2010年12月19日日曜日

展覧会3つ

建石修志が参加している展覧会のお知らせ

●2010年12/16~25 日曜休廊
南青山3-4-11
スペース YUI
BOX OPERA V
北東採石図譜 「fig.」
北見隆・東逸子・建石修志

展覧会のお知らせ
●2010年11/29~2011年1/8
中京大学アートギャラリー C・スクエア
休館日曜・祝日 12/24~1/5
「鉛筆画の世界」展
秋山泉・木下晋・鴻池朋子・篠田教夫・建石修志・真島直子・安冨洋貴の7人

●2010年12/4~14
弘文堂画廊
「五線の会」展
門坂流・柄沢斉・多賀新・建石修志・坂東壮一
帯広市西2条南9-6六花亭本店3F
水曜定休
●2010年12/7~29
神田日勝記念美術館
門坂流・柄沢斉・多賀新・建石修志・坂東壮一
北海道河東郡鹿追町東町3-2
会期中無休 入館料一般510円

2010年10月29日金曜日

「不気味の谷」に漂う心(1028asahi)

ロボット演劇2作初演



 名古屋市で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で、劇作家平田オリザさんとロボット研究者の石黒倍大阪大学大学院教授による、対照的な二つの「ロボット演劇」が初演された。「さようなら」と「森の奥」だ。
 「さようなら」はアンドロイドが病気の女性の気分に沿った詩を暗唱する、約15分の小品。登場した「ジェミノイドF」は滑らかなシリコーン製の肌を持ち、埋め込まれた12の駆動装置が人間そっくりの表情やしぐさを作り出す。
 別室にいる生身の女優の顔や首の動きを取り込み、リアルタイムで表情を変化させる。内蔵スピーカーから流れるのは女優の声。少し眉をひそめた顔や静かに響く声は、自分の意思を持って演技しているように見えた。
 だが終幕後、自動的にまばたきを繰り返す「ジェミノイドF」は不気味なだけ。そこには「心」を感じられなくなった。一方、「森の奥」に登場した「Wakamaru」は、対照的に、いかにも機械的な見かけ。事前に入力した動きやせりふを遠隔操作で調整し「演技」する。音声は人工音で、最初は家電製品が動いているような印象だった。
 しかしカーテンコールでは、誤作動で止まった彼らに客席から微苦笑がもれ、拍手も起きた。精妙な間やタイミングから「心」を読み取るうち、観客は「Wakamaru」自体に人格を感じるようになったのだろう。
 「不気味の谷」という言葉がある。ロボットを人間に似せていくと、人間と見分けがつかなくなる手前でいったん強い嫌悪感を生じさせる現象のことだ。動いてぃる「ジェミノイドF」は谷を挟んで人間側、終幕時は谷底、「Wakamaru」は谷の反対側にいたのかもしれない。
 石黒教授は著書『ロボットとは何か』で「人は互いに心を持っていると居じているだけ」と記している。見かけ上のわずかの差で「人間らしさ」を感じなくなる。一方で外見は機械でも、動作や言葉の積み重ねから「人間らしさ」を感じてしまう。ロボット演劇があらわにしたのは、そんな人間の心のあやふやさだったのではないか。
 「さようなら」は11月10・11日、舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョ1」のプログラムとして、垂尻・東池袋のあうるすばっとでも上演される。   (増田愛子)

いま再び写実(1027asahi)

主義から思想へ若手が台頭


 

写実的な絵画が精気を取り戻している。11月3日には写実専門の私立美術館「ホキ美術館」が千葉市に開館し、神奈川県の平塚市美術館では現在、写実を追求した磯江毅の回顧展が開催中だ。ほかにも1960~70年代生まれの世代に、写実に取り組む作家が目立つ。デジカメ写真をパソコン上で簡単に加工・修整できる時代に、なぜ写実絵画なのか。(西田健作)
 ホキ美術館は、現代の写実絵画だけに的を絞った珍しい美術館だ。医僚用品メーカー・ホギメディカルの創業者保木将天さん(78)が館長を務め、自身の約300点のコレクションから常時約160点を展示する。

  展覧会は完売

 保木さんは「この10年で写実が脚光を浴びていると感じる。百貨店で写実の展覧会があれば完売になり、年に1度、コレクションを公開すると1日千人もの人が来るようになった」と話す。
 コレクションの中心は、森本草介、野田弘志、中山忠彦の作品。3人とも1930年代に生まれ、一貫して写実に取り組んできた。森本は理想化した女性像を措き、野田はリアリズムを徹底して追求、日展の理事長でもある中山はアンティーグな衣装をまとった妻を繰り返し描いてきた。
 3人は着実に支持されてきたが、抽象的な絵が主流の80年代まで、大きなうねりになることはなかった。だが、写実に詳しい奈良県立美術館の南城守学芸員は「80年代末から90年代にかけて、公募団体展で活動する若い世代が群れをなして写実に取り組むようになった」と話す。
 特に91年の企画展を通じ、スペインの画家アントニオ。ロペス・ガルシアらの「マドリード・リアリズム」が紹介されたことが大きいという。
「日本では、写実の画家は発想力が無いという目で見られてきた。だが、ロペスらの絵を知ることで、写実に深い思想性を込め、ほかの現代美術の作品に負けないものを措けることが分かった」とみる。
 東京・日本橋にある春風洞画廊の横井彬社長は「芸術性に加えて、マーケットもある」と話す。「大きな美術運動が無くなるなか、中山、森本、野田の成功を見て、若い画家たちが後に続いた」
 描く側はどう考えているのか。若手の代表格・諏訪致さん(43)は「主義で美術を語る時代は終わっている。だから、写実主義の復権ではなく、あるべき絵の方向性を作家ごとに探しているだけ。でも、人の形を描いたら美術じゃないという状況が無くなったことだけは確か」と話す。
 平塚市美術館で個展が開かれている磯江は、マドリード・リアリズムの画家だった。54年生まれで、スペインを拠点に制作、07年に病死した。公立美術館では初個展。静物画を中心に約60点を並べた。担当した小池光理学芸員によると、長時間、絵を見る人の姿が日立つという。小池学芸員は「個性ばかりを主張するのではなく、ストイックに措いていることが分かる絵だからこそ、多くの人に受け入れられるのでは」とみる。
  
作家比べる場

 もっとも、現代の写実絵画が定普するかどうかばこれからだ。ホキ美術蛇の展示には、森本の後を追うような美しい女性を描いた甘美な絵が目立つ。南城学芸員は「美しい女性を措くのなら、なぜ描くのかという問いかけが無いと、単なる売り絵になってしまう」と心配するじ新たな拠点は、作家を比較する場にもなる。写実絵画も選別の時代に入ろうとしている。
 ▽ホキ美術館は千葉市緑区あすみが丘東3の15にある。電話043・2C5・1500、祝日以外の火腿日など休み。平塚市美の「機江毅展」は11月7日まで、月曜休み。

