2011年11月24日木曜日

展覧会のお知らせ

美術学科主任 建石修志が参加する展覧会のお知らせです。

◉BOX OPERA Ⅵ “玩具図譜”fig.
東逸子・北見隆・建石修志
2o11年12/15( 木)~12/24(土) 11:00~19:00
南青山 SPACE YUI
http://spaceyui.com/exhibition/boxopera11.html



















◉「少女幻想-少女を巡る幻想」展
 2011年11/23(水)~12/10(土)
11:00~19:00
銀座 スパンアートギァラリー 
http://www.span-art.co.jp/exibition/201111syojogensou/index.html

2011年9月17日土曜日

展覧会の案内

美術学科主任の建石の個展と、企画展の案内です。
◉2001年9/22(木)~10/2(日)
「アンドロギュノスの裔─渡辺温オマージュ展」

ギャラリーオキュルス 港区高輪3-10-7 1F 03-3445-5088

渡辺温の短編小説は、以前 薔薇十字社から「アンドロギュノスの裔」として発行されたが、
今年東京創元社より文庫として復刊される。まさに珠玉の短編集。
この復刊を記念して企画展が開かれる。

◉2001年10/8(土)~10/21(金)
「leaf/poetry 紙片の狭間へ」建石修志展

青木画廊 中央区銀座3-5-16 島田ビル2/3F 03-3535-6858

油彩とテムペラによる混合技法、鉛筆画、ボックスオブジェなど
ここ数年の近作・新作の展示。
同時に画集「leaf/poetry 紙片の狭間へ」を刊行する。
 

◉「スマイル展」東京イラストレーターズ・ソサエティ主催
2011年8/30~9/30(金)
クリエイションギャラリーG8
中央区銀座8-4-17 リクルート銀座8ビル1F
03-6835-2260

イラストレーター178人が描く「スマイル」

色鉛筆画10年かけ大成(9/17asahi)

黒坂圭太が長編アニメ



 赤ん坊のような婆の食物「MIDORI-KO」を巡り、カエルや魚のような奇怪な人物たちが争奪戦を繰り広げる55分のアニメ「緑子/MIDORI-K0」が、24日から東京・渋谷のアップリンクXで公開される。実験的な短編などを手がけてきたアニメ作家の黒坂圭太が、10年の歳月をかけ、独りで3万枚超の原画を描き上げた。
 「女の子と怪物が当たり前のように日常を過ごしている、というイメージが発端。その世界に『MIDORI-KO』という異物を放り込むことで、『いのち』がテーマの長編へと膨らんだ」と黒坂。
 「10年間、何度もくじけそうになったが、プロデューサーが『この場面は来週までに』と細かな締め切りを決めて、怠け者の私の尻をたたいてくれた」
 色鉛筆のぐねぐねした線を重ねて措いた街並みやキャラクターは、温かく肉感
的でユーモラスだ。「最初の2、3年は絵の具を使っていたが、画面が重くて暗い。全部捨てて色鉛筆に切り替えたら、突き抜けた感じがした。欲望を思い切り解放するラストに行き着くことができた」
 登場人物たちは盛大に食い、盛大に出す。「私自身、食べるのが好きで、ギリギリまで我慢して排泄するのが好き。ため込んだものを解放するというのは、創作にも通じます」(小原蔦)

終わりと始まり(9/6 asahi)

池澤夏樹
 ■「ツリー・オブ・ライフ」を見る
宇宙誌と霊の世界

 芸術には形式が要る。
 普通の創作者は広く用いられている形式を頼って自分の作品を作る。
 しかし中にはその形式の枠を踏み越えて新しいことを試みる、真の意味の創作者もいる。
 テレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」は形式の枠を壊す勇敢な新しい映画である。
 ストーリーは何の仕掛けもない単純なもの。一九五〇年代のテキサスの小さな町に若い夫婦がいる。暮らしは安定しており、二人の間には次々に三人の男の子が生まれる。長男が思春期を迎える頃まで、三人が育ってゆく姿が丁寧に描かれる。
   
 始まってすぐのところに、二番目の子が十九歳で(おそらくはベトナム戦争で)亡くなったことが伝えられ、両親が悲嘆に暮れるという場面がある。
 しかし、この家族にそれ以外にドラマティックなものはない。彼らは特別な家族としてではなく、いわば普通の家族の代表としてそこにいる。
 家庭内に緊張があるとすれば、子供たちへの愛にあふれているのに厳格に育てなければならないと居じている父親(ブラッド・ピット)の矛盾をはらんだふるまいと、それに耐えて育ってゆく長男の心理だろうか。子供たちと夫の間の微妙な位置に立ってよく遊ぶ母親の野放図な愛が心地よい。
 昨今のハデハデな娯楽作品に比べればまこと波乱の少ない展開だが、それを補うべく場面の一つ一つは緻密に撮られている。とりわけ長男ジャックと次男R・Lの演技はすばらしい。幼い俳優からこの表情を引き出した監督の演出力は尋常でない。
 その上で、この映画は二つの方向へ逸脱する。家に例えればt、一見したところ平屋のように見えて実は広い地下室と明るい屋根裏が隠れている。
 先に彼らは普通の家族の代表だと書いたが、それは人間の代表、ヒトの代表という意味でもある。スクリーンは世界の創世からこの子供たちの誕生に至るまで、宇宙誌をさまざまな自然科学の画像で見せる。天文学と地史と生物学から提供された美しい画像の数々を経て生まれたての赤ん坊の足に行き着くところは感動を誘う。これは存在の大いなる肯定である。
 もう一つの逸脱は霊の世界へ、あるいは生きてあることの意味づけの方へと向かうものだ。
 この家族の物語を中年になった長男(ショーン・ペン)が振り返る。彼の心の中に残った幼い時の自分の視点が実はこの映画の主要部分を成している。その中で少年である彼はしばしば神に帝しかける。何かを願うのではないから祈りではない。あなたは誰なのか、何なのかと執拗に問いかける。彼の母もまた同じことを問うていた。
 彼は長じて建築家として成功し、高層ビルの中を忙しげに行き来している。しかしその表情はうつろだ。
 映画の最後で彼は夢想の中の荒野に立つ境界の門をくぐり、霊の世界の渚で自分の記憶の中の人々に出会う。自分が幼い時のままの父や母がおり、弟がおり、その他たくさんの人たちがある方向へ向けて歩いているのに合流する。和解と調和の光が満ちる。
 この映像の力に、言葉はとてもかなわないと思った。
 「ツリー・オブ・ライフ」にキリスト教の色は濃い。そもそも「生命の木」とは旧約聖書でエデンの園に「善悪の知識の木」と並んで生えていた木だ。
 だが、人間はこの世界で他の被造物の上に立つ別格の存在であり、神の愛でる子である、という楽天的な世界観は採用されていない。
 映画の最初に「ヨブ記」からの言葉が掲げられている(わかりやすく加筆して引用する) -

 わたしが大地を据えたとき、おまえはどこにいたのか?
 夜明けの星はこぞって喜び歌い、神の子らはみな喜びの声をあげた、その
(天地創造の)ときに?

