2010年6月27日日曜日

7/17(土)オープンカレッジのお知らせ

然、無意識のデッサン


建石修志

M・エルンスト
 

「美術学科」今期2回目のオープンカレッジです。

1920年代、シュルレアリスムの活動の中で、オスカー・ドミンゲスによって発明された技法であるデカルコマニー、またマックス・エルンストによって開発されたフロッタージュ、共に偶然性を、ただ単に偶然として考えるのではなく、人間の無意識と通底した、深く、また広い領域にわたって展開された方法であります。
所謂「制作」が、人間の主体=意識によるものであるのに対して、この技法は、意識に隠れた広大な無意識を白昼に曝け出そうとした「無意識のプロジェクター」のようなものです。ロールシャハ博士の考えたロールシャハ・テスト、フロイト博士が考えた「自由連想法」、シュルレアリスムの「自動記述法」。無意識を引き出すための様々な方法と繋がりながら、同時に「世界創造」として「制作」に取り込まれたのが意味深い。多くのシュルレアリストが作品化したように、混沌(カオス)から秩序(コスモス)へのプロセスは、「制作」が本来抱え込んでいた構造と完全にダブルであろう。
デカルコマニーは、混沌とした森から、様々なイメージを生成させるための装置です。
また、「フロッタージュ」は事物の表面を擦り取る方法ですが、それはとりもなおさず、文明の表層の採取でもある。「表層」も時代を読み取る重要なキーワードなのです。

オープンカレッジでは、デカルコマニー、フロッタージュの技法を体験して頂いて、「ものを作る」こと「絵を描くこと」が筆や絵の具で描くことだけではなく、とても広く、深いものと繋がっていることを実感して頂きたく思います。
お待ちしています。

O・ドミンゲス

M・エルンスト

真壁智治(「遊」“相似律”より)

2010年6月26日土曜日

絵本作家の最新太さんが亡く なって、きょうで5年になる。(625天声人語)

「かわいいだけの本は子どもへの冒とく」と、読み手の受容力を試すような仕事を残した。正義や優しさを説くこともなく、作品はオトナの常識を粉砕していく▼(とおくのぼうから/おとこのこがとんできました)で始まる『ゴムあたまボンたろう』は、ゴムの頭を弾ませて世界を回る少年の話。『ブタヤマさんたらブタヤマさん』の主人公は、チョウを追うのに夢中で、背後に迫る巨大な鳥や魚に気づかない。振り返った時には何もいない▼ブタヤマさんの主題は自己中心的状況だと論じたのは、哲学者の鶴見俊輔さんだ。
「胎児からの時間があまりない、気配の感覚を十分に持っている子どもには素障らしい絵本だと患う。大人にとっては哲学論文」▼読み聞かせる大人が首をかしげる絵と筋に、子どもは笑い転げる。理屈ではなく、筆ひとつで童心とやりとりできる異能の主だった。半面、子どもに
こびた退廃といった批判も受けた▼近刊『長新太の絵本の不思議な世界』 (晃洋書房)の著者、村瀬学さんは「子ども向けという絵本観を覆し、日本で初めて、考える絵本をつくり出した」と語る。半世紀にわたる創作活動の評価は、没してなお定まらない▼さてどんな代物か、絵本になじみのない向きは週末の図書館で確かめてほしい。干からびた常識のタガが心地よく、ポポーンと外れること請け合いだ。頭と心をほぐすのに、適すぎることばない。代表作『ごろごろ にゃーん』には(2才から大人まで)とある。

芸術か悪ふざけか(625asahi)


若者6人「チンポム」初の作品集

 ここ数年、ストリートアートの話題を独占した感のある6人組、
Chim†POm(チンポム)が初の『チンポム作品集』 (河出書房
新社)を発表した。作品には「社会に揮さぶりをかけよう」といった
政治的な意図も見え隠れするが、悪ふざけに見えなくもない。挑発ア
ートの旗手、いったい正体は何なのか?     (近藤廉太郎)

思いつき挑発窮屈な社会批判


渋谷のネズミ剥製
 【事件簿1】2006年11月、東京・渋谷のセンター街に6人の著者が現れ、夜の繁華街で大型ネズミを捕獲した。ネズミを剥製にして黄色のスプレーを塗りつけ展示。作品名「スーパーラット」。赤い頬の不気味な剥製は、どうみても日本が世界に誇るアニメキャラの……。
 リーダーの卯城竜太にエリイ、林靖高、岡田将孝、水野俊紀、稲岡求の6人チーム=写真、郭允撮影=は、現代美術家の会田誠の周辺に集まっていた学生、バンドマンたち。思いつきに近いアイデアを5人のメンバーで時には徹夜でたたき、最後に"美神″エリイにプレゼンテーション。「面白い/つまんない」と一刀両断されて採否が決まる。
 忌み嫌われるネズミも、剥製にして色を塗ったら「Kawaii」キャラか? ほかにも渋谷の上空にカラスの大群をおびき寄せた作品「ブラック・オブ・デス」など、皮肉な視線や死を扱ったテーマが目立つ。林は「過激なようだけど、商店街とも警察とも、もめたことはない」。水野も「ネットで動物保護団体に批判されたことはあったけど。でも直接抗議にはこないね」と話す。

