2012年1月26日木曜日

昭和40年代に切り込んだ目(125asahi)


評論家・石子順造の回顧展
キッチュから芸術再考
 現代美術からマンガ、さらには日用品などの通俗的なビジュアルにまで鋭く切り込んだ評論家がいた。石子順造(1928~77、本名・木村泰典)。その特異な評論活動の核心に迫る、没後初の大規模な回頼展「石子順造的世界」が東京・府中市美術館で開かれている。

 石手順遊ば65年、36歳でデビュー。視覚文化の諸ジャンルを往遺しっつ「芸術」の在
り方を問い続けた。若くして肺措核を患い、短い生涯を予感したのだろうか。遊撃戦の
ような評論活動を繰り広げ、昭和40年代を駆け抜けた。
 展示は3部構成。「美術」「マンガ」、そして通俗的なビジュアルを指す「キッチュ」
に絞り込み、石子の評論活動を視覚化しようと試みる。
 「美術」の中心は「トリックス・アンド・ヴィジョン」展(68年)に参加した高松次郎、中西夏之らの作品。石子が美術評論家の故中原佑介とともに辛がけた展示で、美術を成り立たせる「視覚」そのものをテーマとした点に、石子の評論の方向性がうかがえる。千円札を複製して裁判に発展した赤瀬川原平「模型千円札」(63年)は、石子の主要な論
点である「芸術」と「制度」が衝突した事例となった。
 「マンガ」では、年少の労働者を主な読者とした貸本や、雑誌「ガロ」に登場する「反マンガ」的な作品群に、現実を変革する可能性を見いだした。なかでも超現実的な「ね
じ式」 (つげ義春、68年)には、石子も批評の言葉に窮したという。その原画全点が今
回、初めて公開されている。
 「キッチュ」の展示室には大漁旗や食品サンプル、観光地のペナントなど、およそ美
術館とは無縁なモノがひしめく。「芸術を芸術たらしめてきた非芸術の領域としてのキ
ッチュ」を検証することで「芸術」を問い直そうと書関する石子の姿が浮かび上がる。
 没後の80年代半ばに著作集が刊行されたが、その後は半ば忘れられた評論家だった。
成相肇同館学芸員は「原発反対デモが各地で起こるなど、制度の下で生きているという
認識が先鋭化している現在、制度を聞い続けた石子の活動は共感を呼ぶのではないか」
と話している。 (西岡一正)
 ▽2月26日まで。月曜休館。図録は美術出版社から刊行

ひたすら興味に向かい理論化めざす
         赤瀬川原平さん(美術家)
 石子さんと知り合ったのは、僕が高松次郎さん、中西夏之さんと「ハイレッド・センター」(1963年結成)として活動していたころ。10歳近く年上でしたが、すぐ親しくなった。話し好きで、内容も抜群に面白かった。喫茶店の営業時間が終わって追い出されて
も、街灯の下で話し続けたほどでした。
 芸術の理念は実生活の中に沈手替していくべきだ、と石子さんは言っていた。僕も同感で、いろんなことを一緒にやった。批評同人誌「漫画主義」の表紙を担当し、「トリックス・アンド・ヴィジョン」異にも出品した。石子さんが「キッチュ」に注目したころは、マッチ箱の絵柄がすごく新鮮に見えて、競うようにマッチ箱を集めた○ ひたすら自
分の興味に向かっていって、それを理論にしようとした評論家でした。(談)

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