2012年1月30日月曜日

ブリューゲルの動く絵

2011年12月17日より
渋谷ユーロスペースにてロードショー











http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=asAetP_Is-I

2012年1月27日金曜日

展覧会のお知らせ

美術学科主任建石修志が参加する展覧会
宇野亜喜良の自由の女神にイタズラ描きvol.2
2012・2・23(木)~3・3(土)
11:00AM−7:00PM 日曜日休廊 最終日5:00終了
'95年に宇野亜喜良氏が、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」を引用した版画に、様々な形で宇野氏と交差する力強い作家の方々が、コラボレーションし て頂く試みです。自由の意味が痛切に問われる現在、技術力も感性も豊かな方々の作品から、皆様に感じ取って頂ける者があるのではないかと思います。是非お 出掛け下さい。

●出品作家
東逸子、網中いづる、石塚富朗、石橋優美子、卯月俊光、宇野亜喜良、オカダミカ、門坂流、北沢夕芸、北見隆、国井節、シーノ・タカヒデ、島袋千栄、下谷二助、城芽ハヤト、
高橋千裕、建石修志、羽山恵、深谷良−、星野哲朗、松川けんし、松本圭以子、山本じん、横尾美美(敬称略)

SPACE YUI
港区南青山3-4-11 ハヤカワビル1F
03-3479-5889
http://www.spaceyui.com

展覧会のお知らせ

美術学科主任建石修志が参加する
DRAWING EXHIBITION
ドローイング展 1950~70年代を中心に

2/13(月)~2/24(金)  19日(日休廊) 11:00~19:00
銀座 青木画廊 中央区銀座3-5-16  島田ビル 03-3535-6858
http://www.aokigallery.jp
●出品作家
秋吉 巒 「エロスと幻想のユートピア」より
池田龍雄   シリーズ「百仮面」他
門坂 流  「風力の学派」他
金子國義  「O嬢の物語」他
小泉孝司  「手のひらのねこ」より
建石修志  「凍結するアリスたちの日々に」他
藤野一友  「未醒」

2012年1月26日木曜日

フェルメールからのラブレター展

17世紀オランダ会がから読み解く人々のメッセージ
2011 12/23~2012年 3月14日
渋谷Bunkamuraザ・ミュージアム











http://www.bunkamura.co.jp/museum/

謎深き絵本大人がはまる(111asahi)

豪の作家ショーン・タン「アライバル」
解釈自由の非現実世界…震災後にマッチ

 大人がはまる絵本がある。オーストラリアの作家ショーン・タンの『アライバル』。文字のない絵本で震災直後に刊行され、大人の絵本としては異例の2万5千部という売れ行きだ。新刊『遠い町から来た話』(いずれも河出書房新社)も出た。震災後の日本で多くの人が手にとった絵本、その理由はどこにあるのだろうか。
 『アライバル』は、男が妻と娘に別れを告げ、海を渡って見知らぬ土地にゆき、新しい生活を始めるという内容。言葉は一切ない。見開きの大きな絶や、コマ割りした小さな絵の連なりが物語る。精密なタッチで描く幻想的な世界に、奇妙で非現実的な生き物が
溶け込んでいる。
 発売は3月17日。テーマは移民で、2625円は絵本としてはかなり高めだ。社内では「初版の6千部を売り切るのに3年かかるだろう」と言われたという。
 だが、東京・立川のオリオン書房ノルテ店で「大震災でたくさんの方が家や故郷を失いました。その絶望や苦しみを安易に癒やそうとするのではなく、それそのものとしてしっかり受けとめてくれるような力をもった作品です」というポップを売り場でつけたところ
じわじわと売れ始めた。
 先月22日には都内でショーン・タンの講演会があり、490席あるホールは大人でいっばいになった。講演を聞きに来ていた作家の道尾秀介は「明確な答えがないところがいい」と言う。『アライバル』に衝撃を受けて原書も含めてすべての作品を手に入れたそうだ。「どんなふうにも受け取れる。読み手のイマジネーションによって、物語が変わるのです」
 『遠い町から来た話』を翻訳した岸本佐知子も「わからなさ」にひかれる一人だ。「不思議も謎も、ぽんと提示して説明はしない。でも、それでいいと思う。わからない世界で私たちは生きているのだから」
 『遠い町~』は日常にちょっと不思議が入り込む娼の小さな話からなる。岸本はタンの世界を「ちっぽけなものや異質なもの、分類不能なもの、社会の枠組みからこばれ落ちるようなものにまなざしを向け、寄り添っている」と言う。
 1974年生まれのタンは、父が中国系マレーシア人、母がアイルランドー英国系の移民3世だ。自分はどこから来たのか、居場所はどこなのか。「belonging(属する)」というテ
ーマが根底に流れている、という。
 「物語を作っているときは何も考えていないけれど、潜在的にはいつもこの言葉が自分の問題としてあると思う」とタン。現実とファンタジーの境を漂うような作品は、どこか懐かしさを感じさせる。「普遍的なノスタルジー、できれば存在さえないような空想の
場所へのノスタルジーがあるといいと思って描いています。自分で言っていて意味がよくわからないのですが、そんな強い思いがあります」     (中村真理子)

