2010年7月28日水曜日

7月30日(金) サマーオープンカレッジのお知らせ

「フィギュア-人形もまた夢見る」担当講師:原田崇



「素材」「製法」等の進化と「低コスト」等での大量生産の確立により爆発的な拡大をしてきた「フュギュア」。
「エロ」「動物」「兵器」「名産」etc..様々なジャンルが精密な造形、彩色で世に放たれております。おもえば「ひな人形」「五月人形」「こけし」「市松」「地蔵」「大仏」「埴輪」「土偶」「カカシ」「熊の彫り物」、、、キリがない程、玩具、土産物から芸術品まで、日本人は人形好きである。
 そして「人形」といえば「ハンス・ベルメール」、彼の「球体間接人形」がもたらした衝撃は様々な人々に影響を与え、幾多の素晴らしい子が誕生しています。「フィギュア」も「人形」も近年「精巧な大量生産品」と「素材の容易な入手」「技術の確立」等で裾野が拡大している分野です。しかし、それでもまだまだ敷居が高く感じられているトコでもあります。

 オープンカレッジでは、「人形は顔が命です」というコトで「芯材から顔の造形にチャレンジ」というのを行います。まったくの初心者でも「イメージ」さえあればなんとかなります、上手くいくかどうかは二の次です、まずは動いてみることです。お待ちしています。

※以下原田崇作品



2010年7月26日月曜日

春日井建全歌集(725asahi)

生のただ中に降る
  死の流星群のよう


 二〇〇四年に亡くなった春日井建の全歌集である。第一歌集『未青年』から第九歌集『朝の水』までの作品が収められている。その序文に三島由紀夫が「われわれは一人の若い定家を持つたのである」と記した『未青年』は、戦後の短歌史における伝説的な青春歌集となった。

                 
 大空の斬首ののちの静もりか没ち
 し日輪がのこすむらさき

    
 作中に詠われているものを実際の風景としてみれば単なる夕焼けに過ぎない。だが、作者はそのなかに「大空の斬首ののちの静もり」をみてしまう。ここには死に対する異様なまでの感受性がある。

 火祭りの輪を抜けきたる青年は霊
 を吐きしか死顔をもてり
 火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年
 一瞬血ぬられて飛ぶ

 同様に、これらの歌においても、「火祭りの輪を抜けきたる青年」の表情が「死顔」、また「跳躍の青年」の肉体が「血ぬられて」と、それぞれ表現されている。若さの極点である郵の青春に死の幻影をみる感覚、その逆説的な普遍性が鮮やかに作品化されている。
 確かに、万人の生の結果だけをみればそれは死に他ならない。死なない者はいない。我々はそのことを知っている。ゆえに普通は死を怖れ、できる限り遠ざけようとする。死の本体だけでなく、それに繋がる老いや病やウイルスや排泄物などに対しても、抵抗、除去、隠蔽を試みる。だがその一方で、抗菌グッズに取り囲まれた我々は、死を遠ざけることが生から輝きを奪う、という理に薄々気づいてもいる。しかし、コインの裏表のような死/生を分離する方法がわからない。かくして、我々は死の匂いから懸命に顔を背けながら、ばんやりとなまぬるい生を生き続けることになる。若き春日井建の歌は、このような生の直中に降り注ぐ死の流星群を思わせる。圧倒的な熱と光を浴びて、世界はもう一度輝きを取り戻す。健康や安全や幸浦を超えた生そのものの価値、その眩しさを戴の酔私たちにみせてくれるのだ。名前の「建」を
「健」と誤記されることの多かった作者が、自己紹介の折などに「人でなしの『建』です」と冗談めかして名乗っていたことをふと思い出す。
 だが、そんな彼を現実の大きな病が撃つ。本歌集の終盤は、中咽頭癌が発見されて後の作品集である。

 予報士は雪と報じぬ中空は何ごと
 もなくただ冴えかへる

 かつてそこに「大空の斬首」をみた空が、今は「何ごともなくただ冴えかへる」。だが、この緊迫感はどうだ。未来を告げる「予報士」には医師が、天空の異変としての「雪」には宣告された病が、それぞれ投影されているように思える。反転した世界のなかでも、やはり作者の詩魂は死と共にあったのだろう。
<評>穂村 弘 歌人

春日井建(著)
 砂子屋書房・8400円/かすがい・けん 歌人。1938~2004年。『友の書』(雁書館)、『白雨』(短歌研究社)で日本歌人クラブ賞と道空賞を受賞。歌集に『行け帰ることな
く』『井泉』など。

2010年7月18日日曜日

「ぼくのエリ 200歳の少女」(716asahi)