   
 信仰篤いヨブを神は災厄を送って試す。それでもヨブは揺るがない。最後になって出てきた疑念を神は打ち砕き、ヨブは最終的に神に帰順する。
 大事なのは世界は人間のために作られたのではないということだ。人間が登場しなくても世界は完結していた。それでも我々は「神は与え、神は奪う。その御名はほめたたえられよ」と言わなくてはならない。
 家族がずっと考えているのはこのことだ。今、東日本大震災の後でばくが考えているのもこのことだ。キリスト教の信仰とは別に、なぜ震災でたくさんの人が亡くなったのか、なぜ大地は揺れるのか、その先のどこに生きる意味があるのか?
 この映画にも何か手がかりがあるような気がするのだが。  (作家)

2011年8月15日月曜日

◆8月24日(水)オープンカレッジのお知らせ◆


美術、その仕事へのアプローチ2「美術とイラストレーションの実際」
担当講師:建石修志

美術とイラストレーション、共に絵を描く事は同じながら、成り立ちの違いなどを検証し、その関係を探る。

2011年8月7日日曜日

◆8月10日(水)オープンカレッジのお知らせ◆

美術、その仕事へのアプローチ1「アナログとデジタル、その相互作用」
担当講師:亀井清明

3Dクリエーターの実際の仕事を紹介。
アナログとデジタルが相互に関連しあうプロセスを学ぶ。

2011年8月1日月曜日

 ふたりのヌーヴェルヴァーグ(729asahi)

時代の旗手の共闘と対立



 パリ。1950年代から60年代。ヌーベルバーグ=新しい波と呼ばれた若い映画人が、古い体質の映画界、巨匠たちに挿さぶりをかける。先頭に立った批評家で映画作家のジャンリュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーに焦点を絞るドキュメンタリーだ。
              
 トリュフォーの「大人は判ってくれない」、ゴダールの「勝手にしやがれ」を土台に、貴重な未発表のフィルム・写真を挿入し、彼らの足跡を追う。生まれも育ちも違うふたりが、映画を通して出会い、友情を育み、共に戦い、決裂していく過程は、映画よりも鮮烈だ。
 彼らを知らない新しい世代のアントワーヌ・ド・ペック(脚本)とエマニエル・ローラン(監督)は、敬愛の念を抱きつつ、歴史的背景も正確に追う。神話化しないのがいいが、付け足した現在の部分は甘い。
 「大人は判ってくれない」のカンヌ映画祭出品を決定したのは作家で文化相アンドレ・マルローなら、シネマテーク館長をクビにし、映画人を決起させてしまうのも彼。時代は映画を超えて、68年、五月革命へなだれ込む。映画祭を中止に追い込む場面で、ゴダールはより政治的立場をとり、映画だけを愛するトリュフォーは躊躇し、微妙なズレを映像はとらえる。ここがふたりの分岐点であった。
 「大人は判ってくれない」の主役に選ばれたジャンピエール・レオーのテストフィルムは少年の輝く瞳を捉えて素晴らしいが、彼らの絶交で、その後のレオーの運命も引き裂かれる。
 50年代末、彼らのシンパ的製作者の一人ボールガールの隣に私の事務所があったので、新旧世代が激しく対立し、互いを焼きつくす現場を近くで見た。懐かしいより痛い記憶だが、映画を愛し、みんな若かった。(秦 早様子・評論家)
 30日から東京で公開。

2011年7月31日日曜日

◆8月5日(金)オープンカレッジのお知らせ◆

美術の方法2「型取り-等身大の思想:これは私だ!」
担当講師:原田崇

成型剤コピックを使って、手を型取り、石膏を流し込み成型。彫刻ではない、オブジェへの一歩。

2011年7月25日月曜日

◆7月27日(土)オープンカレッジのお知らせ

美術の方法1「オートマティズム-混沌から始めよ!」
担当講師:建石修志

デカルコマニー、フロッタージュ、オートマティズムなどシュルレアリスムの技法を体験、試作する。


2011年7月16日土曜日

国際ブックフェア生き残り策議論(712asahi)



街の書店個性が生命線

 重点・有明の東京ビッグサイトで7日から10日まで開かれた東京国際ブックフェアで、書店が生き残る道を探るシンポジウム=写真=やセミナーが数多く開かれた。書店を調査するアルメディアによると、5月1日現在で国内の書店数は1万5061店。10年前と比べて5878店、約28%も減少した。長引く出版不況や電子書籍の登場で危機感が高まる書店にとって、局面打開のヒントはあったのか。

 偏ったセレクトこそ

シンポジウム「いま改めて書店について考える」では、翻訳家の青山南さんが「大型書店で圧倒的スペースを占めているのが『売れてい本』。品ぞろえ豊富なアマゾンなどネット書店があるのだから、新刊書店には多くの種類がなくてもいいのでは」と発言。国立情報学研究所の高野明彦教授も「偏ったセレクトの方が琴線に触れ、面白いものを見つけたと思える。最近の新刊書店にはオーラを感じない」と述べた。
 受けて立ったのが京都市を中心に25店舗を展開する大垣書店の大垣守弘社長。「一般書から児童書、参考書、文庫までそろえ、街の人に雑誌を一冊でも買っていただく書店があることが出版文化の基本」と答えた。
 「書店生き残りの工夫」と題して講演した書店チェーン「あゆみBOOKS」の鈴木孝居専務は、需要に即しながら個性を出すためにできるのが、企画展やフェアだという。東京・西荻窪にある系列書店「楓爽堂」では、身体論や精神世界のフェアを仕掛けて成功した。「一冊一冊の本という点を線にして、魅力的な棚を作る。だから仕入れは生命線。特に既刊本の掘り起こしは大切です」
 鈴木さんは電子書籍への対抗策も話した。「本は美術品とまでは言わないが、魅力的な商品。美的観点からセレクトして並べれば、電子書籍と差別化できる」

 読者との距離縮める

 パネル討論「書店に求められる人材とは」では、書店員の資質、教育が議論された。配本された本を漫然と並べ、売れなければ返品できる制度に寄りかかっている一部書店の実態を踏まえ、書店・出版コンサルタントの能勢仁さんは「かなりの書店は仕入れ(能力)不在。プロの仕事ではなくなった。顧客意識のある店でなければならない」と指摘した。
 「小さな本屋は街の文化発信基地」という観点も出た。福岡市で書店「ブックスキューブリック」2店舗を経営する大井実さんは講演で、「書店は、いい本と読者を出会わせるお見合い産業」とたとえた。5年前に「ブック」と「フクオカ」を掛けた「ブックオカ」というイベントを立ち上げた。市民が古本を売る「一箱古本市」や、人気作家を招いて読者との距離を縮める催しを続けている。
 「作家も初版5千部、1万部という時代。例えば週末の金・土・日に福岡、熊本、鹿児島でサイン会をやれば、それだけで千部売れる。書店も潤う。地方にはそんな可能性もある」

 返品率減らす作戦も

 出版界で大きな役割を占めるのが、書店と出版社をつなぐ問屋の取次会社。大手の日本出版販売(日版)の安西浩和専務は「書店競争力強化のために」と題して講演。施策の柱としている、返品を減らした書店へのマージンアップについて説明した。
 書店の取り分は通常、本の定価の23%ほどだが、日版と契約した書店では、返品率が40%を下回れば書店の取り分が増え、上回れば減る仕組みだ。返品による運送費や倉庫代などのコストを減らし、浮いた分の多くを書店に回して書店の競争力を高める狙いだ。
 返品率は業界全体で40%前後だが、日版の契約書店では3月時点で33・5%。返品を減らすには、お客をよく知り注文数を的確にすることが大事だと安西専務は強調した。 (西秀治)

ダピンチ幻のキリスト、発見価値160億円(712asahi)



 イタリアのルネサンス期の芸術家レオナルド・ダ・ビィンチが1500年ごろ描き、その後、長年行方不明になっていた油絵がニューヨークで見つかった。ロンドンのナショナルギャラリーで11月から展示される。AP通信が11日、、伝えた。米の芸術誌などは、2億ドル(約160億円)の価値があるとしている。
 キリストを描いた絵の題名は「サルバトール・ムンディ」(救世主)=写真、AP。17世紀に英国王チャールズ1世が所有していたが、18世紀半ばに競売にかけられた。1900年には英国のコレクターに売却された。2005年に米国のオーク
ションで現在の所有者が落札。その後、ダ・ビィンチの作品と確認されたという。

醜くとも現実美は見つかる(705asahi)

日本画家 松井冬子さん(37)