広島上空でピカッ
 【事件簿2】08年、広島の原爆ドーム上空で「ピカッ」という文字を飛行機で描いた。新聞などで批判にさらされ、リーダーの卯城は謝罪会見を開く。一部からは謝罪会見を開いたこ
とを、「腰が引けてる」と二重に批判された。だが卯城は「作品自体を謝ったんじゃない。人を傷つけたのだとしたらそのことを謝罪した」。メンバーは、被爆者団体を回った。「新聞はたたくばっかだったけど被爆者団体の方が『一回の失敗でくよくよするな』と励ましてくれたね」と岡田が言う。
 ふざけているようで、社会性の強い作品が多いのも特徴だ。「アイムポカン」では、内戦で多くの地雷が残され、犠牲者を出しているカンボジアを訪れる。地雷で吹き飛ばしたのは高級ブランドのバッグや財布、プリクラ帳……。
 ギャル顔のエリイがどすのきいた低音ですごむ。「私ら、一本筋を通していることがあるんすよ。それは、身近なもので心にキャッチされたことだけを作品にすること」。卯城が補足した。「カンボジアや広島が"身近″になっちゃうのは、みんなで話し合うから。表面的な(今、ここ)じゃない。世界の中の(日本)、過去からつながっている(今)になる」

穴から露出し続け
 【事件簿3】全裸で公園で騒ぎ、スマップの筆頭剛が公然わいせつの疑いで逮捕された直後。天井も壁も真っ白に施エしたギャラリーに穴を穿ち、水野が穴から男性器を露出し続けた。

 作品に共通するのは規制が厳しくなる一方の社会への「おちょくり」、馬鹿馬鹿しいユーモアによる批判精神だ。だが卯城は「挑発は重要だけど、何かへの抗議目的で作品を作ることはない」といなす。「面白いことしようとしたら、どうしたって社会性、政治性が出る。レコードのA面、B面みたいなもんでしょ」
 8月、垂泉都江東区の「SNAC」で個展を予定している。

毒の笑いパンク的
 彼らの特徴の一つは、メンバーの多くが正規の美術教育を受けていないこと。アイデア一発
勝負で面白いものを作り出すことだ。-その点でパンクロック的、DIY(DO itYOurSelf)的。第2は観る者をなんとか笑わせようとするエンターテインメント性だ。赤瀬川原平らにそうした系譜はあったが、よりブラックでスキャンダラス。強烈な毒の笑いだ。
 日本では異端に見られがちだが、世界的に考えればポール・マッカーシーら、少なくないア
ーティストが同様な挑発をしており、現代美術の正統な系譜のひとつである。「アイムポカ
ン」などに見られる通り、一見軽薄にみえる外見の背後に、単なる冗談ではすまない極めてま
じめな社会批判がある。
 毛利嘉孝・東京芸大准教授

妻の死問う作品終止符(623asahi)







写真家古屋誠一 2カ所で個展

25年前に自ら命を絶った妻と、写真を介して向き合ってきた写真家古屋誠一の個展
 が、東京都写真美術館とヴァンジ彫刻庭園美術館(静岡県)の2カ所で開かれてい
 る。古屋は1989年から「メモワール」と題したシリーズで妻の写真を発表してき
 た。垂見での展覧会名は「古屋誠一メモワール.」。シリーズを締めくくろうと、
 ピリオドを打った。                 (西田健作)

