2012年6月30日土曜日

演習「磁力を巡る」も第5弾!


美術学科の演習授業「磁力を巡る」も第5弾。










「マイブリッジから学ぶ─時間と空間の狭間から平面の表層へ」

この課題で前期の課題は締めくくりと成り、夏の休みへと突入。
マイブリッジ、マレーの連続写真に、影響され易い学科員は、自らも連続写真となってカメラに納まる。








美術学科の教室、ブルーシートが敷かれ、いよいよ錯綜し始めて参りました。

2012年6月29日金曜日

美術史Ⅰ「透視図法の発明」

時はイタリア初期ルネサンス。画家たちは三次元空間を二次元平面に置き換えるべく、数学的なアプローチによる「透視図法」を発明した。ここではデューラーの版画をもとに当時の透視図法の装置を再現し、現代にまで繋がる透視図法の発祥の方法を辿るのだ。





2012年6月21日木曜日

「花」への思いと向き合う(620asahi)

身近な題材なのに、あるいは身近な題材だからこそ、か。予想外に多彩な「花」の表現に出合える展覧会が、千葉と重点で開かれている。絵画修練の基本ともいえる静物画から風景画、ポップアートや写真へと、「花」がジャンルを超えて咲き乱れる会場を訪ねた。
 DIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)は緑生かな庭園にかこまれた美術館。ここで「FLOWERSCAPES(フラワースケープ)−画家たちと旅する花の世界」展が開かれている(7月22日まで)。

 題名は「花のある風景」を意味する造語。9章にわたって近現代美術の「花園」を散策するかのような構成で、随所に鑑賞者を引きっける仕掛けがのぞく。
 例えば、第1章で鑑賞者を迎えるのは、モネの「睡蓮ヘや「バラの画家」ル・シダネルの作品。次の展示室に進むと様相は一変。緑色の床面と黒い壁面の空間にウォーホル
とリキテンスタインが並ぶ。印象派からポップアートヘという西洋美術の変容をドラマチックに見せる。静物画を集めた展示室では、作者・作品名をあえて見つけにくい場所
に掲示し、一見ありふれた「花瓶の花の絵」に向き合うよう促している。

 著名な作家の、意外な作品も鑑賞者を驚かす。
 「非水百花譜」はグラフィックデザインの先駆者・杉浦非水が手がけた木版画集。図案集と植物図鑑の性格もあわせもつ、完成度の高い写生画だが、作家自身は「芸術品として、見観て戴く積もりは無論ありません」と記したという。
 三木富雄「バラの耳」は、石膏にバラの花柄をコラージュした彫刻。三木は耳をモチ
ーフにして制作を続けた彫刻家で、その初期の作品と見られる。無機質なアルミ鋳造で
耳をかたどった、後年の作品との隔たりは謎めいている。
 横山由紀子学芸員は展示構成について「作家が花を見つめた痕跡のある作品を選ん
だ。個々の作品を味わってもらいたい」と話している。一方、東京都調布市の東京アートミュージアムは、建築家・安藤忠雄による建物が並ぶ「安藤ストリート」の一角にあるギャラリー。世界の写真家16人が参加する写真展「Beautく(ビューティー)」を開催している(24日まで)。コンクリート打ちっ放しの空間に花々の鮮やかな色彩が映える。
 写真の描写は即物的で、花瓶の花をそのまま撮影したのでは絵画を超えられない。い
かにして豊かなイメージを獲得するか。そこに現代写真家の課題がある。マルグリット
・スムールダス(オランダ)は花と水を組み合わせて夢幻的な画像を生み出し、マイケ
ル・ウェズレー(独)は多重露光で花が散るまでの時間を1枚の写真に取り込む。
 咲き誇る花を被写体としながらも、死の気配を漂わせる写真が少なくない。その代表
格が一輪の花に官能性と死の予兆をともに宿らせる荒木経惟だろう。こうした現代写真
の花々は、暗色の背景に静物や花を描いて死を暗示する西洋絵画の様式バニタスを想起
させて興味深い。(西岡一正)

2012年6月12日火曜日

授業様子



授業を少しのぞいてみましょう。


美術の歴史を学ぶ授業です。

 歴史を学ぶと同時に、その当時の影響を受けた作品を参考に、自分なりの解釈をもって当時の様式を再現しています。

講義のあとはもくもくと作業です。
完成が楽しみですね

日デスポーツ大会開催!

美術学科の太田です。

先日、学校ではスポーツ大会が開催されました!

競技はドッチビー(フリスビーのドッチボールバージョン)と卓球です。


































両競技とも、大健闘です(^^)

2012年6月9日土曜日

美術学科 演習「磁力を巡る」第4弾!!!!

