2012年8月30日木曜日

いつものビルかと思いきや…(828asahi)

本物のビルかと思ったら幻?−東京・日本橋のオフィス街に、建て替えで消えたはずの歴史的な建物が出現した。工事現場を撃つシートに元のビルの実物大写真が印刷され、解体されたビルがそのまま立っているようにも見える。
 ビルは、三菱倉庫の「江戸横倉庫ビル」。鉄筋コンクリート6階建てで、1930(昭和5)年に建てられた。船橋のような屋上の塔屋や最上階の半円窓など、船を思わせる外観が特
徴だった。都選定歴史的建造物に指定されている。
 現在、外観の7割を残す建て替えが、進められているが、
「工事中や周辺の住民や働く人に親しまれた景観を残したい」 (三菱倉庫)と、足場を覆うシートにかつてのビルの外観の写真を施した。
 施工する竹中工務店は「姫路城など絵を描いたシートで覆う事例はあるが、原寸大の写真で元々の建物を再現する事例は、国内では聞いたことがない」と話す。新ビルは、再来年の8月に完成予定。  (福留庸友)

2012年8月24日金曜日

メリエスの素晴らしき映画魔術(824asahi)

「宝物」復元した熱意








ジョルジュ・メリエスは映画史上最初の巨匠と言うべき人物である。マジシャンだったこのフランス人は、1895年にリュミエール兄弟が映画を発明すとすぐ、この技術で物語性のある見せ物的な面白さで一杯の作品をたくさん作った。とくに奇抜なトリック撮影で評判を呼び、そのアイデアの豊かさにはいまでも感心させられる。遠い歴史の彼方にいるこの人物を久しぶりに思い出させたのは、さきごろ公開されたアメリカ映画「ヒューゴの不思議な発明」で、そこには映画づくりを止めて落ちぶれた晩年のメリエスが登場する。そして忘れられた彼の作品を保存しようとする人々も描かれる。
 あの映画はフィクションだが、じつは彼の代表作の「月世界旅行」の彩色版の古くて溶けかけていたフィルムが発見されていて、研究者たちの手で10年かけてコツコツ復元作業が行われていたのだった。彩色版というのはフィルムに直接筆で絵の具を塗って作ったカラー映画である。これが残っていたというのは本当に珍しく貴重である。
 セルジュ・ブロンバーグとエリック・ランジュ監督の「メリエスの素晴らしき映画魔術」は、この復元作業を中心としてメリエスの生涯とその仕事を描いたドキュメンタリーである。昔のフィルムは長い年月のうちに溶けて固まってしまう。それをナイフでそっとはがしてゆくという、いつ終わるかと思うようなしんどい手作業から始まって最新の技術の開発を待たなければならない作業まで、この古いフィルムを宝物と信じなければやれない苦闘が感動的である。
 こうして復活した映画史初期の15分の超大作「月世界旅行」の、なんという無邪気さ!こ
れが映画の初心なのだ。(佐藤忠男・映画評漁家)
 25日から各地で順次公開。

ローマ和食店でボディー・スシ(824asahi)

「日本の伝統」報適に大使館抗議
 ローマ市内に、横たわった裸の人の上にすしを盛りつける「ボディー・スシ」を売りものにする日本料理店が現れた。イタリア紙は日本の食文化であるかのように紹介しており、在イタリア日本大使館が「日本の伝統というのは商売目的ででっちあげられた迷信だ」と抗議の書簡を送る事態になっている。

 ローマ中心部のこの店の前には「ボディー・スシ」「ローマ初」と書かれた写真入りの看板。ホームページにもローマ字で「NYOTAIMORI」(女体盛り)とあり、「男性か女性のモデルの上に盛る」としている。
 料金は、横たわるモデルの代金199ユーロ(約2万円)に加え、客1人59ユーロ(約6千円)。モデルの性別で値段の違いはない。
 経営者の香港出身の中国人女性は、朝日新聞の電話取材に、誕生日会や企業のイベントなど宴会用に提供しているとし、「何も悪いことはしていない」と今後も続ける姿勢を示した。
 経営者によると、開業したのは2008年11月。すし職人2人は日本人だといい、「ボディー・スシ」は昨年から始めた。「ローマではあまり知られていないので、イタリア人客が数回注文しただけ」といい、日本人客はいないという。
 この店について、イタリアの全国紙コリエレ・デラ・セラが7月、「日本の流行ニヨタイモリ、ローマ上陸」「お触り禁止」などと取り上げた。「新しいすしのスタイル。ニューヨークやロンドンなど世界の主要都市にも広まっている」という店側のコメントも記
されていた。日本大使館は同ヲ紙への抗議書簡で「女体盛りは日本の食文化や習慣とは関係がない。日本の一般市民からみれば常識から逸脱している」としている。
       (ローマ=石田博士)