 幽霊や内臓があらわになった女性の死休、動物の亡きがらなど人々が目をそむけたり、社会的に排除されてきたりしたものを主題に、日本画を措いています。
 グロテスクと評されることもありますが、内臓は見えていないだけで、実際に人体の内にある。死体もこの世に確かに存在する。それなのに現代社会は快適さや便利さのみを追求し、おぞましいもの、醜いものを排除してきた。見た目はきれいになったが、リアルさが失われ、本質が押し隠されてしまった。しかし、一般的に美しいとされているもの、醜いとされているもの、それらをひっくるめたすべてが現
実の世界です。その中から美を見いだし、美を創造するのが芸術です。
 痛みや狂気を感じさせるような私の作品に共鳴してくださる方もいます。
えっ、あがめるほど熱狂的なファンもいるですって? もしそうなら、世界に一人だけでも共感していただけたら、という気持ちで描きたいものを描いているので、とてもうれしいです。
 バラや富士山を見て美しいと感じ、そのまま絵に措く人がいます。それはそれでいいのですが、ただバラがきれい、では芸術ではない。普遍性も持ち得ない。そんなのはつまんない。
 美術家として作品を創造するのに大切なのは、構築していくこと。考えに考えてコンセプトを練り上げ、想像力を最大限駆使して、作品を構築していくんです。パッションの赴くまま衝動に任せて描くような無責任なことは、私はしません。
 作品を構築していくにはデッサンカなどの技術が必要です。ただ、技術だけに偏すると、上手に描けたね、で終わってしまい、芸術ではなくなる。自分のパッションと技術がうまくかみ合わねばなりません。でも、私はイメージ通りの作品ができたと満足したことはありません。デッサンなど技術の修練は一生続くでしょう。
 美は簡単に見いだせたり、創造できたりするものではありません。日常生活に実はない、と言っていいかもしれない。きれいな花や美しい夕日はあるでしょうが、それはそのままでは芸術的な美ではない。自分の想像力を駆使しない限り、芸術的な美は見いだせない、と私は思います。その想像力は自ら磨かなければならない。
 たとえば、一つのボルトがすごく美しいという人だっている。その人はそのボルトが美しいと患えるぼどの想像力に達しているんです。実はモノそのものにあるのではなく、自らの想像力で発見するものです。
 想像力の磨き方ですか? まずは自分が何が好きなのかをどんどん突き詰めていくこと。どんな色が好きか。白なら、硬い質感か、軟らかい質感か。青っぽい白が好きなのか。追求していけば、何が本当に好きなのかがわかってくる。美への想像力があれば、一人になっても楽しいですよ。
      聞き手 池田洋一郎
      撮影   麻生健

佐々木マキ今も新鮮(704asahi)

マンガ選集「うみべのまち」



 先鋭的な作風でマンガや絵本の表現を切りひらいてきた佐々木マキ(64)のマンガ選集『うみべのまち』 (太田出版)が刊行された。今も人気が高い「ピクルス街異聞」や「ばくのデブインコちゃん」など1967年から81年にかけての37作品が収録されている。
 ナンセンスでアナーキーな作品は、雑誌「ガロ」に発表された当時から脚光を浴び、村上春樹初期作品のカバー絶や絵本でも人気を集めながら、作品はばつぼつとしか発表してこなかった。「子どものころ住んでいた町は貧しく、中学を出たら働かなければならないような環境だった。貧乏だからこそ生きていくための労働を軽蔑していた。今も自分の仕事が労働になるとやる気を失ってしまう」
 マンガを書くスタイルは、紙に向かっての一発勝負。「自分の中からこんなものが出てくるのか、というのが面白い。100%分かっていることを措くのは労働です」
 半世紀近くを経て、登場人物の服装さえも古びていない。「昭和10年ごろにピークを迎えた日本のモダニズムが好きでした。すでに洗練された欧州のモダニズムが基礎にあるから古びないのかもしれません」
 今もカルト的な人気を持ち、「絵本のロングセラーもあって、好きな映画を見て、音楽を聴き、京都で静かに暮らすことはできる。それで十分。売れて欲しいと思ったことはない。絵本のアイデアだけ考えて、何もしないのが一番いい」。
 半ば隠者のような生酒で自足しているが、新作は?
 「若いころの僕のマンガは元気があって、今描いても負けてしまう。ばかばかしいギャグやアナーキーな世界は、自分の絵本のなかに取り込んでいきっつあります」    (加藤修)

2011年6月19日日曜日

対話で育む子どもの発想(615asahi)

「驚くべき学びの世界展」 ワタリウム美術館

 イタリア北部の衝、レッジョ・エミリア市の0~6歳児の幼児教育は、子どもたちの「驚きの声」を大切にする。芸術の専門家が配置された保育園や幼稚園で、大人たちは、その声をヒントに、美術や音楽、言葉、舞踏など幅広いアートを採り入れた教育プロジェクトを進める。今廣では、「場所」や「身体」、「言葉」などをテーマにした子どもたちの絵画や立体作品を並べ、プロジェクトの様子を撮影した映像も紹介。子どもたちと対話をしながら自由な発想を伸ばす、新しい学びの世界が広がっている。 (塩田麻衣子)


■音の彫刻
 この作品は多くの楽器が並ぷ「オーケストラ」を表現した。子どもたちは、スケッチを描き、大人からの助言を聞いたり、子ども同士話し合ったりしながら、
実際に組み立てるための方法を探る。時にはデザインの変更を迫られることもあ
る。制作に使った部品はリサイクル。同市にはリサイクルセンターがあり、行政
や企業など町ぐるみで、子どもたちの創作活動を支えている。「うまい下手は関
係ない。子どもたちの自由な発想で作られた作品には、装飾美にとどまらない美
術を楽しむきっかけがある」と同館の和多利恵障子さんは語る。


 コレオグラフイー(振り付け)の国 曲線は走る道筋、丸い点はジャンプをする目印一。円柱のある空間を走るための手順を示している。色彩豊かな線や点で、実際に走り回ったときの子どもたちの感情を表現した。

自動人形からくりシアターの世界(612asacoco)

ムットーニ氏が創り出す



 自動人形師として知られるアーティスト・ムットーニ(武藤政彦)氏(55)が八王子市夢美術館で2年前に行った「ムットーニワールドからくりシアター」の続編。週末には作者自らが作品の中で展開するストーリーを語り、作品を紹介する。その独特の世界を「動く絵画」と呼ぶ人もいる。

 観客の人影がかすかに見える暗闇の零式萱。籍のふたが開き、光に照らされた天使が自動で回転しながら夜空に上がっていく。他の箱からもフラミンゴ、鳥の妖精、かつて飛んでいたころを追想する飛べなくなった天使などが登場して、物語の世界に引き込んでいく。
 今回の夢美術館での作品展の新作「『エッジ・オフ・リング』ウイング・エレメント」は、ムットーニ氏が今年、4カ月かけて創り出した5台組みの作品だ。
 国立市にあるアトリエで、すべてを⊥人で制作している。粘土の人形、装置の多様な動き、照明、音楽、効果音。ときにはムットーニ氏自ら口上やナレーションを入れることもある。
 こうした特徴から総合芸術と評され、本人だけでなく、作品までが親しみを込めてムットーニと呼ばれる。
 ムット」ニ氏は横浜市生まれ。工場が立ち並ぶ京浜工業地帯で育った。高校時代はブラスバンド部のトランペッター。ュ浪して国立市にあった創形美術学校(現在は豊島区)を卒業後、同研究科⊥年修了。当時は油陰の画家を目指し、コンペに
ひたすら応募する。だが、賞を獲りたい一心で傾向と対策を考える余りに、措く絵がころころ変わり、自分を見失ってしまった。

人形が世界を旅してきた

 そんなある日、会社員から苦学して弁護士になった父親に言われた。「お前は俺よりも難しい道を選んだ。弁護士は司法試験に受かれば誰でもなれる」
 長年、父子の葛藤が続き、互いに反目していた父親のひと善が、自分を見直すきっかけになった。25歳のときだった。
 「ふと、丸いちゃぶ台の上で、油粘土細工に熱中した小学生のころの楽しさを思い出したんです。そこで油絵で描いていたキャラクターを粘土に起こしてみた。楽しかったなあ。もうゴロゴロできて」
 ビデオカメラができ、ビデオアート初期の時代だ。「ターンテーブルに粘土の人形を乗せると、重たいのでゆっくりと回り舞台が動き出す。背景、顔の影−なんだか人形が世界を旅してきたみたいで。回ることで申にしみ込んでいた記憶、にお
い、物語が出てくる。これをなんとか作品にできないかと思ったのが、自動人形の始まりです」
 高校時代はあふれるイメージを油絵にし、その物語日記を書きつづった。その「おはなし玉手箱」も今の作品の脚本に生かされている。
 「僕の作った人形たちは主役じゃない。僕の作った世界と観ている人たちとの仲介役です。観客は自分の体験と重ね合わせて、その世界を見ている。そのように作りたいと思っています」
展示会情報
 自動人形作品約20台展示。油絵、レリーフも。ムットーニ氏の上演会は金曜は15時から。土、日曜は14時と15時の2回。
 6月26日まで開催。JR八王子駅北口から徒歩15分。開館10′−17時(入館は16時半まで)。月曜休み。500円。小学生以上の学生と65歳以上250円。未就学児と土、日曜の小中学生夕無料。〈間〉042−62-6777八王子市夢美術館