2010年10月23日土曜日

ベルサイユ宮での村上隆展中止を=ルイ14世の子孫が仮処分申請へ(時事通信)

 【パリ時事】パリ郊外のベルサイユ宮殿で開催されている現代美術家、村上隆氏の作品展について、同宮殿を建設したフランス王ルイ14世の子孫らが22日、宮殿管理者に中止を求める仮処分をベルサイユの行政裁判所に申請することを明らかにした。「祖先と宮殿の尊厳を守るため」という。AFP通信が報じた。
 マンガやアニメを下敷きにした作品で知られる村上氏の作品展に対しては、保守系の団体が「宮殿への冒涜(ぼうとく)だ」などと反対運動を展開していた。仮処分を申請するシクストアンリ・ドブルボン公は「ベルサイユ宮で展示会を開けば美術家の価値は上がるだろうが、フランス文化のためにはならない」と主張している。 

2010年10月9日土曜日

惜別──最後の一首「息が足りない」(109asahi)

歌人 河野裕子さん

 すさまじいまでの暑さの夏、歌をのこして逝った。
 抗がん剤の投与をあきらめ、退院して京都市内の自宅に帰ったのが7月。食べられず、33キロまでやせた。モルヒネでもうろうとするなか、目をつぶったまま、ふいにつぶやきだす。五、七、五、七、七。指折って。何首も、何首も。
 夫の歌人、永田和宏さん(63)ら家族が耳をすまし書き取った。
 8月11日、朝から苦しい、苦しい、ともがいた。和宏さんが手を握ると少し眠った。目覚め、かすれ声でつむいだ。
 (手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が)。
最後の一首になった。
 京都女子大在学中に角川短歌賞を受け、デビュー。学生の寝歌同人誌の集まりで出会った和宏さんと25歳で結婚した。身ごもる女のからだを、天や子どもとの暮らしをのびやかに歌い、現代女性歌人の先頭を歩いた。
(ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぷれるごときわが乳房あり)。
受賞歴は枚挙にいとまがない。
 「母はあけっぴろげで直感の人と思われるけれど、よく本を読み努力していた」と話す長男辞さん(37)も長女紅さん(35)も歌人になった。
 2000年に乳がんを患い、手術。再発の不安を抱えて創作を続け8年。おととし、転移が見つかった。化学寮法をしながら、昨年末出した第14歌集「葦舟」は死を見すえていた。
 (一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため) 
(そこにとどまれ全身が癌ではないのだ夏陽背にせし影起きあがる)
 「葦舟」のあとがきに、歌がなければ、たぶん私は病気に負けてしまっていただろう、と記していた。亡き後、ティッシュの空き箱にまで歌の断片が見つかった。愛用の三菱の2Bだろう鉛筆書きが、執念のごとく。
 歌うことが生きることだった。
       (河合真美江)

かわの・ゆうこ 8月12日死去(乳がん)64歳 10月17日しのぶ会

ノーベル平和賞劉氏受賞の意味(109asahi)

平和的中国へ不可欠な存在

 
             
 中国の詩人劉暁波がノーベル平和賞を受賞した。だがその発表のとき、彼は受賞の報を聞くこともできずに獄舎にいた。彼は強制的に妻からも、友人たちからも、街の人びとからも距てられ、11年の刑に服して獄舎にいる。平和賞はこの獄舎の詩人に贈られたのである。彼にどのような祝いの言葉をのべたらよいのか。しかしなぜ彼に平和賞なのか。その意味をこそ私たち
は考えねばならない。
 劉暁波は1989年6月4日未明に天安門広場で起きた事件の犠牲者たちの記憶を魂に刻んだ詩人である。
「『六四』、一つの墳墓/永遠に永眠できない墳墓」
「忘却と恐怖の下に/この日は埋葬された/記憶と勇気の中で/この日は永遠に生き続ける」

 「6・4」記憶の詩

 彼は6月のその日、民主化を要求する学生たちを軍事的に制圧しようとする当局に抗議するハンストの中にいた。
 迫る惨劇を避けるために、彼は撤退することを学生たちに訴えた。最悪の事態を避けて学生たちは撤退した。だがそれを待ちきれずに戒厳部隊は行動を開始した。この制圧行動によって広場で何があったのか、何人殺されたかは分からない。当局は広場における死者は一人もいないといい、この事件を通じての死者は319人だと発表した。
 だが6月のあの学生たちの運動とその軍事的制圧を見聞した市民で、当局のこの発表を信じるものはいない。犠牲者は数千にのばるともいわれる事件の真相は隠され、事件そのものさえ中国現代史の公的記述から消されていった。すでに中国ではこの事件を知らない青年たちが育っている。
 劉暁波は、「6・4」事件で生き残った者の呵責が、針として体内にある痛みに耐えながら文章を記した。それはあの犠牲者の母たちの運動に連帯する文章であった。
 母たちの運動とは虐殺された息子たちの事実を根気強く明らかにし、謝罪と弁償と法の裁きとを要求するものである。彼はこの運動に中国の希望を見いだした。「六四問題をいかに解決するかは、中国が平和裡に民主国家に転換できるかどうか、という巨大な公共の利益に直接関係している」と。
 6月4日の事件の最終的な解決は、中国が平和裡に民主的国家へ転換することにかかっているというのである。だから「6・4」事件の死者の記憶を言葉にする詩人劉暁波は、民主的中国のためのマニフェスト「08」憲章の提唱者でなければならないのだ。
 「6・4」事件を歴史から抹消する中国当局は、この事件を堅く記憶にとどめ、その最終的な解決を民主的国家中国の成立に求める劉暁波を許さない。
「08」憲章の発表の前日、2008年12月8日に彼は当局に拘束され、懲役11年の刑で刑務所に収監されている。その彼にノーベル平和賞が贈られたのである。

 即時釈放求めよう

 劉暁波の発言と活動は、中国における政府と民衆との、民族と民族との真の和解のための、すなわち民主的で平和的中国のために必要不可欠なものだし授賞はそうした評価に基づくものだと考えたい。
 平和的中国とは東アジアの平和のための最大の基盤であるだろう。中国の平和も、そして東アジアのわれわれの平和も、劉暁波を獄中に置くことにはないことをこの受賞とともに知るべきである。劉暁波の即時釈放をはっきりと求めること、それこそが日本から彼に贈る祝いの言葉である。

