折って広げてみると偶然的な模様が出来る。
そんな偶然から生まれる効果や技法を試してみよう。

BOX OPERA-fig.天使篇


2012年12/17(月)~26(水)
南青山スペース・ユイ
北見隆/木村繁之/建石修志の3人による展覧会

磁力を巡る 第11弾!!!!!!!!!!!


美術学科後期の最終課題
「驚異の部屋-小石川分館を巡って」
いまはもう展示を終えてしまった「驚異の部屋」。キャビネットに収められた様々な標本、模型、計器など物としての魅力に満ちている。また分館の建築物自体が、実に素晴らしい。そのすべてをモチーフとして、自由に作品制作。

2012年11月8日木曜日

磁力を巡る 第9弾!!!!!!!!!

美術学科の演習授業「磁力を巡る」も第9弾に突入!
テーマは「衣裳」
身体の第2の皮膚を巡る、楽しくも深いテーマ。

2012年10月25日木曜日

「普天間、本土に移せば早い」(1024asahi)

米で仲井真知事

 米ワシントンを訪れている仲井真弘多・沖縄県知事は23日、東アジアの安全保障をめぐる県主催のシンポジウムに出席した。国内の米軍基地が集中する県の状況を説明。普天間飛行場(宜野湾市)について「県内移設は進展が難しい。日本の本土に移すのが早い」
として、日米が合意した現行実の見直しを訴えた。
 シンポジウムには米政府関係者や現地メディアなど約130人が来場。米ジョージワシントン大のマイク・モチヅキ教授ら安全保障に詳しい日米の識者5人と仲井真知事が登壇し、米国がアジア太平洋地域に国防戦略の軸足を移すなかで、沖縄に求められる「役割」を論じた。
 尖閣諸島の問題と日米の対応に話題が向き、仲井真知事は「日米同盟はますます重要になる」と述べ、「同盟の安定のためにも、普天間移設を早く処理しなければいけない。本土に多くある飛行場に移転するのが一番早い」と萌えた。
  (ワシントン=奥村智司)

スーパーマン、新聞記者は辞めだ!(1023asahi)

最新号、抗議の辞表

 スーパーマンの仮の姿、クラーク・ケントが長年勤めてきたデイリー・プラネット紙の記者をやめることになった。24日に米国で発売されるコミック最新号で「新聞がジャーナリズムではなく、エンターテインメントになっている」と同僚の前で抗議し、辞職すると
いう。作者のスコット・ロブデル氏がUSAトゥデー紙に語った。
 クラーク・ケントはスーパーマンが193葛年に初めてコミックに登場した時から新聞記者の設定。コミックの作者が代わりながらも、40年代からデイリー・プラネット紙が勤務先として措かれてきた。
 ロブデル氏によると、クラーク・ケントは今後、「より現代的なジャーナリズムの仕事」に就くことが検討されている。ブログの開設など、インターネットを通じたニュース発居を試みる可能性があるという。
(ニューヨーク=中井大助、写真はAP)

見えないものを示す機能(1024asahi)

3.11とアーティスト進行形の記録
 アートや芸術とは、実生活で役立たぬものの代名詞的存在だろう。一方で、アートを生み出す人々もアーティストである前に、実生活を送る普通の人間。昨年3月の大震災の後、被災地へ向かった者も多い。この展覧会は、23作家の動きを、ほぼ時系列で淡々と記述している。

 その動きを大別すれば、まず被災者を励ます試み。いや、励ますというのはおこがましい。気分転換を図る、か。2人組のトーチカは仮設住宅の人々とペンライトで空中に絵を描き、加藤翼は故障した灯台の2分の1模型を廃材で横倒しに作り、住民と引き起こした。「みんなでいっしょに」が鍵だ。
 次が記録。宮下マキは被災地の妊婦を現場で、畠山直哉は故郷・陸前高田市の姿を静かにとらえている。タノタイガにいたっては、アートらしいユーモアを込めているとはいえ、がれき撤去鬼どの普通のボランティア活動の跡を写真やゆかりの品々で紹介。そんな「普通」の記録が、美術展に出ていることに軽い戸惑いを栄えつつ、一方で、会場に置かれた、被災者から護り受けたワニの剥製が遠洋漁業に従事する人が多いことを物語ると知り、なるほどとも思う。
 実はこの展覧会は、アートに別の力も見ているように映る。
 会場最初の展示は、照屋勇賢の「自分にできることをする」=写真上。滞在先の前橋市で震災を体験した照屋は、直後の数日間の地元紙1面に大きく載った被災地や福島第一原発の写真部分に切り込みを入れ、小さな芽を数百本立ち上げている。
 藤井光は追悼集会の映像などを教本展示しているが、展覧会の終わり近くの大画面では森の風景を見せる=同下は「沿岸部風景記録」から(部分)。鳥のさえずりがなければ、動画と分からない静けさ。しかし福島県飯舘村の森と知り、ああ、このどこまでも美しい森に放射性物質が降り注いだのだと思う。
 府屋はどんな災厄からも新しい芽が生まれうることに、藤井は飯館の森の本来の美しさに気づかせる。見えないもの、見過ごしがちなものを示すこと。これぞ忘れてはならないアートの機能の一つだろう。タノタイガのワニの剥製に納得したのも、これがあるからに違いない。
 飯館の森でも、毎年新しい芽が生まれ続けるはずだ。見終われば、そう思いが及ぶことになる。  (編集委員・大西若人)
 ▽12月9日まで、水戸市五軒町の水戸芸術館。月曜休館。

若松監督を惜しむ声(1018asahi)

「弱いものの見方。映画に執念」
 
 映画監督の若松孝二(わかまつ・こうじ、本名伊藤孝(いとう・たかし))さんが76歳で亡くなった。東京都内で交通事故に遭い入院、容休が急変して17日午後11時5分に永眠した。ゆかりのある俳優や評論家が突然の死を悼んだ。
 「キャタピラー」 (2010年)に主演し、ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受けた寺島しのぶさんは、公式ホームページに「弱い者の味方で、強いものにはくってかかる監督、(中略)何よりも映画を作り上げることに執念を燃やした監督。今いったい、いったいどこにいらっしゃるんですか?」と記した。
 映画評論家の山根貞男さんは「試写で会つた時、『よく撮るなあ』と話しかけたら、『昔に戻ったんだよ』と言っていた。まだまだ撮っただろうに…:」。
映画監督の高橋伴明さんは「『金をかけていい映画を作るのは当たり前。金をかけずにいい映画を作るのが監督の仕事』と言われたことが印象に残っている。残念です」と話した。
1963年に「甘い撃で監督デビュー。過激な性描写に若者のうっ屈した心情を織り交ぜる独白の作風で「ピンク映画の巨匠」と呼ばれた。
 「千年の愉楽」が8月のベネチア国際映画祭に招待されるなど、国際的にも注目されていた。

先端技術で人間味(1017asahi)

スタジオ・アッズーロ展
 結成30年のイタリアのメディア・ アート集団「スタジオ・アッズーロ」の個展が、川崎市で開かれている。

 初期の代表作「泳ぐ人」と対話型の近作3点。「第4の梯子」(2008年)は、斜路を歩む人々が壁に投影され、触れると、こちらを向いて語り出す。
 子供を意識して作られた「水たまり」(06年)は、壁に投影された水たまりの映像が四季に応じ変化し、床を踏みしめると足跡が現れるなどの変化がある=写真。
 スマートフォンなど反応の速さが追求されがちな時代にあって、彼らの作品は先端技術を使いつつ、少し遅れたりズレたり。そこが詩的、人間的な魅力となっている。(大西若人)
 ▽11月4日まで、川崎市・等々力の川崎市市民ミュージアム。月曜休館。

ウォーホル作品2万点売却へ(1017asahi)

 アートシーズン開幕のニューヨークで、ポップアートの作家アンディ・ウォーホル(1928~即)の遺作を巡るニュースが話題を集めている。作品を管理するアンディ・ウォ
ーホル美術財団が、約2万点の放出を決定。今後数年をかけてほぼすべて売却すると発表した。

