2011年6月19日日曜日

対話で育む子どもの発想(615asahi)

「驚くべき学びの世界展」 ワタリウム美術館

 イタリア北部の衝、レッジョ・エミリア市の0~6歳児の幼児教育は、子どもたちの「驚きの声」を大切にする。芸術の専門家が配置された保育園や幼稚園で、大人たちは、その声をヒントに、美術や音楽、言葉、舞踏など幅広いアートを採り入れた教育プロジェクトを進める。今廣では、「場所」や「身体」、「言葉」などをテーマにした子どもたちの絵画や立体作品を並べ、プロジェクトの様子を撮影した映像も紹介。子どもたちと対話をしながら自由な発想を伸ばす、新しい学びの世界が広がっている。 (塩田麻衣子)


■音の彫刻
 この作品は多くの楽器が並ぷ「オーケストラ」を表現した。子どもたちは、スケッチを描き、大人からの助言を聞いたり、子ども同士話し合ったりしながら、
実際に組み立てるための方法を探る。時にはデザインの変更を迫られることもあ
る。制作に使った部品はリサイクル。同市にはリサイクルセンターがあり、行政
や企業など町ぐるみで、子どもたちの創作活動を支えている。「うまい下手は関
係ない。子どもたちの自由な発想で作られた作品には、装飾美にとどまらない美
術を楽しむきっかけがある」と同館の和多利恵障子さんは語る。


 コレオグラフイー(振り付け)の国 曲線は走る道筋、丸い点はジャンプをする目印一。円柱のある空間を走るための手順を示している。色彩豊かな線や点で、実際に走り回ったときの子どもたちの感情を表現した。

自動人形からくりシアターの世界(612asacoco)

ムットーニ氏が創り出す



 自動人形師として知られるアーティスト・ムットーニ(武藤政彦)氏(55)が八王子市夢美術館で2年前に行った「ムットーニワールドからくりシアター」の続編。週末には作者自らが作品の中で展開するストーリーを語り、作品を紹介する。その独特の世界を「動く絵画」と呼ぶ人もいる。

 観客の人影がかすかに見える暗闇の零式萱。籍のふたが開き、光に照らされた天使が自動で回転しながら夜空に上がっていく。他の箱からもフラミンゴ、鳥の妖精、かつて飛んでいたころを追想する飛べなくなった天使などが登場して、物語の世界に引き込んでいく。
 今回の夢美術館での作品展の新作「『エッジ・オフ・リング』ウイング・エレメント」は、ムットーニ氏が今年、4カ月かけて創り出した5台組みの作品だ。
 国立市にあるアトリエで、すべてを⊥人で制作している。粘土の人形、装置の多様な動き、照明、音楽、効果音。ときにはムットーニ氏自ら口上やナレーションを入れることもある。
 こうした特徴から総合芸術と評され、本人だけでなく、作品までが親しみを込めてムットーニと呼ばれる。
 ムット」ニ氏は横浜市生まれ。工場が立ち並ぶ京浜工業地帯で育った。高校時代はブラスバンド部のトランペッター。ュ浪して国立市にあった創形美術学校(現在は豊島区)を卒業後、同研究科⊥年修了。当時は油陰の画家を目指し、コンペに
ひたすら応募する。だが、賞を獲りたい一心で傾向と対策を考える余りに、措く絵がころころ変わり、自分を見失ってしまった。

人形が世界を旅してきた

 そんなある日、会社員から苦学して弁護士になった父親に言われた。「お前は俺よりも難しい道を選んだ。弁護士は司法試験に受かれば誰でもなれる」
 長年、父子の葛藤が続き、互いに反目していた父親のひと善が、自分を見直すきっかけになった。25歳のときだった。
 「ふと、丸いちゃぶ台の上で、油粘土細工に熱中した小学生のころの楽しさを思い出したんです。そこで油絵で描いていたキャラクターを粘土に起こしてみた。楽しかったなあ。もうゴロゴロできて」
 ビデオカメラができ、ビデオアート初期の時代だ。「ターンテーブルに粘土の人形を乗せると、重たいのでゆっくりと回り舞台が動き出す。背景、顔の影−なんだか人形が世界を旅してきたみたいで。回ることで申にしみ込んでいた記憶、にお
い、物語が出てくる。これをなんとか作品にできないかと思ったのが、自動人形の始まりです」
 高校時代はあふれるイメージを油絵にし、その物語日記を書きつづった。その「おはなし玉手箱」も今の作品の脚本に生かされている。
 「僕の作った人形たちは主役じゃない。僕の作った世界と観ている人たちとの仲介役です。観客は自分の体験と重ね合わせて、その世界を見ている。そのように作りたいと思っています」
展示会情報
 自動人形作品約20台展示。油絵、レリーフも。ムットーニ氏の上演会は金曜は15時から。土、日曜は14時と15時の2回。
 6月26日まで開催。JR八王子駅北口から徒歩15分。開館10′−17時(入館は16時半まで)。月曜休み。500円。小学生以上の学生と65歳以上250円。未就学児と土、日曜の小中学生夕無料。〈間〉042−62-6777八王子市夢美術館