「見えない」部分に魅せられる(125asahi)

東京都写真美術館で「日本の新進作家」展

 次代を担う写真家による「日本の新進作家」展が、29日まで東京都写真美術館で開かれている。今回が10回目で、20~40代の5人の作品70点を集めた。いずれも撮影や写真処理の手法に特徴がある。
 添野和幸は、印画紙の上に物をじかに置き露光するフォトクうムを用いる。ガラス器のビールやウイスキーは、顕微鏡でのぞいた生物の細胞を思わせる。佐野陽一はピンホールカメラ。ぼやけた図像は、記憶の海からたぐり寄せた、おぼろな思い出のよう。春木麻衣子は、露出を極端にして撮影。白や黒で「見えない」部分の多い作品が、かえって想像をかき立てる。
 他の2人は労作。街で撮った写真数千枚を手作業でコラージュする西野壮平と、数十枚を多
重露光して−つの人物像を焼きつける北野謙。撮影から完成までの長い道のりを想像すると、そこに作家の身体が立ち現れる。 (新符祐一)

隠れた真実探す表現(125asahi)

「パリのシュールレアリスム」展

 現代でも十分刺激的なシュールレアリスム。その全貌をとらえようとする展覧会がスイス・バーゼルのバイエラー財団美術館で29日まで開催されている。
 作家は約40人。油絵、写真、映画、オブジェなど290点の作品が、ゆるやかな共通項によ
って数人の作家ごとに各部屋にまとめられる。共通項とは、風景、人物、オブジェ、写真・映画、シュールレアリスム的な作品、運動を支えた2人の女性コレクター。これにダリだけの部屋が加わる。
 「年代的に並べても意味がない。できるだけ作家ごとに作品をまとめ、作風を味わってもらうことに重点を置いた」とヨアナ・ジンポリーン学芸員。
 さらに、シュールレアリスムにおける、オブジェや映画といった表現手段の多様さのほか、表現そのものの多様さを理解してもらおうという意図もある。
 表現の多様さとは、例えば夢を使うことだ。ミロの風景画「修道院」を引き合いに、ジンポリーン学芸員は「シュールレアリスムの作品では必ず具象的な形が描かれる。だが、その形、組み合わせ、配置が非現実的。ここでも木、鳥、人などい構成は作家の頭の中または夢の中で作られている」と解説する。
 シュールレアリストは、ほぼ例外なく第1次大戦に参加し、「大戦は権威者側からの意識レベルの操作によって引き起こされた」と反省。国家や教会を否定する代わりに無意識レベルを解放させ、新しい芸術の表現方法を探った。それが夢や「日常の思いがけないもの同士の出合い」といった表現へ向かわせた。
 地元スイスのメレット・オッペンハイムの「私の看護婦」では、看護婦が履く白いハイヒールが銀皿に逆さに置かれ、ひもで固定されている。ハイヒールは銀皿と出合うことで鶏のもも肉に、ヒールの部分はその骨へと変身する。そして、思いも飛躍していく。もも肉の昧や触感は。看護婦はどんな姿形だろう。本当に親切なのか……。
 こうした連想こそ、実はものの背後に隠れたさまざまな真実を見いだす訓練につながるそしてシュールレアリストが意図したように、国家レベルでの意識操作に対抗していけるのかもしれない。(里信邦子・美術史家)