 アーティストの財団が収入源となる作品を手放すのは珍しい。が、ウォーホル財団の場合は、作品のイメージ使用料というドル箱がある。食器や時計などを彩るウォーホルのモ
チーフは、年間300万ドル(約2億4千万円)の収入をもたらす。一方、作品の保管には保険料や倉庫代など、高額な維持費がつきものだ。
 「売却による収入増はもちろんだが、保存や販売に要するコストを削滅し、アート助成に専念したい」。財団理事長の発言にもある通り、財団の使命は、アート団体やアーティ
ストヘの金銭的な援助なのだ。それが、現代美術を浸透させたいウォーホルの遺言だった。昨年度の助成総額は約1350万ドル。アート系財団としては全米屈指の規模である。
 放出作品2万点の評価額は総計で約1億ドル。70~80年代に制作された大量の版画作品や写真シリーズが中心で、手頃なウォーホル作品の将来的な高騰をもくろむ向きには、市場
飽和の感は否めない。
 「オークション、オンライン販売など反応を見ながら売却していく。グローバルなウォーホル市場にアピールするはず」と、拡大路線を強調するのは、販売権を獲得したオークション会社クリスティーズの代表だ。
 ウォーホルほどの名前があれば、世界のどこからでも参加できるネッ十販売に群がる新コレクターは多いはず。また、未発表の絵画や50年代のデッサンなど、レアものが飛び出
しそうなのが、11月12日に開催されるオークション第1弾だ。落札予想価格20万円台の版画から1億円を超えそうな三連画まで総数364点。単独作家のオークションとしては最大規模で、今後数年は続くウォーホル・ブランドの展開を占う機会となりそうだ。 (藤森愛実・ライター)

時代を映す顔(1017asahi)

篠山紀信展 写真力/及川正通 イラストレーションの世界
 マスメディアを通して、ある時代の記憶と分かちがたく結びついた「顔」がある。そんな「時代の顔」の集成ともいうべき展覧会が二つ開かれている。

 湖面に浮かぶ水着姿の山口百恵は、1970年代を知る世代に広く共有されるイメージだろ
う。口づけを交わすジョン・レノンとオノ・ヨーコの姿は、その後に続いたレノンの暗殺(80年)という凶事を呼び覚ます。
 撮影者は篠山紀信。60年代末から現在まで、雑誌などに発表した写真から約130点を選ん
だ。大型の写真がひしめく展示=写真上=から、篠山が並走した時代の諸相が浮かび上がる。
 被写体は芸能人やスポーツ選手、作家や芸術家といった「スター」たち。東京ディズニーランドのにぎわいや、歌舞伎の絢爛たる舞台も交じる。鬼籍に入った著名人の肖像を黒い壁面に配した演出を別にすれば、総じて活気にあふれて向日的な写真が並ぶ。例外は、東日本大震災の被災者の肖像が並ぶ最後の展示室。がれきを背景に立つ無名の人々の姿に、時代の切断面が見える。
一方、イラストレーター及川正通は、36年にわたって情報誌「ぴあ」に伴走。俳優や歌手、アイドルらを措いた表紙は1300点を超す。そこから選んだ原画約200点を展示する。
 大きな頭部に小ぶりな体という独自のスタイル。それでも対象の人物をリアルに感じさせる秘密は、点と線による細密な描写と、初期はエアブラシ、近年はコンピューターによる丹念な彩色にあることがうかがえる。
 そこに、いたずらを加えるのが及川流。.ひげそりをほおにあてる広末涼子=同下、97年=や、白地に目鼻と廣だけのマイケル・ジャクソンといった「肖像」には、親愛と諧謔、批評が入り交じる。バルセロナ五輪(92年)特集号の表紙は、ガウディの有名な建築を背景にした田村亮子らしき後ろ姿。顔だけでなく、背中でも時代を措いた。
 「ぴあ」は昨年夏に休刊。情報が紙媒体からネットにシフトした、時代の変化もそこに見える。      (西岡一正)

2012年10月10日水曜日

「言葉の世界とイメージの出現」

美術学科主任の建石修志による1日講座
「言葉の世界とイメージの出現」が、
10/20(土曜日) A.M.10:00~12:00
日本デザイン専門学校「土曜デザインセミナー」の講座として、開講致します。
作品制作と並行して、幻想文学関連の装幀、装画、また挿画を数多く手がけてきた講師が、言葉で構築された世界からいかにヴィジュアルなイメージを導き出してきたか、実例を示しながら話をします。また関連してイメージに対しての想いも語る予定です。

生き方出る「自画像」芸術家9人新作展(1010asahi)


 生き方が顔に出る、という。ならば、「生きることが作ること」である前衛芸術家たちの顔は作品そのもの。そんな顔を作家自らが作品化した「自画像★2012」展が、東京・銀座で開かれ、1950年代から活動する池田龍雄、中村宏をはじめ9人が参加している。作品はすべて本居のための新作という。
 ボクシングをするように絵を措く篠原有司男の自画像は、制作中の姿をそのままカンバスにたたきっけた1枚。都知事選に立候補するなどのパフォーマンスで知られる秋山祐徳太子は、ユーモラスなブリキの立体。犬をモチーフにする立体の作家・吉野辰海は、自らをうなだれた犬に見立てた。
 自画像は初めてという作家も交じる。その一人が中西夏之。赤瀬川原平らと結成した「ハイレッド・センター」での活動をほうふつさせる平面作品を出展。赤瀬川は鉛筆画で迫真の自画像を見せる。ほかに元「束オ・ダダ」の田中信太郎、写真家・石内都が出展。
 ▽20日まで、東京都中央区銀座4413の「ギャラリー58」。日曜休み。

表現深化、内面映す(1010asahi)


愛知・メナード美術館舟越桂個展
「妻の肖像」など22

 リアリティーと神秘性。二つが重なり合う木彫の人物像を生み出す舟越桂(飢)の個展
が、愛知県小牧市のメナード美術館で開かれている。
 約30年間、クスノキに彩色をした肖像彫刻にこだわってきた。これまでに制作した142点の木彫作品のうち、最初期の「妻の肖像」 (197980年)から最新作「月の
降る森」 (2012年)まで、計22点が出品されている。
 表現は深化している。初期には、都会的なファッションとポーズ。その後、脱が胴体
から突き出たような造形や両性具有のスフィンクスに移る。最近は幻想的な女性像が
登場する。
 「月の降る森」もそうだ。「月夜の森の奥で教会のような建物から、女性が生えてい
る場面が浮かんで。美しいものに見えた」。このイメージから、青みがかった影を帯び
た女性の裸体と建物を合体した作品を誕生させた。
 「人間の存在、個人の不思議さ、神秘さをずっと考えてきたことが根っこにある」と
舟越。
 目に見える木彫で表現しているのは、目に見えない人間の内面なのだろう。現実離れ
した造形を評する際に用いられる「異形」との表現には違和感があり、「心象人物」と
くくるのがふさわしいという。
 昨年の東日本大震災で、「アーティストは何の役にも立たないのか」と心が沈んだ
時期があったという。新作にそうした経緯が意識的には影響していないというが、クリ
スチャンである舟越の背景も重なり、神聖な印象を放つ。(高橋昌宏)
 ▽1125日まで。月曜休館。同美術館(0568755787)。

日常の実質純粋に(1010asahi)


18世紀仏の巨匠・シャルダン展
 優美で軽快なロココ様式が流行した18世紀フランスにあって、身近な静物と何げない日常を措き続けた画家がいた。ジャン・シメオン・シャルダン(16991779)だ。静寂につつまれた作品は宮廷から一般市民まで人気を博し、印象派などにも影響を与えたという。この特異な画家の、日本初となる個展が東京で開かれている。
 シャルダンは18世紀絵画の巨匠の一人とされるが、日本での知名度は必ずしも高くない。どんな画家だったのか。
 パリの職人の家に生まれ、画家を志す。最初は歴史画を試みたが、静物画に転じて28歳で王立絵画彫刻アカデミーの会員に。その後、風俗画を手がけ、晩年には肖像画も試み
た。当時、最上位の絵画とされたのは、神話や物語を措く歴史画。肖像画がそれに続き、風俗画、風景画・静物画は下位に置かれた。画歴からは、絶えず上位を目指す野心的な姿
が浮かび上がる。
 静物画に転じた理由を、ルーブル美術館名営総裁・館長で今展の監修者でもあるピエール・ローザンベールさんは、こう推測する。「歴史画は知識と想像力で作り上げるが、シ
ャルダンは眼前にあるものをそのままとらえて、その実質を描くことに自らの才能があると気づいた」
     
 例えば「錫引きの銅鍋」と題した初期の静物画は、銅鍋のあるつつましい台所の一隅を描く。死や欲望をほのめかす寓意性はない。中期の風俗画「食前の祈り」は母親と2人の
子どもがいる、タイトル通りの情景。教訓や物語を導きはしない。それでも事物や人物の存在を深く印象づける。
 こうしたシャルダンの作品を、ローザンベールさんは「神話や歴史といった物語的な主題を持たない、純粋な絵画」と評価する。マネやセザンヌが関心を寄せたという指摘も、代表作とされる後期の静物画「木いちごの籠」を見ればうなずける。テーブルの上に果実と花、水の入ったコップが並ぶ静かな情景。ここに軽やかな光が差せば、そのまま印象派の静物画になる。
 シャルダンは下位ジャンルの画家だが、ルーブル宮に居室を与えられるなど、生前から名声を得ていた。風俗画は版画で複製され、一般市民にも親しまれたという。
 日本では戦前から、美術書で図版が紹介され、渡欧した画家が模写するなど美術界では知られていた。だが、戦後も実作が展示される機会は少なく、広く受容されることはなか
った。寡作な作家で、現存する作品は約240点。そのうち38点が並ぶ今展が、国内でシャルダンの画業の概要を知る初めての機会となる。(西岡一正)
 ▽「シャルダン展1静寂の巨匠」は201316日まで、東京・丸の内の三菱一号館美術館。

2012年10月7日日曜日

「磁力を巡る」第8弾!