スペインの授貴式で原発批判(610asahi)



 スペイン北東部のカタルーニヤ自治州政府は9日、バルセロナの自治州政府庁舎で、人文科学分野で功績のあった人物に贈られるカタルーニャ国際賞を作家の村上春樹さん(62)に授与した。村上さんは受賞スピーチ=写実、ロイター=で、東日本大震災と福島第一原発事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。
 「非現実的な夢想家として」と題し漑スピーチで、村上さんは震災後の日本がやがて「復興に向けて立ち上がっていく」とした。ただ、福島原発事故については、広島、長崎に原爆を投下された日本にとって「2度目の大きな核の被害」とし、今回は「自らの手で過ちを犯した」との厳しい見方を示した。
 村上さんは、過ちの原因は「効率」優先の考えだとした上で、政府と電力会社が「効率の良い発電システム」である原発を国策として推進した結果、地震国の日本が世界第3の原発大国になったと指摘。原発に疑問を持つ人々は「非現実的な夢想家」として退けられたと批判した。その上で「われわれは持てる叡智を結集し原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった」とし、それが広島、長崎の犠牲者に対する「集合的責任の取り方となったはずだ」と述べた。 (共同)

「ジム・ダイン主題と変奏」展(608asahi)

版画豊かに変容



版画は同一の図像を複製する技法。それが「常識」だろう。ところが、米国の現代作家ジム・ダインの版画は変容を続けてやまない。その軌跡をたどる「ジム・ダイン 「主題と変奏」展が、名古屋ボストン美術館(名古屋市中区)で開かれている。
 ダインは1935年生まれ。60年に当時「ハプニング」と呼ばれたパフォーマンスで注目された。同じころから本格的に版画制作を始め、これまでの作品数はおよそ千点。「絵画や彫刻、写真も辛がけているが、版画に最も喜びを感じる」という。
今回の展示は版画作品152点をテーマ別に9章で構成する。
 初期作品で目を引くのが工具類やバスローブなどのモチーフ。よく見ると工具はふさふさとしたひげをたくわえ、宙づりにされたバスローブは誰かの抜け殻のよう。ダインが「人間的な感情の受容体」と位置づけるように、日用品に作家白身や親しい人物のイメージを託している。70年代には人物像が主要なモチーフの一つとして浮上。同時に、一つの版に次々と手を加え、他の版と重ねるなどして、図像を大胆に変容させる制作方法が顕著になってくる。
 その代表作が25点の連作「屋外にいる7月のナンシー」 (78~81年、展示は4点)。香らしい経で彩られた女性像は、別版によるユリの花や手描きによる彩色が重ねられ、やがて暗鬱な黒の色面に沈み込んでいく。「エッチング交響曲」とも呼ばれる作品で、妻をモデルに人生を描いている。
 ダインは「私にとって、版画はドローイングのもう一つの方法だった」と語る。つまり、版画を複製可能なメディアに限定するのではなく、図像表現のダイナミズムに開放すること。その柔軟な姿勢が豊かな結実をもたらしている。 (西岡一正)
 ▽8月28日まで。7月18日を除く月曜と7月19日は休館。

悲劇の中見極めた美(608asahi)