2012年8月23日木曜日

何でも梱包した果てに(822asahi)

 カニ缶のラベルを缶の内側に貼り直したのが「宇宙の缶詰」です。写真は開封状態ですが、本来はハンダ付けで密封します。その瞬間、カニ缶の表側と裏側が入れ替わるわけです。それで、ラベルがない側、つまり私たちがいる宇宙が全部、カニ缶に包み込まれてしまうのです。

 この作品は、それ以前に続けていた「梱包」シリーズから出てきたものです。
 「梱包」作品を初めて発表したのは1963年です。友人から使用済みのカンバスを借りてクラフト紙とひもで梱包した作品を出しました。それまでもグループ「ネオ・ダダ」 (60年結成)など前衛芸術の仲間と活動していたから、(絵画や彫刻などの)安定した作品ではおさまらない。いまは見せるべき作品がないという状態を見せたい、というのが「欄包」の内的な理由でした。
 でも、やりはじめたら面白くなった。ラジオや扇風機を梱包して電源を入れて展示し
たこともあります。次は自動車をやってみようとか、ビルを欄包しようとか構想は膨ら
んでいくんですが、それは大変だし、単純なエスカレートでしかない。
 そんなことを考えてい訂ときに、「ハイレッド・センター」(63年措成)の仲間と、帝
国ホテルで「シェルタープラン」というイベントを計画し、アトラクションの一つで缶詰
を作った。ラベルのない、中身の分からない缶詰です。
 僕が作ったのは、一つは「缶切りの缶詰」。ギユウちゃん(前衛芸術家の篠原有司男さん)が買っていきました。別の画廊に戻り、缶切りがなかったから五寸釘を打ったりして苦労して開けたら、中から小さな缶切りが出てきたので、全員あぜんとしたそうです。
もう一つが「宇宙の缶詰」。サケ缶や牛肉の大和煮の缶詰もあったはずです。アイデア
がひらめいたときは「これ1個で宇宙を包んだことになるから、もう梱包は終えていい
んだ」と思った。でも、実は1個だけでは、密封された缶の中の空間は包み残しになっ
ている。2個あれば相互に缶の中の空間も包み込むので、宇宙の欄包はやっと完成する
のかな、とも患っているんです。  (聞き手・西岡一正)

2012年8月20日月曜日

オープンカレッジ第5弾!(8/22)

美術と仕事② 3Dクリエイター

担当 亀井 清明

CGという仕事の中で美術的要素、素養を要求される場面は多々あります。
講師の仕事を紹介しながら、「仕事の中の美術」を解説します。
講座の後半ではCGの実作業を体験!

2012年8月17日金曜日

試し書きは無意識のアート(815asahi)

 文房具店のペン売り場に置かれたメモ紙の「試し書き」。その「無意誅のアート」に魅せられた男性が、世界49カ国から計約2千枚の試し書きを集め、この春から都内や関西で展示会を開いている。その奥深い魅力とは−。
 49カ国のペン売り場から2000枚収集