10月に入り、演習も第8弾の課題となる。
「ZOO─あるいはノアの方舟」
学科で上野動物園へと出掛け、園内をくまなく探索、画像に収めて資料とするのだった。

無意識・無自覚暴き出す(105asahi)


ChimPom」展/西野達作品
 常識を逸脱し、無意識や無自覚を覚醒させる。ある種の現代美術は、そんなことに挑み続けてきた。いま、常識からの逸脱といえば、6人組の「ChiPom」だろう。矢継ぎ早な
発表が続く彼らが、東京・渋谷のパルコで個展を開いている。

 建物外壁の「PARCO」のネオンから、「P」と「C」を取り外し、室内で「CP(チン
ポム)」と光らせる作品なども楽しいが、見逃せないのが、ビデオ作品の「東京BOMBer
man」 (2012年)だ。
 夜の渋谷にメンバーが現れ、路上のゴミ袋に次々と三つ葉状の「放射線マーク」を描いていく=写真上。これで放射性ゴミということか。なんと大胆な。
 いや、しかし、人々はほとんど無反応。これにもっと驚く。人々は通り過ぎ、交番の近くでもできてしまう。そして翌朝、淡々と収集車に回収される。この何も起こらなさに現実が透けて見え、怖くなってくる。
 西野達(1960年生まれ)が新潟市の「水と土の芸術祭」に出品している「知らないのは
お前だけ」は、さらに過激だ。
 平屋の旧教員住宅を訪ねると足場が組まれ、仮設屋根が載っている。で、階段を上って中に入ると、屋根がスパッと切り取られ、生活感のある部屋が上からのぞき込める。しかもたいてい人が暮らしているのだ=同下。正確には「展示される」前提で申し込んだ人が滞在しているのだが、彼らが会話をしたり食事をしたり、といった場面に出くわすこともあるという。
 「動物園」ならぬ「人間園」とも言えるが、思い浮かぶのが監視社会や防犯カメラあふれる街角。あるいは、私生活が放映される映画「トゥルーマン・ショー」か。それを実空間で展開し、生々しく突きっけるのだ。
 では、「知らないお前」とは誰か。部屋で見られている人なのか。でも、それを見て「ははーん」などと思っている自分もまた、知らないうちに見られているのかもしれないのだ。
 チンポムと西野が逸脱しながら暴き出すものは、無意識と無自覚だけに、なかなか恐ろしい。  (編集委員・大西若人)
 ▽チンポム展は14日まで、東京・渋谷パルコ・パート1。西野の展示は、1224日まで新潟市秋葉区文京町2丁目の小須戸中学プール前。火、水曜休み。

2012年9月26日水曜日

若者よ美術部に集え(924asahi)

奈良美智さん「本気なら十和田に」
 
 「本気(マジ)で美術やりたいヤツは十和田に来い」。挑戦的なまなざしの女の子、ユーモラスなのに憂いを抱えた動物などの作品で知られる青森県弘前市出身のポップアーティスト・奈良美智さんが、同県十和田市の市現代美術館を舞台に「青い森のちいさな美
術部」を立ち上げ、若いアーティストの参加を呼びかけている。
 22日に同館で始まった企画展「青い森の ちいさな ちいさな おうち」 (来年1月14日まで)と連動したプロジェクト。同展は、奈良さんの初期から最新までの絵画や立体作品などを展示し、活動の軌跡がわかるようになっている。
 参加希望者の専門は問わないが、「生きるか死ぬかで美術をやってく心意気のある連中」 (奈良さん)が対象。入部試験の後、11月と12月に十和田市内で合宿を行い、奈良美智・部長、同館副館長でアーティストの藤浩志・顧問の潜導のもと、作品を制作する。作品は12月中旬から、同市内の空き店舗などのギャラリーで展示される。
 奈良さんは「最近は、楽しさでアートをする。部活動だから、あくまでも厳しく。夢を与える機会ではなく、夢を徹底的に壊すことで、新たな夢を持てるようにしたい」と話す。
 募集する部員は5~10人前後。応募資格は「美大卒業もしくはそれに準ずる実績や心意気を持つ20代が望ましい」など。交通費(1往復あたり2万円まで)宿泊場所が提供される。
募書類は10月3日必着。詳応や細は、同館HP(http‥\\{OWadaartcenter.cOm)。   (鵜沼照都)

2012年9月20日木曜日

重厚・豪華期待集め40年(918asahi)

国書刊行会、各地でフェア

 「世界幻想文学大系」など重厚なシリーズものを刊行し続け、不況の出版界にあって異彩を放つ国書刊行会が、創業から40周年を迎えた。全国各地の書店でフェアを開催、記念出版などを行っている。
 フェアは今月、全国約70書店で開催。円城塔や皆川博子、佐野史郎ら61人があげた「国書刊行会の好きなな本」が並ぶ。国書刊行会と云えば、金箔使いなど豪華な造本・装丁も魅力で、迫力ある一角が各店に出現。61人のコメントを集めた小冊子「私が選ぶ国書刊行会の3冊」も無料で配布している。
 40周年記念で「新編 バベルの図書館」シリーズの刊行も始まった。アルゼンチンの文豪ボルヘスが個人で編集した世界文学全集で、20年前に全30巻で出たが、あらたに国・地域別に編み直して全6巻で刊行。8月から隔月刊の予定だ。
 学術資料書籍の復刻出版を目的に設立。文学から思想、宗教、芸術全般、絵本まで幅広く、影響を受けた作家も少なくない。
 今年刊行したのは、細江英公の写真集『創世記』(2万1千円)、『手塚治虫トジャー・ボックス2バンパイヤ』 (1万6800円)、『幻想文学講義』(6720円)など。見た目も価格もデラックスな本が多い。だが、業績は、東日本大栗次の後もほとんど変わらないという。
 本を愛蔵したい読者が多いのだろう。礒崎純一編集長は「そっけない装丁だと、国書らしくないといわれる。部数が少ないので凝ることができるのですが、それだけに、読者の期待を裏切りたくない」と話す。編集者もそういう出版社を愛している。「企画は、私
が面白いと思えば通る。あとは編集者に任せ、意見を出し合ったりしない」。それが国書刊行会らしさを継続させる秘密なのかもしれない。   (吉村千彰)

美術学科も後期授業に突入!

