2014年4月4日金曜日

アートか政治宣伝か 美術館ビリピリ(404asahi)

 アートか政治宣伝か。東京都美術館で展示された作品が議論を投げかけた。同館は「政治的宣伝との苦情が出かねない」と撤去を求めたが、「過剰な自主規制だ」との声もあがる。美術館の役割とは何だろう。


クレーム恐れ
作品撤去要請

 「腹立たしかったが、やむを得なかった」。彫刻家の中垣克久さん(70)は振り返る。
 同館で2月にあった彫刻展。主催した現代日本彫刻作家連盟代表の中垣さんは、高さ15Mのドームに「憲法九条を守り、靖国神社参拝の愚を認め、現政権の右傾化を阻止して、もっと知的な思慮深い政治を求めよう」と書いた紙を貼った作品を出した。
 同館はこれを、「特定の政党・宗教を支持、反対するなどの事業は使用させないことができる」という運営要綱に該当すると判断。小室明子副館長らが作品の撤去を求めた。中垣さんは「作品を守るのが美術館ではないのか」と反発したが、「撤去こそ屈辱だ」と、問題の紙をはがして展示を続けた。中垣さんは、「完成させた形で改めて展示したい」と話す。
 小室氏は「税金で運営している以上、政治的中立が求められる」。都の高橋伸子・文化施設担当課長も「美術館は芸術表現の場であって政治論争の場ではない」と同調する。
「表現の自由は」悩む学芸員も。
 ただ同館のある学芸員は、歴史認識や中韓関係に触れた作品には年々、外部からの過敏な反応が増えていると感じる。「すべて指摘したら表現の自由はなくなってしまう」
 2012年夏には、従軍慰安婦を扱った絵画や彫刻に「館の公式見解なのか」などの苦情が寄せられ、主催者との協議で作品は撤去された。13年夏の美術家平和会議の展示会では、苦情が来る前から館側が対応。従軍慰安婦像の写真に貼り付けた日本政府に補償を求めるメッセージの紙などを撤去させた。
 今回は撤去要請の報道後、同館に「作品を展示すれば具体的な行動をとる」と男性の声で電話があったという。学芸員は「どんな騒動に発展するかわからない。多様な見方を示す美術館の使命をどう果たせばいいか」と頭を悩ませる。

各地でも自粛識者は「過剰」

 美術館が作品の政治性に尻込みす各ケースは各地で起きている。
 富山県立近代美術館は1986年、県議会で批判を受けて昭和天皇の写真を組み合わせたコラージュ作品を非公開にして売却した。
 沖縄県立博物館・美術館は09年、昭和天皇の写真や裸婦の像をコラージュで組み合わせた版画を県側の意向で除外した。
 富山県立近代美術館の対応の是非を巡って争った訴訟の原告だった富山大の小倉剰丸教授(社会文化論)は「思想信条の自由な表現を保障するのが美術館の使命だ。公立美術館が自己規制をすれば、首長や議会など政治に判断が影響されかねない」と警鐘をならす。
 早稲田大の戸政江二教授(憲法学)は「芸術と政治は深い関係にあり、ピカソの名作『ゲルニカ』など政治批判の作品は枚挙にいとまがない」と指摘。都美術館の今回の対応を「過剰反応で要綱の乱用だ」と批判する。「美術館自身が作品の撤去を求めることの方が
よほど政治的ではないか」(中村真理)

哀愁、滑稽‥・架空の武者たち奮い立つ(326asahi)

野口哲哉、東京・練馬で


 ジェット噴射機のような容器を背負って甲冑姿の武者が、歯を食いしばって高速で飛行する。荒唐無稽だが、超リアルな姿に「アリかも」と思わされてしまう。そんな武者像が立ち並ぶ「野口哲哉の武者分類図鑑」展が、東京の練馬区立美術館で開かれている。
 野口は1980年生まれ。2003年ごろから、樹脂やプラスチックなどで武者像を制作している。今回が美術館では初の個展。大小さまざまな武者像を中に、古びた味わいの絵画や絵鳥など約90点を展示している。
 現存する申宵や古画、文献資料などから創出された武者優には、作家自ら書いた解説がつけられる。例えばTalking Head」=写真=の武者は、黒熊を模した「着用時だけ覚醒する付喪形式」の兜をかぶり、その発言に耳を傾けている、という具合。架空の物語を背負った武者たちは、ときに滑稽で、ときに哀愁漂うたたずまいで鑑賞者を引きつけている。(西岡一正)▽46日まで。月曜休館。図録「侍達ノ居ル処。」(青幻舎)が刊行

された。

細密描写の  VOCA × 人物表現の FACE(326asahi)

新鋭の登竜門、二つの個性

 絵画などの平面表現を辛がける新鋭の登竜門たる二つの展覧会が30日まで、東京都内で開かれている。今年は、「人物表現のFACE」と「細密描写のVOCA」と呼べるような、持ち味の違いが表れている。
 西新宿の損保ジャパン東郷育児美術館で開催中の「FACE2014」展は、今回で2回目。年齢不問の公募展で今回は889人の応募があったが、受賞9人のうち7人が人物表現を手がけている。
 グランプリは、1988年生まれの川島優の「TOX1C」で、日本画によるモノトーンの表現。コンクリート壁の前でしゃがむ少女を精妙に措き、不穏な空気を漂わせる。