悲しみたたえた吸血鬼

 怖いだけでは不十分だ。恐怖の先に悲しみが立ち上がってこなければ、優れたホラー映画とはいえない。ドラキュラも狼男も、お岩も貞子も無量の悲しみをたたえていた。エリと呼ばれるこの吸血鬼の悲しみも、彼らに勝るとも劣らないほど深く重い。
 主人公はストックホルム郊外に住む少年オスカー。ある夜、隣室に、黒髪の少女エリとその父親らしきホーカンが越してくる。いじめられっ子のオスカーは孤高を保つエリに引かれていく。一方、町は殺人事件で騒然としていた。
 トーマス・アルブレッドリン監督は、複数の事象を引きの映像で同時に見せるのがうまい。オスカーとエリの部屋の窓。監禁された生徒と、別室で息をひそめる犯人。エリを捜す看護師と、背後の壁を伝う少女の影。
 寄りの映像は慎重に排しっつも、しかし、ここぞという時にはエリやオスカーらの表情をきちんとアップで捕らえる。そのメリハリによって、彼らの感情と私たちの感情が劇的に結びつけられる。
 ホーカンはわびしい中年男だ。彼は、黙々と人を殺してはエリに新鮮な血を与えている。いつ、どうしてエリの保護者になったのか、映画は何も語らない。そしてある時、ホーカンは命を落とす。
 この物語はオスカーの成長を軸に進む。エリの激励で、彼は身体を鍛えていじめに立ち向かう。エリの正体を知った暗も、最初は嫌悪するが、やがてすべてを受け入れる。
 ラストシーンのオスカーにはいじめられっ子の面影はない。頼れる男の顔だ。一体これはハッピーエンドなのだろうか。あまりに悲しきハッピーエンド。そして私たちは唐突に、ホーカンがなぜエリの保護者になったのかを理解することになる。(石飛徳樹)
 東京・銀座テアトルシネマで上映中。順次各地で。

2010年7月14日水曜日

「ミステリーと私」展

美術学科主任の建石修志が参加する展覧会のお知らせ

2010年7月22日(木)から28日(水)
池袋 東武百貨店6F 美術画廊
10:00am~20:00pm
第3回「ミステリーと私」
─コレクション オブ アート アンド イラストレーション─

広告や雑誌などのデザイン、挿画を担当する人気アーティスト、イラストレーター20余名が
「ミステリー」をテーマに様々な作品を発表します。

石塚公昭、宇野亜喜良、小野利明、柄沢斉、北見隆、木原未沙紀、甲秀樹、佐々木悟郎、信濃八太郎、空山基、高田美苗、多賀新、建石修志、谷敦志、徳永明美、西田知未、野村直子、ひらいたかこ、細井克郎、丸尾末広、三輪滋、山口真也、吉田光彦

また同時に「江戸川乱歩」へのオマージュ展も、同会場で開催とのことです。

お時間ございましたら、覗いて見て下さい。
よろしく。

2010年7月13日火曜日

芸術か悪趣味か=ポーランド・ポズナニ(711時事通信)


街角のビル壁面に掲げられた、ナチスの「かぎ十字」やミッキー・マウスをあしらったポスター。新装開店の画廊の広告で、イタリア人芸術家M・パペスキ氏の 作品。噴出する批判に、画廊側は「芸術作品だ」と譲らない 【AFP=時事】

「池田龍雄−アヴァンギャルドの軌跡」展(707asahi)

反骨の画家戦後の軌跡

 左向きだったり、右向きだったり。戦後の日本社会を潮の流れが変わる海に例えるならば、池田龍雄は反骨という羅針盤を頼りに航海を続ける画家といえるだろう。
 1928年、佐賀県生まれ。17歳の時、特攻隊貞として終戦を迎えた。師範学校に入るが、連合国軍総司令部(GHQ)の方針で教師になれず、絵の道に。反骨心は社会情勢によって育まれた。
 約140点を時系列に並べた展示は、シュールレアリスムやキュービスムの影響を受けた難解な油彩画から始まる。
 50年に起きた朝鮮戦争をきっかけに、絵はリアリズムへと一変する。芸術が反戦や革命を後押しするには、大衆に理解してもらう必要があるからだ。取材を基に措く「ルポルタージュ絵画」が生まれ、代表作の「網元」 (53年)=写真上、垂泉都現代美術館蔵=では、米軍に協力する内灘(石川県)の有力者を風刺する。作品は人間の非合理さを表す「化物の系譜シリーズ」へと続く。
 60年代になると、再度、難解な作品へと戻る。60年安保闘争に敗れ「芸術に政治的な力はない」と
挫折感を味わったためだ。漆黒に浮かぶ楕円を描く「楕円空間シリーズ」などを経て、70年代には概念芸術」へ。徒労のパフォーマンスーヘ梵天の塔ヘや15年間かけて天地創造の神話を描いた「BRAHMAN」=写真下=を手がけた。だが、これらの概念芸術を、革命に破れた芸術家の遁世ととるべきではない。
 「BRAHMAN」では宇宙から生命が誕生する様子を有機的な形で描く。人間を深く知るために根源までさかのばった連作ともとれる。以後の「万有引力」 「場の位相」シリーズも人間探索の延長線上にある。「権力に対する抵抗意識は今も心の申にある」と池田。展示はこのほか、交流のあった作家の18点と関連資料約80点。
 終戦から65年、美術でも戦後は過去のものになりつつある。60年の画業をたどる今展は、一人の画家を通して戦後美術を顧みる展覧会でもある。  (西田健作)
 ◇19日まで、甲府市責川の山梨県立美術館、12日休み。川崎市岡本太郎美術館、福岡県立美術館に巡回。