終わりなき苦悩あらわ

 古屋は50年、静岡県生まれ。20代前半からヨーロッパを拠点に活動している。78年にオーストリアで妻クリスティーネと出会い、結婚。息子の光明・クラウスが生まれた。だが、統合失調症の兆候があらわれた要は、85年に高層住宅から身を投げてしまう。
 古屋はこれまで「メモワール」を、亡き妻と対話するように自分白身の手で構成してきた。だが終止符を打った都写真美術館の展示は、30代の学芸員2人に任せた。
 写真作品124点の展示は七つのパートに分かれる。その一つ「光明」では、息子の誕生から成人までが時系列に並ぶ。息子の成長とは対照的に、一緒に写るクリスティーネは徐々に病的な表情に。
 「クリスティーネ」のパートでは、白死した85年を起点に時間がさかのばる。表情には次第に精気が戻り、会場出口近くの「伊豆」では、来日した彼女が愛らしくぼほ笑む。
時計の逆回しは残酷ですらある。
 担当した同館の石田留美子専門調査員は「ここまで自分の人生をさらけ出すのは、表現者としては意味があったとしてもっらいこと。これで本当に最後となるような意気込みでつくった」と話す。
一方、ヴァンジ彫刻庭園美術館の「古屋誠一展AuS den Fugen」展では、古屋が構成した2007年の展示をほぼ再現している。
 作品は、断片化された記憶のように時系列には並ばず、都写真美術館の展示とは大きく異なる。クリスティーネがすがった木の枝の十字架、2人の最後のベネチア旅行、泡風呂から顔だけ出した妻。
 美術館「IZU PHOTO」の研究員で、今展を担当した小原莫史さんは「治りかけたかさぶたをはがすように、古屋は時間の迷路の中に入り込む。これまで自分で展示の構成を決めてきたのは、人に任せると整理されてしまうからだろう」とみる。
   
 ならば、他人にゆだねた「メモワール.」は、締めくくりとなるのか。
古屋は4月下旬に急病で倒れ、展覧会に合わせて日本に来ることはできなかった。
だが、倒れる前に都写真美術館の問いに対し、「おばろげながらも所所詮何も見つかりはしないのだという答えが見つかったのではないか」と答えている。他方で、倒れた後に改めて真意をただすと「叶えられない願い故に、あえて逆(ピリオド)を強調したというのが事実」とも。
 過去に戻ることができない以上、写真をいくら見つめても解決はない。メモワールに打ったピリオドは、終わりなき苦悩をかえってあらわにしている。
 ▽「メモワール.」展は7月19日まで。東京・恵比寿、祝日以外の月曜休み。熊本市現代美術館に巡回。
「AuS den Fugen」展は8月31日まで。静岡県長泉町、水曜休み。5月には最後のメモワール
     作品集「MemOireS.1984~1987」も出版された。

2010年6月21日月曜日

6月26日(土)体験イベントのお知らせ

体験イベント「壁はキャンバスであった」



いよいよ美術学科の体験イベントが開催されます。

第一回目は「壁はキャンバスであった」
講座はわたくし菅原優が担当します。

“壁画”というキーワードから、ラスコーの壁画、システィーナ礼拝堂、ストリートアート、トリックアートなど、古代から現代までの様々な「壁画系アート作品」を一挙に紹介します。
 その中から、グラフィティアートなどで取り入れられていた、雑誌や印刷物を切り抜き、それを貼り付け(コラージュ)、その上から絵具などでドローイングをほどこす「コラージュドローイング」の技法をピックアップし、作品制作を体験することができます。

既成の印刷物と自分の想像力とが相互に織り成す、めくるめくイメージの奔流を体験して下さい。

沢山の方のご来校をお待ちしております。

2010年6月19日土曜日

時代映した骨太な「写実」(616asahi)



稲垣考二展
 現代の「写実」絵画の一到達点を見る。「稲垣考二展」は、そんな気にさせる骨太な回顧展だ。1952年生まれの稲垣は、精密な描写と幻想性を兼ね備えた作風に定評がある画家。その受験生時代、71年の群暫アッサンから近年の大作まで、48点で構成した。
 優れた描写力の一端は、「大顔面」 (92年)=写真上=などに喬められる。縦96センチの紙に鉛筆で措いた女性の顔。等身大の数倍に拡大しても不自然を感じさせない力がそれだ。
 だが今展の副題は、自ら名づけた「表面描写からタブローヘ」。タブローとは、素描に対する完成された絵画といった意味。単に表面を追うのでなく、構築性のある深化した絵画世界へ、と白身の軌跡を振り返っているわけだ。
          
 深化のひとつは「錯綜」。一貫して裸婦を中心に措くが、鏡に映る像を配置したり、鏡が割れて飛び散る破片や、その鏡面に映る像を入れたり。水滴のつくガラス越しに人体を浮かばせもするなど手がこんでいる。すべての存在がいかに不確かであることか、多様な視点で見られることかを、迷彩を施すように示している。もうひとつは、「時間の櫛礁」。1人の女性が老いていくまでの諸相を一画面に並べたり、ある室内で次々に起こったできごとを一画面中に並べたりする。
 それらの集大成が「仕事場」(01~07年)=同下。横11・83メートルの超大作で、大小の顔、人体、ガラス片、水滴が混在し、鏡像やゆがんだ像が重なり合う。中央部の左には自画像。複雑な、重層的虚空間を作り上げたバ最近作の「観衆」は、おびただしい数の顔を措
く異様な群像表現。さらに大きな作品になる構想の約6分の1でしかないという。まだ増殖中だ。
 これらの油絵は、前もって画面にはけを立てて微細な凹凸をつくり、凹部に絵の具を埋めていく点描画法。全体として、60年代以後の一潮流となったウィーン幻想派からの吸収の跡が見えるが、同派の得意とした意識下世界の魔術的表現より「リアル」に見える。
 裸婦群はエロチックで「生」があふれるけれど、その女性たちのまなざしはどこかうつろ。そこに作者の時代解釈が反映しているだろう。あえて「写実」絵画といいたい理由である。 (田中三蔵)
 ◇29日まで、静岡県伊垂巾十足の池田20世紀美術館。水曜休み。

