2011年2月20日日曜日

文字誕生の瞬間と出会う(218asahi)

筆先・ペン先 見つめて2時間



 書家たちが文字を書き続けるさまを、観客は2時間、ただ黙って観覧する。先ごろ、東京・池袋で、そんなちょっと変わった書のイベントが開催された=写真。題して「文字書く人たち カクトキ・カクオト・カクコトバ」。
 足を運んで感じたのは、書き手たちの圧倒的な存在感だった。
 会場となったのは、米の建築家フランク・ロイド・ライトが設計した白由学園の明日館だ。そのホールを貸し切って一方通行にし、両側に並んだ書家たちの間を、観客は通り過ぎながら見学する。一度出た後に、もう一度入り直すなどは自由。ただし、収容能力の問題から、入場は事前の申し込みなどをした約200人に限定した。
事前に評判が広がり、当日の会場は、身動きがとりづらいぼどの盛況だった。しかし、私語はばとんどなく、その中を羽根ペンや葦筆、毛筆などが動く、カリカリ、さらさらという音だけが響きわたる。
 イタリック体や中世の装飾文字、かな、漢字といったかたちで紡ぎ出される東西の文字の群れ。書く内容は詩であったり、完全な即興であったり様々だが、説明などは一切行われず、観客はひたすらこの静寂のデモンストレーションを味わうしかない。それでも、書家たちの手で、筆先から、まさに命が誕生する瞬間に出会えた亭びはなかなかだった。
 今回参加したのは、欧文書道とも言えるカリグラフィーを中心に、ペルシャ書道や、書道、寄席文字などにかかわる書の専門家15人。文字芸術の普及などを目的に2年前に設立された団体「ジャパン・レターアーツ・フォーラム(J−LAF)」の呼びかけで実現した。
 このパフォーマンス自体は、ベルギー在住のアーティスト、ブロディ・ノイエンシュバンダーが数年前からドイツなどで実施してきた「Brush with Silence」を元に再構成したものだが、「文字が生まれる瞬間を観て、聞いて、感じてほしかった」と、J-AF代表の三戸美奈子さん。
 会場では、複数の書き手が間近で作業を行うことによって、互いの作品に影響を与えたり、コラボレーション的な作品が生まれたりするさまを目の当たりにできた。
 書の新たな魅力を提示したこの試み。今後も続くことを祈りたい。
        (宮代栄一)

2011年2月18日金曜日

西武渋谷店、苦情だけ重視(217asahi)

サブカル展中止 説明拒否に後味要さ



 後味の悪い中止騒動だった。東京・渋谷にある百貨店西武渋谷店が2日、「SHBU Culture~デパートdeサブカル」展を会期途中で中止した。25人の作品約100点が並ぷ展覧会で、会期は1月25日から2月6日までのはずだった。
 西武渋谷店の広報担当者によると、苦情を告げる個人からの電子メールがきっかけだった。数件あり、どれも「百貨店にふさわしくない」という内容。具体的な作品名は無かったが、西武は展示を再検討して中止を決めた。担当者は「一件でも苦情があれば真剣に対応する。不快に感じるお客さんがいる以上、続けられないと判断した」と話す。
 そもそもどんな展覧会だったのか。西武は「詳細については説明できない」としている。出品作家に聞くと、展示は、絵画、フィギュアバ写真などで、現代美術の分野で経験を積んだ作家から、駆け出しの作家まで様々だったという。「サブカル」より、アートといった方が実情に近い。
 例えば、現代美術家松山賢さん(42)は油彩画「盛りガール(G.M.)」 (2011年)=写真=を出した。刺青模様の部分が盛り上がった作品だ。ほかにも女性の下半身が裸のフィギュアもあったという。だが、裸はアートではよくある題材だ。
 会場の美術画廊はB館8階にある。宝飾、時計といった高級品の売り場に隣接していて、確かにこの展示は似合わない雰囲気だった。
 近年、都心の百貨店は日展など団体展の作家だけでなく、現代美術家の展覧会も開いている。高島屋本社の金子浩一美術担当次長は「制限しすぎると作品の魅力が無くなるが、のれんのある百貨店として譲れないところもある。
事前に作家に加えて百貨店内部でもとことんやり取りするしかない」と話す。
 後味が悪いのは、西武が苦情だけを重視したからに尽きる。一度開いた以上、展示を楽しみにしていた人もいたはずだ。西武は1980~90年代、地袋の西武美術館(セゾン美術館)を拠点に、現代美術を積極的に紹介してきた。百貨店の再編でセブン&アイグループの一員になり、その白魚を失ったとしたら、残念なことだ。 (西田健作)

音楽に迫る表現(215asahi)

