2011年7月31日日曜日

◆8月5日(金)オープンカレッジのお知らせ◆

美術の方法2「型取り-等身大の思想:これは私だ!」
担当講師:原田崇

成型剤コピックを使って、手を型取り、石膏を流し込み成型。彫刻ではない、オブジェへの一歩。

2011年7月25日月曜日

◆7月27日(土)オープンカレッジのお知らせ

美術の方法1「オートマティズム-混沌から始めよ!」
担当講師:建石修志

デカルコマニー、フロッタージュ、オートマティズムなどシュルレアリスムの技法を体験、試作する。


2011年7月16日土曜日

国際ブックフェア生き残り策議論(712asahi)



街の書店個性が生命線

 重点・有明の東京ビッグサイトで7日から10日まで開かれた東京国際ブックフェアで、書店が生き残る道を探るシンポジウム=写真=やセミナーが数多く開かれた。書店を調査するアルメディアによると、5月1日現在で国内の書店数は1万5061店。10年前と比べて5878店、約28%も減少した。長引く出版不況や電子書籍の登場で危機感が高まる書店にとって、局面打開のヒントはあったのか。

 偏ったセレクトこそ

シンポジウム「いま改めて書店について考える」では、翻訳家の青山南さんが「大型書店で圧倒的スペースを占めているのが『売れてい本』。品ぞろえ豊富なアマゾンなどネット書店があるのだから、新刊書店には多くの種類がなくてもいいのでは」と発言。国立情報学研究所の高野明彦教授も「偏ったセレクトの方が琴線に触れ、面白いものを見つけたと思える。最近の新刊書店にはオーラを感じない」と述べた。
 受けて立ったのが京都市を中心に25店舗を展開する大垣書店の大垣守弘社長。「一般書から児童書、参考書、文庫までそろえ、街の人に雑誌を一冊でも買っていただく書店があることが出版文化の基本」と答えた。
 「書店生き残りの工夫」と題して講演した書店チェーン「あゆみBOOKS」の鈴木孝居専務は、需要に即しながら個性を出すためにできるのが、企画展やフェアだという。東京・西荻窪にある系列書店「楓爽堂」では、身体論や精神世界のフェアを仕掛けて成功した。「一冊一冊の本という点を線にして、魅力的な棚を作る。だから仕入れは生命線。特に既刊本の掘り起こしは大切です」
 鈴木さんは電子書籍への対抗策も話した。「本は美術品とまでは言わないが、魅力的な商品。美的観点からセレクトして並べれば、電子書籍と差別化できる」

 読者との距離縮める

 パネル討論「書店に求められる人材とは」では、書店員の資質、教育が議論された。配本された本を漫然と並べ、売れなければ返品できる制度に寄りかかっている一部書店の実態を踏まえ、書店・出版コンサルタントの能勢仁さんは「かなりの書店は仕入れ(能力)不在。プロの仕事ではなくなった。顧客意識のある店でなければならない」と指摘した。
 「小さな本屋は街の文化発信基地」という観点も出た。福岡市で書店「ブックスキューブリック」2店舗を経営する大井実さんは講演で、「書店は、いい本と読者を出会わせるお見合い産業」とたとえた。5年前に「ブック」と「フクオカ」を掛けた「ブックオカ」というイベントを立ち上げた。市民が古本を売る「一箱古本市」や、人気作家を招いて読者との距離を縮める催しを続けている。
 「作家も初版5千部、1万部という時代。例えば週末の金・土・日に福岡、熊本、鹿児島でサイン会をやれば、それだけで千部売れる。書店も潤う。地方にはそんな可能性もある」

 返品率減らす作戦も

 出版界で大きな役割を占めるのが、書店と出版社をつなぐ問屋の取次会社。大手の日本出版販売(日版)の安西浩和専務は「書店競争力強化のために」と題して講演。施策の柱としている、返品を減らした書店へのマージンアップについて説明した。
 書店の取り分は通常、本の定価の23%ほどだが、日版と契約した書店では、返品率が40%を下回れば書店の取り分が増え、上回れば減る仕組みだ。返品による運送費や倉庫代などのコストを減らし、浮いた分の多くを書店に回して書店の競争力を高める狙いだ。
 返品率は業界全体で40%前後だが、日版の契約書店では3月時点で33・5%。返品を減らすには、お客をよく知り注文数を的確にすることが大事だと安西専務は強調した。 (西秀治)

ダピンチ幻のキリスト、発見価値160億円(712asahi)



 イタリアのルネサンス期の芸術家レオナルド・ダ・ビィンチが1500年ごろ描き、その後、長年行方不明になっていた油絵がニューヨークで見つかった。ロンドンのナショナルギャラリーで11月から展示される。AP通信が11日、、伝えた。米の芸術誌などは、2億ドル(約160億円)の価値があるとしている。
 キリストを描いた絵の題名は「サルバトール・ムンディ」(救世主)=写真、AP。17世紀に英国王チャールズ1世が所有していたが、18世紀半ばに競売にかけられた。1900年には英国のコレクターに売却された。2005年に米国のオーク
ションで現在の所有者が落札。その後、ダ・ビィンチの作品と確認されたという。