自分が変わる面白さ(617asahi)


  
鷲田清一さん(哲学者)
 読書会というのはその昔、『資本論』とか哲学の難しい本などを読むためによくやりました。一人ではくじけそうでも皆で読めば何とか続けられる。そこではみえも大切な原動力でした。けれどもそれは単なるお勉強会であって真の読書会ではなかった。
 そういうお勉強会と正反対のことをやろうと思って、10年ほど前から大阪で「哲学カフェ」というのを始めたんです。哲学を大学の研究室から解放し、さまざまな場所で、一般の方々に身近なテーマをめぐって日常の言葉で対話していただく試みです。始めるにあたって、まず三つの約束事を作った。一つはお互い名前しか明かさない。二つ日は他人の言葉の引用はしない。三つ目は他のメンバーの話は最後まで聞く。これだけで全然違うんです。演説をぶつ人もウンチクをたれる人もなく、純粋に論理にのっとった話し合いができる。
 読書会と哲学カフェは「語り合う」という点でかなり共通するところがあるように思います。どちらも、それまでどんなに雑談していても「ほな始めましょか」のひと言で一斉にチャンネルが切り替わる。そこからはこの本についてのみ話しましょう、というルールに従って、みんな一種の演技を始めるんです。そこが重要なポイントなんです。
 つまりそこでは「我」が抜け落ちて、他人の論理の筋道のなかに自分をすんなり溶け込ませることができる。哲学カフェでもわれわれが最もうまくいったと感じるのは、自分と他人の論理がグチャグチャになって「一体それ誰が言ったんやったっけ?」という瞬間なんです。そういう状態になると、自分が変わることが受け入れやすくなるんですね。
 大阪大でコミュニケーションデザインの授業を担当している劇作家で演出家の平田オリザさんが、いつだったかダイアローグ(対話)とディベート(論争)の違い
について見事な定義をしていました。ディベートというのは話し合いの前後で自分の考えが変わっていたら負け、しかしダイアローグでは逆に変わっていなければやる意味がないというんです。読書会も哲学カフェもともにダイアローグであるべきでディベートであってはならないんですね。
 だから結論が見つからなくて一向に構わない。むしろますますわからなくなったくらいの方がいいんです。元来コミュニケーションというのは話せば話すほどおのおのの適いがより細かく見えてくるところに意義があるんですね。だから読書会ではお互いの共通点ではなく、違いを見つけて下さい。そうすることで「オール・オア・ナッシング」の世界から抜けられる。人間、違いが見えると楽になるんです。 (写真・亭氷考宏)
    ◇
 わしだ・きよかず 1949年、京都府生まれ。京都大文学部卒。臨床哲学、倫理学専攻。桑原武夫学芸賞ぼか受賞多数。現在、大阪大総長。

2010年6月15日火曜日

写真家・長島有里枝さん初の文章作品(602asahi)


記憶の風景ペンで投影

写真家の長島有里枝さんが書いた初めての文章による作品『背中の記憶』(講談社)=写真=が話題になっている。先頃選考のあった三島由紀夫賞の候補にもなった。祖母や家族など、身近な人たちとの幼い頃の出来事をていねいにたどって、記憶の奥底にしまわれていた風景を、写真とは別の形でまざまざと見せてくれる。文章作品に向かう心境などを聞いた。                (都築和人)