子安宣邦 大阪大名誉教授(日本思想史)
1933年生まれ。著召に『「アジア」はどう語られてきたか』 『日本ナショナリズムの解読』など。劉暁波民らの08韻サ章を支持しており、劉氏の著召『天安門事件から「08貸費」へ』には序文を寄せている。

2010年10月8日金曜日

寺山修司の作品 公演相次ぐ

寺山修司作「阿呆船」の公演ポスターに、学科主任建石修志がイラストレーションを提供しています。



又某ASAHI新聞(108asahi)にも次のような記事が掲載されていました。
時間のある方は是非ご高覧の程を。


寺山作品独自に迫る
 寺山修司作品に新しいアプローチをする公演が東京都内で相次ぐ。
 13~20日には吉祥寺シアター(武蔵野市)で、実験演劇ユニット、プロジェクト・ニクス(電話03・6312・7031)が「星の王子さま」(1968年初演)を金守珍演出で上演する。宇野亜喜良が構成・美術を担当し、寺山戯曲にサンテグジュペリの「星の王子さま」の場面を加えた。音楽も多用し、女性だけの世界を描く。水嶋カンナ、遠藤好、蘭妖子、石井くに子、カルメン・マキ、中山ラビらが出演。黒色すみれの演奏も。5000円、学生3500円。
 演劇実験室・万有引力は、76年に初演された実験的幻想音楽劇「阿呆船」を、16、17の両日、多摩市のパルテノン多摩(電話042・375・1414)で公演する。他の上に特設ステージを組んでの野外劇(雨天決行)。J・A・シィザーの演出・音楽・美術。公募で集まった市民40人もスタッフ、キャストとして参加する。当日6000円。
 同施設2階の市民ギャラリーでは、69年に寺山が主宰した演劇実験室・天井桟敷に参加し、寺山とともに活動してきたシィザー監修による「わたしの演劇ノート展」も開催中だ(17日まで。13、14日休館)。寺山が書いたメモや台本、写真パネル、ポスター、楽譜、パンフレットなどを多数展示。83年に死去した寺山の葬儀で掲げられた背景画など貴重な資料も出品されている。展覧会は入場無料。

人間透かす等身大イエス(108asahi)

ドイツの村10年に⊥度の受難劇



 ドイツ南部、オーストリアとの国境に近いオーバーアマガウという村は、十年ごとに村の人々による「キリスト受難劇」を上演することで知られる。1634年以来、ペストによる絶滅から免れたことへの感謝として続いている。今年は5月15日から10月3日まで、計102回上演された。在外研究で滞在中の本年が上演年にあたり、ベルリンより足を運んだ。
 民衆劇といえば、日本の農村歌舞伎のような素朴なものを想像して出かけたが、舞台こそ屋外にあるものの、観客席は4720人収容で、しかも満員である。世界中から観客が訪れ、「村芝居」のイメージとはほど遠かった。
 芝居は迫力に満ちていた。キリストのエルサレム入城から、十字架上の受難、復活までを措き、人間が演じるという意味でも、イエスの人物像を表現する意味でも、文字通り等身大のイエスであった。十字架にかけられて全身から血を流すイエスの姿は、教会で目にするが、生身の人間によって再現されると、いかに残酷であるかがよくわかる。
 ロバに乗ってエルサレムに入城するキリストの姿には、既存の価値観への挑戦者としての誇りとともに、後の受難を予告するかのような哀愁が漂っていた。宗教劇が民衆の宗教理解にどれほど重要な役割を担うものであるかが実感できた。
 村の青年が演じるイエスは、新しい神の教えを説こうとする純粋さや熱意を存分に伝え、さらに、神の子という特殊な使命を負い、弟子たちにも距離を置かれ、孤独に死んでいかねばならぬ運命を目前にした恐れと苦悩を、まさに一人の人間(でありながら神の子)として説得力のある形で見せてくれた。キリストはあたかもカリスマのようであるが、実は悩みに満ちた平凡な一人の人間であったという遠藤周作文学のなかのキリスト像が納得される。間に休憩をはさんで前後3時間ずつの長丁場だったが、時間はあっという間に過ぎていった。
 日本の近代化には、キリスト教に影響を受けた知識人が大きな役割を果たしており、私がつとめる大学もキリスト教主義の大学である。特に明治以降の女子教育の発達にキリスト教が果たした役割は大きく、ミッションスクールといえば「お嬢さん学校」というイメージも定着している。
 しかし、私自身もすごしたミッション系女子校の優しく上品な雰囲気と、聖書が伝えるかくも強烈な人間の愚かさと暴力は、何と対照的であることか。キリスト教式結婚やクリスマスのような、日本におけるキリスト教の甘くやわらかいイメージは、聖書の内容をオブラートでくるんだよう。日本のキリスト教が誤りというわけではなく、本家の西洋でもキリスト教の解釈は多様であり、受難劇が伝えるキリスト像は一例にすぎない。また、かつての民衆劇は喜劇的要素が強く、教会からは涜神行為とみなされて頻繁に禁止令が出されたという(下田渾『ドイツの民衆文化』)。
 だが、愛と慈しみの教えは同時に、恐ろしい人間の性をも見せつけ、それが世界の民衆の心をひきっける力となり続けているのであろう。(佐伯順子・同志社大教授)

2010年10月5日火曜日

葉山實展

講師の葉山實の個展のお知らせ

「風が吹いていると想像してごらん」 ─ 抽象絵画・ドローイング ─



2010/10月16日(土)~24日(日)
11:00~17:00
Gallery 招山
鎌倉市鎌倉山2-22-23
0467-32-1712

「ぼくは、描かなけりゃならないんだ」(104asahi)

─コトバの記憶─
「ぼくは、描かなけりゃならないんだ」 モーム『月と六ペンス』

 人生半ばにして芸術に魅入られ、妻子も地位も捨てて誰にも理解されない絵を描き続け、タヒチで病死するイギリス人画家チャールズ・ストリクランドを描いた小説。ゴーギャンの生弓陸に憩を得たと、モーム白身が序文で明かしている。
 引用文はパリに出奔したストリクランドが、語り手である青年作家に、技術や才能がなくては成功は難しいと諭されて、いらだたしげに繰り返す言葉。「人が水の申へ落ちたら、どういう泳ぎ方をしようと、うまかろうが、まずかろうが、そんなことは問題でない」とも言う。
 ストリクランドの身勝手さに最初は憤慨した語り手だが、金も名営も求めない禁欲的な資勢に打たれる。絵についても、毒々しい色彩や一見不器用なタッチに驚きながら「ある魂の状態を表現しようと、驚異的な努力をしている」とみてとる。阿部知二訳、岩波文庫。(安部美香子)