 5年前、ベルギーの文房具店。千葉県浦安市の寺井広樹さん(32)は店内の試し書きに、目を奪われた。カラフルな色づかい。擬人化されて帽子をかぶった豚のような図柄。「額に入れて部屋に飾りたい」と、店に交渉して譲り受けた。
 ペンの書き味を試す。それは下書きでも落書きでもない、半ば無意識の行動ではないか。そこに人間の本質が見えるのではと考え、収集欲に駆られた。
 魅力を伝えたいと、3月に重点・原宿で「世界タメシガキ博覧会」を開催。関西などでも開き、メディアで紹介されると、海外からも試し書きが送られてくるようになった。
 お国柄も表れる。エチオピアやカメルーンではちゃんと書けるかが重要と見えて、シンプルで筆圧強めの「本気度の高い」試し書きが多い。フランスやイタリアでは女の子や万年筆などおしゃれな絵が措かれている。
 意味のない線やハートマークは世界共通だが、「お母さん大好き」というメッセージは世界各国に見られる。「おなか痛い」との試し書きに対し「大丈夫?」と書き込むツイッター型に心温まることも。寺井さんが今一番気になるのはメキシコ。ペンが包装されていて試し書きコーナーがないと聞いた。寺井さんは「確かめるためだけに旅行したい」と熱く語る。
 様々な人が書いてできあがる紙全体のバランスが重要。だが、「もう少し待てば傑作になるかも」と近くでお茶を飲んでいる間に店員さんに捨てられてしまった経験もある。個人情報の保護を理由に断られることもあるという。
 寺井さんの本職は離婚を親戚や友人の前で宣言し、再出発を撃つ「離婚式」のプランナーだ。いまさらそれぞれめ両親に気に入られる必要もない人たちと向き合う仕事について、「うまく書く必要のない試し書きの魅力に通じるかも」と話す。
 試し書き収集は口コミで「愛好家」が増え、2年前から不定期に文房具店をまわっ
ていた「タメシガキツァー」は今年から月1回の定例となった。多い時は外国人を含めて20人が参加している。9月23日からは東京都渋谷区の「文房具カフェ」で博覧会が開かれる予定だ。(吉本美奈子)

人間・死・自然、新潟で問う(815asahi)


 新潟県の大地は、3年に二度、現代美術に覆われる。二つの芸術祭が重なって開かれるからだ。大自然に抱かれれば作り手も心を動かされる。観光資源として期待さ
れることもあって、ともすれば善良で楽しい表現に懐きがち。しかし、そこに異を唱え、芸術や風景の本質を問うような作品も目立っている。
「不在」強く印象に残す
 大地の芸術祭

 9メートルの高さまで積み上げられた約20トンの古着の山。その頂から、クレーンが一部をつまみ上げては、また落とす。その繰り返し。心音を思わせる鼓動が響く。
 クリスチャン・ボルタンスキー(仏)の仮設的な作品愕「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」の交流施設として2003年に十日町市中心部に登場した「キナーレ」が現代美術館に衣替え。その中庭で、この光景に出あう。
 古着の群れはカラフルでダイナミックでもあるが、やはり人の不在、大量の死を思わずにはいられない。ボルタンスキーは、東日本大震災前からの構想を、被災地を実際に歩いた後でも変えなかったという。

 展示場所は、ほとんどの鑑賞者が立ち寄る施設の真ん中。震災後初の芸術祭として覚悟を感じさせる一方、掲げる理念「人間は自然に内包される」の叙情性との距離も気になる。しかし、総合ディレクターの北川フラムさんは、「不可避な死という運命も含めて、人間を包む自然。その前提で我々は生きることを、アートを通して示したい」と語る。
 十日町市と津南町の760平方キロに及ぶ里山や街が芸術祭の舞台だ。3年ごとの開催。5回目の今回は、9月17日までに新旧あわせて約360点を展開する。
 旧松代町の山間部の空き家で展開するマーリア・ビルッカラ(フィンランド)の「ブランコの家」は、旧作をリニューアル。空き家の中で無人のブランコが揺れ続ける。ここにいたはずの子供の不在を措き、過疎や少子高齢化とい
つた問題を神話的に伝える。
 川俣正は、芸術祭のアドバイザーだった美術評論家の故・中原佑介の肇3万冊を、らせん状の本棚に収めた。その中心に立てば、芸術や知とは何か、と考えざるをえない。
 展示場所は、廃校になった小学校。廃校や空き家を使った数々の展示を巡ることは、過疎を体感することでもあるのだ。
 イ・ソンテク(韓国)の「龍の尾」はブナ林に埋もれた屋根。災厄で埋もれたのか、どんな建物がどこまで続くのか、いつの時代なのか、と想像はつきない。
 旧松代町の拠点施設の一つ「農舞台」の内外には、「里山アート動物園」と題して、動物の立体が並ぶなど、もちろん楽しい作品も多い。しかし、大自然の中で現代美術を見せるという画期的な「発明」をなしえたこの芸術祭も、もう5回目。現代美術に何が可能かを、もう一度聞い直している。 (大西若人)

