絵描き 貝原浩の仕事
チェルノブイリ・スケッチ「風しもの村」を中心に
◆「創ること」の幅広さ、奥深さ、その場に身を置くことで、社会は一変するに違いない!
◆グラフィックデザイン、イラストレーション、またそれらが更に細分化していく現在、もう一度「想像すること、創造すること」の出発点に立ってみること。すべては「美術」と云う広大なフィールドに繋がっている。自身の生活を、豊かで、刺激的に過ごそうと思う時、「美術」がその“鍵”になることは確かだろう。
【美術学科の体験講座2011】すべて12:00~15:00
◆グラフィックデザイン、イラストレーション、またそれらが更に細分化していく現在、もう一度「想像すること、創造すること」の出発点に立ってみること。すべては「美術」と云う広大なフィールドに繋がっている。自身の生活を、豊かで、刺激的に過ごそうと思う時、「美術」がその“鍵”になることは確かだろう。
【美術学科の体験講座2011】すべて12:00~15:00
7/27(水) 美術の方法①「オートマティズム-混沌から始めよ!」
申し込み・問い合わせ
フリーダイヤル 0120-8160-98 FAX03-3356-5260 Eメール info@ndc.ac.jp
2012年3月3日土曜日
Pina/ピナ・バウシュ(302asahi)
踊り続けるいのち 動きこそがスペクタクル

ヴィム・ヴュンダースとピナ・バウシュ。1970年代以降、映画とダンスそれぞれの領域で世界的な影響力を持ったドイツの同世代の文化英雄が、スクリーン上で夢の共演を果たす。撮影直前に死去した振付家の「不在」を改めて印象づける本作だが、悲しげな服喪に終始するどころか、見る者を快活な古びへと導いてくれる。国際色豊かなダンサーらが各々の書斎やトーンで斎る思い出、そして彼らによる驚異的なダンス……それらの端々に今もピナが息づくことを実感せしめるのだ。演出家は不在 をもって作品を完成させる存在なのだろう。
では、映画の演出家はピナと仲間たちの偉業にどんな照明を当てるのか。様々なショットサイズやアングルを駆使することでダンスの映画化を図ることばもちろん、ダンサーの足元に広がる床面を強調する3Dカメラが、2次元に収まらない奥行きや重層性を視光化する。さらに本作にあってはカメラも踊るだろう。劇場からモノレールが行き交う街中へと飛び出し、ミュージカル映画のように優雅に、スラップスティック喜劇のように鹿々しく。まるでカメラの動きの振り付けこそが、映画作家の使命であるかのように…・。
ピナのダンスは、古典バレエの美学から遠く離れ、動くことへの人間の原初的な欲望、それに伴う喜びや苦悩に立ち戻る。先鋭的な試みが同時に根源的な回帰となる証しであり、同様の試みが映画作家の側でも遂行されたと見るべきだ。19世紀末に映画は初の本格的な「動く映像」 として誕生し、初期映画の観客にとって人間の何げない動きこそが最大のスペクタクルだった。そんな映画の原初的な記憶に立ち戻ることで、本作は新驚3D技術の真の意味での黎明をも告げることに成功した。
(北小路隆志・映画評論家)
各地で順次、公開中。

ヴィム・ヴュンダースとピナ・バウシュ。1970年代以降、映画とダンスそれぞれの領域で世界的な影響力を持ったドイツの同世代の文化英雄が、スクリーン上で夢の共演を果たす。撮影直前に死去した振付家の「不在」を改めて印象づける本作だが、悲しげな服喪に終始するどころか、見る者を快活な古びへと導いてくれる。国際色豊かなダンサーらが各々の書斎やトーンで斎る思い出、そして彼らによる驚異的なダンス……それらの端々に今もピナが息づくことを実感せしめるのだ。演出家は不在 をもって作品を完成させる存在なのだろう。
では、映画の演出家はピナと仲間たちの偉業にどんな照明を当てるのか。様々なショットサイズやアングルを駆使することでダンスの映画化を図ることばもちろん、ダンサーの足元に広がる床面を強調する3Dカメラが、2次元に収まらない奥行きや重層性を視光化する。さらに本作にあってはカメラも踊るだろう。劇場からモノレールが行き交う街中へと飛び出し、ミュージカル映画のように優雅に、スラップスティック喜劇のように鹿々しく。まるでカメラの動きの振り付けこそが、映画作家の使命であるかのように…・。