「まねぶ」から美術家へ(102asahi)

森村泰昌さん、習作を書籍化



 美術家の森村泰昌さんは今年、趣向の異なる二つの個展を開いた。一つは、20世紀の著名人に扮した「なにものかへのレクイエム」。世界に知られるセルフポートレートシリーズの回顧展だ。もう一つは、自身の無名時代の習作を、影響を受けた美術作品と並べて展示した「まねぶ美術史」。森村さんは展示内容を書籍化することにこだわった。そのわけは。(浜田奈美)

「デッサンを見てほしい。(略)高校1年D組だった私が描いたはじめての石膏デッサンだ。もののみごとにへたくそだと思わないか」
 これは『まねぶ美術史』(赤々舎)=写暮=の冒頭に森村さんが著した言葉だ。文の横には石膏像のデッサン。1967年、少年時代の作品である。 ページをめくると、青ペンによる抽象画がワシリー・カンディンスキーの作品「小さな世界IX」(1922年)と並んで掲載され、さらに鉛筆で描かれた抽象画がパウル・クレーの作品「綱渡り」(23年)と並んで掲載されている。
 これらは今夏、高松市美術館で開催され、来年以降に広島県福山市や岩手県などに巡回する同名の個展の内容そのままだ。森村さんの過去の習作や未公開作品と美術館のコレクション計約120点を展示した。ちなみに「まねぶ」は「まねる」 「まなぶ」の語源となった言葉である。
 「肖像(ファン・ゴッホ)」(85年)を発表し、擬態する美術家モリムラとして飛躍する以前の個人史の数々。「お茶屋の息子の僕には芸術的な環境が何もなかった。例えば本を開いたときとかにぼつんと情報が入ってきて、そのたびにFこんなもんがあるのか』と驚いて自分のオリジナリティーを追求した」
 数千点におよぶ習作のほとんどを、森村さんは自宅に保管していた。それらを「気になってちらちらと眺めていた」ところから、「まねぷ美術史」を思い付いた。「当時の表現との出会いとか衝撃は、非常に純粋なものでした。最近、あの衝撃がとても大事に思えてきたんです。試行錯誤しながら一巡して、原点に戻った感覚ですね」
 芸術のプロジェクト化が進み、大がかりになったことも気がかりだった。「僕の『レクイエム』も結構な規模。ただその一方で、表現は本来的には個人的なものなんやけど、といういもあって」 書籍化はそんな思いの結晶でもある。だから40余年前のデッサンを表紙に載せた。「間違いなく美大落ちるでという、へたくそな絵です。僕はそんな出発をしたわけで、そこから出発できるということでもある」

2010年9月28日火曜日

老いてなお権威への挑戦(922asahi)


「前衛★R70展」

 奇妙な名の展覧会だ。その名も「前衛★R70展」。ギャラリーによれば、★は美術界のスターを、R70は70歳以上を意味するという。82歳の池田龍雄を筆頭に、赤瀬川原平、秋山祐徳太子、田中倍大郎、中村宏、吉野庶海という6人の出品作家=写真上=は全員70歳以上。会場では、全員が描き下ろしのドローイングと手形を披露していたほか、肝心の作品も、近年の宗教的な関心を強く反映した池田の「場の位相」、かつての反芸術そのままの秋山の「ダリコ
像」、路上観察学会での活動を連想させる赤瀬川の「日々是現実」など。中村の「似而非機械」=写真下=も田中の平面や吉野の立体もすべて新作で、おのおのファンにはおなじみの造形によって長年のモチーフの一貫性を示していた。

 それにしても、前衛というタイトルには意表を突かれる患いがする。もともと軍事用語だったこともあり、前衛という言葉は既存の権威に対する攻撃的なニュアンスが強い。本来なら血気盛んな若手作家に対して用いる言葉のはずなのだが、その対極にいる彼ら大ベテランの展示に、前衛という言葉は思いのほかなじんでいた。
 この展覧会に前衛というタイトルがふさわしいとすれば、戦後間もない時期に若くして頭角を現した彼らが今なお健在で、当時の問題意識を見失わずにいるからだろう。しかしそれは、その後の社会の大きな変化に伴って、社会
変革と密接に結びついた前衛美術の新たな展開が著しく難しくなってしまった現実の裏返しでもある。
 初日の会見で前衛という言葉についての質問がとんだとき、何人かは、半ば死語と化しているのではないかとの認識を示していた。5月には、長らく戦後の前衛美術批評を牽引してきた針生一郎が亡くなったが、それもまた象徴的な出来事に違いない。もはや前衛が過去を回顧する言葉と化してしまったことが明らかな今、それに代わる新たな言葉、若い作家の先駆的な試みを的確に評する言葉を見つけ出す必要があることを実感した。
  (美術評論家・暮沢剛巳)
 ▽10月2日まで、中央区銀座4の4の13のギャラリー58、9月23日、26日休み。

脇役「かげ」に光(922asahi)

国立美術館5館が企画「陰影礼讃」展



国立美術館5館が企画「陰影礼讃」展


 「陰」と「影」の違いをご存じですか。東京・六本木の国立新美術館で開催中の「陰影礼讃」展は、いつもは脇役の美術作品の「かげ」に注目した珍しい企画展。しかも、独立行政法人国立美術館が運営する五つの美術館が共同企画し、コレクションだけで構成した異色の展覧会でもある。(西田健作)