「耳をすまして」展


「耳をすまして」展

 芸術は大きく、言語系と非言語系に分けられる。文学は前者だし、音楽や美術はおおむね後者だろう。一方で音楽は聞こえるが見えず、美術は見えるが聞こえない、という違いもある。水戸市千波町の茨城県近代美術館で開かれている「耳をすまして」展は、音楽との関わりから近現代美術を読み解いている。
 音楽をどう美術として表現するか。管弦楽団を措いたデュフィや、琴を前にした少女をとらえた小林古径ら、演奏風景として描く方法がある。ブールデルによるベートーベンのブロンズ像なら、人としての音楽か。近代の作家たちは音楽の「周辺」を描こうとしたことが分かる。
 それを一変させたのが、抽象絵画だろう。音楽を聴いて「色彩を心のうちに見た」とされるカンディンスキーは、音楽そのものを色彩と形態による抽象絵画に。「音楽をモデルに抽象化が進んだ」と学芸員の渾渡麻里さんは話す。非言語系表現の共通性を抽出したともいえそうだ。
 日本における早い時期の抽象絵画とされる神原泰「スクリアビンの『エクスタシーの詩』に題す」 (1922年)=写真上=も、音楽の躍動を原色と表現主義的な筆致で表現。画面から音楽が聞こえてきそうなクレー、音楽の楽しさを思わせるマティスなども紹介されている。
 表現や素材の領域を拡大してきた現代美術では、音は描く対象から素材そのものに。藤本由紀夫は、オルゴールを様々に使って音の様相を変化させる作品を提示。八木良太「VINKL」 (05年)=同下=は溶けて色が次第に雑音になる氷製レコードにより、音楽の不思議、記録のはかなさを想起させる。ある意図に基づき過去から現在までの作品を見せるテーマ展が、良心的に実現してぃる。
  (編集委員・大西苛人)
 ▽3月6日まで。

美の季想 解釈の喜び 創造に参加(216asahi)



芭蕉の紀行文「野ざらし紀行 のなかに、「奈良に出る道のほど」という前詞をつけて

 春なれや名もなき山の薄霞

 という一旬が見られる。前後の関係から、お水取りの行事を見るために伊賀の皇を出て奈良へ向かう途中の吟であることがわかる。時期は旧暦2月10日ごろである。
 ところが、芭蕉白身が残した紀行文の初稿とされるものでは、この句の下五は「朝覆」となっているという。つまり芭蕉は、当初早朝の景として「朝霞」としていたものを、後に「薄霞こと改めたことになる。
 現代のわれわれの感覚から言えば、すでに立春を過ぎたころ、爽やかな朝の冷気を含んだのどかな早春の感じを伝える「朝磨この方が、一句の姿が鮮明になって印象が強いように思われる。「薄霞」では、その印象が曖昧になるのは免れない。芭蕉白身、そのことに気づいていなかったはずはないが、それにもかかわらず彼は、あえて曖昧な言い方を選んだのである。
 このいささか不可解な改変について、かつて安東次男が、それは芭蕉が真の俳諧師だったからだと論じたが、私はその静を読んでなるほどと納得した。もともと俳句は、連句の発句が独立したものである。発句ならば、それは次に脇句がつけられることを前提とする。「薄霞」を朝の景と見定めるのは脇旬の役目であろう。もし脇句が、それを夕霞と見定めれば、そこにはまた別の世界が展開される。曖昧さは解釈の多様性を保証するものであり、また鑑賞者の参加を求めるものでもある。
   ● ■
 詩の場合だけに限らず、音楽や絵画でも、鑑賞者、つまり受容者が解釈を通じて創造行為に参加することをうながすような作品を、ウンベルト・エーコは「開かれた作品」と呼んだが、「薄霞」はまさしくそのような「開かれた作
品」の例である。解釈は時に、作者の意図を超えて思いがけない広がりを見せることもあるが、それもまた、芸術の豊かさを示すものであるだろう。
   ■  ▲−
 現在、東京・六本木の国立新美術館で開催されている「シュルレアリスム展」の出品作のなかに、鑑賞者の参加によって予期されない新しい世界が開かれた興味深い例がある。シュルレアリスムの先駆とも亭つべきキリコの「ギヨーム・アポリネールの予兆的肖像」がそれである。サングラスをかけた郡部像や、魚や貝の鋳型など、謎めいた事物が描かれているなかで、特に奥の開かれた空間に影絵のような黒いシルエットを見せるアポリネールの頭部に、白い半円形が描き込まれていることが、シユルレアリスムの仲間たちの想像力を強く刺激した。詩人で批評家でもあったアポリネールは、早くからキリコの作品を高く評価した一人であったが、第1次大戦に参加して頭部を負傷した。影絵に見られる白線の半円形は、この負慣を予言したものだというのだが、作品が措かれたのは戦争の始まる前だから、この解釈はあとから作られた神話である。だがそれが作品に新たな神秘的次元をつけ加えたとしたら、それもまた芸術世界の広がりを示すものとして、芭蕉ならよしとしたであろう。
 シュルレアリスムの作家たちは、しばしば曖昧性を利用して鑑賞者に働きかける。マグリットの「秘密の分身」に描かれた人物は、男か女か判然としないが、見る者はそれによって作品世界に参加させられることになるのである。 高階秀爾(美術史家・美術評論家)

 ▽「シュルレアリスム展」は5月9日まで(5月3日を除く火隠休み)。パリのポンピドーセンターの所蔵品から、絵画、彫刻、写真などの約170点。
 

2011年2月11日金曜日

展覧会のお知らせ


美術学科主任の建石修志が参加する展覧会のお知らせ
「私のシェイクスピア」
2011年2月15日(火)~26日(土)
スパンアートギャラリー
中央区銀座2-2-18西欧ビル1F
03-5524-3060
出品作家
東逸子/網中いづる/宇野亜喜良/北見隆/串田和美/下谷二助/
建石修志/寺門孝之/山下陽子/山本タカト/和田誠/明緒
http://www.span-art.co.jp/fset_ex/201102_12thnight.html