2010年6月15日火曜日

写真家・長島有里枝さん初の文章作品(602asahi)


記憶の風景ペンで投影

写真家の長島有里枝さんが書いた初めての文章による作品『背中の記憶』(講談社)=写真=が話題になっている。先頃選考のあった三島由紀夫賞の候補にもなった。祖母や家族など、身近な人たちとの幼い頃の出来事をていねいにたどって、記憶の奥底にしまわれていた風景を、写真とは別の形でまざまざと見せてくれる。文章作品に向かう心境などを聞いた。                (都築和人)

 『背中の記憶』は、エッセー集と紹介されることもあるが、長島さん白身は「実際に経験したはずの出来事とはまた別の物語」 (あとがき)と書き、「エッセーとか小説とか、とくに決めていない」という。
 本のタイトルにもなった、祖母の思い出を書いた「背中の記憶」から始まって、母、父、弟、叔父さん、初恋の男の子、親類の人たちなどとの出来事13編を収める。
 高校の受験勉強のさなかに祖母を亡くした「わたし」は、薄れていく記憶に「もっと心に刻んでおけばよかった」と思い、「カメラを手にするように」なる。そして「いまでも、誰かの
背中にシャッターを切ってしまうことがある。祖母の後ろ姿を取り戻せるのではないかという期待とともに」と書く。古いアルバムを一甲ずつ繰っていくような手ざわりだ。
 長島さんは、大学在学中の20歳の時に、自身も含めた家族のセルフヌード写真を発表して衝撃的なデビューを果たした。2001年に写真集『PASTIME PARADISE』で木村伊兵衛写
真業を受賞。作品として、家族の私的な日常を撮影した写真集『家族』もある。しかし、「家族にこだわっているわけではない」という。
 「人は、カメラの前ではポーズをとる。家族アルバムにはそんなポーズを幻想と実感のずれ表現とった写真が並ぶ。けんかしているところは撮らないから、手をつないだ写真しかなければ仰がいい家族と思ってしまう。しかし、家族は分かりあっているものだというのは幻想であり、その幻想の象徴として家族の裸を撮った」
 「人類全体のことを語るのはとてつもないことなので、幻想と実感との違和感を、家族を題材にして表現した。インドや戦争の現場に行くのと同じように、家族を撮っただけです。文章で家族を書くのも、同じことです」
 写真家として、「撮影しなければ、なかったことになってしまう」が、「本当はあったこと」をいかに写真で表現するかを考えてきた。文章も、風化していく記憶に立ち向かうようにして風景を浮かび上がらせている。そこには写真作品に通じるものがあるが、表現はまったく別のものだったようだ。
 「写真は見たものしか写らないが、文章は心を通して自分の思ったことが書ける」
 『背中の記憶』は最後にふたたび、祖母の話に戻る。祖母の撮影した写真が「この世でたった一つの、取るに足らないありふれた物語を伝えようと、自信たっぷりにわたしに話しかけてくる」と書く。長島さんが文章にしたのは、そんな物語の一編一編だ。
 すでに次の作品も執筆中だ。題材はこれまで追ってきた「家族」からも「写真」からも離れて、「より小説らしい小説」だという。

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