画家の巧みさ映す



 まずは、「陰影法」を基に同展が示す「かげ」の違いから。展示されたアレクサンドル・ロトチエンコの「階段」=写真国=を見ると分かりやすい。「陰」は光がさえぎられて薄暗く見える部分のことで、階段の暗い部分がこれに当たる。また「影」は足元や地面に落ちる人や物のかげのことを指すという。
 「陰影礼讃」展は、独立行政法人国立美術館の発足10年を記念した企画。同法人は、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館を運営している。
 2007年秋から、5館の学芸員が展覧会についての議論を重ねてきた。それぞれ守備範囲が違う5館が共通して取り組める企画として「陰影」をテーマに選び、合計約3万3千点の所蔵品から展示作品を選んだ。
 会場では100作家の170点を4章に分けて展示する。第1章で影と陰の違いについて触れた後、絵画や版画のかげ、写
真のかげ、現代美術のかげを順に取り上げる。
 絵画や版画にとって、かげは立体感や実在感を表すものだ。一方、展示作品を見ると、画家が陰影を巧みに操作していることが分かる。
 例えば肖像画。17世紀の画家フセーペ・デ・リベーラは、哲学者の深い精神性を、誇張した陰影によって措く=写真口。顔の陰から左側が光源のはずだが、背景はなぜか左側の方が暗い。平山郁夫や松本竣介は人をシルエットとして措き、平山は釈迦を囲む弟子の心情を、松本は都会人の孤独を表現する。
 また、モネの風景画の影には色があり、空想を措いたシュールレアリスムの絵にすら陰影があることに気が付く。2次元のカンバスに3次元を表現する画家にとって、かげがいかに重要だったかが分かる。一方、写真では、映り込むかげをどう生かすかに工夫を凝らす。「階段」は陰影による構成美を追求した作品。現代美術になるとかげも多様になり、高松次郎の「影」=写真B=では、人がいないのに本物そっくりの影があり、想像力を刺激する。
 もっとも、今展の企画を提案した国立国際美術館の中西博之主任研究員は「5館の共同企画で、展示も所蔵品に限られたので制約も大きかった」と話す。例えば、かげを意識的に描いた絵は、ルネサンス期の作品にさかのばれるが、そのころの作品はばとんどない。また、約78万人を集めた「オルセー美術館展」と「日展」に挟まれ、展示期間も1カ月余りに限られてしまった。
 ただし、「かげ」という切り口によって所蔵品が新鮮に見えることも事実だ。国立新美術館の宮島綾子主任研究員は「かげを意識すれば見方が広がり、ほかの作品の楽しみ方も増える」と期待する。
 予算不足に悩む全国の美術館は近年、所蔵品をどう見せるかに工夫を凝らす。複数館の所蔵品を新たな切り口で見せた今展は、その好例ともいえる。
 ◇10月18日まで、垂泉・六本木の国立新美術館(ハローダイヤル03・5777・8600)、火深み。

映画「ハープ&ドロシー」アートと暮らす質素な夫婦(915asahi)

給料で美術収集4千点



 ロックフェラーにグッゲンハイム。アメリカの美術コレクターといえばそうそうたる大富豪の名前が思い浮かぶが、ハーブ&ドロシーのヴォーゲル夫妻はその対極にある。もと郵便局員と図書館員の小柄なカップルは、給料の中からアートを買い、質量ともに圧倒的なコレクションを築いた。アートを愛しアートと暮らす2人の姿を措くドキュメンタリー「ハーブ&ドロシヘが今秋、公開される。(編集委員・佐久間文子)

無心の鑑賞眼に称賛

 監督の佐々木芽生さん(48)はニューヨーク在住。テレビ番組の制作をてがけていた2002年に初めて夫妻を知った。 展覧会のオープニングなどで、地味な身なりの2人にアーティストたちが次々にあいさつに来る。つましい生活の中で買い集めた膨大なコレクションを無償でナショナルギャラリーに寄贈した夫妻に「現代のおとぎ話のような感動があった。いつかこの話を綺介したいと思って」と佐々木さん。
 妻ドロシーの給料で生活し、夫ハーブの給料で作品を写つ。2人は1960年代、まだ評価が定まらないミニマルアートやコンセプチュアルアートに狙いをつけた。毎日多くの個展に足を運び、アーテイストのスタジオを訪ねた。
 コレクション自体が一つの作品であるかのように、2人は狭いアパートに集めた4千数百点ものアートを売ったことがない。アートバブルも暴落も無縁だった。多くの美術館から譲渡の申し込みがあったコレクションを寄贈されたナショナルギャラリーは、「緊急時に2人が作品を売らなくてもいいように」謝礼を支払ったが、夫妻はギャラリーに還元すべくその金でも作品を買ったという。
 ハーブ88歳、ドロシー75歳。映画では過去と現在を行き来しながら、アートとともにあった2人の暮らしを映し出す。
 「彼らになぜこの作品が好きか聞いてもちゃんとした答えが返ってこない。困っていたら、あるアーティストが『だからあの2人はすばらしいんだ』と言うんです。『みんな理屈をこねるけど2人の目を見てごらん、ものすごい目で作品を見るだろう』って。見て見てとにかく見て、見えてくるものを自分で発見する。それで2人の目のアップを必ず撮るようにしました」と佐々木さんは話す。
 クリスト&ジャンヌクロードや、リチャード・タトルほか、たくさんのアーティストが楽しげに2人を語る。「誰も見向きもしない時から熱心に見てくれたからつい安く売ってし事つ」 「地下鉄やタクシーで持ち帰れないものはほしがらない」などなど。
 本作は佐々木さんが初めて辛がけた映画だ。アメリカの六つの映画祭で賞を取った。
 彼らのもとには、それまでに何人もの著名な監督が訪ねていた。「2人はいちども撮影依頼を断ってないそうです。でも『お金ができたらまた来る』と言って、戻ってきた人がいなかった。私はまったくの素人だから、お金を作ってから撮るという発想がなかっただけ」
 制作途中でハーブの健康状態が悪化、助成金や個人の寄付のぼか制作費の足りないぶんは白宅を抵当に借り4年かけて完成させた。
 試写会を自分のギャラリーで開くなど公開に協力している小山登美夫さんは「いろんな場で夫妻を見かけ、コレクターとして尊敬されているのがわかった。美術を買うことが彼らの生活のすべてになっているからだ」と話す。
     ◇
 映画は11月、東京都渋谷区のシアター・イメージフォーラムで公開される。10月に、横浜美術館など首都圏各地で監督のトークと上映会が開かれる予定だ。
 収集した作品に囲まれるヴォーゲル夫妻。映画「ハーブ&ドロシー」から
 

2010年9月23日木曜日

◆10月23日(土)オープンカレッジのお知らせ

「ミッキーマウスは誰だ?!」 担当講師:建石修志

 様々なメディアに出没し、最もポップなキャラクターとして誰もが知っている彼らを、その虚像と隠された実像に思いを馳せながら、平面上に新たに再生させてみよう。ミッキーマウスに歯はあったのか? ドナルドダックは泳げたか? トムとジェリーはバンドエイドを使ったか? ポパイはなぜ缶切りを使わない? ベティ・ブープのあごはどこへ行った? キャスパーは鏡にその姿を映したか? 
 例えばミッキーマウスと云うキャラクターを、拡大縮小、変形歪曲、トリミング、トレースなど、あらゆる造形的手段を用い、また、線描、べた塗り、写実的表現など様々な方法を混在させつつ、新たなキャラクターの現出を試みてみよう。