演習「磁力を巡る」も第7弾!
前期の“身体”のテーマに続き、後期は“事物”がテーマ。
「テーブルの上の静物」が始まりです。

リアルに描き、探査後押し(919asahi)

スペースアートクリエーター
池下章裕さん
 太陽電池に光を受けて漆黒の宇宙をいく小惑星探査機「はやぶさ2」。コンピューターで私の描いたイラストが宇宙航空研究開発機構(JAXA)のデジタルアーカイブに登録されています。2014年度打ち上げ予定で、水や有機物を含むとされる小惑星をめざします。生命の起源に迫る試みです。
 探査機を措く場合は設計図も見ます。プロジェクトチームのエンジニアや天文学者と何度も打ち合わせて、方向や角度など実際の情報に基づいたリアルなイラストを心がけています。
 天文少年でした。太陽の黒点や土星の翰、木星の衛星の観測を長い間続けました。宇宙の絵は最初、黒い画用紙にエアブラシや絵の具で措きました。
 三菱商事に勤めていた当時、仕事で三菱重工業のロケット開発部門とつきあいがあり、宇宙開発や宇宙探査の情景をイラストにして自分のホームページで発倍するようになりました。それがJAXAの目にとまって、探査機や探査する天体のイラスト制作依頼が舞い込むようになり、03年に独立したんです。いまでは図鑑なども手がけています。
 宇宙探査への期待ですか? ぜひ地球外の生命の存在が直接わかる証拠をつかんでほしい。候補は太陽系にもあるんです。たとえば土星の衛星のエンケラドス。氷の粒や水蒸気が間欠泉のように噴出していて、地下では生命誕生のもとになった有機物をつくり続け
ている可能性がある、と米航空宇宙局(NASA)は発表しています。
 日本独自の有人宇宙探査にもぜひ挑戦してもらいたい。国際宇宙ステーションへの神給機「こうのとり」などを通じて、必要な技術は部分的にはすでに獲得しています。石橋をたたいてもわたらないような姿勢では、宇宙開発で中国ばかりか、インドやブラジルに
も後れをとるでしょう。
 問題は予算ですね。政治家は情報収集衛星とか実用的な宇宙利用にばかり目がいきがちです。「はやぶさ」は小惑星の表面物質を持ち帰る成果を上げたのに、今年初めに国のゴーサインが出た後継の「はやぶさ2」は予算が圧縮されました。メディアも「はやぶ
さ」のようにドラマがあると注目しますが、宇宙探査に関心が薄いのでは。
 太陽系の外にも最近、地球型の惑星が見つかっています。その要も描いていきたい。夢のある将来に向けた挑戦に理解が進むよう、私のイラストがお役に立てば、と思っています。(聞き手・磯田和昭)

「障害」の枠、超える強さ(919asahi)

アトリエインカーブ3人展 東京で開催
評価・潮流にぶれない作風


 アウトサイダーアートやエイブルアートといえば、障害を持つ人々の手によるアート作品を指すことが多い。しかしこうした枠組みを設けることは、いいことばかりなのか−。見る側を揺さぶる3人展が、東京で開かれている。
 格子状の骨格に無数の記号状のものが連なる。白と黒だけの画面に近づくと、細部の
中にまた細部があり、さながら動静腎その表現が惜4・3Mの大画面を覆い尽くす。
 重点・初台の東京オペラシティアートギャラリーで23日まで開催中の「寺尾勝広・新
木友行・湯元光男 アトリエインカーブ3人展」は、こうした寺尾勝広(1960年生まれ)の作品群で始まる。
 アトリエインカーブは、知的障害のあるアーティストたちの創作環境を整え、作家と
しての自立を支援する施設。2002年に大阪市平野区に開設され、所属は28人。寺尾の大作が380万円で売れるなどの実績を積んできた。
 今回は、同ギャラリーの堀元彰チーフ・キュレーターが「障害者の絵だからすごい、というのは奇妙。美大を出た人でも、評価できる人、できない人がいる。それと同じように考えて」3人を選んだ。インカーブの今中博之理事長が「自立を超え、独立まであと半歩」と語る作家たちだ。
 溶接工の寺尾が描く絵画は、鉄骨や溶接の目印がもとになっているために、グリッ
ドが現れる。
 新木友行(82年生まれ)が描くのは、こよなく愛する格闘技の場面。フォアマンやタ
イソンの試合を自身の目を通してデフォルメ。筋肉の異様な緊張感や腕の伸びをストッ
プモーションのようにとらえ、ポップかつカツコいい。湯元光男(78年生まれ)は、
建物や生き物を色鮮やかに切り絵のように連ねてゆく。
 「部分と全体」 「ポップな身体」 「色面の構成」などのテーマ廣でも、それぞれ選ばれそうな表現だ。
 今申理事長は当初、彼らをアウトサイダーアートとして紹介していた。しかし、「イ
ンとアウトに分けるのはおかしい」と気づく。「作家名から始まる展覧会は、今回が初
めて。いずれインカープの名前も不要になってほしい」
 好きなものを描き繚ける彼らには、自然な作風の変化はあっても、自覚的に作風やモ
チーフを展開したり、評価や潮流を意識することはないという。そこが他の作家との違
いだが、「軸がぶれないことこそ強み」と今中理事長。
 その表現は、進歩や展開を重視する近代以降の美術のありよう自も揺さぶっている。 (解集委員・大西若人)

死を恐れず、冒険者であれ(918asahi)

しりあがり寿「オーイ♥メメントモリ」
生のはかなさと悦び表現

 今にも死にそうな主人公が、人気スポットで「メメント・モリ(死を思え)」と叫ぶ、しりあがり寿のギャグ漫画『オーイ♥メメントモリ 完全版』 (メディアファクトリー)が出た。東日本大乗災以後、死と再生をテーマにした作品の出版が相次ぐ獲画家の、死生観とは。
 『オーイ♥メメントモリ』は1999年から昨年4月まで、11年半にわたる月刊誌の連載をまとめた。今も新シリーズが続く。
 毎回、やせ細った主人公が病院を扱け出し、人気アイドルグループのコンサートや都会のトレンドスポットに出かける。そこで生のはかなさを思い、時に「あの世」を夢想し、そこに集う人々に無理やり死を思い出させて終わる。
 この主人公が誕生したのは81年にしりあがりが美大を卒業して作った獲画研究会OBの同人誌。以来、30年以上も描いてきた。「80年代はパロディー獲画を措いていて、重いもの、価値のあるものを笑ってやろうとしていた。その中で死をどうとらえるか。ぼくは死がすごく怖かったからひきっけられ、描くことで死を納得したかった」としりあがりは振り返る。
 当時、ホラー映画や次々に人が惨殺されるスプラッター映画がブームだった。「生活からどんどん死が見えなくなっていく一方で、みんな生きていることを確認するために、死体とか血が噴き出す生々しさを求めている気がした」 90年代からは、お伊勢さんを目
指す弥次さん喜多さんが、夢とも現ともつかない世界にはまり込んでいく『真夜中の弥次さん亭多さん』に始まるシリーズで、「死」というテーマを正面から追求した。
 それが、少し変わってきた。「年を取って自分の死よりも、子どもとかその未来に興味が移ってきたかな。死んですべて終わり、などと言ってられない」
 大裏災後に緊急出版した『あの日からのマンガ』では、「あの日から」50年後の子どもたちを天使のような翼を持つ姿に措いた。
 今年5月に出版した『ゲロゲロブースカ』は、放射能に汚染され、老人と14歳までしか生きられない子どもだけの世界が舞台だ。86年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに描き、5年前に単行本化した作品の新装版だ。
 その最後のシーンは一言、「生きて」。描いた当時は、まさか日本で原発事故が起きるとは思っていなかった。今回、あとがきにこう書いた。
 「それがどんなに過酷な生でも、そこには生きている悦びがあるだろう」 「子供たちよ、死を恐れる健常の奴隷でなく、無常を悦ぶ冒険者であれ」  (伊佐恭子)

「死者と共にある」姿勢
    精神科医・斎藤囁
 しりあがり寿のマンガには、デビュー当時から一貫して、脱力系ギャグと清冽なリリシズムが混在している。それは『メメントモリ』でも変わっていない。
 死に対する恐怖をどう扱うかは作家によって異なるが、しりあがりの場合、「死者と共にある」という姿勢が一貫している。この姿勢は、3・11以後は広く共有されたが、彼に
は本来の資質として備わっているのだろう。
 『弥次喜多』では、死を取り込んだゾンビ的な存在を措きながら、根底に鎮魂のモチーフ『メメントモリ』に通ずる感覚だ。
 『ゲロゲロブースカ』は今回の新装版で初めて読んだが、発表当時に流行っていた終末観とはかなり異質な作品だ。ここに描かれる「未来の子供」たちは、死者たちと同じ「不在の他者」。彼らとともにあろうとする感覚もまた、鎮魂に通ずるだろう。

朝日新聞の連載マンガ「地球防衛家のヒトビト」でも、『あの日からのマンガ』になった震災後のシリーズには死の影が出てきた。3・11で彼の資質がより鮮明になった印象が
ある。

「最悪の修復」に前例(912asahi)

キリスト画騒動に思う
堀越千秋(画家)