球技大会も終わり、演習「磁力を巡る」も第4弾に突入!









学科員も梅雨前線を押しとどめて奮闘!

2012年6月8日金曜日

写真家・川内倫子個展( 606asahi)

「生」の象徴光に求めて

 柔らかな光をはらんだ表現で木村伊兵衛写真半などを受けてきた写真家の川内倫子(1972年生まれ)の個展が、東京都写真美術館で開かれている。凝った展示空間に映像作品も加わり、川内作品の新たな読み込みが可能になっている。
 最初の展示は廊下のように長く、その両側に「イルミナンス」と題された2007~11年の作品群が並ぶ。しかも壁も床も白一色で「神聖な空間になった。写真に見られている感じになって面白い」と川内。
 ふっとした瞬間の事物を淡い色調でみずみずしくとらえる作風は健在。さらに別の展示室の新作まで、炎や鏡に反射する光、森に指す光跡といった、光源そのものを狙った作品が目立っていることに気づく。
 「ますます光に向かっていると感じる。光は『生』の象徴。さまざまな事件や震災もあり、無意隷のうちに求める本能が出ているのだと思う」と話すのだ。一方、「生理的にはこちらの方が合っているのではないかと思うほど楽しかった」というビデオによる映像作品も3点出ている。
 映像も光をはらみ、写真によく似ている。逆にいえば川内の写真には、時間表現である映像にきわめて近い部分があるのだ。
 それは、気配や滞らぎといった、うつろう時間を画面に内包している証しともいえる。
         (大西若人)
 ▽7月16日まで、東京・恵比寿ガーデンプレイス内の同館で。最終日をのぞく月曜休館。1日まで、恵比寿1の18の4のTRAUMAR工S・SPACEでも被災地の写真などを展示。

マックス・エルンスト展(606asahi)

シュールレアリスムにうかぶ現代性

 シュールレアリスム(超現実主義)の代表的な画家、マックス・エルンスト(1891~1976)の大規模展が24日まで、横浜美術館で開かれている(10月に宇都宮美術館へ)。約150点からは、シュールレアリスムの特質と現代性が味わえる。
 エルンストの最も特徴的な手法は、木や石の表面に;紙をあて鉛筆でこすり出すフロッタージュ。これによって、シュールレアリスムが求めた意識下のイメージをとらえようとした。
 油彩画にも、こすり出した木目のイメージなどを使ってきたが、代表作の一つ「三木の糸杉」にも、そんな感覚がある。
 4分割された画面に3本の糸杉。しかし形は、杉というより怪しい物体に見える。そこに全く異質な質感が貼り付けられ、徹底的な異化がはかられている。
 グラフィックな感覚や別の図像を貼り込んだCG的ともいえる処理も楽しい。

2012年6月5日火曜日

刺青長く深く浸透(605asahi)