スペインの授貴式で原発批判(610asahi)



 スペイン北東部のカタルーニヤ自治州政府は9日、バルセロナの自治州政府庁舎で、人文科学分野で功績のあった人物に贈られるカタルーニャ国際賞を作家の村上春樹さん(62)に授与した。村上さんは受賞スピーチ=写実、ロイター=で、東日本大震災と福島第一原発事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。
 「非現実的な夢想家として」と題し漑スピーチで、村上さんは震災後の日本がやがて「復興に向けて立ち上がっていく」とした。ただ、福島原発事故については、広島、長崎に原爆を投下された日本にとって「2度目の大きな核の被害」とし、今回は「自らの手で過ちを犯した」との厳しい見方を示した。
 村上さんは、過ちの原因は「効率」優先の考えだとした上で、政府と電力会社が「効率の良い発電システム」である原発を国策として推進した結果、地震国の日本が世界第3の原発大国になったと指摘。原発に疑問を持つ人々は「非現実的な夢想家」として退けられたと批判した。その上で「われわれは持てる叡智を結集し原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった」とし、それが広島、長崎の犠牲者に対する「集合的責任の取り方となったはずだ」と述べた。 (共同)

「ジム・ダイン主題と変奏」展(608asahi)

版画豊かに変容



版画は同一の図像を複製する技法。それが「常識」だろう。ところが、米国の現代作家ジム・ダインの版画は変容を続けてやまない。その軌跡をたどる「ジム・ダイン 「主題と変奏」展が、名古屋ボストン美術館(名古屋市中区)で開かれている。
 ダインは1935年生まれ。60年に当時「ハプニング」と呼ばれたパフォーマンスで注目された。同じころから本格的に版画制作を始め、これまでの作品数はおよそ千点。「絵画や彫刻、写真も辛がけているが、版画に最も喜びを感じる」という。
今回の展示は版画作品152点をテーマ別に9章で構成する。
 初期作品で目を引くのが工具類やバスローブなどのモチーフ。よく見ると工具はふさふさとしたひげをたくわえ、宙づりにされたバスローブは誰かの抜け殻のよう。ダインが「人間的な感情の受容体」と位置づけるように、日用品に作家白身や親しい人物のイメージを託している。70年代には人物像が主要なモチーフの一つとして浮上。同時に、一つの版に次々と手を加え、他の版と重ねるなどして、図像を大胆に変容させる制作方法が顕著になってくる。
 その代表作が25点の連作「屋外にいる7月のナンシー」 (78~81年、展示は4点)。香らしい経で彩られた女性像は、別版によるユリの花や手描きによる彩色が重ねられ、やがて暗鬱な黒の色面に沈み込んでいく。「エッチング交響曲」とも呼ばれる作品で、妻をモデルに人生を描いている。
 ダインは「私にとって、版画はドローイングのもう一つの方法だった」と語る。つまり、版画を複製可能なメディアに限定するのではなく、図像表現のダイナミズムに開放すること。その柔軟な姿勢が豊かな結実をもたらしている。 (西岡一正)
 ▽8月28日まで。7月18日を除く月曜と7月19日は休館。

悲劇の中見極めた美(608asahi)

「ジョセフ・クーデルカプラハ1968」展

画面に力熱い空気撮る



 ドキュメンタリー写真とは、つまり記録写真。しかし単なる記録を超え、見る者の胸に迫ることがある。東京都写真美術館の「ジョセフ・クーデルカ
 プラハ1968」に並ぶ一群はその典型だろう。写っているのは68年のプラハ侵攻の姿。いやそれ以上に、現場と時代の空気を伝える画面の力が見どころだ。
 大通りを進む戦車、抗議する若者、不安げに見つめる人々。チェコスロバキア(当時)の首都プラハで、68年8月に起きたことが、強いコントラストで画面に定着している。
 言論の自由や市場経済を導入し始めたチェコの「プラハの春」を打ち破るように、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍が侵攻した事件。その現場で、写真家のジョセフ・クーデルカさん(38年生まれ)が、一気に撮り上げたものだ。
 「私は30歳で、クレージーだった。何より、あまりの状況に、強くわき上がってくるものがあった」
 協力者によって写真は米国に渡り、翌年全世界に配信されるが、撮影者は匿名だった。クーデルカさんと家族の身の安全を守るためだ。匿名のままロバート・キャパ掌を受賞。実名が公表されたのは84年のことだった。展示室に立つと、写真が目に突き刺さってくる。圧倒的な強さと構成力。本来は風景やロマ族をテーマにする写真家だが、「自分が素晴らしいと思うものを題材にしてきた。この時も、い
ざとなればこのように振る舞える自国を誇りに思った」と話し、こう続けた。
 「見極める目を持った写真家なら、どんな場所でも美は見いだせる。悲劇の中においてこその美もある。ただ記録を残すのではなく、そこから立ち上がる空気を伝えようとしている」
 写真は独学で、航空技術者の傍らデザイン誌に親しんだ経験が生きているとされる。とりわけ、伸びる街路や砲身、人々の身ぶりやまなざしに「力」の方向性を見いだし、画面を作る力には驚くぼかない。
 東京都写真美術館の丹羽晴美・学芸員は「ジャーナリストではなく、市民と同じ立場で撮った」と話す。
 本人も、「アート系、報道系といった区別は意味がない。写真はあくまでも写真。私は、ジャーナリズムを追求しすぎて一つのメッセージに陥ることを危険視します」と話す。
 最も有名な、腕時計越しに人のいない通りを撮った写真は「シュールレアリスム的」という評価も得たという。こうした奥深さ、確かな伝達力で、晴代を超えた普遍性を獲得している。
 「写真には2通りしかない。いい写真か、面白くない写真か。いい写真は頭から離れず、忘れられない」
 今回の約170点がどちらに属するのかは、いうまでもない。
     (編集委員・大西若人)
 ▽7月18日まで。最終日を除く月隠休館。平凡社から写真集も。

2011年6月10日金曜日

6/18(土)オープンカレッジのお知らせ

「コレは何だろう?ナニに見えるかな?」

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2011年6月7日火曜日

大震災で見た「神様のない宗教」(607asahi)