 スペイン北東部の町、ボルハの教会の壁画が「修復」されて、キリストがお猿さんみたいになってしまった。修復したのは、町の80代のおばあさんという。
 元の絵は、壁の低い所に恐らくフレスコか油絵で直接描かれた、19世紀末の小さなキリスト胸像だ。確かな腕のプロの画家によるものだが、上から油絵の具あるいはアクリル絵の具によって描かれてしまったようだ。もう元には戻るまい。一般的には、修復なら、ハゲ落ちた部分だけを注意深く加筆する。「これが『画家』のやり方よ」とおばあさんは息巻いたというが、そもそも修復を画家に任せてはいけないのだ。
 しかし、ことスペインという国に限っては、彼女がとがめられる筋合いはない。町の司祭は、恐らく町で唯一の「画家」に修復を依頼したのだろう。水道が壊れたら水道屋を呼ぶのと、同じような気軽さで。
 他人の絵を直すより、自分の絵が描きたい。それがスペイン人の性分だ。かの地に長く暮らしている僕も昔、壁画の修復を引き受けて冷や汗をかいたことがある。元の絵に戻るどころか、どんどん自分の絵になってしまうのだ。困った。
 この「事件」で、僕はマドリードのプラド美術館のことを思い出した。
 1992年のバルセロナ五輪とセビリア万博に合わせて、「名画をきれいに」キャンペーンが始まった。原画の状態に合わせて1枚ずつ行われるべきなのに、粗雑、拙速な技術で表面の古びたニスをはがすから、画家が心血注いで施した色ニスも一緒にはいでしまう。空間は狂い、遠くの白雲が事前に出てくる。精密に描かれているがゆえのベラスケスの深刻な美は消え、白襟は絵の具のナマの白になり、王女の手はスルメ、王様の足は3本に見える。
 オランダならレンブラント1点に30年かけるところ、プラドは20年で全館の大半を仕上げてし一挙つ。しかし、プラドには権威があるから、ボルハの件ぼど大きく騒がれることはない。「世界最悪の修復」は、実は世界に冠たるプラドの方にあるのではないか。
 修復は、現代の音楽家が昔の作曲家の作品を解釈して演奏する行為に似ている。一つひとつのタッチに宿る思いをくみ、守り、未来へとつなぐのは、科学的で、創造的で、尊敬されるべき仕事なのだ。

カラマーゾフ「続編」、遊び心満載(911asahi)

江戸川乱歩賞の高野史緒
 今回の江戸川乱歩賞は異例尽くしだった。公募の新人賞なのに、受賞したのはプロ作家の高野史緒。受賞作『カラマーゾフの妹』(講談社)は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の続編だ。選考委貞2人が、選評で「安易にまねしないように」と今後の応募者に釘を刺した。

 高野は1995年に日本ファンタジーノベル大賞最終候補作『ムジカ・マキーナ』でデビュー。SF作家として活躍するが、「一生に一度だけ」と決めて、ミステリーの乱歩賞に応募した。
 受賞作は『~兄弟』の13年後の物語。ドストエフスキーは第2部を予告しながら、第1部だけを残して世を去った。カラマーゾフ家の次男イワンが未解決事件専門の捜査官となって故郷に戻り、父フョードルが殺された事件を洗い直し、真犯人に迫ってゆく。
 「納得できないところは130年前の物語だからわからないと思っていた。でも、亀山郁夫さんの新訳で読み直したら、むしろ現代のミステリーの感覚で読めばいいのでは、と思うようになった」
 原作で、フョードルは悪から身を乗り出した時に、後ろから頭を殴られたとされながら、胸元を大量の血で染めて仰向けに倒れていた。論理が通らないように感じたという。「『罪と罰』であれだけ殺人シーンを綿密に書きながら、ここでミスをするとは思えない。変だなというところはミステリーではすべて手がかり」。事件と関係ない、三男アリョーシャと少年たちの交流も、描写が精密で丁寧であるほど第2部への布石に見えてくる。大胆に、そして矛盾のない、遊び心あふれる第2部になった。
 研究者がためらいそうな道を自由な想像力でどんどん進む。思い返せば院生時代、論文を書いていても勝手な想像をしていた。お茶の水女子大大学院で、故瀞都戯妙名著教授がかけてくれた「学者はtruthから離れられない。小説家はtruthを超えて真実を追求できる」という言葉を、今も大切にしている。
 「もともとSFのやり方で書いていたのは、truthを超えて真実を求めることが面白いから。現実じゃない要素を一つ取り込むだけで、いろんな発想が出てくる。そうすると、現実の中の人間が見えてくる」  (中村真理子)

再び交差する2人の軌跡(905asahi)

辰野登恵子 柴田敏雄展
 2人展の妙味とは、両者が描く人生の、あるいは表現の軌跡が、いかに交わり、離れ
るかを見ることにある。すでに高い評価を得ている、画家の辰野登志子(62)と写真家の
柴田敏雄(63)の場合、東京芸術大の油画専攻の同級生という共有点があるが、展示はま
ず、現在の起点となる1980~90年代あたりまでの作品群を、辰野、柴田、辰野、柴田と交互に見せてゆく。

 この時期の辰野が描くのは、花模様や、タイル壁のようなひし形、円の集合休。しかし具象絵画とは言い難く、世に実在するパターンを画面に収め、鮮やかさと渋みを備えた色彩や、奥行きのある層を重ねて、伸びやかな抽象的世界を展開している。
 対して、柴田の最初の展示室は出世作の「日本典型」の連作だ。ダムや擁壁など、日本の山間を撃つ構築物をモノクロ画面で静かに見据え、そこに潜む造形パターンを取り出して見せる。ここまでで、2人が外部世界から「与えられた形象」を抽出し、作品化していることが証明される。
 この後に、同一グループで活動した20代までの作品が続く。ポップアートに傾倒しともに写真製版による表現を手がけるなど、ほぼ同じ位置から出発したのだ。そこから辰野は絵画へ、柴田は写真へと離れてゆくが、図録にある「生成のメカニズム」はどこかで共有していたのだろう。
 90年代以降の展開に、さらに驚く。辰野が見せるのは、箱や丸めたルーズソックスを
重ねたような造形だ=写真上(「UNTITLED 9714」 97年、原美術館蔵)。
立体感があり、触感も重みも増す。しかし具体物というより、絵画としての実在感やリアルさを獲得するべく格闘しているように映る。
 他方、柴田は色彩という要素を加えつつも、抽象度を加速。「群馬県甘楽郡下仁田町」 (2008年)=同下=などは具体的な地名とは裏腹に、どこの何をどう撮ったのかすぐには判然とせず、ただ色と形のパターンが心地よくリズムを刻んでゆく。
 そう、辰野は抽象画で実在感を獲得し、柴田は実在物を写しっつ抽象画を超えそうな純度に達している。2人の軌跡は再び交差したのだ。合わせて約300点の連なりに、絵画と写真という表現の幅広さを再確認する。ここには、「生成のダイナミズム」がある。 (編集委員・大西若人)
 ▽10月22日まで、六本木の国立新美術館。火曜休館。

フクシマから未来へ(905asahi)

福島現代美術ビエンナーレ
「人類が向き合うべき問題を発信」深刻な原発事故を経験した福島県で、大型の国際美術展が開かれている。福島空港ビル(同県玉川村)を主会場とする第5回「福島現代美術ビエ
ンナーレ」だ(23日まで)。福島大学の学生らが運営してきたが、今回はオノ・ヨーコら国内外の著名作家が自主的に参加し、「フクシマ」から未来への希望を発借している。
  空港ロビーに高さ約6Mの子供の像が立つ。防護服姿だが、ヘルメットを脱いで空を仰ぐ。胸の線量計はゼロー。東京電力福島第一原発の事故から着想をえたヤノベケンジの「サン・チャイルド」だ。苦難を乗り越えて前に進む、今回のビエンナーレを象徴する作
品となった。
 福島現代美術ビュンナーレは、福島大学の学生の妾践教育と地域の活性化を目的に2004年にスタート。これまでの会場だった福島市内の文化施設が被災したため、今回は福島空港で開催している。
 実行委兵長の渡辺晃一・同大准教授らが東日本大震災後に始めた、子どもたちにこいのばりを描いてもらうプロジェクトが広く紹介されたことから、ビエンナーレにも注目が集まった。国内外から自主的な参加申し込みが相次ぎ、出展作家は米、独、仏、メキシコな
どからの参加も含めて約70組。学生らを加えると総数は150組に達する。
 今回のテーマは「SORA(空)」。渡辺准教授は「『SORA』は、福島の美しい空であると同時に世界につながっている。震災や原発事故を受けて福島の地で開くビエンナーレにふさわしい」と話す。
 その期待に応えて、オノ・ヨーコは空を措くことを呼びかける「SKYPIECE for Fukushima」などを出展。子供たちが描いた空の絵がロビーに浮かぶ。米国在住の長沢伸穂は、地球を手のひらに載せる画像をたこにした作品とともに、米国と福島の学生が制
作したオブジェをペアにして展示するプロジェクトを手がけた。
 震災と原発事故という現実を反映した作品もある。
 吉田重倍は空港に隣接する公園に子ども用の靴を多数配置し、水と鏡で虹をかける。震災の犠牲者や他の地域に避難した子供たちを連想させる。武田慎平は、東北・関東地方の戦跡など12カ所で採取した土壌を写真フィルムとともに暗箱で保管し、そのフィルムから
焼き付けた写真を出展。星空のような画像が実は可視化された放射線と知る衝撃は大きい。
 会場の福島空港は展示施設ではないうえに、市街地から離れている。予算も他の国際美術展に比べれば2桁少ない。それでも「サン・チャイルド」の輸送費を募金でまかなうなど、作家やサポーターの熱意に支えられて開催にいたった。「福島から人類が向き合う
べき問題を発信できる機会。参加できてよかった」(ヤノベ)という声があがっている。  (西岡一正)