2010年9月14日火曜日

ルフトで画本を

美術学科主任の建石修志が参加する展覧会のお知らせ



銀座の青木画廊で展覧会を開いている作家の画本と、作家の新旧の作品1点づつを展覧する企画展。同時にウィーン幻想派のエルンスト・フックスの銅版画展も同時企画。
2010年9月21日(火)~30日(木)
銀座青木画廊
銀座3-5-16島田ビル2.3F
03-3567-3944
http://www.aokigallery.jp/

-Change The World-

講師亀井清明の参加する展覧会のお知らせ



亀井清明×山田和宏
2010年9月13日(月)~10月8日(金)
11:00~17:00 日・祝休
武蔵野美術大学2号館1階 gFAL
Gallery of The Fine Art Laboratory
The Fine Art Laboratory
小平市小川町1-736
042-342-6051

「五線の会」展

美術学科主任の建石修志が参加する展覧会のお知らせ



門坂流(エングレービング)柄澤齊(和紙に墨・アクリル、木口木版)多賀新(エッチィング、鉛筆)建石修志(混合技法、鉛筆)坂東壮一(エッチィング)
それぞれ異なる画材、技法で制作を続けて来た5人の展覧会であるが、通底しているのは幻想への果てしない視線である。各作家15点程の出品からなる。
福島県喜多方市東京からは少し離れていますが、何かの機会がございましたら、是非ご高覧下さい。
2010年9月11日(土)~10月11日(月)
喜多方市美術館
喜多方市字押切2-2
0241-23-0404

http://www.city.kitakata.fukushima.jp/bijyutsukan/

「孤高の画家」意外な一面(908asahi)

「田中一村 新たなる全貌」展

 奄美に渡って独創的な日本画を措きながら、無名のまま生涯を閉じた画家、田中一村(1908~77)。画業の全容を見せる「田空村新たなる朝鮮」展が千葉市美術館(同市中央区)で開かれている。「孤高の画家」のイメージが強いが、作品や資料の検証によつて画業の幅広さや周囲の支えが見えてくるなど、一村の新たな側面が浮かび上がってきた。 (小川雪)
周囲の支え・幅広い画業一村は栃木県出身。垂尻と千葉での暮らしを経て50歳で単身、奄美大島に移住した。紬工場で働きながら亜熱帯の風土に根ざした絵を措き続けるが、公に発表する機会を得ず69歳で亡くなった。「発掘」されたのは80年代。テレビで紹介されて反響を呼び、各地で展覧会が開かれた。
 主な作品を網羅する今展はスケッチや写真なども合わせて約250点。うち約100点が新発見を含む初公開だ。濃密な土着性に妖しさ、官能性も加えた奄美時代の画で知られるが、東京、千葉、奄美と時代順の展示をたどると、その画業は思った以上に多様だったことがわかる。
 幼い頃から南画(文人画)に習熟し、大正末から昭和の初めには、当時の日本で流行した中国・上海画壇の文人画を多く辛がけた。「藤花園」(26年)のように粘りのある強い描線が特徴だ。そして31(昭和6)年ごろ「南画に決別」する。

 その昭和初期はこれまで画家の「空白期」とされた。だが今回の調査で、松尾知子・千葉市美術館学芸員は「日本画の装飾的な技法をはじめ、様々な画風と画題へ手を伸ばしていたことがわかった」と話す。調査では、細密な博物画のような「楼之国」 (31年)も発見された。
 松尾さんは一村の「変化」の背景に国際情勢をみる。31年は満州事変の年。中国へのあこがれが日本人から失われて中国画への需要もなくなり「新たな画風の確立を迫られたのでは」という。
 戦後は洋画的な画風も身につけ、日展や院展などの公募展に精力的に応募したが、思うような結果を得られず中央画壇との決別につながった。
 今展はゆかりのある千葉、鹿児島、栃木、石川各県の美術館学芸員らが研究会をつくり、3年がかりで調査、準備した。8月のシンポジウムでは、各地で少数ながらよき理解者を得た一村の姿も見えてきた。55年には支援を受けて九州や四国を旅し、撮影した写真を画の構図に生かしている。奄美時代に特徴的な、事前にクローズアップした植物を配して遠景と対比させる構図もこの時期に辛がけた。
 「孤高」「禁欲的」とされる奄美大島での暮らしも、「人間関係が濃密な島では、住民と距離をとるくらいでないと制作に打ち込めない。周りもそれを見守った」と鹿児島県奄美パーク田中一村記念美術館の前学芸員、前村卓巨さんは話す。心を許せる住民との交流もあった。
 若い頃から貪欲に、器用に様々な技法、画題を吸収した一村。原初的な自然の精気が充満する晩年の代表作は、模索や試行の蓄積の上に花開いたものだった。
 600点近くに及ぶ絵画作品の総目録や、落款の一覧も載せた図録は力作。松尾さんは「一時期ブームのようになった一村は、まだきちんと検証、研究されていない。この展覧会が出発点」と話す。
 ◇26日まで。会期中無休。鹿児島市立美術館、鹿児島県奄美パーク田中一村記念美術館(同県奄美市)へ巡回。

真撃に向き合うためのたくらみ(901asahi)

「オノデラユキ 写真の迷宮へ」展



 ありのままを撮ることが写真の本道だと考えるならば、オノデラユキの写真ほどそこから離れたものはないだろう。ある作品では新聞や雑誌の切り抜きを人形のよう
に見せ、別の作品では人工の壁面で背景を隠し、撮影場所を分からなくしてしまうのだから。
 だが、「オノデラユキ 写真の迷宮(ラビリンス)へ」展を見ると、作者のたくらみが実は、写真と真摯に向き合う行為であることがよく分かる。
 1962年生まれ。93年からパリを拠点にしている。2003年に写真界の芥川賞と称される「木村伊兵衛写真芦、06年に仏の写真業「ニエプス賞」を受賞した。
 首都圏の美術館では初の大規模な個展となる今回は、これまで手がけた全18シリーズのうち9シリーズを選び、約60点を並べた。
 初期のシリーズ「古着のポートレイト」=写実上=では、パリの空を背景に、古着が生きているように立つ。見ていると持ち主を知っているような気持ちになる。
今も制作が続く代表作の「Transvest」シリーズでは、ポーズをとった男女の人影が大きく写る。だが、人影に実体はなく、新聞や雑誌の切り抜きだという。モノクロの2シリーズは、レンズの向こうに無いものまでが懐かしさと共に伝わってくる。一方、最新シリーズの「12Speed」=写真下=では、作風が大きく変わる。展示はモノクロとカラーの作品が各4点。中でもカラーが刺激的だ。
 仏の森で撮っているが、フレームに収まるのは作家が仮設した濃いピンクの壁面のみ。台に置かれたポップな小物も、ピンクにのみ込まれて目立たない。実在する静
物をカラーで撮っているのに、かえってレンズの向こうが分かりにくくなっている。
 「カメラには制約があり、目で見るのと同じようには撮れない」とオノデラユキは亭つ。作家は写真家の技でつじっまを合わせようとはしない。むしろ、万能とはい
えない暗箱の不思議さを、あの事この事で作品にし、私たちに示しているのだ。  (西田健作)
 ◇26日まで、東京都目黒区の東京都写真美術館。祝日を除く月曜と21日休み。写真集『オノデラユキ」 (淡交社)も出版。