昭和40年代に切り込んだ目(125asahi)


評論家・石子順造の回顧展
キッチュから芸術再考
 現代美術からマンガ、さらには日用品などの通俗的なビジュアルにまで鋭く切り込んだ評論家がいた。石子順造(1928~77、本名・木村泰典)。その特異な評論活動の核心に迫る、没後初の大規模な回頼展「石子順造的世界」が東京・府中市美術館で開かれている。

 石手順遊ば65年、36歳でデビュー。視覚文化の諸ジャンルを往遺しっつ「芸術」の在
り方を問い続けた。若くして肺措核を患い、短い生涯を予感したのだろうか。遊撃戦の
ような評論活動を繰り広げ、昭和40年代を駆け抜けた。
 展示は3部構成。「美術」「マンガ」、そして通俗的なビジュアルを指す「キッチュ」
に絞り込み、石子の評論活動を視覚化しようと試みる。
 「美術」の中心は「トリックス・アンド・ヴィジョン」展(68年)に参加した高松次郎、中西夏之らの作品。石子が美術評論家の故中原佑介とともに辛がけた展示で、美術を成り立たせる「視覚」そのものをテーマとした点に、石子の評論の方向性がうかがえる。千円札を複製して裁判に発展した赤瀬川原平「模型千円札」(63年)は、石子の主要な論
点である「芸術」と「制度」が衝突した事例となった。
 「マンガ」では、年少の労働者を主な読者とした貸本や、雑誌「ガロ」に登場する「反マンガ」的な作品群に、現実を変革する可能性を見いだした。なかでも超現実的な「ね
じ式」 (つげ義春、68年)には、石子も批評の言葉に窮したという。その原画全点が今
回、初めて公開されている。
 「キッチュ」の展示室には大漁旗や食品サンプル、観光地のペナントなど、およそ美
術館とは無縁なモノがひしめく。「芸術を芸術たらしめてきた非芸術の領域としてのキ
ッチュ」を検証することで「芸術」を問い直そうと書関する石子の姿が浮かび上がる。
 没後の80年代半ばに著作集が刊行されたが、その後は半ば忘れられた評論家だった。
成相肇同館学芸員は「原発反対デモが各地で起こるなど、制度の下で生きているという
認識が先鋭化している現在、制度を聞い続けた石子の活動は共感を呼ぶのではないか」
と話している。 (西岡一正)
 ▽2月26日まで。月曜休館。図録は美術出版社から刊行

ひたすら興味に向かい理論化めざす
         赤瀬川原平さん(美術家)
 石子さんと知り合ったのは、僕が高松次郎さん、中西夏之さんと「ハイレッド・センター」(1963年結成)として活動していたころ。10歳近く年上でしたが、すぐ親しくなった。話し好きで、内容も抜群に面白かった。喫茶店の営業時間が終わって追い出されて
も、街灯の下で話し続けたほどでした。
 芸術の理念は実生活の中に沈手替していくべきだ、と石子さんは言っていた。僕も同感で、いろんなことを一緒にやった。批評同人誌「漫画主義」の表紙を担当し、「トリックス・アンド・ヴィジョン」異にも出品した。石子さんが「キッチュ」に注目したころは、マッチ箱の絵柄がすごく新鮮に見えて、競うようにマッチ箱を集めた○ ひたすら自
分の興味に向かっていって、それを理論にしようとした評論家でした。(談)

2012年1月22日日曜日

恋する原発(122asahi)