2012年8月30日木曜日

いつものビルかと思いきや…(828asahi)

本物のビルかと思ったら幻?−東京・日本橋のオフィス街に、建て替えで消えたはずの歴史的な建物が出現した。工事現場を撃つシートに元のビルの実物大写真が印刷され、解体されたビルがそのまま立っているようにも見える。
 ビルは、三菱倉庫の「江戸横倉庫ビル」。鉄筋コンクリート6階建てで、1930(昭和5)年に建てられた。船橋のような屋上の塔屋や最上階の半円窓など、船を思わせる外観が特
徴だった。都選定歴史的建造物に指定されている。
 現在、外観の7割を残す建て替えが、進められているが、
「工事中や周辺の住民や働く人に親しまれた景観を残したい」 (三菱倉庫)と、足場を覆うシートにかつてのビルの外観の写真を施した。
 施工する竹中工務店は「姫路城など絵を描いたシートで覆う事例はあるが、原寸大の写真で元々の建物を再現する事例は、国内では聞いたことがない」と話す。新ビルは、再来年の8月に完成予定。  (福留庸友)

2012年8月24日金曜日

メリエスの素晴らしき映画魔術(824asahi)

「宝物」復元した熱意








ジョルジュ・メリエスは映画史上最初の巨匠と言うべき人物である。マジシャンだったこのフランス人は、1895年にリュミエール兄弟が映画を発明すとすぐ、この技術で物語性のある見せ物的な面白さで一杯の作品をたくさん作った。とくに奇抜なトリック撮影で評判を呼び、そのアイデアの豊かさにはいまでも感心させられる。遠い歴史の彼方にいるこの人物を久しぶりに思い出させたのは、さきごろ公開されたアメリカ映画「ヒューゴの不思議な発明」で、そこには映画づくりを止めて落ちぶれた晩年のメリエスが登場する。そして忘れられた彼の作品を保存しようとする人々も描かれる。
 あの映画はフィクションだが、じつは彼の代表作の「月世界旅行」の彩色版の古くて溶けかけていたフィルムが発見されていて、研究者たちの手で10年かけてコツコツ復元作業が行われていたのだった。彩色版というのはフィルムに直接筆で絵の具を塗って作ったカラー映画である。これが残っていたというのは本当に珍しく貴重である。
 セルジュ・ブロンバーグとエリック・ランジュ監督の「メリエスの素晴らしき映画魔術」は、この復元作業を中心としてメリエスの生涯とその仕事を描いたドキュメンタリーである。昔のフィルムは長い年月のうちに溶けて固まってしまう。それをナイフでそっとはがしてゆくという、いつ終わるかと思うようなしんどい手作業から始まって最新の技術の開発を待たなければならない作業まで、この古いフィルムを宝物と信じなければやれない苦闘が感動的である。
 こうして復活した映画史初期の15分の超大作「月世界旅行」の、なんという無邪気さ!こ
れが映画の初心なのだ。(佐藤忠男・映画評漁家)
 25日から各地で順次公開。

ローマ和食店でボディー・スシ(824asahi)

「日本の伝統」報適に大使館抗議
 ローマ市内に、横たわった裸の人の上にすしを盛りつける「ボディー・スシ」を売りものにする日本料理店が現れた。イタリア紙は日本の食文化であるかのように紹介しており、在イタリア日本大使館が「日本の伝統というのは商売目的ででっちあげられた迷信だ」と抗議の書簡を送る事態になっている。

 ローマ中心部のこの店の前には「ボディー・スシ」「ローマ初」と書かれた写真入りの看板。ホームページにもローマ字で「NYOTAIMORI」(女体盛り)とあり、「男性か女性のモデルの上に盛る」としている。
 料金は、横たわるモデルの代金199ユーロ(約2万円)に加え、客1人59ユーロ(約6千円)。モデルの性別で値段の違いはない。
 経営者の香港出身の中国人女性は、朝日新聞の電話取材に、誕生日会や企業のイベントなど宴会用に提供しているとし、「何も悪いことはしていない」と今後も続ける姿勢を示した。
 経営者によると、開業したのは2008年11月。すし職人2人は日本人だといい、「ボディー・スシ」は昨年から始めた。「ローマではあまり知られていないので、イタリア人客が数回注文しただけ」といい、日本人客はいないという。
 この店について、イタリアの全国紙コリエレ・デラ・セラが7月、「日本の流行ニヨタイモリ、ローマ上陸」「お触り禁止」などと取り上げた。「新しいすしのスタイル。ニューヨークやロンドンなど世界の主要都市にも広まっている」という店側のコメントも記
されていた。日本大使館は同ヲ紙への抗議書簡で「女体盛りは日本の食文化や習慣とは関係がない。日本の一般市民からみれば常識から逸脱している」としている。
       (ローマ=石田博士)

2012年8月23日木曜日

何でも梱包した果てに(822asahi)

 カニ缶のラベルを缶の内側に貼り直したのが「宇宙の缶詰」です。写真は開封状態ですが、本来はハンダ付けで密封します。その瞬間、カニ缶の表側と裏側が入れ替わるわけです。それで、ラベルがない側、つまり私たちがいる宇宙が全部、カニ缶に包み込まれてしまうのです。

 この作品は、それ以前に続けていた「梱包」シリーズから出てきたものです。
 「梱包」作品を初めて発表したのは1963年です。友人から使用済みのカンバスを借りてクラフト紙とひもで梱包した作品を出しました。それまでもグループ「ネオ・ダダ」 (60年結成)など前衛芸術の仲間と活動していたから、(絵画や彫刻などの)安定した作品ではおさまらない。いまは見せるべき作品がないという状態を見せたい、というのが「欄包」の内的な理由でした。
 でも、やりはじめたら面白くなった。ラジオや扇風機を梱包して電源を入れて展示し
たこともあります。次は自動車をやってみようとか、ビルを欄包しようとか構想は膨ら
んでいくんですが、それは大変だし、単純なエスカレートでしかない。
 そんなことを考えてい訂ときに、「ハイレッド・センター」(63年措成)の仲間と、帝
国ホテルで「シェルタープラン」というイベントを計画し、アトラクションの一つで缶詰
を作った。ラベルのない、中身の分からない缶詰です。
 僕が作ったのは、一つは「缶切りの缶詰」。ギユウちゃん(前衛芸術家の篠原有司男さん)が買っていきました。別の画廊に戻り、缶切りがなかったから五寸釘を打ったりして苦労して開けたら、中から小さな缶切りが出てきたので、全員あぜんとしたそうです。
もう一つが「宇宙の缶詰」。サケ缶や牛肉の大和煮の缶詰もあったはずです。アイデア
がひらめいたときは「これ1個で宇宙を包んだことになるから、もう梱包は終えていい
んだ」と思った。でも、実は1個だけでは、密封された缶の中の空間は包み残しになっ
ている。2個あれば相互に缶の中の空間も包み込むので、宇宙の欄包はやっと完成する
のかな、とも患っているんです。  (聞き手・西岡一正)

2012年8月20日月曜日

オープンカレッジ第5弾!(8/22)

美術と仕事② 3Dクリエイター

担当 亀井 清明

CGという仕事の中で美術的要素、素養を要求される場面は多々あります。
講師の仕事を紹介しながら、「仕事の中の美術」を解説します。
講座の後半ではCGの実作業を体験!