 『背中の記憶』は、エッセー集と紹介されることもあるが、長島さん白身は「実際に経験したはずの出来事とはまた別の物語」 (あとがき)と書き、「エッセーとか小説とか、とくに決めていない」という。
 本のタイトルにもなった、祖母の思い出を書いた「背中の記憶」から始まって、母、父、弟、叔父さん、初恋の男の子、親類の人たちなどとの出来事13編を収める。
 高校の受験勉強のさなかに祖母を亡くした「わたし」は、薄れていく記憶に「もっと心に刻んでおけばよかった」と思い、「カメラを手にするように」なる。そして「いまでも、誰かの
背中にシャッターを切ってしまうことがある。祖母の後ろ姿を取り戻せるのではないかという期待とともに」と書く。古いアルバムを一甲ずつ繰っていくような手ざわりだ。
 長島さんは、大学在学中の20歳の時に、自身も含めた家族のセルフヌード写真を発表して衝撃的なデビューを果たした。2001年に写真集『PASTIME PARADISE』で木村伊兵衛写
真業を受賞。作品として、家族の私的な日常を撮影した写真集『家族』もある。しかし、「家族にこだわっているわけではない」という。
 「人は、カメラの前ではポーズをとる。家族アルバムにはそんなポーズを幻想と実感のずれ表現とった写真が並ぶ。けんかしているところは撮らないから、手をつないだ写真しかなければ仰がいい家族と思ってしまう。しかし、家族は分かりあっているものだというのは幻想であり、その幻想の象徴として家族の裸を撮った」
 「人類全体のことを語るのはとてつもないことなので、幻想と実感との違和感を、家族を題材にして表現した。インドや戦争の現場に行くのと同じように、家族を撮っただけです。文章で家族を書くのも、同じことです」
 写真家として、「撮影しなければ、なかったことになってしまう」が、「本当はあったこと」をいかに写真で表現するかを考えてきた。文章も、風化していく記憶に立ち向かうようにして風景を浮かび上がらせている。そこには写真作品に通じるものがあるが、表現はまったく別のものだったようだ。
 「写真は見たものしか写らないが、文章は心を通して自分の思ったことが書ける」
 『背中の記憶』は最後にふたたび、祖母の話に戻る。祖母の撮影した写真が「この世でたった一つの、取るに足らないありふれた物語を伝えようと、自信たっぷりにわたしに話しかけてくる」と書く。長島さんが文章にしたのは、そんな物語の一編一編だ。
 すでに次の作品も執筆中だ。題材はこれまで追ってきた「家族」からも「写真」からも離れて、「より小説らしい小説」だという。

「ヤン・ファーブル×舟越桂」展(609asahi)



東西・古典との「対話

 「ヤン・ファーブル×舟越桂」という、異色の顔合わせによる展覧会が金沢21世紀美術館(金沢市)で開かれている。崖虫や骨を素材とする立休で知られるベルギー出身のファーブルに対し、舟越は木彫で遠くをみつめる人物像を造形する。2人の主要作品を網羅するとともに、それぞれの創作の背後にある古典絵画を展示し、重層的な「対話」を試みている。(西岡一正)

新しい人間像追う2人

 緑色のタマムシで覆われたドレスのような立体。そう聞けばファーブルの代表作「昇りゆく天使たちの壁」に思いあたるだろう。今回の展示では、フクロウの頭部を並べたインスタレーションや自身の血液を使ったドローイング、自ら騎士に扮して見えない敵と戦う映像などが加わり、「死」のイメージはさらに濃い。一方、舟越は木彫による人物像で一貫している。その表現は身近な人物から、肩に突起や手が生じた造形、両性具有者へと緩やかに変容してきた。特徴的なまなざしも「みつめる」から「観照する」へと深まっている。近年の「スフィンクス」シリーズの、戦争という人間の愚行を眺める作品に、それが端的に表れている。
 この2人の作品が円形の展示室で向かい合う。輪切りにした骨片で外面を覆った「ブリュージュ3004(骨の天使)」と、肩に羽のような手がついた女性像「水に映る月蝕」。ファーブルが「聖母マリアのイメージを重ねた」という前者は、「死」とともに「再生」を含意する。後者の、肩についた手は「人は他者に支えられて生きている」ことを形にしている、と舟越は語る。膨らんだ腹部にも「生」への希望が宿る。
 この「対話」から浮かび上がるのは、両作家が「新しい人間像」を希求していることだろう。もとより資質も作風も大きく異なるから、「希求」の様相もまた異なる。それを照らし出すのが、古典絵画との「対話」だ。
 「骨の天使」の背後の壁面には15~16世紀のフランドル絵画が展示されている。いずれも宗教絵画で、イエスの誕生と受難などを措く。ファーブルが「フランドル絵画は私のルーツ。今もインスピレーションを得ている」と認めるように、「死と再生」というテーマは古典から受け継いでいる。
 だが、古典に象徴される歴史や精神文化は、現代の作家にとって束縛ともなる。狩れを作品化したのが「私自身が空になる(ドワーフ)」だろう。15世紀フランドルの治者を描いた肖像画に顔を打ちつけるように立ち、血を流す自己像だ。創作の背後に隠れた、歴史とのすさまじい「格闘」をあらわにしている。
        