ピナのダンスは、古典バレエの美学から遠く離れ、動くことへの人間の原初的な欲望、それに伴う喜びや苦悩に立ち戻る。先鋭的な試みが同時に根源的な回帰となる証しであり、同様の試みが映画作家の側でも遂行されたと見るべきだ。19世紀末に映画は初の本格的な「動く映像」 として誕生し、初期映画の観客にとって人間の何げない動きこそが最大のスペクタクルだった。そんな映画の原初的な記憶に立ち戻ることで、本作は新驚3D技術の真の意味での黎明をも告げることに成功した。
(北小路隆志・映画評論家)
各地で順次、公開中。
寝台に浮かぶ生と死(228asahi)
ジャンミシェル・オトニエル展
色鮮やかなガラスの作品で知られるフランスのジャンミシェル・オトニエルの日本初の回顧展「マイウェイ」が東京・品川の原美術館で開かれている。
オトニエルは1964年生まれ。蜜蝋、硫黄、そしてガラスヘと素材を変えながら制作を続けてきた。可塑性のある素材を好むのは「私自身がつねに新しいものを求めて変化しているから」と話す。
展示は約60点。夢想を誘う表現とともに、生の諸相を見つめる−斉した姿勢がうかがえる。それを端的に示すのが「私のベッド」=写真、2002年=だろう。
天蓋付きの寝台を模した作品で、高さは3M近い。カラフルなムラーノガラスをつらねた天蓋はロマンチックだが、アルミニウムのリングによる装飾は無機葉でどこか冷ややか。寝台は誕生の場であると同時に愛と生殖の空間でもあり、病や死の床ともなる。その多義性から人間の生と死を浮かび上がらせている。
▽3月11日まで。月曜休館。
色鮮やかなガラスの作品で知られるフランスのジャンミシェル・オトニエルの日本初の回顧展「マイウェイ」が東京・品川の原美術館で開かれている。
オトニエルは1964年生まれ。蜜蝋、硫黄、そしてガラスヘと素材を変えながら制作を続けてきた。可塑性のある素材を好むのは「私自身がつねに新しいものを求めて変化しているから」と話す。
展示は約60点。夢想を誘う表現とともに、生の諸相を見つめる−斉した姿勢がうかがえる。それを端的に示すのが「私のベッド」=写真、2002年=だろう。
天蓋付きの寝台を模した作品で、高さは3M近い。カラフルなムラーノガラスをつらねた天蓋はロマンチックだが、アルミニウムのリングによる装飾は無機葉でどこか冷ややか。寝台は誕生の場であると同時に愛と生殖の空間でもあり、病や死の床ともなる。その多義性から人間の生と死を浮かび上がらせている。
▽3月11日まで。月曜休館。
野田裕示 絵画のかたち/絵画の姿(229asahi)
表現の推移30年を見る
風景や人物を描くことから外れた抽象絵画は、そうした具体物のイメージを伝える必要もなく、ある意味でモノそのものとして存在する。画家・野田裕示(59)が1980年代に手がけた画面に木片などを張るレリーフ状の表現は、モノなら平面でなくても構わない、と絵画の概念を拡張した結果と映る。この30年の絵画約200点を軸にした回顧展の前半はそんな作品群で進む=写真上=は87年の作品。
こうした表現は反芸術の香りもするが、興味深いのは、思い切り重させた絵画を、次第に平面に収めてゆくことだ。91年以降は、カンバスの表面に同じ大きさの布を張り、切れ込みを入れて折り返して、その後に色を載せている。関心が表面性により強く移行したと見える。
自らルールや制約を設けて試行し、次の段階に移る極めて自覚的な手法は、近代的な科学実験に近い。しかし、手法だけで摩れた作品は生まれない。渋い色調の組み合わせや、ときに土俗的、ユーモラスな形態、陶や壁のような絵肌といった「野田調」が魅力になっている。
特に2000年前後からは、画面の一部にだけ張った布の縁が分割の「虫ごとなり、作家の
身ぶりを息わせる「描く」行為も多く加わる。抽象画本来の色と筆致、軽みのある切り紙のような形が浮遊感を生む。モダニズム的な構築手法が基底にありながら、時に古代の壁画などを思わせるのも興趣に富む。
展示室内では惜6・5Mに及ぶ新作「WORK1766」=同下=の制作過程を収めたビデオが流れているが、布を重ね、やすりで削り、という、モノとしての壁を作るような過程が含まれている。この作品では、やまと絵の山並みのような形態を重ね、近代の透視図法と
は異なる遠近感を目指したのだという。一枚の絵の中にも、作家活動と相似形の、手法と大きな意志が潜んでいるのだ。