 「転換点」震災を想起水と土の芸術祭 

2回目を迎えた新潟市の「水と土の芸術祭」 (12月24日まで)は、新旧あわせ国内外59.組の66作品が参加する。
メイン会場の新潟港内・万代島旧水揚げ場。かって荷さばき場だった建物内に、骨組みだけの木造家屋や家電製品が散乱する。周囲に並ぶのは、来場者が持ち寄った靴。「大友良英×飴屋法水たち」のインスタレーションは、そうとは謳っていないが、昨年3月のあの光景を想起させる。
 隣には廃油のプールや海水の雨が降る装置で構成された、原口典之の作品。外光の入る大空間で、異なる世界が化学反応を起こす。
 テーマを「転換点」としたのは、東日本大震災後。作品展示のほか、「自然との共生」がテーマの連続シンポジウムもーつの柱だ。
 大乗災の死者の記憶を石に託したというイリーナ・ザトゥロブスカヤ(ロシア)のインスタレーション、風力で「WIND」の文字が光る加藤立の作品など、震災やエネルギー問題に直接触れる表現もある。一方、砂浜に木枠を置いた前山忠の一見「美しい」作品(展示休止中)にも、自然と人間の関係への批評が潜むと感じるのは、見る
側の私たちの心のあり方と無関係ではないだろう。
 プロデューサーとディレクターを新潟ゆかりの人物で固め、地域性を打ち出した今回。住民自らが前回の出展作家に依頼した作品もあり、担い手の広がりも感じられる。
 真に地域に根付いたものとして、「次」につながるのか否か−。今回が芸術祭の意味を問う試金石となるかもしれない。   (増田愛子)

重なる絵の具が語り出す(801asahi)

石川順恵新作展/安藤正子-おへその庭
 絵の具の層を重ねて画面を作る。油絵などに見られる、そんな描写方法が持つ可能性の広さを、2人の女性画家の個展で改めて確認した。
       
 まず、石川順恵(1961年生まれ)のアクリル画11点による新作展。伸びやかな筆敦による抽象画で知られてきたが、今回はその上に、格子模様が重ねられている=写井上は「impermanence」。
 硬賓な「グリッド」と呼ぶようなものではない。柔らかく、移ろいやすい格子の層が部分的に重なり、さながら格子戸の趣。淡いピンク地に奔放な緑の筆致が走る奥の層へと、視線を誘う。コラージュ風でもあり、浮遊感のある、みずみずしい映像的な表現が生まれている。

 安藤正子(76年生まれ)は、9点の油絵を含む19点を美術館での初個展に出している。こちらは対照的に、精細に描かれた人物や動物、植物の絵だ。
 磁器のように平滑な画面が際だつ。手の跡、筆致がほとんど残っていない。ときに紙ヤスリをかけ、薄い絵の具の層を華や手で重ねて生まれた。画面の中に幾重もの層が潜んでいるのだ。一種人工的な絵肌から浮かび上がるものも、どこかつくりものめいている。例えば「スフィンクス」と題された07年の作品=同下。裸の女性が机に座っている姿が描かれているが、わきの下に花をはさみ、よく見ると、目も赤い。そして、不釣り合いなほどに武骨な手。
 平滑な画面とシンプルな構図。選びに選び抜かれた繊細な線ゆえに、逆に不思議な部分が浮上し、違和感を漂わせる。現代社会を覆う空気にも通じ、タイトル通り、さまざまな謎を見る者に問いかける。
 絵をじっと見つめる。画面の中に折り重なる、描かれた「時間」の異なる絵の具の層がほどけて語り出すとすれば、これぞ絵画の快楽と呼んでもいいだろう。  (編集委員・大西若人)
 ▽石川展は4日まで、東京・京橋3の6の5の南天子画廊。安藤展は19日まで、東京・北品川4の7の25の原美術館。月曜休館。

2012年8月14日火曜日

奈良美智個展、深み増す(814asahi)