 舟越の作品には河鍋暁斎の「慈母観音像」 (展示は27日まで)など、明治期の仏教絵画対置される。西洋文明と直面する中で措かれた観音像と、日本人でカトリック信者である舟越の彫像。ファーブルの場合ほど明瞭ではないが、日本的近代とのひそかな葛藤をう
かがわせる。
 現代の作家と古典を「対話」させる企画は、仏ルーブル美術館が2004年から続けているとい
う。今回の展示は、08年に開催されたファーブル展をさらに膨らませて、西洋と東洋との「対話」を重ねている。さらにいえば、古典を収蔵するルーブル美術館と現代アートを発信する金沢21世紀美術館との「対話」という試みでもある。
 ▽8月31日まで。金沢市広坂1の2の1。7月19日、8月9、16、30日を除く月曜と7月20日休み。

奈良美智、陶芸に挑む(609asahi)


 にらむような目をした少女の絵で知られ、現代美術の第一線で活躍する奈良美智が、陶芸に
挑んだ。その成果を「奈良美智展−セラミック・ワークス」と題し、東京の小山登美夫ギャ
ラリーで発表している。
 7センチを超える立体が計5点、最も大きな立像「White Riot」は高さ約2.8メートル。どれも奈良が自らの手で粘土を積み上げ、制作したやきものだ。
 2007年から、滋賀県立陶芸の森(滋賀県甲賀市債楽町)に繰り返し滞在し、やきものを学ん
だ。陶芸作品をメーンに発表するのは今回が初めてとなる。
 奈良はこれまで、発泡スチロールを削って立休作品の原型を作り、繊維強化プラスチック
(FRP)の作品として発表してきた。だが、陶芸は発泡スチロールと比べると格段に制約が
多い。
 作品は、ひも状の粘土を積み重ねる「ひも作り」。下の段が乾く前に積み重ね過ぎると重み
で形がひしゃげ、乾かしすぎると今度はくっつかなくなる。しかも、焼成すると体積が6%ほ
ど縮む。
 だが作品からは、奈良がむしろ制約を楽しんでいるように見える。例えば、金彩の「おたふ
く1号」は、その名の通り顔が下膨れに。頭の部分が縮みすぎたためで、バンダナを巻いて昧
とした。プラチナ彩の「おたふく2号」では均整がとれ、技術の習熟を感じさせる。
 わずかに目を開いた状態の「森子」=写真=には、内と外の世界を同時に見つめる仏像の
ような存在感がある。ほかに、奈良が絵付けをしたつばなども。
 絵画での評価を確立して以来、アトリエを模した小屋をgrarと共同制作するなど、制作の幅を広げてきた。やきものもその一つだが、余技に見えないほど力がこもる。かわいいけれど寿がある奈良ならではの作品を見ることができる。(西田健作)
 ▽19日まで、東京都江東区清澄1の3の2。日曜、月曜休み。

第1回金沢・世界工芸トリエンナーレ(602asahi)




工芸の技多彩


 「職人技」あるいは「用の美」。そんな常套句ではくくれない工芸の作品展が、伝統工芸の街・金沢で開かれている。金沢市などが共催する「第1回金沢・世界工芸トリエンナーレ」だ。作家45組、約150点の多彩な作品が並ぶ。
 いずれも工芸の技法による現代美術の作品、といえるだろう。とすると、工芸と美術の違いは何か、という問いが浮かび上がる。会場は複合施設のワンフロア。入り口近くに設置された、幅8メートルに及ぶ大型作品(橋本真之)が来場者を驚かす。銅板から、奇妙な生命体が
のたうつような造形をたたき出している。奥に進むと、裸体の男女が融合したかのような作品(青木千絵)に出合う。黒い漆のつややかな質感で造形の生々しさが際立つ。 いずれも工芸の技法による現代美術の作品、といえるだろう。とすると、工芸と美術の違いは何か、とい
う問いが浮かび上がる。 いずれも工芸の技法による現代美術の作品、といえるだろう。とすると、工芸と美術の違いは何か、という問いが浮かび上がる。
 展示のテーマは「工芸的ネットワーキング」。ディレクターの秋元雄史・金沢21世紀美術館館長は「工芸的な技術は美術やデザインなど他の分野にも広がっている。それを見せることで従来の『工芸』という狭い固定概念を取り払いたい」と語る。
 秋元さんや台湾の陶芸家ら4人がキュレーターとして作家を選び、各自の区画を構成した。結果、技法は陶芸や漆芸からファッションブランドによるテキスタイルにまたがり、表現も正統的な伝統工芸から先鋭的アートにまで広がる。混沌とも映る多様さ。通底するのは「あらかじめ(土や漆、金属など)素材を限定したうえで、技術によって表現の可能性を極める工芸的特質」だと、キュレーターの一人、金子賢治・茨城県陶芸美術館館長は説明する。
 20日まで金沢市本町のリファーレ。月曜休み。開催委(076・220・2373)。 (西岡一正)

荒川修作初期作品展(609asahi)