醜くとも現実美は見つかる(705asahi)

日本画家 松井冬子さん(37)



 幽霊や内臓があらわになった女性の死休、動物の亡きがらなど人々が目をそむけたり、社会的に排除されてきたりしたものを主題に、日本画を措いています。
 グロテスクと評されることもありますが、内臓は見えていないだけで、実際に人体の内にある。死体もこの世に確かに存在する。それなのに現代社会は快適さや便利さのみを追求し、おぞましいもの、醜いものを排除してきた。見た目はきれいになったが、リアルさが失われ、本質が押し隠されてしまった。しかし、一般的に美しいとされているもの、醜いとされているもの、それらをひっくるめたすべてが現
実の世界です。その中から美を見いだし、美を創造するのが芸術です。
 痛みや狂気を感じさせるような私の作品に共鳴してくださる方もいます。
えっ、あがめるほど熱狂的なファンもいるですって? もしそうなら、世界に一人だけでも共感していただけたら、という気持ちで描きたいものを描いているので、とてもうれしいです。
 バラや富士山を見て美しいと感じ、そのまま絵に措く人がいます。それはそれでいいのですが、ただバラがきれい、では芸術ではない。普遍性も持ち得ない。そんなのはつまんない。
 美術家として作品を創造するのに大切なのは、構築していくこと。考えに考えてコンセプトを練り上げ、想像力を最大限駆使して、作品を構築していくんです。パッションの赴くまま衝動に任せて描くような無責任なことは、私はしません。
 作品を構築していくにはデッサンカなどの技術が必要です。ただ、技術だけに偏すると、上手に描けたね、で終わってしまい、芸術ではなくなる。自分のパッションと技術がうまくかみ合わねばなりません。でも、私はイメージ通りの作品ができたと満足したことはありません。デッサンなど技術の修練は一生続くでしょう。
 美は簡単に見いだせたり、創造できたりするものではありません。日常生活に実はない、と言っていいかもしれない。きれいな花や美しい夕日はあるでしょうが、それはそのままでは芸術的な美ではない。自分の想像力を駆使しない限り、芸術的な美は見いだせない、と私は思います。その想像力は自ら磨かなければならない。
 たとえば、一つのボルトがすごく美しいという人だっている。その人はそのボルトが美しいと患えるぼどの想像力に達しているんです。実はモノそのものにあるのではなく、自らの想像力で発見するものです。
 想像力の磨き方ですか? まずは自分が何が好きなのかをどんどん突き詰めていくこと。どんな色が好きか。白なら、硬い質感か、軟らかい質感か。青っぽい白が好きなのか。追求していけば、何が本当に好きなのかがわかってくる。美への想像力があれば、一人になっても楽しいですよ。
      聞き手 池田洋一郎
      撮影   麻生健

佐々木マキ今も新鮮(704asahi)

マンガ選集「うみべのまち」



 先鋭的な作風でマンガや絵本の表現を切りひらいてきた佐々木マキ(64)のマンガ選集『うみべのまち』 (太田出版)が刊行された。今も人気が高い「ピクルス街異聞」や「ばくのデブインコちゃん」など1967年から81年にかけての37作品が収録されている。
 ナンセンスでアナーキーな作品は、雑誌「ガロ」に発表された当時から脚光を浴び、村上春樹初期作品のカバー絶や絵本でも人気を集めながら、作品はばつぼつとしか発表してこなかった。「子どものころ住んでいた町は貧しく、中学を出たら働かなければならないような環境だった。貧乏だからこそ生きていくための労働を軽蔑していた。今も自分の仕事が労働になるとやる気を失ってしまう」
 マンガを書くスタイルは、紙に向かっての一発勝負。「自分の中からこんなものが出てくるのか、というのが面白い。100%分かっていることを措くのは労働です」
 半世紀近くを経て、登場人物の服装さえも古びていない。「昭和10年ごろにピークを迎えた日本のモダニズムが好きでした。すでに洗練された欧州のモダニズムが基礎にあるから古びないのかもしれません」
 今もカルト的な人気を持ち、「絵本のロングセラーもあって、好きな映画を見て、音楽を聴き、京都で静かに暮らすことはできる。それで十分。売れて欲しいと思ったことはない。絵本のアイデアだけ考えて、何もしないのが一番いい」。
 半ば隠者のような生酒で自足しているが、新作は?
 「若いころの僕のマンガは元気があって、今描いても負けてしまう。ばかばかしいギャグやアナーキーな世界は、自分の絵本のなかに取り込んでいきっつあります」    (加藤修)