白い壁と高い天井の不純物なき空間は、こうした手法や過程を確認し、絵画空間に身をゆだねるのに最適。そこに広がっているのは、「絵画の実験室」なのだ。 (編集委員・大西若人)
▽4月2日まで東京・六本木の国立新美術館。火曜(祝日の場合は翌日)休館。2月25日ま
で東京・京橋2の8の18のギャルリー東京ユマニテでも個展。
風景や人物を描くことから外れた抽象絵画は、そうした具体物のイメージを伝える必要もなく、ある意味でモノそのものとして存在する。画家・野田裕示(59)が1980年代に手がけた画面に木片などを張るレリーフ状の表現は、モノなら平面でなくても構わない、と絵画の概念を拡張した結果と映る。この30年の絵画約200点を軸にした回顧展の前半はそんな作品群で進む=写真上=は87年の作品。
こうした表現は反芸術の香りもするが、興味深いのは、思い切り重させた絵画を、次第に平面に収めてゆくことだ。91年以降は、カンバスの表面に同じ大きさの布を張り、切れ込みを入れて折り返して、その後に色を載せている。関心が表面性により強く移行したと見える。
自らルールや制約を設けて試行し、次の段階に移る極めて自覚的な手法は、近代的な科学実験に近い。しかし、手法だけで摩れた作品は生まれない。渋い色調の組み合わせや、ときに土俗的、ユーモラスな形態、陶や壁のような絵肌といった「野田調」が魅力になっている。
特に2000年前後からは、画面の一部にだけ張った布の縁が分割の「虫ごとなり、作家の
身ぶりを息わせる「描く」行為も多く加わる。抽象画本来の色と筆致、軽みのある切り紙のような形が浮遊感を生む。モダニズム的な構築手法が基底にありながら、時に古代の壁画などを思わせるのも興趣に富む。
展示室内では惜6・5Mに及ぶ新作「WORK1766」=同下=の制作過程を収めたビデオが流れているが、布を重ね、やすりで削り、という、モノとしての壁を作るような過程が含まれている。この作品では、やまと絵の山並みのような形態を重ね、近代の透視図法と
は異なる遠近感を目指したのだという。一枚の絵の中にも、作家活動と相似形の、手法と大きな意志が潜んでいるのだ。
白い壁と高い天井の不純物なき空間は、こうした手法や過程を確認し、絵画空間に身をゆだねるのに最適。そこに広がっているのは、「絵画の実験室」なのだ。 (編集委員・大西若人)
▽4月2日まで東京・六本木の国立新美術館。火曜(祝日の場合は翌日)休館。2月25日ま
で東京・京橋2の8の18のギャルリー東京ユマニテでも個展。
2012年2月26日日曜日
建石修志展
美術学科の建石修志の個展のお知らせです。
2012年3/6(火)~3/18(日) 期間中無休 10:00~19:30
渋谷東急本店 Bunkamura Gallery
「leaf/poetry Ⅱ─表層から紙片の狭間へ」
建石のここ近年の、平面作品、オブジェ作品など80点余の展示。
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/120306tateishi.html
2012年3/6(火)~3/18(日) 期間中無休 10:00~19:30
渋谷東急本店 Bunkamura Gallery
「leaf/poetry Ⅱ─表層から紙片の狭間へ」
建石のここ近年の、平面作品、オブジェ作品など80点余の展示。
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/120306tateishi.html
2012年2月20日月曜日
装丁家/グラフィックデザイナー 名久井直子さん(220asahi)
出来る全ての事で本を送り出す母心かな
なくい・なおこ●1976年岩手だ生まれ 武蔵野美術大学卒井後、広告会社にアートディレクターとして勤務。在職中に友人である歌人・錦見映理子の歌集の装幀を手がけたことから本の仕事がスタート。2005年に独立し、ナンクデザインを始め、紙まわりの仕事に携わろ。年間にデザインを手がける本は100冊近い。主な装丁本に「やわらかなレタス」(江國香織/文芸春秋)、「本日は大安なり」(辻村深月/角川書店)、「すべて真夜中の恋人たち」(川上未映子/講談社)ほか多数。
