呼び寄せ合う被爆地の祈り
美術家の内藤礼(52)と写真家の畠山直哉哲(56)が、東
京・銀座で珍しい形の「2人展」を開いている。昨
夏、内藤が故郷・広島の美術館で行った展示を、畠山
撮影の写真で紹介しているのだ。それは内藤が初めて
原爆と向き合い、被爆遺品を取り込んだ表現だった。
互いに発見、多くの人に伝えたい
薄暗い部屋に入ると、祭壇のような台。温かい光に 包まれて並ぶのは、被爆し
焼けて溶けた17個のガラス瓶とその一つずつに寄り添うように立つ小さな木の
「ひと」。一輪の花を生けた新しい瓶も一つある。
広島県立美術館での「タマ/アニマ(わたしに息を吹きかけてください)」と
題した内藤の展示は、見る者の心をわしづかみにする祈りの空間だった。
内藤は平和教育を受けてきたが、原爆を作品テーマにすることはなかった。一
方で小さな立体などによる繊細な表現を通し、一貢して「地上に存在しているこ
とは、それ自体、祝福であるのか」を追求してきた。
美術館から「ピース・ミーツ・アートー」展への出品作を依頼された暗も、ガ
ラス瓶に花を生けることを考えた。「花が生きている姿を見たい。そこは慰霊の
空間になるだろう」。水は原爆投下直後に、多くの人が求めたものでもある。
そして広島平和記念資料館に被爆した瓶があることを思い出し、それを借りて
傍らに小さな木の「ひと」を立たせることにした。高さ3~4巧の「ひと」は、
東日本大震災や原発事故後から作り続けている。目を持ち、性別や年齢の違いも
ある「精霊」のような存在。「見たものを希望だと居じる人たちなんです」
「誰かに使われていた瓶も人間のように思えます。背景には無数の人がいる。
そのそばで、励ましているのか、黙っているのか」
「特定の誰かのために制作したことはなかったが、この作品では広島のあらゆ
る命を思った。でも展示では『ひと』はこちらを向いて、見る人すべてを居じて
いるんです」。展示を通し、家族や友人と語り、資料を読み、故郷に改めて出
あった患いがしたという。
しかし、実際に鑑賞した人は限られていた。20年以上、内藤の展示を撮ってい
る畠山の写真を見て、「こういうものが存在したことを伝えられる可能性があ
る」と写真展を開くことにした。「私の作品は一見、小さく可愛らしいのです
が、畠山さんは惑わされずに、その内部に潜む存在の力をとらえてくれます」
内藤は最近、「祈りや願い以外にアートに何があるのか」と感じ始めている。
畠山の写真なら、内藤の思いや模索も伝わるに違いない。(編集委員・大西若人)
▽31日まで、東京・銀座1の7の5のギャラリー小柳で。日・月曜休み。2人
が参加する「椿会展」も25日まで、銀座の資生堂ギャラリーで。月曜休み。
互いに発見、多くの人に伝えたい
畠山直哉の話
内藤さんの作品は素材や形態が繊細で小さい一方、形而上の世界を扱っているので、見る側が能動的にならないと意味や隠喩がくみ取れない。撮影とは解釈行為
ですが、特に、自分が試されている面がある。お互いに発見したり学んだり、写
真を通じて研究しあっているのでしょう。
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