2012年8月17日金曜日

試し書きは無意識のアート(815asahi)

 文房具店のペン売り場に置かれたメモ紙の「試し書き」。その「無意誅のアート」に魅せられた男性が、世界49カ国から計約2千枚の試し書きを集め、この春から都内や関西で展示会を開いている。その奥深い魅力とは−。
 49カ国のペン売り場から2000枚収集

 5年前、ベルギーの文房具店。千葉県浦安市の寺井広樹さん(32)は店内の試し書きに、目を奪われた。カラフルな色づかい。擬人化されて帽子をかぶった豚のような図柄。「額に入れて部屋に飾りたい」と、店に交渉して譲り受けた。
 ペンの書き味を試す。それは下書きでも落書きでもない、半ば無意識の行動ではないか。そこに人間の本質が見えるのではと考え、収集欲に駆られた。
 魅力を伝えたいと、3月に重点・原宿で「世界タメシガキ博覧会」を開催。関西などでも開き、メディアで紹介されると、海外からも試し書きが送られてくるようになった。
 お国柄も表れる。エチオピアやカメルーンではちゃんと書けるかが重要と見えて、シンプルで筆圧強めの「本気度の高い」試し書きが多い。フランスやイタリアでは女の子や万年筆などおしゃれな絵が措かれている。
 意味のない線やハートマークは世界共通だが、「お母さん大好き」というメッセージは世界各国に見られる。「おなか痛い」との試し書きに対し「大丈夫?」と書き込むツイッター型に心温まることも。寺井さんが今一番気になるのはメキシコ。ペンが包装されていて試し書きコーナーがないと聞いた。寺井さんは「確かめるためだけに旅行したい」と熱く語る。
 様々な人が書いてできあがる紙全体のバランスが重要。だが、「もう少し待てば傑作になるかも」と近くでお茶を飲んでいる間に店員さんに捨てられてしまった経験もある。個人情報の保護を理由に断られることもあるという。
 寺井さんの本職は離婚を親戚や友人の前で宣言し、再出発を撃つ「離婚式」のプランナーだ。いまさらそれぞれめ両親に気に入られる必要もない人たちと向き合う仕事について、「うまく書く必要のない試し書きの魅力に通じるかも」と話す。
 試し書き収集は口コミで「愛好家」が増え、2年前から不定期に文房具店をまわっ
ていた「タメシガキツァー」は今年から月1回の定例となった。多い時は外国人を含めて20人が参加している。9月23日からは東京都渋谷区の「文房具カフェ」で博覧会が開かれる予定だ。(吉本美奈子)

人間・死・自然、新潟で問う(815asahi)


 新潟県の大地は、3年に二度、現代美術に覆われる。二つの芸術祭が重なって開かれるからだ。大自然に抱かれれば作り手も心を動かされる。観光資源として期待さ
れることもあって、ともすれば善良で楽しい表現に懐きがち。しかし、そこに異を唱え、芸術や風景の本質を問うような作品も目立っている。
「不在」強く印象に残す
 大地の芸術祭

 9メートルの高さまで積み上げられた約20トンの古着の山。その頂から、クレーンが一部をつまみ上げては、また落とす。その繰り返し。心音を思わせる鼓動が響く。
 クリスチャン・ボルタンスキー(仏)の仮設的な作品愕「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」の交流施設として2003年に十日町市中心部に登場した「キナーレ」が現代美術館に衣替え。その中庭で、この光景に出あう。
 古着の群れはカラフルでダイナミックでもあるが、やはり人の不在、大量の死を思わずにはいられない。ボルタンスキーは、東日本大震災前からの構想を、被災地を実際に歩いた後でも変えなかったという。

 展示場所は、ほとんどの鑑賞者が立ち寄る施設の真ん中。震災後初の芸術祭として覚悟を感じさせる一方、掲げる理念「人間は自然に内包される」の叙情性との距離も気になる。しかし、総合ディレクターの北川フラムさんは、「不可避な死という運命も含めて、人間を包む自然。その前提で我々は生きることを、アートを通して示したい」と語る。
 十日町市と津南町の760平方キロに及ぶ里山や街が芸術祭の舞台だ。3年ごとの開催。5回目の今回は、9月17日までに新旧あわせて約360点を展開する。
 旧松代町の山間部の空き家で展開するマーリア・ビルッカラ(フィンランド)の「ブランコの家」は、旧作をリニューアル。空き家の中で無人のブランコが揺れ続ける。ここにいたはずの子供の不在を措き、過疎や少子高齢化とい
つた問題を神話的に伝える。
 川俣正は、芸術祭のアドバイザーだった美術評論家の故・中原佑介の肇3万冊を、らせん状の本棚に収めた。その中心に立てば、芸術や知とは何か、と考えざるをえない。
 展示場所は、廃校になった小学校。廃校や空き家を使った数々の展示を巡ることは、過疎を体感することでもあるのだ。
 イ・ソンテク(韓国)の「龍の尾」はブナ林に埋もれた屋根。災厄で埋もれたのか、どんな建物がどこまで続くのか、いつの時代なのか、と想像はつきない。
 旧松代町の拠点施設の一つ「農舞台」の内外には、「里山アート動物園」と題して、動物の立体が並ぶなど、もちろん楽しい作品も多い。しかし、大自然の中で現代美術を見せるという画期的な「発明」をなしえたこの芸術祭も、もう5回目。現代美術に何が可能かを、もう一度聞い直している。 (大西若人)

 「転換点」震災を想起水と土の芸術祭 

2回目を迎えた新潟市の「水と土の芸術祭」 (12月24日まで)は、新旧あわせ国内外59.組の66作品が参加する。
メイン会場の新潟港内・万代島旧水揚げ場。かって荷さばき場だった建物内に、骨組みだけの木造家屋や家電製品が散乱する。周囲に並ぶのは、来場者が持ち寄った靴。「大友良英×飴屋法水たち」のインスタレーションは、そうとは謳っていないが、昨年3月のあの光景を想起させる。
 隣には廃油のプールや海水の雨が降る装置で構成された、原口典之の作品。外光の入る大空間で、異なる世界が化学反応を起こす。
 テーマを「転換点」としたのは、東日本大震災後。作品展示のほか、「自然との共生」がテーマの連続シンポジウムもーつの柱だ。
 大乗災の死者の記憶を石に託したというイリーナ・ザトゥロブスカヤ(ロシア)のインスタレーション、風力で「WIND」の文字が光る加藤立の作品など、震災やエネルギー問題に直接触れる表現もある。一方、砂浜に木枠を置いた前山忠の一見「美しい」作品(展示休止中)にも、自然と人間の関係への批評が潜むと感じるのは、見る
側の私たちの心のあり方と無関係ではないだろう。
 プロデューサーとディレクターを新潟ゆかりの人物で固め、地域性を打ち出した今回。住民自らが前回の出展作家に依頼した作品もあり、担い手の広がりも感じられる。
 真に地域に根付いたものとして、「次」につながるのか否か−。今回が芸術祭の意味を問う試金石となるかもしれない。   (増田愛子)

重なる絵の具が語り出す(801asahi)

石川順恵新作展/安藤正子-おへその庭
 絵の具の層を重ねて画面を作る。油絵などに見られる、そんな描写方法が持つ可能性の広さを、2人の女性画家の個展で改めて確認した。
       
 まず、石川順恵(1961年生まれ)のアクリル画11点による新作展。伸びやかな筆敦による抽象画で知られてきたが、今回はその上に、格子模様が重ねられている=写井上は「impermanence」。
 硬賓な「グリッド」と呼ぶようなものではない。柔らかく、移ろいやすい格子の層が部分的に重なり、さながら格子戸の趣。淡いピンク地に奔放な緑の筆致が走る奥の層へと、視線を誘う。コラージュ風でもあり、浮遊感のある、みずみずしい映像的な表現が生まれている。