「美術館は小宇宙」(901asahi)

オランダ改築騒動が映画に

 レンブラントやフェルメールの名作で知られるアムステルダム国立美術館が、改築をめぐる巌動で7年にわたり閉館中−。オランダで起きている事態を措いたドキュメンタリー「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」が公開中だ。なぜ、そんなことに?
 映画にも登場するメンノ・フィツキ同館アジア美術主任学芸員に聞いた。
 19世紀初頭に起源を持つ同美術館。老朽化などで2003年に「閉館」し、5年の予定で改築にとりかかった。だが理想主義的である館長の計画に、敷地を日常の交通路に使う地元市民は大反発。映画はこの衝突を軸に、学芸員や建築家、準備鼻らの、時に偏愛的な情熱を措く。
 結局、館長は交代し、再開は2013年に延びた。「今は順調に進んでいる」というフィツキさんが騒動で実感したのはコミュニケーションの大切さ。「とことん耳を傾ければ、意見の異なる相手も納得するかもしれない」
 映画での学芸員たちは、市民から突き上げられても展示づくりに余念がない。「美術館は世間と違う小宇宙。それを見せるのも大事かと」
 カメラは、展示品をシビアに選抜する場など美術館の裏側にも入っていく。「自らの責任を美術館が明確に示すべき時代。近寄りがたい、権威に満ちた『美の殿堂』だけではいけないんです」
 東京・渋谷のユーロスペースで公開中。順次各地で。(小川雪)

アートで探る私の属性(901asahi)

クリエーター・佐藤雅彦さん企画




記名、身体測定…「注文の多い」展覧会

 クリエーターで東京芸大教授の佐藤雅彦さんが企画した「これも自分と藷めざるをえない」展は、ちょっと変わった展覧会だ。何しろ、作品を体験するために自分の氏名や身長体重だけでなく、指紋、瞳の虹彩といった個人情報の最たるものまで捏供しないといけないのだから。最先端の科学技術を表現に活用し、佐藤さんが「自分がまだ分からないもの」に挑んだ展覧会でもある。       (西田健作)

 展覧会は東京ミッドタウン(東京都港区赤坂)にある「2121デザインサイト」で開かれている。ディレクターの三宅一生さんの「来場者が大いなる疑問を持ち帰るような展覧会をして欲しい」という注文を受けて企画した。
 佐藤さんは、子どもの考え方を育てる番組「ピタゴラスイッチ」 (NHK教育)を監修して
いる。「これまでは、自分の申で一度解決したものを多くの人に分かるような形にしてきた。
今回は、自分でもまだ何だか分からないけれど面白いものを見せようと考えた」と話す。選ん
だテーマが「属性」だった。
 科学の進歩で、虹彩や静脈といった身体的な属性を正確に抽出できるようになってきた。今
回は名だたる企業の協力を得て、展示した22作品の大部分に生体認証の最先端技術を使って
いる。半数が佐藤さんが選んだり、作家に制作を依頼したりした作品で、残りの半数は自らが
制作にかかわったものだ。
 「注文の多い」展覧会でもある。希望者は入り口で氏名を入力し、身長体重を計る。センサ
ーを手に持ってひと筆書きで星を描いたあとに、鹿の虹彩も読み取られる。
 最初の展示作晶は「指紋の弛」。懲証センサーに指を置くと、自らの指紋が魚のように泳
ぎ出し、群れの申に入る。もう一度指を置くと、指紋は自分の所に戻ってくる。カメラが「男
性/女性」 「29歳以下/30歳以上」を判断する「属性のゲート」や、星の描き方で個人を特
定する「ふるまいに宿る属性」など、磯城はあの手この事で鑑賞者の属性を読み取ろうとする。
 企画当初、佐藤さんが考えていた展覧会の題名は「これもまさしく自分である」という積極
的なものだった。
 だが属性に対する人の反応は、当初の想像とは違っていたという。「人間は自分自身や自
分の属性にすごく無頓着だ、ということが分かってきた」。会場では、「金魚が先か、自分が
先か」や「座席番号G−19」といった作品を通じて、この意外さを体感できる。
 他方、属性を管理される怖さを実感できる展示も。「204只」は虹彩で個人を識別する。
精度が高く、虹彩の画像データの一部を画面上で消しても「まだあなたです」と特定され続け
る。
 生体認証の技術開発は今後も進むはずだ。そのとき私たちは、どのようにして自分を自分
と認識するのか−。「分からないもの」に挑む同展は、自分というものの固有性について考
えさせる刺激的な内容になっている。
 ◇11月3日まで、11月2日以外の火曜休み。展覧会について佐藤さんが青いた『属性』 (求
龍堂)も刊行。

2010年9月2日木曜日

9月18日(木)オープンカレッジのお知らせ

「モノクローム−鉛筆空間」担当講師:建石修志

 筆記用具としての鉛筆から、画材としての鉛筆を認識したい。
 画材としても、デッサンの道具止まりでは、鉛筆の持つ奥深さはなかなか見えてこないだろう。「鉛筆画」の作品として考えた時、初めて鉛筆のその漆黒の奥深さ、繊細さ、絵の具では出すことのできないモノクロームの力強い魅力に気がつく。鉛筆画の実際を、講師建石修志の作例をもとに検証し、実際に鉛筆を手にして、モチーフ描写を試み、その可能性の一端に触れることを願っています。

2010年9月1日水曜日

Exclamat!ons in Germany

フランス、そして、ドイツを巡回する幻想系アーティストたちによる展覧会 。
エクスクラメーションマーク、通称ビックリマーク「!」の形をした絵画が並びます。

こちらはドイツの部です。
美術学科講師菅原優が出品しています。




2010年8月29日日曜日

体験イベントも夏を過ぎ、秋へ突入!