 「TATTOO(刺青)あり」の公務員はありえない? 大阪市の橋下徹市長は、いれずみやファッションタトゥーを入れているか、回答義務つきで市職員に調査、配置転換も検討している。倶利迦羅紋々で人を脅す公務員など論外なのは言うまでもない。しかしいれずみ文化史は、意外に長くて広くて深かった。
 熊本保健科学大学の小野友達学長皮膚科学)は1970年、学童検診にあたっていた返遺前の沖縄で、出会う何人ものお年寄りの女性の手の甲に美しいいれずみがあるのを発見した。「身構えたが私の無知で、魔よけや願掛けなどの針突という広く行われた習俗だった」
 小野さんは熊本県でも、手首に小さな青い点をいれずみしている高齢の女性を診察することがあるという。「イグサ刈りという厳しい農作業で手を痛め、治療のためツボに針
を入れる。次に打つ時の印として、あるいは既に殖やされたという確認のために入れた古来の知恵です」
 小野さんは、古今の記録を調べて一昨年、Fいれずみの文化誌を出版した。日本最古のいれずみの記録は3世紀の中国の史書『魏志倭人伝』にさかのぼる。
 大阪市の調査は、児童福祉施設職員が子供をいれずみで威嚇した事件が発端。橋下市長は「公務員のいれずみ=許されない」という得意の(単純化)で、「いれずみ職員は民
間へ」と促す。だが、人はなぜ体に墨を入れるのか。
 小野さんによれば
1.他者を脅すという以外に
2.江戸時代の道都で始まった男女の愛の誓い
3.犯罪者への刑
4.絵柄自体の美しさに魅了(谷崎潤一郎『刺青」)
5.治療や癒し、
など理由は多岐にわたる。
弱さの象徴、糾弾意味ある?
 「そのほかに自傷行為の場合もある。リストカットと同じ。いれずみは自分を助けてほしいという心の泣き声」と小野さんは言う。
 もっとも歴史をひもとけば、政治家のいれずみさえ珍しくない。チャーチルやF・D・ルーズベルト、スターリンにも見られた。小泉純一郎元首相の祖父で逓信相だった又次郎
にもあったとされる。佐野派一『小泉純一郎−血脈の王朝』によると、又次郎が背中から二の腕、足首まで彫った入れ墨は、九紋竜だったとも、『水滸伝伝』の魯智深すなわち
花和尚だったともいわれる。
 ケンブリッジ大図書館日本部長の小山のぼるさんは、英王室を中心にヨーロッパ貴族社会で起きたいれずみブームを研究、『日本の刺青と英国王室』を一昨年出版した。明治初
期、日本政府は野蛮な習俗としていれずみを禁止したが、逆に文明国の貴族には憧れの対象。わざわざ日本で彫るいれずみは「大変な熱狂状態」と当時の英紙は報じた。のちの
ジョージ5世とアルバート王子も、1881年の来日時に鶴と竜を彫った。
 小山さんは「今の英国でも知られていないと思うが、たとえ知ったとしてもそんなに驚かないのでは。いれずみを入れる、入れないはまったく個人のこと。公務員がいれずみを
入れているかどうかで大騒ぎするのは大人げない」。米国でも軍人や暮察官などのいれずみは珍しくない。橋下氏のもう一つの得意技、(グローバル化)の中で考えると、いれず
み調査自体が相当異質だろう。
 前出の小野さんは、いれずみを消す手術も数多くした。「休に異物を入れるいれずみは健康上よくない場合もあるので、医師としては決して勧めない」としたうえで、「いれず
みは文化だ」とも断言。 「単純化には意味がない。若いときに悩んで入れ、苦労してようやく正業に就けたのが市職員、というケースもあろう。今、糾弾する意味があるのだろ
うか。いれずみは人間の弱さの象徴。私は、入れてしまった人の側に立ちたい」と話した。(近藤康太郎)

刺青、タトゥーとも言う。針などで皮膚を傷つけ、丘や朱などを入れて着色する。埴輪
 (はにわ)にもその跡が見られるなど、先史時代から存在する。

アンドロメダVS.銀河系(603asahi)

NASA「40億年後に衝突」
 
 250万光年離れた宇宙にあるアンドロメダ星雲(銀河)が、40億年後には太陽系のある銀河系と正面衝突するとの予測を米航空宇宙局(NASA)が発表した。ただ、星同士は十分
な距離があるため衝突することはなく、地球が壊れる心配はなさそうだという。
 宇宙全体は膨張しているが、銀河は引力で互いに引きあっている。数十億年後に両者が衝突する予測は以前からあるが、今回はハッブル宇宙望遠鏡の観測をもとに衝突の過程をシミュレーションした。
 衝突した二つの銀河がひとつになるには20億年かかり、太陽系は大きく位置を変え、銀河系の中心核からさらに遠のく。
 アンドロメダ星雲より先に、近くのさんかく座銀河が衝突する可能性もある。
 NASAの研究者らは「夜空の様子は劇的に変わるだろう」としつつも、そのころには、寿命の近づく太陽の温度が今より上がり、地球が生物の生存に適さなくなっている可能性が
あるとしている。(ワシントン=行方史郎)

2012年6月2日土曜日

ファウスト  悪夢たどるような不気味さ(601asahi)


 ゲーテの有名な戯曲を原作にしているが、アレクサンドル・ソクーロフ監督が自由に脚色した独自な映画である。原作の壮重さ碓大さとは違って、むしろ徹底的に卑小でグロテスクな世界になっているが、しかしこれまで見たこともないようなイメージが次々に現れて、自分はいったい何を見ているのだろうかと、悪夢を確かめるような気持ちで圧倒されてしまう。
 まだ錬金術のあった時代のドイツかどこかの田舎町。この町の様子自体がどこか悪夢めいている。ファウストは当時の先端の学問をきわめた知識人らしいが、汚い小屋の中で人間の死体の解剖に熱中して、内臓などをさぐっては「魂はどこにあるのだ?」とわめいている。学問の追求がついに狂気に至ったような不気味な場面である。科学の発達で人類の自滅も可能になった今日では、学者が正気を失ったら困るので、原作の戯画化として笑ってもいられない。
 ファウストはこんなあやしげな研究の費用に困って、悪魔だという噂のあるマウリッツィウスという高利貸を訪ね、なんでも望みがかなうという契約を結ぶ。そして純情な乙女マルガレーテの悲劇がおこる。この女性の素晴らしく美しい場面もあるが、この映画でいちばん印象に残るのは、メフィスト役のこの男の薄気味の悪さである。小さな尻尾があったりして妖怪めいており、それでめっぽう愛想よくファウストにまとわりついて
くる。彼が喜々としてふるまうこの田舎町全体がなにやら化け物の巷のように思えてくる。
 これは昔の話だが、少し見方を変えればいまの世界もこんなふうに見えるかもしれない。ソクーロフの映画は見てどう受け止めればいいのか途方に暮れることが多いが、こんどはとくにそうだ。昨年のベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作品。(佐藤忠男・映画評論家)
 2日から各地で順次公開。