 安藤正子(76年生まれ)は、9点の油絵を含む19点を美術館での初個展に出している。こちらは対照的に、精細に描かれた人物や動物、植物の絵だ。
 磁器のように平滑な画面が際だつ。手の跡、筆致がほとんど残っていない。ときに紙ヤスリをかけ、薄い絵の具の層を華や手で重ねて生まれた。画面の中に幾重もの層が潜んでいるのだ。一種人工的な絵肌から浮かび上がるものも、どこかつくりものめいている。例えば「スフィンクス」と題された07年の作品=同下。裸の女性が机に座っている姿が描かれているが、わきの下に花をはさみ、よく見ると、目も赤い。そして、不釣り合いなほどに武骨な手。
 平滑な画面とシンプルな構図。選びに選び抜かれた繊細な線ゆえに、逆に不思議な部分が浮上し、違和感を漂わせる。現代社会を覆う空気にも通じ、タイトル通り、さまざまな謎を見る者に問いかける。
 絵をじっと見つめる。画面の中に折り重なる、描かれた「時間」の異なる絵の具の層がほどけて語り出すとすれば、これぞ絵画の快楽と呼んでもいいだろう。  (編集委員・大西若人)
 ▽石川展は4日まで、東京・京橋3の6の5の南天子画廊。安藤展は19日まで、東京・北品川4の7の25の原美術館。月曜休館。

2012年8月14日火曜日

奈良美智個展、深み増す(814asahi)

子ども描写、原点へ

 カワイイけれどブキミ。
そんな子どもの絵で知られる美術家・奈良美智(52)の新作個展が、横浜美術館
(横浜市)で開かれている。初めてのブロンズ彫刻や穏やかな表情をうかべる少女の絵画が、模索の時期をへた奈良の「現在」を示している。
 奈良が人気作家となったきっかけの一つが、2001年に同じ横浜美術館で開いた個展。孤独や、ときには残酷さも感じさせる子どもの絵が若い世代の共感を呼んだ。その一方で、当時頻発していた子どもの暴力や犯罪と重ねて話題にされるなど、反響は美術の枠を超えて広がっていった。その状況を奈良はどう受けとめたのだろうか。
 「当時は大きな故にのみ込まれて、自分白身を忘れていくその後の数年間につ
ながった」と奈良は振り返る。12年間拠点としたドイツから00年夏に帰国したば
かりだった。「自画像」として描いたパーソナル(個人的)な作品が突然、多数
のオーディエンス(観衆)を獲得したことに戸惑い、混乱したという。そうした
変化は作品にも影響した。「色の重ね方や構図がおろそかになって、ポップな表現やマンガ的なイメージだけが強くなっていった。(観衆の)期待に無麓識に応えて安易に作っていた」
 そこから模索が始まった。03~06年はデザイン集団「graf」と活動し、小屋を組むなどの仮設作品を制作。07年からは数年間、滋賀県の陶芸地に繰り返し滞在して土をひねった。昨年は母校・愛知県立芸術大に長期滞在して塑像に挑んだ。.他者との共同作業から孤独な制作へという軌跡は、「ドイツのアトリエで自分との対話を続けた」原点へと回帰するための旅路だったのだろう。
 11年ぶりの横浜での個展。粘土と格闘した塑像から鋳造した彫刻には、、生々
し小指の跡が残る。かつての繊維強化プラスチック(FRP)による滑らかな彫刻の面影はない。絵画はより大型になり、色を重ねた過程がうかがえるなどの変化が見て取れる。
 子どもというモチーフこそ変わらないが、その表情は内省的な深みをたたえる。それは奈良の自画像であり、同時に普遍的な人間像なのだろう。個展のタイトル「若や僕にちょっと似ている」にはそんな意味がこめられている。(西岡一正)
 ▽9月23日まで。10月、青森県立美術館、13年1月に熊本市現代美術館に巡回。

8月の展覧会のお知らせ

美術学科主任建石修志の参加している展覧会のお知らせ。
◉「絵に描いた座右の銘」

2012年8/20(月)~9/14(金)  11:00~19:00
クリエイションギャラリーG8
東京イラストレーターズ・ソサエティ主催
http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8_exh_201208/g8_exh_201208.html

◉「Anotherへのオマージュ」展─眼球と少女たち












2012年8/15(水)~29(水)
渋谷 Bunkamura Gallery
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/120815another.html

◉「マリリン・モンロー没後50年記念」展

2012年7/28(土)~8/5(日)
銀座青木画廊
http://aokigallery.jp/2011ex/marilyn/

2012年8月8日水曜日

オープンカレッジ第4弾!

描きたいものを描くためのドローイング(8/17)

担当 亀井清明

















「描きたいものを描く」言葉で言うのは簡単だけれど、これがそう簡単にはいかない。

描くとは何なのか、描きたいものとは何なのか。
感じるとは何か、そもそも感じている自分とは何か。

五感から伝わる脳への入力信号を紙の上にアウトプットする。
そのプロセスを考えるところから、実際の制作までを解説していきたいと思います。
本来は底なし沼のような、あるいは頂上の見えない登山のような「絵を描く」というプロセスの
入口を覗いてみましょう。

2012年8月3日金曜日

オープンカレッジ第3弾!!!












美術と仕事1 絵画とイラストレーション 担当講師:建石修志

「美術」を仕事として捉えれば、画家、造形作家、彫刻家、版画家・・・と実に様々な立場が考えられます。その中でも例えば同じ絵を描くことを方法にしている画家とイラストレーターとは何が同じで、何が違うのか? 「美術」の側からイラストレーションへのアプローチとはどんなことが可能なのか? 
実際に画家として、またイラストレーターとして仕事をしている講師が、実例を多数示しながら、説明します。
イラストレーションの可能性も、「美術」の広大な地平の中に探り当てることが出来る筈です。

2012年7月29日日曜日

オープンカレッジ第2弾!

夏のオープンカレッジはまだまだ続きます。
第二回目は8月3日(金)12:00〜
講座は「魅力的な作品づくりのために〜画材と素材」です。




















作品制作においてまず私たちが識らなくてはならないのは、作品を作り上げるために必要となる道具達です。
この講座では最も馴染みの深い画材としての「鉛筆、紙、消ゴム」に始まり、「絵具、パステル、色鉛筆、」といった、基本となる画材を経ながら、「イーゼル、パレット、ペインティングナイフ」など、画材と名のつくものならあますところなくを一挙に紹介していきます。
その道具たちは実際に扱っていくことで、だんだんと自分自身のイメージを正確に映し出すツールとして身体に馴染んでいきます。さらに、その画材そのものが私たちに創作の手がかりを教えるまでになるのです。
画材は単なる道具である同時に、ついには自分自身の身体の一部となる。そのときに道具と一体となった「作り手」が生まれるのではなかろうか。
講座では画材と同時に各画材で作られた様々な作品も紹介していきながら、作品と画材の関係に迫ります。

2012年7月24日火曜日

オープンカレッジでお待ちしています。

いよいよ明日から美術学科の夏のオープンカレッジが始まります。
講座を実施する教室も作品の展示が完了し、万全の体制を整えて皆さんの来校をお待ちしています。

美術は自由な表現の場です。自分の考えや想いを自分だけのやり方で表現していくこと。
その為の方法を探しにきて下さい。
時代は今、私たち一人一人の力強い創造力を求めています。
自分自身の想像力で自分の望む世界を創造して下さい。美術学科はそのための最大限のサポートをしていきます。
自分の人生の主役は自分自身です。自分が本当に望む未来をイメージしたとき、世界は動き始めます。




2012年7月21日土曜日

オープンカレッジ第1弾!



いよいよ学科別オープンカレッジの始まりです。
「美術学科」オープンカレッジ第1弾は7/25(水)12:00からです。

「描きたいもの」を描くためのデッサン

「美術」とは平面作品も立体作品も、写真・映像から空間そのものを含む、とても大きく広い領域を抱え込んでいます。その中で作品を創ろうとする時、まず一番重要なことがなんであるかと云うと、それは自分の「眼」が何をどう視て、どう感じるかということです。
デッサンとは、その「眼で視ることは解ること」であることのしっかりとした理解であり、その理解を自分自身の手によって、紙の上に実践することだと考えます。頭の中に描きたいイメージは沢山生まれてきます。そのイメージをしっかりと描き起こすには、「眼」と「手」を繋げることしか無いと思うのです。この講座では、デッサンの考え方を丁寧に説明し、モチーフ(対象)を実際に描いてみます。まずは手を動かしてみること、これしかありません。
(講座担当 建石修志)

2012年7月20日金曜日

美術学科前期授業も終了。

あっという間に前期も終了し、夏の休みへ突入。
演習「磁力を巡る」の作品も、講堂前に一挙展示!












前期はモノクロームに絞っての作品制作、それぞれ工夫の跡が見える。
講師陣も夏のオープンカレッジに向けて、「お疲れさま!」と「がんばるぞー!」
と乾杯したのでありました。


オープンカレッジ、どしどし参加を待っています。