「ジョセフ・クーデルカプラハ1968」展

画面に力熱い空気撮る



 ドキュメンタリー写真とは、つまり記録写真。しかし単なる記録を超え、見る者の胸に迫ることがある。東京都写真美術館の「ジョセフ・クーデルカ
 プラハ1968」に並ぶ一群はその典型だろう。写っているのは68年のプラハ侵攻の姿。いやそれ以上に、現場と時代の空気を伝える画面の力が見どころだ。
 大通りを進む戦車、抗議する若者、不安げに見つめる人々。チェコスロバキア(当時)の首都プラハで、68年8月に起きたことが、強いコントラストで画面に定着している。
 言論の自由や市場経済を導入し始めたチェコの「プラハの春」を打ち破るように、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍が侵攻した事件。その現場で、写真家のジョセフ・クーデルカさん(38年生まれ)が、一気に撮り上げたものだ。
 「私は30歳で、クレージーだった。何より、あまりの状況に、強くわき上がってくるものがあった」
 協力者によって写真は米国に渡り、翌年全世界に配信されるが、撮影者は匿名だった。クーデルカさんと家族の身の安全を守るためだ。匿名のままロバート・キャパ掌を受賞。実名が公表されたのは84年のことだった。展示室に立つと、写真が目に突き刺さってくる。圧倒的な強さと構成力。本来は風景やロマ族をテーマにする写真家だが、「自分が素晴らしいと思うものを題材にしてきた。この時も、い
ざとなればこのように振る舞える自国を誇りに思った」と話し、こう続けた。
 「見極める目を持った写真家なら、どんな場所でも美は見いだせる。悲劇の中においてこその美もある。ただ記録を残すのではなく、そこから立ち上がる空気を伝えようとしている」
 写真は独学で、航空技術者の傍らデザイン誌に親しんだ経験が生きているとされる。とりわけ、伸びる街路や砲身、人々の身ぶりやまなざしに「力」の方向性を見いだし、画面を作る力には驚くぼかない。
 東京都写真美術館の丹羽晴美・学芸員は「ジャーナリストではなく、市民と同じ立場で撮った」と話す。
 本人も、「アート系、報道系といった区別は意味がない。写真はあくまでも写真。私は、ジャーナリズムを追求しすぎて一つのメッセージに陥ることを危険視します」と話す。
 最も有名な、腕時計越しに人のいない通りを撮った写真は「シュールレアリスム的」という評価も得たという。こうした奥深さ、確かな伝達力で、晴代を超えた普遍性を獲得している。
 「写真には2通りしかない。いい写真か、面白くない写真か。いい写真は頭から離れず、忘れられない」
 今回の約170点がどちらに属するのかは、いうまでもない。
     (編集委員・大西若人)
 ▽7月18日まで。最終日を除く月隠休館。平凡社から写真集も。

2011年6月10日金曜日

6/18(土)オープンカレッジのお知らせ

「コレは何だろう?ナニに見えるかな?」

申し込み・問い合わせ 
フリーダイヤル 0120-8160-98 FAX03-3356-5260 Eメール info@ndc.ac.jp

2011年6月7日火曜日

大震災で見た「神様のない宗教」(607asahi)