許して前を向く日本人



 2007年に東北の農村を舞台にした漫画を描いた。金融の世界で心身ともに疲弊した元銀行員の主人公が、お金を一銭も使わない生活をすべく農村に移住する着である。村にいた神様が死んでしまい、空から日本中にザリガニが降ってくるという最終話を描いていたら、リーマン・ブラザーズが破綻し、そのあとオタマジャクシや魚が空から降ってきたなどというニュースをテレビで見るにいたっては、なんだか自分のデタラメなヨタ話が当たったような気がしていたものだ。
 そして、長年構想し、昨年から措き始めた信仰、宗教をテーマにした作品は、主人公が神様に会えたかどうかという場面が、弟1部の最終話だった。エンディングに迷ぃに迷った末「神様はいなかった」という結末は、第2部に持ち越すことにした。その最終話が編集部に届いた翌日、東日本大震災が起きた。
 仙台市の住人として被災し、その夜、避難した小学校の体育館で一睡も出来な
かったのは、激しい余震と底冷えのする寒さのためだけでなく、不吉なものを感
じていたからだ。
 電気が通じると、私はテレビの前から離れられなくなった。一漫画家の気のせ
いか、思い過ごしであるはずなのだが、まさに「神様などいない」無慈悲な光景
が繰り返し繰り返し流されつづけた。
  □   □
 テレビや新聞で見る限り、誰も神様の話などしていない。誰もが人間の話をしていた。流された家屋、失った家族の命、跡形もなく消えてしまった故郷。そして、それを慰め、手を差し出し、元気づけようとする人々。ありとあらゆる人間の不条理を眼前にしながらも、みんながみんな、まるで信仰のように人を信じていると、私は思った。神様のない宗教がそこにあったのではないだろうか。
 私はそんな風には人を信じられない人間である。人を居じることが出来ないの
で、自分はどこから来てどこへ行くのか、この世界はいったいなんなのか、なぜ
生まれたのか、そんなことばかり考えて来たはずなのだ。
 それらを棚上げして、ひとまず生きていくということは、親を殺され、殺した
犯人を捕まえようともせずに、ただ毎日のうのうと生きている者のようにさえ私
には思えていた。しかし、被災した人々の顔には諦めと覚悟と、時にほほ笑むほ
どの清清とした表情があった。この人たちは自分の親を殺した犯人をさえもう許
していたのだろう。
  □ □
 近年、いろんな不条理が日本を襲いつづけた。派遣問題、高齢化、孤独死、い
じめ、虐待死、人が人を信じられなくなっていたように見えたし、私自身、人が
作る−電化製品、服、映画、音楽、小説、そして漫画−にさえ魅力を感じなくなっていた。その揚げ句の震災と福島原発危機だったはず。
 宗教の言葉でいうところの法難の様相さえ帯びていたこの3カ月間の日本を見
るにつけ、そこになにかの意志と意図を感じないわけにはいかない。これほどの
災害を勝手な決めつけで語ることはしてはいけないのかもしれないし、それこそ
漫画家の気のせいと思い過ごしかもしれないが、私には日本人が人を居じること
をやめないという決意を表したように見えた。
 9・11のあとにアメリカはビンラディンを殺害したが、3・11のあとに日本は
どうするのだろう。日本は誰かを殺すだろうか。
 我々は誰も殺したりはしないだろう。それは我々の相手が自然災害だったから
ではない。我々は原爆を落とした国をさえ許したのではなかったか。我々はまた
許すのだろう。許すことが正しいか正しくないかではなく、許すことでしか前を
向けないことに我々はもう気がついているのではないだろうか。
 今度は神様を許すことになるとしても。
   
漫画家 いがらしみきお
 1955年生まれ。仙台市在住。79年デビュー。88年「ばのばの」で講談社漫画賞。著書に『ネ暗トピア』 『Sink』 『かむろば村へ』など。宗教をテーマにした「工(アイ)」を月刊「イッキ」に連載中。

2011年6月5日日曜日

2011オープンカレッジスケジュール

7/27(水)
美術の方法① 「オートマティズム-混沌から始めよ!」

デカルコマニー、フロッタージュ、オートマティズムなどシュルレアリスムの技法を体験、試作する。


8/5(金)
美術の方法② 「型取り-等身大の思想:これは私だ!」

成型剤コピックを使って、手を型取り、石膏を流し込み成型。彫刻ではない、オブジェへの一歩。


8/10(水)
美術、その仕事へのアプローチ❶ 「アナログとデジタル、その相互作用」

3Dクリエーターの実際の仕事を紹介。アナログとデジタルが相互に関連しあうプロセスを学ぶ。


8/24(水)
美術、その仕事へのアプローチ❷ 「美術とイラストレーションの実際」

美術とイラストレーション、共に絵を描く事は同じながら、成り立ちの違いなどを検証し、その関係を探る。


11/12(土)
美術の方法③ 「ドローイング-“手”とは“眼”である!」

モチーフを視る、そして描く。ただ画面の上への再現ではなく、様々な画材を用いて新たな世界を眼と手が作る。


1/14(土)
美術の方法④  「デフォルメ-“歪み”こそ真実! 」

何故デフォルメされたイメージに心魅かれるのか?“肖像”をモチーフに試作し、デフォルメの真実に迫る。


2/11(土)
美術の方法⑤ 「トレーシング- 透過するイメージ、世界が重なる!」

トレーシングペーパーを用いて、イメージが幾重にも重なりあい、新たな遠近法を生み出してゆく可能性への試作。


すべて12:00~15:00

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2011年5月29日日曜日

高3・寺山修司の手紙見つかる(528asahi)

「俳句革命運動」仲間に呼びかけ


 「俳句革命運動を」寺山修司(1935~83)が高校生時代、仲間に向けて呼びかけていた手紙が見つかった。俳句は、多彩な表現活動で先鋭的な創作を手がけた寺山が最初に頭角を現した分野。見つかった手紙は、寺山が10代に向けた伝説的な俳句同人誌「牧羊神」を創刊する直前に出されたものだった。
 寺山は青森高校3年だった54年2月に「牧羊神」を創刊した。その前年末、創刊同人の一人に「俳句革命」を誘う手紙を出していた。
 「来年は小生と大いに青春俳句のためにあばれましょう」 「俳句革命運動を説き同志を獲得して欲しい」 「最初にイズム(主義)の確立が必要」 「十代の芸術派を押立てる」など、7枚にわたる。消印は53年12月31日。
 手紙の宛先は、俳人の故・松井牧歌が沫名・寿男)。受験雑誌「学燈」に二人の俳句が掲載されたことをきっかけに文通を始めた。最初の書簡は53年8月。寺山は、早大に進学した翌54年には、月に何通も送り、東京で就職していた牧歌を句会に誘っている。
 寺山と同じ年に生まれた牧歌は2007年、寺山との交流を執筆途中に亡くなった。
牧歌の遺稿を本にまとめる申で、寺山が送った30通の書簡が見つかった。それと一緒に、∵寺山が作った「牧羊神」結成時のメモも出てきた。「文責 寺山」とあるガリ版のメモは、「毎月100円の同人費で発行費用にあてる」「会員は毎月30円で雑詠欄に
投句できる」など具体的だ。
 メモの「同人」欄には、青森高校の同級生で寺山と俳句の好敵手だった京武郎発さん
を筆頭に松井寿男、寺山修司の順に名前が並ぶ。京武さんは「大阪の富田林高校にい松井さんは、当時の高校生俳人の中で目立っていた。だから寺山も熱心に誘ったのか」
と語る。
 寺山は54年11月、「短歌研究」誌の新人賞を受賞。まもなくネフローゼを発病し入院、この頃から文通は間遠になった。20代になった寺山の関心は演劇などに移り、56年には「俳句絶縁宣言」をする。
 寺山は83年に47歳で死去。亡くなる年にかつての俳句仲間と新たな同人誌「雷帝」を企画したが、寺山が生きている間に出版はできなかった。企画にかかわった俳人の斎藤慣爾さんは「人生最後の表現として、出発点の俳句を選んだ」と語る。
 斎藤さんは今回見つかった手紙について、「牧羊神すら散逸している現在、看き寺山
の考えが丁寧にわかる貴重な資料だ」と話している。
 牧歌の遺稿集は今年夏に朝日新聞出版から出版される予定だ。  (宇佐美貴子)

お騒がせ集団実はしたたか(525asahi)

岡本太郎壁画に原発の絵付け足し

Chim←Pom新作展に「本編」

 アートか、いたずらか。若手美術家集団「Chim←POm」の活動が物議を醸している。
 発端は今月1日。重点・渋谷の駅構内に設置されている巨大壁画「明日の神話」の右下の余白に、ベニヤ板が張り付けられていたのだ。ベニヤ板には、福島第一原発を連想させる骨組みだけの建物から黒い煙が立ち上る絵が措かれていた=写真上、岡本太郎記念館提供。
 これがチン†ポムの行為と分かったのが18日夜。代表の卯城竜太さん(33)らが認めた。「明日の神話」は故岡本太郎が1968~99年に制作した作品で、原爆が爆発する瞬間を描いたとされる。「福島の原発事故で時代が更新したので、それを付け加えた。岡本太郎は超リスペクトしている」とメンバーの一人、エリイさんは話す。
 チン←ポムは30歳前後の美術家6人のグループ。2008年、広島で原爆ドームの上空に
「ピカッ」という文字を飛行機雲で描いて批判され、被爆者団体に謝罪したことがある。今回の行為についてはどうだろう。