正しさへの強迫観念
 解毒するエロスの力




高橋源一郎(著)
講談社・1680円/たかはし・げんいちろう 51年生まれ。作家。『さようなら、ギャングたち』で群像新人長編小説賞優秀作、『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤重文学賞を受賞。

本書が文芸誌に一挙掲載された時、あまりのスピードに驚かされた。「あの日」から半年も経たずに震災をテーマとした小説が善かれるとはー・作家のインタビューを読んでその謎が解けた。
本作は、かつて作家が9・11に触発されて書いた未完の小説『メイキングオブ同時多発エロ』にもとづいている。どうしても完成できなかったその小説が、3・11以後に突然書けるようになったのだ。そう、本書はいわば「ずっと完成を待っていた」小説なのである。
震災被害者のチャリティーのためにアダルトヴィデオを制作しようとする監督、イシカワ。彼が『恋する原発』の主な語り手だ。そのせいかどうか、この小説の八
潮方は、次のような記述で満たされている。
「『入レテヨ』/もちろん、部屋に入れてくれといってるわけじゃない。もっとずっと、手に負えないものを入れろとアンジェリーナ・ジョリーはいってるわけだ。入れるべきなのかなあ。でも、なんだか話がうますぎる」
残念ながら、引用はこれくらいが精いっぱいだ。なにしろ新聞に掲載できない猥雑な単語が満載なのだから。ほかにもメタフィクション、漫画的手法、批評理論な
ど、作家のあらん限りの技巧が「ブリコラージュ」的に動員される。不謹慎との意見もあろう。しかしこれはどまでに真率な"不謹慎″を、私はみたことがない。
小説の後半、唐突にシリアスな「震災文学論」が挿入される。その冒頭で、作家はある著名人が3・11について述べた言葉を引用する。「ばくはこの日をずっと待っていたんだ」と。被災地の復興にも死者の追悼にも積極的にかかわった彼が、服喪の前に「待っていた」と告げること。その意味について作家は考える。「この日」とは、震災によって、この国の申でながいあいだ隠されていたものが顕れた日のことだ。
その意味で3・11は、まったく新しい出来事ではない。「おそらく、『震災』はいたるところで起こっていたのだ。わたしたちは、そのことにずっと気づいていなかっただけ」なのだから。ここから作家の思索は、われわれの文明と、それが生み出す「未来の死者」との関係に及ぶ。
すでに震災や原発を巡って、私たちは「唯一の正しさ」という強迫観念にとらわれつつある。こうした強迫観念を強力に解毒してくれるのがエロスだ。それが作家のたくら企みであるかはわからない。しかしこうした意匠ゆえに、私は本作を二度読んだ。一度目に聞いた哄笑が、二度目には無声の慟哭に変わる思いがした。このような形で示される“希望″を、私たちは確かにずっと待っていた。
(評) 斎藤 環 精神科医

2012年1月21日土曜日

瀧口修造とデュシャン展(118asahi)

対照的な2人の交流


 美術評論家の瀧口修造(1903~79)はシュールレアリスムの詩人で、戦後の前衛芸術の理論的支柱だったことで知られる。その瀧口と、コンセプチュアルアート(概念芸術)の始祖ともいえるマルセル・デユシヤン(1887~1968)の交流を探るー瀧口修造とマルセル・デュシャン展が29日まで、千葉市美術館で開かれている。
 2人が会ったのはスペインのダリ邸における58年の1回限り。しかし書簡での交流が続き、60年代半ばから瀧口はデュシャンに触発されたオブジぇ制作や収集を始める。展覧会は、作品、資料約300点で「交流を通し日本におけるデュシャン受容を示す」 (水沼啓和学芸貞)ことを狙っている。
 展示は、便器にサインをした「泉」や「瓶乾燥器」などよく知られたデュシャンのレディーメード(既製品)の作品群から始まる。しかしいずれも64年の再制作だ。デュシャンは再制作に寛容で、自分が美術品にした日用品のコピーを作り「それでも美術なのか」と問い直すようでもある。一方、制作も手がけた瀧口は出会いの後も、しばらくは塗られた絵の具を別の紙に写し取る作品など、シュールレアリスムの無意識的、自動的な作品を展開。その後、デュシャンに傾倒してゆく。
 極めて意識的な作風のデュシャンに、無意識的な表現を重視していた瀧口が近づいてゆく。対照的な立ち位置からの2人の交流の軌跡が確かめられる。 (大西若人)