許して前を向く日本人



 2007年に東北の農村を舞台にした漫画を描いた。金融の世界で心身ともに疲弊した元銀行員の主人公が、お金を一銭も使わない生活をすべく農村に移住する着である。村にいた神様が死んでしまい、空から日本中にザリガニが降ってくるという最終話を描いていたら、リーマン・ブラザーズが破綻し、そのあとオタマジャクシや魚が空から降ってきたなどというニュースをテレビで見るにいたっては、なんだか自分のデタラメなヨタ話が当たったような気がしていたものだ。
 そして、長年構想し、昨年から措き始めた信仰、宗教をテーマにした作品は、主人公が神様に会えたかどうかという場面が、弟1部の最終話だった。エンディングに迷ぃに迷った末「神様はいなかった」という結末は、第2部に持ち越すことにした。その最終話が編集部に届いた翌日、東日本大震災が起きた。
 仙台市の住人として被災し、その夜、避難した小学校の体育館で一睡も出来な
かったのは、激しい余震と底冷えのする寒さのためだけでなく、不吉なものを感
じていたからだ。
 電気が通じると、私はテレビの前から離れられなくなった。一漫画家の気のせ
いか、思い過ごしであるはずなのだが、まさに「神様などいない」無慈悲な光景
が繰り返し繰り返し流されつづけた。
  □   □
 テレビや新聞で見る限り、誰も神様の話などしていない。誰もが人間の話をしていた。流された家屋、失った家族の命、跡形もなく消えてしまった故郷。そして、それを慰め、手を差し出し、元気づけようとする人々。ありとあらゆる人間の不条理を眼前にしながらも、みんながみんな、まるで信仰のように人を信じていると、私は思った。神様のない宗教がそこにあったのではないだろうか。
 私はそんな風には人を信じられない人間である。人を居じることが出来ないの
で、自分はどこから来てどこへ行くのか、この世界はいったいなんなのか、なぜ
生まれたのか、そんなことばかり考えて来たはずなのだ。
 それらを棚上げして、ひとまず生きていくということは、親を殺され、殺した
犯人を捕まえようともせずに、ただ毎日のうのうと生きている者のようにさえ私
には思えていた。しかし、被災した人々の顔には諦めと覚悟と、時にほほ笑むほ
どの清清とした表情があった。この人たちは自分の親を殺した犯人をさえもう許
していたのだろう。
  □ □
 近年、いろんな不条理が日本を襲いつづけた。派遣問題、高齢化、孤独死、い
じめ、虐待死、人が人を信じられなくなっていたように見えたし、私自身、人が
作る−電化製品、服、映画、音楽、小説、そして漫画−にさえ魅力を感じなくなっていた。その揚げ句の震災と福島原発危機だったはず。
 宗教の言葉でいうところの法難の様相さえ帯びていたこの3カ月間の日本を見
るにつけ、そこになにかの意志と意図を感じないわけにはいかない。これほどの
災害を勝手な決めつけで語ることはしてはいけないのかもしれないし、それこそ
漫画家の気のせいと思い過ごしかもしれないが、私には日本人が人を居じること
をやめないという決意を表したように見えた。
 9・11のあとにアメリカはビンラディンを殺害したが、3・11のあとに日本は
どうするのだろう。日本は誰かを殺すだろうか。
 我々は誰も殺したりはしないだろう。それは我々の相手が自然災害だったから
ではない。我々は原爆を落とした国をさえ許したのではなかったか。我々はまた
許すのだろう。許すことが正しいか正しくないかではなく、許すことでしか前を
向けないことに我々はもう気がついているのではないだろうか。
 今度は神様を許すことになるとしても。
   
漫画家 いがらしみきお
 1955年生まれ。仙台市在住。79年デビュー。88年「ばのばの」で講談社漫画賞。著書に『ネ暗トピア』 『Sink』 『かむろば村へ』など。宗教をテーマにした「工(アイ)」を月刊「イッキ」に連載中。

2011年6月5日日曜日

2011オープンカレッジスケジュール

7/27(水)
美術の方法① 「オートマティズム-混沌から始めよ!」

デカルコマニー、フロッタージュ、オートマティズムなどシュルレアリスムの技法を体験、試作する。


8/5(金)
美術の方法② 「型取り-等身大の思想:これは私だ!」

成型剤コピックを使って、手を型取り、石膏を流し込み成型。彫刻ではない、オブジェへの一歩。


8/10(水)
美術、その仕事へのアプローチ❶ 「アナログとデジタル、その相互作用」

3Dクリエーターの実際の仕事を紹介。アナログとデジタルが相互に関連しあうプロセスを学ぶ。


8/24(水)
美術、その仕事へのアプローチ❷ 「美術とイラストレーションの実際」

美術とイラストレーション、共に絵を描く事は同じながら、成り立ちの違いなどを検証し、その関係を探る。


11/12(土)
美術の方法③ 「ドローイング-“手”とは“眼”である!」

モチーフを視る、そして描く。ただ画面の上への再現ではなく、様々な画材を用いて新たな世界を眼と手が作る。


1/14(土)
美術の方法④  「デフォルメ-“歪み”こそ真実! 」

何故デフォルメされたイメージに心魅かれるのか?“肖像”をモチーフに試作し、デフォルメの真実に迫る。


2/11(土)
美術の方法⑤ 「トレーシング- 透過するイメージ、世界が重なる!」

トレーシングペーパーを用いて、イメージが幾重にも重なりあい、新たな遠近法を生み出してゆく可能性への試作。


すべて12:00~15:00

申し込み・問い合わせ 
フリーダイヤル 0120-8160-98 FAX03-3356-5260 Eメール info@ndc.ac.jp
HPから 
https://www.ndc.ac.jp/event110618/