 「ユーモラスな挑発行為」と見るのは京都市立芸術大の建畠哲学長。「これくらいは許容される世の中のほうがいい」と話す。明治学院大の山下裕二教授も「芸術作品として成立している。岡本太郎が生きていたら面白がるだろう」と、美術関係者は好意的だ。
 チン←ポムは何をねらったのか。その企ての全休像が20日に始まった新作展(25日まで、東京都江東区の無人島プロダクション)で明らかになった。
 震災後、「美術家として何ができるか」と考えて、いち早く被災地を訪れたという。そこから生まれたのが、津波で流された漁船やがれきが散乱する漁港で、現地の若者らと円陣を組む「気合い100連発」=同下=や、防護服姿のメンバーが福島第一原発を望む展望台で旗を撮る「REAL TIMES」などの映像作品だった。
 渋谷での行為がいたずらっばい「予告編」なら、新作展は意外に硬派な「本編」。「お廉がせ集団」と見られがちなチン†ポムだが、したたかな戦略を措いていたのだった。(西岡一正)

2011年5月21日土曜日

岡本太郎壁画に「絵付け足した」(519asahi)

 アート集団、動画公表

 故岡本太郎が原水爆をテーマに描き、東京・渋谷駅に展示されている壁画「明日の神話」に、福島第一原発事故を思わせる絵が付け加えられていたことに関しアート集団「Chim←Pom(チン←ポム)」が18日、自分たちの行為であることを明らかにした。
 東京都内のギャラリーで、付け加えた絵の原画や、張り付け作業の様子を収めた動画を公表。メンバーは「壁画には第五福竜丸のような船が措かれていますが、今回の事故で時代が更新されたと考え、付け加えた。岡本太郎への敬意む込めました」と話した。

2011年5月12日木曜日

若者の反原発デモ広がる(510asahi)

「議論はもう限界、行動しかない」
 福島第一原発の事故を機に、東京都内で反原発デモが相次いでいる。知識人の参加も目立つ。
 日本消費者連盟などが参加する実行委貞会が主催して4月24日に都内2カ所で開かれた集会とデモには、主催者発表で計約1万人が参加した。デモの列の一つには評
論家、柄谷行人の姿があった。
 「デモに来るのは50年ぶり」と柄谷。「デモは一番大事な原点。どこの国でもやっているのに、日本では議論はあっても行動がない。もう議員や評論家には頼めない。今は、物を書くことよりデモをすることが大事だ」と寮る。
 「日本でデモがなくなったのは1970年代から。原発が増え始めたのと同じ時期だ。政権交代があっても何も変わらなかった。デモをやるしかない」柄谷に誘われて参加した北大教授の政治学者、山口二郎は「デモクラシーは議会の中だけではなく街頭にもある」と話す。「政権交代には限界がある。社会の力で現実を変えていかないと政府もついてこない」とデモの意義を改めて強調した。
 新しい動きもある。リサイクル店ー素人の乱」などを経営する松本哉らが呼びかけた超巨大反原発ロックフェスデモ」が4月10日に高円寺で行われ、今月7日にも渋谷で同株のデモがあった。ともに主催者発表で1万5千人が集まった。主催者による団体動員はなく、インターネットを通じてデモを知った20代から30代の参加者が中心だった。
 7日のデモ出発前の集会でマイクを握った首都大学東京教授の社会学者、宮台真司は「デモは単なる出発点。政治家には落選運動、企業には不買運動といったピンポイントで有効な徹底した社会運動を展開していかなければならない」と訴えた。 (樋口大二)

2011年5月4日水曜日

eros/thanatos-生と死の幻想



2011年5月18日(水)~5月30日(月)
eros / thanatos 
─生と死の幻想─


エロスの憂愁とタナトスの誘惑

 死は人類の永遠のテーマと言えます。科学が発達し、仮想空間が浸透しても、私たちはこの死という現実から逃れることはできません。

 元来、生と死は一対となって現れます。「thanatos‐タナトス」はギリシャ神話において「死」を神格化したものです。「eros‐エロス」とは「性愛」のことで、生への執着を意味します。エロスとタナトスは表裏一体の関係にあり、一方の究極の在り方がもう一方であるというパラドクスを内包します。つまり「生」への強い衝動は、同時に「死」への憧憬となるのです。

 表現者にとって、エロスとタナトスという組み合わせは普遍的テーマでした。一番身近な現実として、またそこから離れる夢の世界として。「生」への執着、つまり性愛が「罪」であるならば、そこからの解放としての「死」は魅惑的な「赦し」となるでしょう。エロティシズムの果てに現れるタナトスの幻想は、狂気の内に生じる一瞬の静寂のように奇妙な美しさを放ちます。生と死という根源的なテーマが美へと昇華したとき、鑑賞者は罪悪感に苛まれながらも、これを覗かずにはいられないのです。

 本展では、現代におけるエロスとタナトスのイメージを表出する作家たちを並列することで、その再考を試みたいと思います。隠された永遠のテーマ、生と死にスポットを当てた作品を展覧販売します。


出品予定作家

浅野勝美、東逸子、亜由美、愛美、イヂチアキコ、宇野亜喜良、大友暢子、佳嶋、胡子、児嶋都、清水真理、真条彩華、杉本一文、多賀新、建石修志 、恒松正敏、中嶋清八、永井健一、成田朱希、日乃ケンジュ、町野好昭、mican、村澤美独、アルビン・ブルノフスキー、エルンスト・フックス、オーブリー・ビアズリー、ハンス・ベルメール、ピエール・クロソウスキー、ボナ・マンディアルグ、マン・レイ、レオノール・キャリントン 他

美術学科の建石は4点の出品予定。


会 期
2011年5月18日(水)~5月30日(月)

営業時間
10:00~19:30 入場無料
※地震の影響による諸状況を鑑み、当面の間の営業時間を10:00~19:00とさせていただきます。

お問合せ
Bunkamura Gallery 03-3477-9174

2011年5月2日月曜日

鉛筆派XI展



美術学科の講師陣が数多く出品する「光と影が創り出す鉛筆空間」の為の展覧会。
毎年恒例、その11回目の展覧です。
今回の共通課題のテーマは「五月、机上の妄想」
総勢55名によるモノトーンの世界をご期待下さい。

2011年5/16(月)より5/22(日)
11:00~19:00
表参道 アートスペース リビーナ
港区北青山3-5-25表参道ビル4F
03-3401-2242

メメント・モリ─死を想え─


推理作家折原一氏の骸骨絵コレクション展

2011年5/16(月)~21(土) 11:00~18:30
文藝春秋画廊 ザ・セラー(地下室)
中央区銀座5-5-12 TEL03-3571-3473
建石修志「航海日誌」「五輪の薔薇」の2点が展示されます。

2011年4月20日水曜日

■ANGE EXQUIS■

Libellule Exihibition
■ANGE EXQUIS■
2011.4.2~11.15
RIEGERSBURG – Barockschloss Riegersburg (AT)

美術学科講師の菅原優の展覧会です。
今回の展示はオーストリアはリーガースブルク。
世界の幻想画家による天使絵(大きさはなんと195×160cm)が40点以上並びます。

Libellule"Magic Realism"




こちらが出品作品の天使



2011年4月17日日曜日

貝原浩作品展「ぼくの見たチェルノブイリ」

【ボレボレ東中野恒例4.26原発特集上映関連企画】

2005年に亡くなった画家・イラストレーターであった、建石の友人、貝原浩氏の展覧会が2カ所で開催されます。東日本大震災により、チェルノブイリ原発事故と同じレベル7まで数値を上げてしまった福島第一原発事故。1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故から25年、貝原氏がそこで何を見たのか、あらためて彼の作品を見直してみたい。


2011年4月19日(火)~5月1日(日)11:30~月中定休
space&cafeボレボレ他 〒164・0003 東京都中野区東中野4−4−l−1F ※入場無料
営業終了時間はお問い合わせ下さい。Tel:03・3227−1445
        