小説、辞典、絵本の装丁、雑誌の表紙など名久井さんが手がける分野は広く、書き手本人から「名久井さんの装丁で」と指名されることも多い。それは激戦区の書店で売れることも意味するのだろう。
美術大学を出て初めに就職したのは広告会社。アートディレクターとしてだった。一つの広告に大規模な予算と時間をかけ、半年以上も練り上げたものが、はんの一週間ほどで打ち上げ花火のように消えていくことになじめない感覚があったそうだ。
「素晴らしいクリエーターの方と仕事が出来るのは、とても刺激的です。でも作ったポスターなどは、物として誰の手にも届かない(笑)。それが残念でしたね」
だが、本業とは別に手伝った友人の本の装丁が、編集者の目に留まった。会社の仕事をしながら次々と装丁の依頼がくる。こっちの制作の方が好きだと思いながらも、名久井さんは数年闇両立させて頑張り、100万円をためてから独立する。
「ダメもとです(笑)。パソコンも使えるし、いざとなれば食べるぐらいのことは出来ると患って」
でも、その日から装丁の仕事が途切れたことはない。作家が書き終えたゲラを読み、まずふわふわと慕ってくる「世界」を巫女さんのように感じ取ることから始まると笑う。
「どれ一つ同じ世界はありません。だから、私が感じたことを読者の目に、手に訴えるために、紙、書体、デザイン、行間、帯、そのはかあらゆる感覚を総動員しますね。出来うる限りの全てを持たせて、送り出してあげたい、というお母さんの心境なんです。持たせ忘れたと後悔したくない。そして向こうで売れておいで、
と」(笑)
ある本では、外国から名久井さんに届いた少年の手紙のl文字ずつを切り取ってタイトルにしたそうだ。「そこまでやるか」と感嘆した作者がエピソードを伝えるはどのこだわりよう。町へ出れば古いそば屋の箸袋を持ち帰ったり、気になるものは拾い集めたり。
名久井ワールドは面白い。 田中美絵=文 南條良明=写真
なくい・なおこ●1976年岩手だ生まれ 武蔵野美術大学卒井後、広告会社にアートディレクターとして勤務。在職中に友人である歌人・錦見映理子の歌集の装幀を手がけたことから本の仕事がスタート。2005年に独立し、ナンクデザインを始め、紙まわりの仕事に携わろ。年間にデザインを手がける本は100冊近い。主な装丁本に「やわらかなレタス」(江國香織/文芸春秋)、「本日は大安なり」(辻村深月/角川書店)、「すべて真夜中の恋人たち」(川上未映子/講談社)ほか多数。
小説、辞典、絵本の装丁、雑誌の表紙など名久井さんが手がける分野は広く、書き手本人から「名久井さんの装丁で」と指名されることも多い。それは激戦区の書店で売れることも意味するのだろう。
美術大学を出て初めに就職したのは広告会社。アートディレクターとしてだった。一つの広告に大規模な予算と時間をかけ、半年以上も練り上げたものが、はんの一週間ほどで打ち上げ花火のように消えていくことになじめない感覚があったそうだ。
「素晴らしいクリエーターの方と仕事が出来るのは、とても刺激的です。でも作ったポスターなどは、物として誰の手にも届かない(笑)。それが残念でしたね」
だが、本業とは別に手伝った友人の本の装丁が、編集者の目に留まった。会社の仕事をしながら次々と装丁の依頼がくる。こっちの制作の方が好きだと思いながらも、名久井さんは数年闇両立させて頑張り、100万円をためてから独立する。
「ダメもとです(笑)。パソコンも使えるし、いざとなれば食べるぐらいのことは出来ると患って」
でも、その日から装丁の仕事が途切れたことはない。作家が書き終えたゲラを読み、まずふわふわと慕ってくる「世界」を巫女さんのように感じ取ることから始まると笑う。
「どれ一つ同じ世界はありません。だから、私が感じたことを読者の目に、手に訴えるために、紙、書体、デザイン、行間、帯、そのはかあらゆる感覚を総動員しますね。出来うる限りの全てを持たせて、送り出してあげたい、というお母さんの心境なんです。持たせ忘れたと後悔したくない。そして向こうで売れておいで、
と」(笑)
ある本では、外国から名久井さんに届いた少年の手紙のl文字ずつを切り取ってタイトルにしたそうだ。「そこまでやるか」と感嘆した作者がエピソードを伝えるはどのこだわりよう。町へ出れば古いそば屋の箸袋を持ち帰ったり、気になるものは拾い集めたり。
名久井ワールドは面白い。 田中美絵=文 南條良明=写真
登録:
投稿 (Atom)