死と救済」探る情動
 先月19日にニューヨークで病死した荒川修作。「死という天命に抗する」ことを命題に、芸術、哲学、科学の総合を目指していた、たぐいまれな存在を再考する展示が、関西で重なっている。
 核は「死なないための葬送……荒川惨作初期作品展」。2年前から企画されたが、開幕後に作者が急死したので、はからずも追悼展的性格を帯びた。1936年生まれの作者が、58年から61年までに制作・発表した連作から、美術館などに分散して収蔵されている20点を集めた。通称「糀榔」型作品。すべて木箱の中に、セメントで造形した名づけようのないものが、木くずを
包んだ布をマットにして納められている。造形物は不定形。卵形や臓器を思わせる部分が加えられているものもあり、表面に薄い綿が施されている。50年前の荒川白身の手足の痕跡が残る作品もあるという=写真上の右奥。発表時は暗い展示室の床に置かれ、見る者はふたを開けてのぞいたという。
 異様、壮観。もちろん、「死」を連想する。けれども収納物は、むしろ「生」やエロスに満ちる。グロテスクも含めた諸事素が混在した、どろどろの情念を感じる。
 比較すべきは、飢年の渡米後の、記号や文字を配置した平面作品「ダイヤグラム絵画」だ。情念を消し去ったような正反対の様式で、今展には不出品だが、開催館切収蔵品展示室に並んでいる。
 関連企画展として開かれているのが「荒川惨作+マドリン・ギンズ 天命反転プロジェクト」 (25日まで、京都市左京区の京都工芸繊維大学美術工芸資料館。日曜休み)。現在は実際に人が居住する「三鷹天命反転住宅」の模型=同下=などで、後年の建築や都市構想の考え方を示す。CG画像や映像なども用いた資料展だ。
 これらと向き合うと、「死と救済」という通底するテーマにぶつかる。企画者が図録で指摘するように、荒川はなんと61年に「人間救済」を表明している。だから、この棺桶群は、それまでの生育史や人間関係と断絶し、変身と新しい可能性を探る情動の表出と見える。いわば生前葬の墓標であり同時に、後に「死なないために」を旗印とする道へ向かう原点を示す道標ともいえる。 (田中三蔵)
 ◇抑顛作品展は27日まで、大阪市北区中之島の国立国際美術館。月曜休み。

デニス・ホッパーを悼む(611asahi)


反体制・ドラッグ文化象徴
越川芳明(明治大数授)

 デニス・ホッパーが亡くなった。1936年生まれで、若い頃は俳優学校に通い、シェークスピアが好きだったという。
 監督や配給会社との対立などにより「ハリウッドの問題児」との世評があったが、本当にそうなのだろうか。
 デニス・ホッパーといえば、監督と主演をした「イージー・ライダー」 (69年)を抜きにしては語れない。公開当時、まさに多感な思春期を迎えていた僕にとって、デニス・ホッパー捧の存在だった。アメリカン・ニューシネマと名づけられた他の映画(「俺たちに明日はない」や「明日に向って撃て⊥)の悪漢たちと同様、彼の演じる長髪の「カウボーイ」は「反体制」のシンボルだった。
 「イージー・ライダー」は格好いいオートバイを使った現代版の西部劇だ。ただし、保安官に象徴されるアメリカの「正義」には信頼をおかず、カウンター・カルチャー(対抗文化)の価値観をメッセージとして伝えた。
 オートバイにまたがる2人は、ロサンゼルスから南のニューオーリンズに向かって、開拓者たちの旅を逆にたどる。道中のヒッピー・コミューンやニューオーリンズのマルディグラ(謝肉祭)のパレードに見られるように、それはピューリタニズムという開拓者たちの精神的なバックボーンではなく、それまで米国で抑圧されてきた先住民やカトリック教徒の文化を浮き立たせるものであった。
 米国は19世紀末から世界の覇権を握ろうとしてカリブ海や太平洋の小周に軍事介入を繰り返してきたが、ベトナム戦争で露呈した米国の掲げる「民主主義」のダブルスタンダード(嘘)への内部からの静かな怒りが、背景に流れるボブ・ディランの歌詞やジミ・ヘンドリックスのブルース・ロックなどによって表現されている。
 確かにホッパーは「イージー・ライダー」以降、酒とドラッグヘの聡鮮のせいで、一時停滞したように見える。だが、彼は「反体制」のシンボルだけでは終わらなかった。
 デイビッド・リンチ監督の「ブルーベルベット」 (86年)では、ドラッグに瀞れる「異常者」の役で抜群に冴えた演技を見せる。彼は脚読み、この男はまさしく献納身だからやらせてくれ、と監督に頼んだという。「パリス・トラウト」 (90年)や「コールド・クロス」 (00年)でも、やはり狂気と正気のはぎまを行き来する「変質者」の役を見事にこなした。
 ドラッグが心身をむしばむことを知りながらやめなかったのは、スクリーンの申で、おのれの心の闇を表現することに命を賭けていたからではないのか。
 「イージー・ライダー」でジャック・ニコルソンの演じた、鋭い知見を披露するアル中の弁護士と同様、ホッパーは、ドラッグが知の覚醒をもたらすという先住民の思想を体現していた。60年代「ドラッグ文化」のすぐれた申し子だった。


