2013年5月30日木曜日

画材紹介その3「素手-Bare hand-」Painting item review No.3

こんにちは。美術学科の菅原です。
画材紹介動画シリーズ。
第三弾は「素手」です。

2013年5月29日水曜日

制作風景動画「フェルメールの少女(仮題)」Vol.1

どうもこんにちは美術学科の菅原です。
今回の動画は一枚の絵が真っ新な状態から完成するまでをドキュメンタリー風に追跡していくという試みのものです。そのため制作風景の一部始終をほぼそのまま流してしておりますのでやや冗長な内容となっておりますがよろしければ是非お付き合い下さい。

2013年5月16日木曜日

鉛筆派展ⅩⅢ

日デ美術学科の講師5人も参加している鉛筆派展。
今年で13回目の展示。
敢えて鉛筆だけで作品を作る48人による総出品点数120点余の展示です。
色彩を使わず、光と影のみによる鉛筆空間。
ぜひご高覧の程を…。

2013年5月11日土曜日

画材紹介その2「筆置-Painting brush holder-」

こんにちは。美術学科の菅原です。
画材紹介動画。
今回は「筆置」を紹介します。
ではどうぞ。

2013年5月10日金曜日

本をたどって1(507asahi)

表紙が、ざわめく

 本が好きだ。でも、私が好きな、その「本」とは何だろう。
 「電子書籍」でも中身は見られる時代が来て、物質としての本、本のたたずまいを私は意識するようになった。
 かたちは「かた」と「ち」に分けて考えることができると、デザイナーの杉浦康平さん(80)はいう。「かた」は塾。そこに「ち」、血であり乳であるものが流れて、脈動が始まると。
 1枚の紙が、表裏に印刷して3回折れば16平になり、立体になっていく。
 「表紙の紙、背に貼り固める親御鰍という布……、本はいろんな材料でできている複合体。背でとじられて、開けば左石に分かれ、また一瞬でひとつになる。ただならぬ入れ物」
 その全面に意匠をこらす挑戦をしてきた。ブックデザインを手がけて半世紀。アジアの表象の専門家でもある。イメージの根源は「ざわめきの渦」。
 この人がデザインした雑誌『噂の真相』や季刊『銀花』の表紙は文字も多く、そういえばざわめいていた。どちらも近年休刊になってしまったが。
 講談社現代新書に至っては、新書なのに、一点一点、顔が違っていた。クリーム色のカバーに、内容を抽出した文章と絵が刷られ、その絵が背にも入っていた。カバーを折り返した後ろの袖には、関連本の紹介文が。それも多色刷り。
 なぜここまで?
 「題字だけ変える無表情な新書では寂しいと思って。カバーは紙の無駄ではないかという思いもあり、余分な1枚をつけるなら、脱ぎ捨てた衣のように、その人のたたずまいや残り香が感じられるものにしたかった」
 講談社現代新書は1964年創刊だ。岩波新書、中公新書を追うものの、低迷期があり、m
年にデザインを一新。それから33年間、2004年まで杉浦デザインだった。本文の組みパタ
ーンも考えた。
 編集者は大変だった。デザイン会議を毎月、杉浦事務所で開き、本の内容を語りながら、カバーのイメージを練った。
 「銀座にあの洋書があるはず、神保町の古書店でこの美術書を、と杉浦さんに言われて、買い集めて行くと、『使えません』と言われたり」。現代新喜の編集長を10年務めた鷲尾賢也さん(68)はふりかえる。、
 「ゲラを読んだ杉浦さんから『これ、出すのやめたら?』と言われて弱ったこともある。けれど、ハウツーものが売れたりする。それも含めて文化。僕らは稼がないと、これぞという本もつくれない」
 デザイン上の高度な要求を、編集者は時に押し返し、時には徹夜してもかなえた。さらに印刷や製本を仕上げる人がいて、本は、かたちになった。
 「本をつくる輪が社会のなかにあって、そこにデザイナーもいた。デザインは、中身があって初めて生まれる。おむすびを一番おいしくする海苔みたいなもの」。そう杉浦さんは言う。(編集委員・河原理子)

2013年5月3日金曜日

収集品を全て寄贈した現代美術コレクター(429asahi)


ドロシー・ボーグルさん(77

 夫ハーブさんとともに、半世紀かけて世界有数の現代美術コレクションを築いた。夫妻を取り上げたドキュメンタリー映画「ハーブ&ドロシー」(佐々木新出監督)は日本でロングランに。今春公開された続編「ハーブ&ドロシーふたりからの贈りもの」は、5千点近い収集品をすべて全米の美術館に寄贈するまでを描いた。
 元公立図書館司書。自身の給料を生活費にし、郵便局貞だったハーブさんの給料を絵画やオブジェの購入費用にあてた。「私は知的な抽象画を、ハーブは鮮やかな色彩の作品を好んだ。でも彼が好きな作品は不思議と私も好きになった。彼もそうだったと思う」
 2人で芸術家に制作の動機や過程を聞くのが常だった。意気投合した芸術家が破格の値段で譲ってくれた作品も多い。新婚時代から住むマンハッタンの1LDKのアパートは、アートであふれた。
 3月に初来日し、東京や大阪の映画館で大観衆を前にあいさつした。「私はハーブと好きなことを続けてきただけ。映画になるなんて思ってもみなかった。日本でこんなに温かく受け入れてもらえたことは驚きで、とてもうれしい」
 昨夏、ハーブさんが89歳で亡くなると、収集の終了を宣言した寄贈が終わり、がらんとしたアパートには今、結婚前にハーブさんがドロシーさんをモチーフに措いた油彩画1点だけを飾っている。
  文・春日芳晃 写真森本真理氏