「発見された身休」展(530asahi)

アラブ美術新たな体系へ

昨今、アラブ美術の動向が世界的に注目されているが、パリでもアラブ世界研究所美術館の「発見された身体」展が盛況だ。19世紀末から今日までの200点もの絵画や彫刻、写真、ビデオアートなどに登場する「身体」によってアラブ美術を読み解く試みである(7月15日まで)。
 同研究所はアラブ諸国の文化と西洋文化との融合を目指す複合施設。今年2月のリニューアルで美術館機能が拡張。アラブ世界を共通の言語でつながる一つの文化圏としてとらえ、その美術の普及に取り組んでいる。
 展示では約70作家が紹介される。冒頭を飾るのは、ルノワールとも親交のあったハリール・サリビェやパリのボザールで学んだジョルジュ・ダウド・コルムの描く裸婦像。1890年代から20世紀初頭に西洋へ渡った彼らは、生きたモデルとの対峙から技術を習得した。
 その後、アフリカ北西や中東に西洋アカデミズムが広がる一方、モダニズムを迎えた「身体」は自己の模索を始める。踊り子などの商業写真によって西洋に蔓延していた東洋趣味を払拭しようとする、脚色のないアラブ女性の裸婦像や抽象画も登場。描かれる側だった女性の進出も見られ、1930~40年代には、後の女性作家の活躍を先導するヒユーゲット・カランドやモナ・サウディが生まれている。
 印象的なのは、アルジェリア系女性でパリで活躍するハリーダ・プグリエットの写真作品。白いドレスの老女が優しい光にまどろんでいる。それ以降の展示は、ここ訓年間の急激なアラブ美術の多様化を証言していくが、他の女性作家が抑圧への反旗として露出させる肉体と、ブグリエットの表現する老女とは異質だ。「身体」から乖離するような感覚があり、社会を映す化身としての生から解き放たれようとしている。移民や婚姻によって身休上の西洋文化との融合が進むいま、フランス発アラブ美術は新たな体系へと向かっている。(飯田真実・美術史家)

森村泰昌モリエンナーレ(523asahi)

原点見つめ自分を再編集
 現代美術の世界に確かな地歩を築き、今も旺盛な活動を続ける美術家の森村泰昌(60)。そんなの鬼才のこれまでの足跡を確認できる展覧会が、静岡県内で重なっている。振り返った時、どんな風景が見えるのか。

 静岡市美術館で6月10日まで開催中の「森村泰昌モリエンナーレ」は、森村が「肖像(ヴァン・ゴッホ)」 (1985年)でセルフポートレートの手法を編み出すまでの習作や未発表作などと、当時影響を受けていた作家の作品を対で並べる。
 展覧会は森村自身が企画した。ある時はデュシャン風、またある時は宇佐美圭司を思わせる線描、横尾忠則のアクリル画の横にはサイケデリックな抽象画……。高松市美術館に所蔵品を使った展示のプロデュースを依頼され、その所蔵品リストを見るうちに思いついたという。
 「当時は他人の影響ばかり受けているので、あかんと患っていた。バラバラな自分がばらまかれた状態」と森村。「『ゴッホ』はそれまでの自分は忘れてスタートしていくんや、というつもりだった」と振り返る。
 過去の自分を見せる心境になれたのは、最近だ。「ゴッホ」以来、写真の中で泰西名画の登場人物や女優、20世紀の権力者と様々な人物になりきってきた。その過程で「やっているのは1人の自分。いっばいある『私』を束ねるもう一つのF私』がある」と思えてきたという。
 「ゴッホ」以降の作品と共に展示の最後を飾るのは、「何かを着ることで逢うモノになった、自分の大先輩と呼ぶ、田中敦子の「電気服」 (56年)を基にした映像作品だ。
 「美術活動をしていると、だんだんプロっぼい顔をするようになってくる。その時、自分の初期衝動がものすごく大事に思えてくるんです。自分と美術との関わりを着ることで、自分を再編集する。自分へのメッセージという意味は大きいですね」(増田愛子)