アラーキー「センチメンタルな旅 春の旅」(707asahi)



「愛する者失うほど切れ味」
天才アラーキーこと、写真家の荒木経惟さん(70)が飼っていた
チロは、写真集愛しのチロなどを通し、広く知られた猫だった。今年
3月2日に、人間なら100歳を超えるかという22歳で大往生。1990
年に妻の陽子さんががんで早世した際も、ともに乗り越えた仲だった。自
身も一昨年に前立腺がんが見つかった荒木さんが、現在の心境を語った。

チロちゃん・・・足元にいて二人で撮った

 なんだかんだ言って、女の人もいっばい撮ってきたけど、ちゃんと気持ちが入って一番シャッターを押したのは、チロちゃんだったな。
 ずっとさあ、そばにいるんだもん。俺の場合、身近で愛おしいものを撮るから。最高の被写体だったな。
 猫はそんなに好きじゃなかったんだ。でもヨーコが好きでね。ある日、埼玉の春日部のおばあちゃんの家から、子猫を連れてきちゃった。寝転んで転がって、つまりネコロリコロリされて、もう一目惚れ。それがチロちゃん。
 ちびっこの女の子だけど、鳥やヤモリもつかまえたし、けんかも強くて。でも、俺がヨコになるとすぐに上にのっ
てくる。昼間っから妻はのってこないじゃない。どんどん好きになったよ。
 でもヨーコが、病気になっちゃって。彼女の入院で一番まいっているときも、チロちゃんが家の中を行ったり来た
りして動きがあって救われたんだ。ヨーコが楽しみにしていたチロちゃんの写真集は間に合わなかったけど、なんと
か見本の一冊を彼女の棺にいれることはできたんだ。
 あれから20年間は、チロちゃんとの生活だったね。
 最初のころはさあ、いなくなったヨーコのベッドの上にチロちゃんが座ったりするんだよ。帰ってこないニャア、と思っているのか、ヨーコのかわりにいてくれるのか。これはまいったね。
 俺は、すごく愛されたという感じがあるし、向こうもそう感じてくれたと思う。自分の家のバルコニーで空の写真
を撮っているときも、いつも足元にいてさあ、二人で撮っている感じだったね。
 ずっと元気に見えたんだけど、もしかしたら俺とおなじでカラ元気だったのかもしれない。寝込んでからも、さあ
撮るぞっていうと、立つんだよ。たまんないよね。
 お葬式は、ちょうど桃の節句。お棺に桃の花を入れて、いい死に顔だから撮ったんだ。無常感にひかれて。でも後ろめたい感じもするんだ。その半面、妙にざわめくんだよね。チロちゃんは、「いつまで撮るんだ」って思ってい
たかもしれないね。
 写真は、撮ったものが永遠になる一方、忘れさせてもくれる。撮ることで、悲しみをあいまいなものにしている。
カメラって、気持ちをだます機械じゃない?
 最後の半年をまとめた写真集が出来てね。ヨーコとの新婚旅行と彼女の死を撮ったのが『センチメンタルな旅 冬
の旅』で、今度はFセンチメンタルな旅 春の旅』。
 今は撮っていて、構図が決まりすぎるな、というぐらい決まる。写真は、愛する者を失うほど、切れ味が出てくる
んだ。親父の死、母の死、妻の死、チロちゃんの死。
 写真家は、撮るのをやめると死に近づくんじゃないの。今は体調わるいけど、もうちょっと生きていたいな、とい
う思いが強まってきて撮っている。チロちゃんがいなくなってそう感じてるんだね。
 今も夜、寝室のドアを開けておくことがあるんだ。チロちゃんが入ってくるはずないんだけどさ。気持ちだね。
    ◇
 写真展「センチメンタルな旅 春の旅」は、18日まで東京都港区南青山5の5の3の
ラットホールギャラリー(03・6419・3581)で。写真集も同ギャラリーから。