野口里佳展/ 安田佐智種展(118asahi)

世界と向き合う視線

大づかみに言えば、作品には作者の世界観が表れる。とりわけ、一つの穴を通して世界と向き合う写真に当てはまる。そんな風に思わせる同世代の女性作家2人の個展が開かれている。
赤茶け、乾いた大地。大画面には、そこを横切った人とバスの残像が浮かぷ。カルティエプレッソン風にいえば、まさに「逃げ去るイメージ」だ。
野口里佳(40)の新作や近作約40点による個展は、「無題(ムバララ)」 (2006年)=写真上=で始まる。
ピンホールカメラでとらえたゆえの残像であり、周囲ほど画像はぼけてゆく。しかしこの感触は、記憶や夢の映像に似てはいないか。デジタル写真時代にあって、リアルとは何か、世界のの気配を捉えるとはどういうことか、ピンホール以外の作品にも、ガラス瓶の質感に迫ろうとしたものなど、レンズを通した思索が続く。風景写真でも、大きな空、広い大地に、人がたたずんだり、羊が数匹走ったりする棟を遠くからとらえる。風景から何かを抽出するのではなく、全体をとらえようとする。だから見る者と視線が共有される。
 安田佐智種(43)の12点による個展も、撮影の位置について考えさせる。超高層ビルの上から撮った数百枚の写真を合成し、周囲の摩天楼の高さを極端に強調した作品を手がけてきたが、新作群では360度見回したような光景を見せている。中心の白い四角が立ち位置となり、「Aerial#2−2」 (11年)=同下=では、東京タワーが白く抜ける。「垂展タワーからのパノラマか」と納得してしまいそうだが、中央のビルが小さく、離れたビルほど大きい。つまり、逆遠近。山々が四方に開かれた古地図にも似る。
ある視点から見渡す西欧近代の透視図法的世界観ではなく、見る者が画面の中にいる前近代的、あるいは東洋的な世界観。それが、資本の欲望を体現する摩天楼の現代的で鋭利な画像と共存している様が心地よい。
どんなに高精細な写真が撮れるようになっても、世界との向き合い方への模索は終わらないのだ。 (編集委員・大西若人)
▽野口展は3月4日まで、静岡県長泉町東野クレマチスの丘のlZU PHOTO MUSEUM。水曜休館。安田展は2月29日まで、日本橋茅場町1の1の6のベイスギャラリー。日曜・祝日休み。

世界でトップを取る(117asahi)

3・11で社会変化
芸術家も動くときもだえ苦しみ作る

 サブカルチャーと伝統絵画を結びつけた独白の作風で活躍する美術
家の村上隆さん。日本の現代美術を代表する作者として海外からの評
価も高い。美術界への厳しい批判者としでも知られる。昨年3月11日
の東日本大震災以降、被災者支援に取り組み、芸術と社会の関わりに
一石を投じている。作品に億の値がつく作家は、何を訴えるのか。