1992−99年、画家貝原浩(1947−2005)はチェルノブイリ原発事故後に風下になったベラルーシの村や町を数回にわたって訪れ、出会った人々と風景を描きました。大きな和紙に一気に描かれた水墨彩色のシリーズ(ー風しもの村バロル舍)と、旅の日記にあったスケッチなどを展示します。
いま、チェルノブイリ原発事故25年目の春。
○トークショー
「貝原さんとの旅の時間」
名取弘文(おもしろ学校理事長)
 ×西義信博(農文協編集部)
日時:4月22日(金)18:30■■/19:00■開演
○トークショー
「ぼくたちの見たチェルノブイリ」
小室等(ミュージシャン)
    ×本楯成一(写真家・映画監督)
日時:1月28日(木)18:30開場■/19:00開演
チケット:予約2,000円/当日2,300円(ワンドリンク付)
予 約:Tel:03−3227−1405(ボレボレタイムス祉)Mail:event@polepoIetlmes.jp
(同時開催)
ポレポレ東中野毎年恒例4.26企画
事故から25年目の本年は規模を拡大して開催
特集上映ー25年目のチェルノブイリヘ
4/23(土)~5/6(金)ポレポレ東中野にて


又、東中野ポレポレ坐での展示が終了してから、
丸木美術館にて「チェルノブイリから見えるもの」と題して、
貝原浩の「風しもの村チェルノブイリ・スケッチ」を中心にした展示が始まります。

対照的な顔の「読解術」(413asahi)


日野之彦展/小村希史展
 外国人の顔が、どうもうまく判別できない。そんな実感を持つ人は少なくないだろう。斎藤環『文脈病』によれば、顔の存在は読まれるべき「言語」に近く、「顔の外国語」に習熟していないための事態だという。なるほど。肖像画も、顔の「読解表現」なのだ。いま垂見でも、同世代の2人の画家が「顔」を中心にした個展を開いている。
 極端に見開かれ、焦点の合わない目。2005年のVOCA賞などで知られる日野之彦(76年生まれ)の最大の特徴は、6点ある今回の油彩にも表れている。多くは日野自身を措いたもののようだ。
 近づけば、筆致も省略の跡も分かるのに、少し離れると写真のようにも見えるのは、高い技量のゆえだろう。しかし全体として「虚構」と映るのは、独特の顔の力が大きい。日野は図録で「感情を消すため」と明かす。そう、この顔は「マスク」のようにも
感じられるのだ。
 例えば、「花に埋まる」(09年)=写真上。いかにも薄そうな、いや樹脂でできているかのような皮膚や造花を思わせる描写が、その印象を強める。
 徹底して顔の「表層」を見つめる描写。不気味ともいえる放心状態の顔に見過ごせないリアリティーを感じるのは、現代を生きる誰もがこうした表層を持たざるをえない事態がありうることを読み取るからだろう。
       
一方、小村希史(77年生まれ)が見せる油彩20点は、かなり暴力的。ルシアン・フロイドあたりを思わせる激しく大胆な筆致で措かれる顔は、ひどく傷ついた姿に見えたり、「頭の中の音」(11年)のように解剖図風に見えたり=写真下。
 日野とは対照的に顔の奥へと突き進み、傷ついているかもしれない内面を暴こうとするかのようでもある。
 顔の表層か奥か。2人の接近法は対照的だが、ともに一度見たら見まがうことがない。確かな「読解術」を持っている証しだ。
  (編集委員・大西若人)
 ▽日野展は20日まで、東京・有楽町1の13の1の第一生命南ギャラリー。土、日曜休み。小村展は23日まで、東京・銀座2の16の12のメグミオギタギャラリー。日、月曜休み

2011年4月14日木曜日

「シュヴァンクマイエル氏への逆襲」



展覧会のお知らせです。
シュヴァンクマイエルの新作長編映画「サヴァイヴィング ライフ」の公開記念として、
ラフォーレミュージアム原宿で8月に開かれる「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展─映画とその周辺」展に先駆け、チェコセンターにて「シュヴァンクマイエル氏への逆襲」(パラボリカ・ビス企画)と題したオマージュ展が開催されます。
建石修志も出品致します。
チェコセンター
渋谷区広尾2-16-14 03-3400-8129


2011年3月19日土曜日

心よりお見舞い申し上げます

3月11日に起きた未曾有の巨大地震、TVに映し出される映像に心底震え上がってしまいました。
その後続々ともたらされる情報は、離れた東京に居る者にとっても、実に辛いものでした。
追い討ちをかけるように原発の爆発、倒壊。原発による電力を恣に消費している我々ですが、こうした形でその現実を目の当たりにしてしまうと、「原発を東京に!」と改めて思ってしまうのです。あれだけ安全性をうたっていたのですから、自らの内に抱え込むべきなのではないでしょうか。
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。
又被災された方々へお見舞い申し上げます。

我々美術学科が出来ることは何もありません、又言葉もありません。
アトリエに転がる石膏像を眺めるばかりです。
壊滅的な被害を被った都市、町、村…。
そして全滅的な「美術・・」の状態。

それでも美術学科の我々は「MyLife as a Dog」のライカ犬を心に密かに忍ばせて、
明日の再興を誓うのです。

2011年2月20日日曜日

文字誕生の瞬間と出会う(218asahi)

筆先・ペン先 見つめて2時間



 書家たちが文字を書き続けるさまを、観客は2時間、ただ黙って観覧する。先ごろ、東京・池袋で、そんなちょっと変わった書のイベントが開催された=写真。題して「文字書く人たち カクトキ・カクオト・カクコトバ」。
 足を運んで感じたのは、書き手たちの圧倒的な存在感だった。
 会場となったのは、米の建築家フランク・ロイド・ライトが設計した白由学園の明日館だ。そのホールを貸し切って一方通行にし、両側に並んだ書家たちの間を、観客は通り過ぎながら見学する。一度出た後に、もう一度入り直すなどは自由。ただし、収容能力の問題から、入場は事前の申し込みなどをした約200人に限定した。
事前に評判が広がり、当日の会場は、身動きがとりづらいぼどの盛況だった。しかし、私語はばとんどなく、その中を羽根ペンや葦筆、毛筆などが動く、カリカリ、さらさらという音だけが響きわたる。
 イタリック体や中世の装飾文字、かな、漢字といったかたちで紡ぎ出される東西の文字の群れ。書く内容は詩であったり、完全な即興であったり様々だが、説明などは一切行われず、観客はひたすらこの静寂のデモンストレーションを味わうしかない。それでも、書家たちの手で、筆先から、まさに命が誕生する瞬間に出会えた亭びはなかなかだった。
 今回参加したのは、欧文書道とも言えるカリグラフィーを中心に、ペルシャ書道や、書道、寄席文字などにかかわる書の専門家15人。文字芸術の普及などを目的に2年前に設立された団体「ジャパン・レターアーツ・フォーラム(J−LAF)」の呼びかけで実現した。
 このパフォーマンス自体は、ベルギー在住のアーティスト、ブロディ・ノイエンシュバンダーが数年前からドイツなどで実施してきた「Brush with Silence」を元に再構成したものだが、「文字が生まれる瞬間を観て、聞いて、感じてほしかった」と、J-AF代表の三戸美奈子さん。
 会場では、複数の書き手が間近で作業を行うことによって、互いの作品に影響を与えたり、コラボレーション的な作品が生まれたりするさまを目の当たりにできた。
 書の新たな魅力を提示したこの試み。今後も続くことを祈りたい。
        (宮代栄一)

2011年2月18日金曜日

西武渋谷店、苦情だけ重視(217asahi)