2010年7月9日金曜日

画集「Dreamscape 2010」


オランダで開催された、世界中の幻想系アーティストが出品している展覧会「DREAMSCAPES2010」。
それに合わせて作られた画集が出版されています。

わたくし菅原優もこの展覧会に参加し、この画集にも掲載されています。


この画集は以下のサイトで購入することが出来ます。

現代にも確実に息衝いている「イマージナリィリアリズムアート」の世界を是非ご堪能下さい。

2010年7月6日火曜日

「Exclamat!ons」展

講師菅原優の展覧会情報です。

フランス、そして、ドイツを巡回する世界中の幻想系アーティストたちによる展覧会 。
エクスクラメーションマーク、通称ビックリマーク「!」の形をした絵画が並びます。

まずは、フランスの部。
プレス画像の下の方、上から二番目、一番左が出品作品です。




2010年7月1日木曜日

ドクドク 人の心臓音が作品(630asahi)


瀬戸内・豊島に美術館 ボルタンスキー氏

 世界中の人々の心臓音を集める美術館「心臓音のアーカイブ」が7月19日、漸戸内海の豊島に開館する。作者は、仏を代表する現代美術家の一人、クリスチャン・ボルタンスキーさん(65)=写真上。来日した作家に、作品について聞いた。
 同氏は、無名の人の古着や肖像写真、名前などを集め、人間の生や記憶を問う作品として発表してきた。心臓音を本格的に集めたのは2006年から。「心臓は人間の雫行き着くのは自然の流れだった。心臓音は私にとって、人間の命のもろさや、はかなさのサンプルなのです」
 これまでに9カ国、1万5千人を超える心臓音を集めた。国は仏、独、日、韓、米など様々だ。「音は似ているようでどれも違う。豊島に世界中の心臓音が集まれば」 「心臓音のアーカイブ」(香川県土庄町)は、「瀬戸内国際芸術祭2010」に合わせて、直島福武美術館財団(同県直島町)が建設した。鉄骨造り平屋建て、延べ床面積138平方メートルの小さな美術館=写真下=だ。芸術祭終了後も財団が運営する。
 同館は三つの部分に分かれる。心臓音をパソコンで検索して聞くことができる視聴室、自分の心臓音を録音する録音室、メーンとなる作品展示室だ。展示室では20メートルの奥行きがある真っ暗な部屋に心臓音が響き、鼓動に合わせて電球が点滅するという。「人間が最初に聞く音は母親の心臓音。鑑賞者は胎児のような気持ちになるかもしれない」ユダヤ人でもある同氏は「アーティストの使命は、きれいなものを作ることではなく問いかけをすることだ」と話す。7月中旬には、これまでの生涯について辞しく答えたインタビューの日本帯版「クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生」 (水声社)も出版される。      (西田健作)

「改造歴史」展 北京(630asahi)




分岐路だらけの豪華な迷宮


 現代アート市場の成長、過熱とバブル崩壊を経て、中国の現代アート界でもこの10年をどう分析、評価するか、という問題が浮上した。その流れを受けて北京で6月中旬まで開かれたのが、「改造歴史(歴史を改造する)」展だ。政府の文化関連機関が主催した。
 l万3千平方メートルの国家会議センターを主会場に、中国と台湾出身の291人の絵画や彫刻、インスタレーション、写真、ビデオ作品など千点以上を見せる大規模展。張暁剛や方力鈎、徐泳、黄鋭ら1980~90年代に現代中国美術史に残る作品を発表した作家や、劉韡ら中堅作家の近作も並んだ。
 ただ、現在の中国で、大型の現代アート展は商業目的抜きには開けない。今展の開催費用は1800万元、日本円で約2億3500万円に上り、中国の現代アート展として改革開放以来、最高の額に上ったという。作品の売買も行われ、実際は市場を意識せざるを得ない展覧会に、美術史を塗り替えるニュアンスの大胆な名がついたことは、美術界の反発も呼んだ。企画した美術史家仇鄭斬氏は、この10年を「(市場経済の流入などで)外部から『改造』された一方、作家が主体的に芸術活動の合法性や自由な表現を勝ち取るなど、自ら歴史を『改造』してきた」とする。そのうえで「世界的な経済危機で、また激しい『改造』が始まっている。今は過去の作品をふるいにかけ、後世に残すべきものを見せる時だ」と話す。
 市場経済との結び付きにより、空前の関心を集めたゼロ年代の中国現代アート。だが、価値観や表現手法の多様化、行き過ぎた商業主義など、複雑な文脈の中に置かれ、近年は断片化、多元化が激しい。呂氏は「無数の展覧会がありながら運動はなく、印象的な作品が生まれても、記念碑的な作品は生まれなかった」とも話す。
 今展には、北京五輪開会式で花火の演出を手掛けた蔡国強の作品がないなど、作品の選択に残念な点がいくつか残る。膨大な数の作品群はとりとめのない印象も与えた。だが、分岐路だらけのゴージャスな迷宮の申でさまようことこそが、この10年の中国現代アートを振り返ることなのだろう。(フリーライター・多田麻美)