2010年6月6日日曜日

石田徹也没後5年 全作品集(519asahi)


217点、若い心とらえる

 2005年5月23日に踏切事故のため31歳で亡くなった画家石田徹也の没後5年に合わせ、「石田
徹也全作品集」(求龍堂)が出版される。垂兄・銀座のギャラリーQでは回顧展も開催中だ。死後により広く知られるようになった石田の作品は、今も多くの人々の心をとらえている。
石田の作品集としては、一周忌を機に自費出版に近い形で出版された「石田徹也遺作集」(求龍堂)がある。この刊行をきっかけにNHKが石田の特集番組を作り、人気に火がついた。
 遺作集はこれまでに3万3千部が発行された。遺作集と全作品集を担当する求龍堂の清水恭子さんは「遺作集への掲載は99点。作品の半分は載せられなかったので、いずれ全作品集を出したいと考えていた」と話す。
 全作品集には217点を収録した。色調を正確に再現するために、現物があるものはポジフィル
ムで撮影し直した。さらに遺品の中から、ネガフィルムにあった10点、写真で残る3点、スケッチブックの10点を加えた。作品は時系列に並べた。制作は1995年から10年ほどなのに、217点の大部分が大きな絵画作品。石田の多作ぶりがよく分かる。また、代表作の一つ「飛べなくなった人」をはじめ、似たような題材を繰り返し措いたものも多い。

 ギャラリーQで開催中の「石田徹也全集」展では12点が展示中。頭や上半身が荷造りされた「配達」は、没後初めての公開だ。生前の石田を知る同ギャラリの上田雄三さんは「石田の絵には、不満や不安、孤独といった日本人の闇がある。それが、特にロストジェネレーションを始めとする若い世代の心を今もとらえるのだろう」と話した。 (西田健作)
 ▽全作品集はA4変型判で8925円。個展は29日まで、東京都中央区銀座1の14の12、23日休み。

2010年6月2日水曜日

大野一雄さん死去(602asahi)



舞踏の草分け・国内外にブーム

 顔を白塗りにし、大地に根ざした生命力を感じさせる豊かな身体表現で、ダンス界にとどまらぬ言UTOH(舞踏)」ブームを国内外に巻き起こした最年長の舞踏家、大野一雄(おおの・かずお)さんが1日午後4時38分、呼吸不全のため横浜市内の病院で死去した。103歳だった。
葬儀は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。
 1906年、北海道・函館生まれ。日本体育会体操学校(現在の日本体育大学)卒業後、日本のモダンダンスの創始者、石井漠の舞踊研究所に入る。鹿浜市内の私立学校で体育教師をするかたわら、モダンダンスの江口隆哉らに学ぶ。38年から中国、ニューギニアに足かけ8年従軍。幼い頃に妹を事故で亡くした体験なども重なり、宇宙と生命のかかわりに考察を深め、生きとし生けるものに思いを寄せるようになる。
 49年に初単独公演。舞踏の創始者土方巽と54年ごろ知り合い舞踏に傾倒、三島由紀夫や渋沢龍彦ら文学者をも強く刺激する存在になる。77年に発表した代表作「ラ・アルヘンチーナ頌」は、白塗りの女装姿につばの広い帽子をかぶって踊る独特の姿が欧米の舞踊シーーンに大きな衝撃を与えた。…
 その後「死海」「睡蓮(すいれん)」「花鳥風月」などを次々発表。肉体を強引に変形させ、地と一体化し、空気をも動かすような表現を追究した。その魂は、勅使川原三郎や山海塾など「BUTQH」で世界を席巻する後進の礎になった。
 80年にフランス・ナンシー演劇祭に参加して以来、毎年のように海外で公演。舞踏界の現役最年長ダンサーとして活動を続け、94年から「大野一雄全作品上演計画」を始めた。91歳になった98年には、盟友土方の十三回忌で「わたしのお母さん」を上演。同年6月には能の観世栄夫と「老い」と「救済」をテーマにした舞台「無」で共演し、衰えぬ表現意欲をみせた。主演映画に「0氏の肖像」、著書に「大野一雄 稽古(けいこ)の言葉」など。舞踊批評家協会賞ほか、2002年に朝日舞台芸術賞特別賞受賞。舞踏の出現を世に告げた土方の公演「禁色」(59年)で、土方と共演した舞踏家・大野慶人民は次男。