 − 2月のカタールでの個展に向け、東日本大震災後の日本をテーマに、全長100メートルの「五百羅漢図」を制作中だそうですね。
                    
 「日本の歴史をみても、地震や飢野天災が多発したときには、人々が救いを求めて宗教が勃興したり、新たな文化・芸術が生まれたりしてきました。五百羅漢への信仰もそうした苦難のたびに広まり、供養や癒やしとして絵や像がつくられてきた。そうやって先人が危機に際して処してきたことを学んで、自分も五百羅漢国を措いてみようと思い立ちました。いわば温故知新です」
 「縦3メートル、横1メートルのキャンバスに措いて、それを100枚つなげて作
品にします。約100人のスタッフに指示を出しながら制作しています。カタール政府が日本との国交樹立40周年の記念イベントとして首都ドーハで僕の大規模な個展を2月9日から開催してくれるので、そこに展示します。戟光立国を目指すカタールには、世界中から人が集まる。3・11のメモリアルな作品として、一人でも多くの人に見てほしい」
 −今、日本のアニメやマンガは「クール・ジャパン」として海外で評判です。村上さんは、その旗手とも見られているようですね。
 「『クール・ジャパン』なんて外国では誰も言っていません。うそ、流言です。日本人が自尊心を満たすために勝手にでっち上げているだけで、広告会社の公的資金の受け皿としてのキャッチコピーに過ぎない。外国人には背景や文脈のわかりづらい日本のマンガやアニメが少しずつ海外で理解され始めてはいますが、ごく一部のマニアにとどまり、到底ビジネスのレベルに達しておらず、特筆すべきことは何もない。僕は村上隆という一人の芸術家として海外で注目されているのであって、クール・ジャパンとは何の関係もない」
 −では、村上さんの、何が評価されていると思うのですか。
 「日本の美を解析して、世界の人々が『これは日本の美だな』と理解できるように、かみ砕いて作品をつくっていることだと患います。僕は、戦後日本に勃興したアニメやオタク文化と、江戸期の伝統的絵画を同じレベルで考えて結びつけ、それを西洋美術史の文脈にマッチするよう構築し直して作品化するということを戦略的に細かにやってきまし
た。それが僕のオリジナリティーです」
 −それでも、日本政府は「クール・ジャパン」のアニメや玩具、ファッションなどを海外に売り出そうとしています。
 「それは、広告会社など一部の人間の金もうけになるだけ。アーティストには還元されませんし、税金の無駄遣いです。今やアニメやゲームなどの業界は、他国にシェアを奪われて、統合合併が相次ぎ、惨憺たる状態。クリエーターの報酬もきわめて低いうえ、作業を海外に下請けに出すから、人材も育たない。地盤沈下まっただ中です」
    