サブカル展中止 説明拒否に後味要さ



 後味の悪い中止騒動だった。東京・渋谷にある百貨店西武渋谷店が2日、「SHBU Culture~デパートdeサブカル」展を会期途中で中止した。25人の作品約100点が並ぷ展覧会で、会期は1月25日から2月6日までのはずだった。
 西武渋谷店の広報担当者によると、苦情を告げる個人からの電子メールがきっかけだった。数件あり、どれも「百貨店にふさわしくない」という内容。具体的な作品名は無かったが、西武は展示を再検討して中止を決めた。担当者は「一件でも苦情があれば真剣に対応する。不快に感じるお客さんがいる以上、続けられないと判断した」と話す。
 そもそもどんな展覧会だったのか。西武は「詳細については説明できない」としている。出品作家に聞くと、展示は、絵画、フィギュアバ写真などで、現代美術の分野で経験を積んだ作家から、駆け出しの作家まで様々だったという。「サブカル」より、アートといった方が実情に近い。
 例えば、現代美術家松山賢さん(42)は油彩画「盛りガール(G.M.)」 (2011年)=写真=を出した。刺青模様の部分が盛り上がった作品だ。ほかにも女性の下半身が裸のフィギュアもあったという。だが、裸はアートではよくある題材だ。
 会場の美術画廊はB館8階にある。宝飾、時計といった高級品の売り場に隣接していて、確かにこの展示は似合わない雰囲気だった。
 近年、都心の百貨店は日展など団体展の作家だけでなく、現代美術家の展覧会も開いている。高島屋本社の金子浩一美術担当次長は「制限しすぎると作品の魅力が無くなるが、のれんのある百貨店として譲れないところもある。
事前に作家に加えて百貨店内部でもとことんやり取りするしかない」と話す。
 後味が悪いのは、西武が苦情だけを重視したからに尽きる。一度開いた以上、展示を楽しみにしていた人もいたはずだ。西武は1980~90年代、地袋の西武美術館(セゾン美術館)を拠点に、現代美術を積極的に紹介してきた。百貨店の再編でセブン&アイグループの一員になり、その白魚を失ったとしたら、残念なことだ。 (西田健作)

音楽に迫る表現(215asahi)

「耳をすまして」展


「耳をすまして」展

 芸術は大きく、言語系と非言語系に分けられる。文学は前者だし、音楽や美術はおおむね後者だろう。一方で音楽は聞こえるが見えず、美術は見えるが聞こえない、という違いもある。水戸市千波町の茨城県近代美術館で開かれている「耳をすまして」展は、音楽との関わりから近現代美術を読み解いている。
 音楽をどう美術として表現するか。管弦楽団を措いたデュフィや、琴を前にした少女をとらえた小林古径ら、演奏風景として描く方法がある。ブールデルによるベートーベンのブロンズ像なら、人としての音楽か。近代の作家たちは音楽の「周辺」を描こうとしたことが分かる。
 それを一変させたのが、抽象絵画だろう。音楽を聴いて「色彩を心のうちに見た」とされるカンディンスキーは、音楽そのものを色彩と形態による抽象絵画に。「音楽をモデルに抽象化が進んだ」と学芸員の渾渡麻里さんは話す。非言語系表現の共通性を抽出したともいえそうだ。
 日本における早い時期の抽象絵画とされる神原泰「スクリアビンの『エクスタシーの詩』に題す」 (1922年)=写真上=も、音楽の躍動を原色と表現主義的な筆致で表現。画面から音楽が聞こえてきそうなクレー、音楽の楽しさを思わせるマティスなども紹介されている。
 表現や素材の領域を拡大してきた現代美術では、音は描く対象から素材そのものに。藤本由紀夫は、オルゴールを様々に使って音の様相を変化させる作品を提示。八木良太「VINKL」 (05年)=同下=は溶けて色が次第に雑音になる氷製レコードにより、音楽の不思議、記録のはかなさを想起させる。ある意図に基づき過去から現在までの作品を見せるテーマ展が、良心的に実現してぃる。
  (編集委員・大西苛人)
 ▽3月6日まで。

美の季想 解釈の喜び 創造に参加(216asahi)



芭蕉の紀行文「野ざらし紀行 のなかに、「奈良に出る道のほど」という前詞をつけて

 春なれや名もなき山の薄霞

 という一旬が見られる。前後の関係から、お水取りの行事を見るために伊賀の皇を出て奈良へ向かう途中の吟であることがわかる。時期は旧暦2月10日ごろである。
 ところが、芭蕉白身が残した紀行文の初稿とされるものでは、この句の下五は「朝覆」となっているという。つまり芭蕉は、当初早朝の景として「朝霞」としていたものを、後に「薄霞こと改めたことになる。
 現代のわれわれの感覚から言えば、すでに立春を過ぎたころ、爽やかな朝の冷気を含んだのどかな早春の感じを伝える「朝磨この方が、一句の姿が鮮明になって印象が強いように思われる。「薄霞」では、その印象が曖昧になるのは免れない。芭蕉白身、そのことに気づいていなかったはずはないが、それにもかかわらず彼は、あえて曖昧な言い方を選んだのである。
 このいささか不可解な改変について、かつて安東次男が、それは芭蕉が真の俳諧師だったからだと論じたが、私はその静を読んでなるほどと納得した。もともと俳句は、連句の発句が独立したものである。発句ならば、それは次に脇句がつけられることを前提とする。「薄霞」を朝の景と見定めるのは脇旬の役目であろう。もし脇句が、それを夕霞と見定めれば、そこにはまた別の世界が展開される。曖昧さは解釈の多様性を保証するものであり、また鑑賞者の参加を求めるものでもある。
   ● ■
 詩の場合だけに限らず、音楽や絵画でも、鑑賞者、つまり受容者が解釈を通じて創造行為に参加することをうながすような作品を、ウンベルト・エーコは「開かれた作品」と呼んだが、「薄霞」はまさしくそのような「開かれた作
品」の例である。解釈は時に、作者の意図を超えて思いがけない広がりを見せることもあるが、それもまた、芸術の豊かさを示すものであるだろう。
   ■  ▲−
 現在、東京・六本木の国立新美術館で開催されている「シュルレアリスム展」の出品作のなかに、鑑賞者の参加によって予期されない新しい世界が開かれた興味深い例がある。シュルレアリスムの先駆とも亭つべきキリコの「ギヨーム・アポリネールの予兆的肖像」がそれである。サングラスをかけた郡部像や、魚や貝の鋳型など、謎めいた事物が描かれているなかで、特に奥の開かれた空間に影絵のような黒いシルエットを見せるアポリネールの頭部に、白い半円形が描き込まれていることが、シユルレアリスムの仲間たちの想像力を強く刺激した。詩人で批評家でもあったアポリネールは、早くからキリコの作品を高く評価した一人であったが、第1次大戦に参加して頭部を負傷した。影絵に見られる白線の半円形は、この負慣を予言したものだというのだが、作品が措かれたのは戦争の始まる前だから、この解釈はあとから作られた神話である。だがそれが作品に新たな神秘的次元をつけ加えたとしたら、それもまた芸術世界の広がりを示すものとして、芭蕉ならよしとしたであろう。
 シュルレアリスムの作家たちは、しばしば曖昧性を利用して鑑賞者に働きかける。マグリットの「秘密の分身」に描かれた人物は、男か女か判然としないが、見る者はそれによって作品世界に参加させられることになるのである。 高階秀爾(美術史家・美術評論家)

 ▽「シュルレアリスム展」は5月9日まで(5月3日を除く火隠休み)。パリのポンピドーセンターの所蔵品から、絵画、彫刻、写真などの約170点。
 

2011年2月11日金曜日

展覧会のお知らせ


美術学科主任の建石修志が参加する展覧会のお知らせ
「私のシェイクスピア」
2011年2月15日(火)~26日(土)
スパンアートギャラリー
中央区銀座2-2-18西欧ビル1F
03-5524-3060
出品作家
東逸子/網中いづる/宇野亜喜良/北見隆/串田和美/下谷二助/
建石修志/寺門孝之/山下陽子/山本タカト/和田誠/明緒
http://www.span-art.co.jp/fset_ex/201102_12thnight.html

2011年1月31日月曜日

2月5日(土)オープンカレッジのお知らせ

「美術とイラストレーションの関係」 担当講師:建石修志

絵画制作とイラストが、仕事としてどのように繋がっているのか描くことについての考え方や共通していることなど、作例をもとに解説する。