「美術学科」の体験イベントも夏の部を終了し、秋へと突入です。
先日二日続きで行われたイベントの様子をアップしておきます。
●「画面は世界である」
アトリエから幾つかのモチーフを持ち出し、講座が行われる教室へ移動し、
担当講師の亀井先生の指示のもと、モチーフが組み合わされます。
全ての可能性をその内に秘めているタブラ・ラサ(白紙)に、一本の線が引かれることで、
画面は確実に一つの世界を持ち始め、自立していくのです。
そのプロセスこそが、モチーフと作者と平面との間の、絶えることのない関係のせめぎ合いとなります。制作中の参加者の様子をスナップ。

●「変幻自在、顔は幾つもある」
かつてキュビズムに於いて、ピカソ、ブラックなどが盛んに解析、解体、抽象、再構成を繰り返して制作して来た作品をベースに、参加者は与えられた資料をもとに作品化へと励む。
形態の解析に止まらず、内なる多面性、内なる怪人二十面相の出現をも目論んでいましたが、
いかんせん短い時間での作業、なかなか思うようにはならず、描き手本人が誰なのかさえ解らなくなる、奇妙な体験をした参加者でした。

「美術」は奥が深いのである!

2010年8月23日月曜日

8月27日(木)サマーオープンカレッジのお知らせ

「変幻自在、顔はいくつもある」担当講師:菅原優

 美術史の流れの中で、ピカソ、ブラックなどによって始まった「キュビズム」は、今までの美術とは、方法論も認識論も大きく変わる転換点であった。ルネサンス以来の「視の枠組み」遠近法を、自由に組み直したとも言える。
 この講座では、ある人物の異なる側面からの写真をモチーフに、キュビズムの方法を契機として、平面作品に制作したい。人間はキュビズムを持ち出すまでもなく、もともと、変幻自在の怪人二十面相なのです。ならば、絵の中だって、多重人格になったって当たり前なのかもしれない。

8月26日(木)サマーワークショップのお知らせ

「画面は世界である」講座担当:亀井清明

 タブラ・ラサ(白紙)には全ての可能性が秘められています。
目の前に組み合わされたモチーフをもとに、まだ何も描かれていない画面に描き手が一本の線、一滴の絵具を加える度ごとに、画面には世界が出現していきます。



画面とは一つの世界なのです。

描き手はその世界の創造に立ち会います。



モチーフと描き手と画面とが、作品を制作するプロセスの中でせめぎ合い、一つの世界が出来上がります。



2010年8月22日日曜日

代々木に発症した「噂の遠近法」の真実は・・・

体験イベントも過酷な暑さの中、半分を過ぎ、残す所あと数回となりました。
サマーワークショップのスナップを撮っておきましたので、アップしておきましょう。

講座名は「噂の遠近法」。ワークショップに参加した4人がそれぞれキャラクターの設定、状況の設定、事件の発生、最後の結末を、時間を限定して一枚の画面に順繰りに廻しながら、描いていくと云う方法。画材も技法も自由ながら、1カット45分で仕上げなければならず、始めのうちの余裕はいつしか、真剣な沈黙の中の集中へと昇華していくのでした。そうして4コマの"神話"が完成した時の、涙を流さんばかりの大爆笑をもって、ワークショップは大団円を迎えたのでした。参加者もきっと高揚した気分で教室を後にしたのではと思います。いずれその「噂の真実」はどこかにアップされることと思います。乞うご期待!!!

2010年8月21日土曜日

Kバレエカンパニー 「New Pieces」(818asahi)


若手作品集め新境地


 古典作品に定評のあるKバレエカンパニーが、気鋭の若手日本人振付家の新作を集めた公演を行った(1日、東京・赤坂ACTシアター)。
 「戦慄」は、ハンブルク・バレエ団で活躍後、カナダで活動する服部有吉の作品。シューベルト「死と乙女」に乗せ、純粋無垢な乙女(SHOKO)が闇にうごめく男たちに慄き、魅惑される姿をドラマチックに見せた。
 「Evolve」の長島裕輔は、ステイーヴ・ライヒのミニマル音楽を使い、クールで幾何学的な美を構築。無音の舞台に女性(松岡梨絵)が現れ、危うい均衡を保ちつつ緩やかに空間を切り拓いていく印象的な幕開けから、12人の男女のソロ、デュオ、トリオが、反復とずらしと共に絶え間なく踊り、観客に視覚と聴覚が溶け合うかのような快感を与える。幕切れにはダンサ
ーらが力尽きたように一斉に倒れるユーモアも。優れた音楽性とセンスを持つ、今後が楽しみな振付家だ。
 中村恩恵の「Les−FleursNOirs」は、どこか東洋的な厳かさと官能をたたえたデュオ。明暗の対比の美しい舞台と衣装、静謹なジョン・ケージから甘美なパーセル、荘厳なバッハヘと音楽が移る合間に、ボードレールの詩が朗読される。
 装置、衣装、音楽が極限までそぎ落とされ、物語に奉仕することを止めたダンスは、その純粋な美しさで観る者の心を打つ。無比の正確さで音を捕らえる熊川哲也のクリアな動き、しなやかな回転や跳躍は、地上の存在は象徴のレベルで照応し調和するというボードレールの美学とも重なる。通奏低音を奏でるような中村の澄んだ動き、抑えた情念も素晴らしい。
 派手さはないが、新境地を求めるカンパニーの気概を感じる魅力的な公演だった。
 (岡見さえ・舞踊評論家)

「空想の建築」精密な描写(816asahi)

画家・野又穫さんが大規模個展

 太古に夢想されたような「空想の建築」の描き手として知られ、本紙朝刊文化面の今年の新年連載「新・大きな物語」への挿絵提供も手がけた画家・野又穫さん(54)。その大規模な個展「もうひとつの場所−野又穫のランドスケープ」が29日まで、群居県高崎市の県立近代美術館で開かれている(23日休館)。
 現在の作風に至る前の初期作から、新作まで100点以上。図録も青幻舎から書籍として発売されている。

 とりわけ、大作の絵画を集めた第2展示室が壮観だ。帆や羽根車で風を受ける建築、気球を備え浮かび上がりそうな建築、そして、巨大な温室を備えた建築。射程の長い空想力に基づくのに、建築史家の藤森照信さんがお墨付きを与える、建築構造と細部へのセンスも備えている。細いワイヤやぎらついた壁の質感から、大空を流れる雲までを描き分ける精密な描写力があっ
てこそだろう。
 ごく一部の初期作を除き、人は登場しない。どの時代のどんな場所なのかも分からない。いわば「どこでもない場所」。人間が作り出したものはもとより、土地や水も所有の対象となるこの時代に、空想力だけは他人に所有されない自由と解放感がある、と改めて思わせる。
 酷暑の夏。野又さんの空想の建築の前に立つと、世俗から遠く離れた風が吹いてくるような感覚がある。
      (大西若人)