 −そうした中で、日本の文化を世界に発信するには、何が必要なのでしょう。
 「著作権の整備です。日本のコンテンツが海外に売れても、利益はわずかなのが現状です。映像化権などさまざまな権利も海外に取得されてしまい、日本側の収益につながらない。そんな状態で、クール・ジャパンなどと浮かれていていいのか。もっとアーティストに利益が還元されるように、著作権をはじめとする法制度の整備が急務です。それなのに、日本国政府はビジネスの現状も知らず、国際的な著作権の動向に関してはアメリカに主導権を握られてしまい、右往左往して何も有効な手が打てない」
 −欧米のほうが、芸術活動をする環境としては、日本より優れている、と。
 「そうは言いませんが、欧米には、美術館の学芸員らの人材が豊富で、作品をきちんと評価し、価値付けできるメソッドがある。審美眼を備えて信頼するに足るアート市場もある。意地悪なジャーナリズムもよく勉強していて対抗しがいがある。一方、日本は美術館はたくさんあるだけ。ジャーナリズムは印象批評に偏っており、マーケットを蔑視している。オークション会社にしても、贋作をカタログに載せていたりす
る」
 「日本の場合、教育に目を向けても、美術大学は無根拠な自由ばかりを尊重して、学生に何らの方向性も示さない。芸術には鍛錬や修業が必要なのに、その指導もできない。少子化や国立大学の法人化で、学生がお客さんになってしまい、教師は学生に迎合している。お陰で、あいさつさえまともにできず、独りよがりの稚拙な作品しかつくれない学生ばかりが世に送り出される。先鋭的なものは何も生まれてこない。だから、世界に出ていって通用する芸術家が日本にはほとんどいないんです」
 −それでも、日本で独自に発展を遂げたものもあるでしょう。たとえば、マンガやアニメとか。
 「第2次世界大戦でアメリカに原爆を投下され敗戦した日本は、国家としての主体性を持たないまま、アメリカ依存のもとで、平和な日常を送ることができた。そんな状況の中から生まれてきたのがサブカルチャーやオタク文化なんです。あだ花の
ような文化です」
 「あだ花を大輪に育てるには仕組みが必要なのに、そこへの興味も無いし、労力も惜しむ。僕は世界でどうやってトップを取るかに集中しています。日本人はゴルフでもテニスでも世界一を取れない。なぜか。国内でそこそこ楽してやっていけるから、安心しちゃっている。地方自治体が街おこしにアートを利用するから、アーティストも結構楽にやっていけるので、海外に目が向かないし、無根拠にもの作りを推奨しすぎる。ぬるい」
    一  ■
 −その一方で、震災被災者を支援するチャリティーオークションを開いたり、原発を止めるよう呼びかけたりもしていますね。
 「3・11を経て、以前のように楽して生きられない状況になった。主体性を持って、社会を変えていかなければならない。一芸術家としても行動を起こすべきだと考えます」
l「原発事故による放射能汚染で、日本の国土の中に、人が立ち入ることができない土地が出現してしまった。政府はそこに自衛隊などを行かせて、被曝させながら除染と称して政治的にアピールする。放射能汚染はいまだに各地に広がり続けていま
す。それなのに野田首相は原発事故の収束を宣言し、安全だと言い張る。それはうそです。危険性はわかっているはずなのに、政府はうそを言い、メディアはそのまま報道する。僕はアーティストですからへ・しがらみもなく、間違いは間違いと言
える。国際社会で言い続けます。そういう活動家になる」
−活動家、ですか。
 「僕には宮崎駿さんら何人かの尊敬する芸術家がいて、その遺伝子を受け継いでいるつもりです。彼らは自分の作品が世間に認められたくて仕事をしているんじゃない。本当に世の中を変えたくてやっているんですよ。ただ絵を描いたり、彫刻を作ったりするだけですけど、そうした活動を通して人々を目覚めさせるのが、僕ら芸術家の仕事なんです」
 「でも、普通に考えれば、芸術ごときで世の中は変わらない。芸術なんて、この現代社会の中では無能、無意味です。だけど、やり続けるしかない。僕らがもだえ苦しみながら活動している姿を見て、鼓舞され、勇気づけられる人たちが絶対にいるはずだからです」

取材を終えて
 「思いの丈を全身全霊で作品に表現している」。五百羅漢国に取り組む村上さんは、倉庫を改造した巨大なアトリエ狭しと駆け回っていた。政府の震災対応や日本のアート状況に対し、憤りも口にした。怒りをエネルギーにするかのようにブルドーザーのごとく前へ前へと進む。熱く、圧力さえ感じさせる生き方に圧倒された。 (聞き手・池田洋一郎)

      
●現代美術家 村上隆さん
  62年生まれ。有限会社カイカイキキ代表として若手育成や展覧会企画などにも取り組む。著書に「芸術起業論」「芸術闘争諭」など。



 作品制作の一日は、全国から集まった美大生らスタッフとの朝礼で始まる。「あいさつの言葉を唱和させてます。案外シャキッとしますよ」=高波浮撮影

2012年1月12日木曜日

◆1月14日(土)オープンカレッジのお知らせ◆

美術の方法4「デフォルメ-“歪み”こそ真実! 」
担当講師:菅原優

何故デフォルメされたイメージに心魅かれるのか?“肖像”をモチーフに試作し、デフォルメの真実に迫る。


2012年1月10日火曜日

石版画蔵書票展


展覧会のお知らせ
2012年1/10(火)~25(水)
銀座 スパン・アート・ギャラリー
03-5524-3060
美術学科主任 建石修志が出品する展覧会。
出品作家 味戸ケイコ・井上洋介・宇野亜喜良・建石修志

詳細→http//www.span-art.co.jp/exibition/201201lithograph/index.html