子ども描写、原点へ

 カワイイけれどブキミ。
そんな子どもの絵で知られる美術家・奈良美智(52)の新作個展が、横浜美術館
(横浜市)で開かれている。初めてのブロンズ彫刻や穏やかな表情をうかべる少女の絵画が、模索の時期をへた奈良の「現在」を示している。
 奈良が人気作家となったきっかけの一つが、2001年に同じ横浜美術館で開いた個展。孤独や、ときには残酷さも感じさせる子どもの絵が若い世代の共感を呼んだ。その一方で、当時頻発していた子どもの暴力や犯罪と重ねて話題にされるなど、反響は美術の枠を超えて広がっていった。その状況を奈良はどう受けとめたのだろうか。
 「当時は大きな故にのみ込まれて、自分白身を忘れていくその後の数年間につ
ながった」と奈良は振り返る。12年間拠点としたドイツから00年夏に帰国したば
かりだった。「自画像」として描いたパーソナル(個人的)な作品が突然、多数
のオーディエンス(観衆)を獲得したことに戸惑い、混乱したという。そうした
変化は作品にも影響した。「色の重ね方や構図がおろそかになって、ポップな表現やマンガ的なイメージだけが強くなっていった。(観衆の)期待に無麓識に応えて安易に作っていた」
 そこから模索が始まった。03~06年はデザイン集団「graf」と活動し、小屋を組むなどの仮設作品を制作。07年からは数年間、滋賀県の陶芸地に繰り返し滞在して土をひねった。昨年は母校・愛知県立芸術大に長期滞在して塑像に挑んだ。.他者との共同作業から孤独な制作へという軌跡は、「ドイツのアトリエで自分との対話を続けた」原点へと回帰するための旅路だったのだろう。
 11年ぶりの横浜での個展。粘土と格闘した塑像から鋳造した彫刻には、、生々
し小指の跡が残る。かつての繊維強化プラスチック(FRP)による滑らかな彫刻の面影はない。絵画はより大型になり、色を重ねた過程がうかがえるなどの変化が見て取れる。
 子どもというモチーフこそ変わらないが、その表情は内省的な深みをたたえる。それは奈良の自画像であり、同時に普遍的な人間像なのだろう。個展のタイトル「若や僕にちょっと似ている」にはそんな意味がこめられている。(西岡一正)
 ▽9月23日まで。10月、青森県立美術館、13年1月に熊本市現代美術館に巡回。

8月の展覧会のお知らせ

美術学科主任建石修志の参加している展覧会のお知らせ。
◉「絵に描いた座右の銘」

2012年8/20(月)~9/14(金)  11:00~19:00
クリエイションギャラリーG8
東京イラストレーターズ・ソサエティ主催
http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8_exh_201208/g8_exh_201208.html

◉「Anotherへのオマージュ」展─眼球と少女たち












2012年8/15(水)~29(水)
渋谷 Bunkamura Gallery
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/120815another.html

◉「マリリン・モンロー没後50年記念」展

2012年7/28(土)~8/5(日)
銀座青木画廊
http://aokigallery.jp/2011ex/marilyn/

2012年8月8日水曜日

オープンカレッジ第4弾!

描きたいものを描くためのドローイング(8/17)

担当 亀井清明

















「描きたいものを描く」言葉で言うのは簡単だけれど、これがそう簡単にはいかない。

描くとは何なのか、描きたいものとは何なのか。
感じるとは何か、そもそも感じている自分とは何か。

五感から伝わる脳への入力信号を紙の上にアウトプットする。
そのプロセスを考えるところから、実際の制作までを解説していきたいと思います。
本来は底なし沼のような、あるいは頂上の見えない登山のような「絵を描く」というプロセスの
入口を覗いてみましょう。

2012年8月3日金曜日

オープンカレッジ第3弾!!!












美術と仕事1 絵画とイラストレーション 担当講師:建石修志

「美術」を仕事として捉えれば、画家、造形作家、彫刻家、版画家・・・と実に様々な立場が考えられます。その中でも例えば同じ絵を描くことを方法にしている画家とイラストレーターとは何が同じで、何が違うのか? 「美術」の側からイラストレーションへのアプローチとはどんなことが可能なのか? 
実際に画家として、またイラストレーターとして仕事をしている講師が、実例を多数示しながら、説明します。
イラストレーションの可能性も、「美術」の広大な地平の中に探り当てることが出来る筈です。