 これに対し、上野の森美術館のVOCA2014」は、全国の学芸員らが推薦した40歳以下が競う場として定着。21回目の今回は33人が出品しているが、受賞6人には細密な表現が目立つ。

最高賞のVOCA賞は89年生まれの田中望が日本画の画材で描いた「ものおくり」に。漂着した鯨を擬人化されたウサギたちがさまざまな祭礼によって弔っている図だが、鳥獣戯画をさらに細密にしたような表現に驚かされる。
 VOCAの受賞会見では東日本大震災後の意識が語られ、両展の選考に関わった本江邦夫・多摩美術大教授が、「じつくり描きたいという傾向があるようだが、もう少し社会
性、時代性が画面にあってもいいのではないか」と話した。(編集委員・大西若人)

津波で傷んだ写真の「記憶」(326asahi)

東京でアートプログラム


 東日本大震災による津波で流された約2千枚の写真を用いたインスタレーションが、東京・池袋の東京芸術劇場アトリエイーストで展示されている。震災をテーマに同劇場で開催中のアートプログラム「MOVING DISTANCE2579枚の写真と11通の手紙」(16日まで)の一部だ。
 「記憶の壁」と名付けられた展示作晶。約2千枚は全て宮城県山元町で流され、その後、回収・洗浄された写真だ。表面が溶けかかったもの、真っ白になつたもの。あるべきはずの図像の「欠落」が、その時シャッターを切った人、写された思い出の存在を、かえって強く意識させる。
 プログラムは、この写真をコンセプトとした映像や詩、サウンドインスタレーションの展示とぅイブや朗読公演で構成される。企画した佐藤道元さんは「アートというフィルターを通すことで直感的に理解できることがあるのではないか」。
 9日には、元AKB48の仲谷明香が劇作家・草屋白玉の新作を、15日には詩人・和合亮一が音楽と共に「廃炉詩編」と「詩の礫」を朗読する公演がある。ライブや朗読は一部を除き有料。問い合わせは同劇場ボックスオフィス(0570010296)へ。(増田愛子)

「雑」が解放する(326asahi)

 展示室に並べられることなんて全く想定せずに作られた土俗的、民族的な造形物や雑貨を扱った展覧会が東京と静岡で開かれている。ともに実験性に富んだ試みで、見る者に「アートとは何か」と再考させる。
芸術?そうでなくても構わない

 目が飛び出した仮面があれば、鼻の穴の大きなものもある。色も形、大きさもばらば
らな仮面が約100点、壁にとりつけられて鑑賞者と向き合っている。
 重点・六本木の国立新美術館で69日まで開催中の「イメージの力」展は、こんな展示から始まる。長屋光枝・同館主任研究員は「通常なら作品を『見る』来館者が、『見られる』状態になる。いつもと違う展覧会だとまず体感してほしい」と話す。
 確かに、ひと昧違う展覧会だ。文化人類学者の青木保館長の肝いり企画で、大阪の国立民族学博物館が所蔵する世界各地の民族資料や生活用具約34万点から選ばれた約600点を展示。美術品として生み出されたものはぼとんどなく、作者も制作年もほぼ分からない。研究対象なら地域で分類しそうなところだが、今回は美術館らしく、できるだけ共通する造形的な普遍性を見いだすことを試みている。

来歴説明無し

 好例が「光」や「高さ」に着目したコーナー。時代や地域を超えて、造形物が集めら
れ、ギリシャとモロッコの衣装が隣り合わせに。造形を純粋に見てもらうために、作品
の来歴などの説明も展示室にはない。「この地域のこの表現がこう伝わるんだ」といっ
た文脈や物語を組み立てることができず、戸惑いを覚える向きもあるだろう。
一方で、展示室に並べると何でもアートに見えてしまう力学と背中合わせの企画でも
ある。それを自覚し、最後の展示室では、かごや網などを、あえてデュシャンや「も
の派」といった現代美術の表現を連想させるように展示し、美術館や現代美術という
文化的な「装置」の政治性も相対化している。
 長屋研究員は、「造形物を文脈や意味性から解放し、生活の中でイメージがどう用い
られてきたかを考えてもらえれば。イメージとは、人間の想像力が働いて生まれるもの
だから」と語った。

 切手も紙袋もこうした問題意識を、よりカジュアルに展開するのが、静岡県三島市の「大岡居ことば館」で61日まで開かれている「これっていいね 雑貨主義展」だ。
 画家の谷川晃一(76)が集めたインドやアフリカの布などの民族的な造形物から、かご
や陶器といった生活雑器、さらには切手やトランプ、現代のコーヒーショップの紙袋ま
で。あわせて谷川白身の作品も展示され、展示はさらに雑多。展覧会と同名の書籍も平
凡社から出版された。
 谷川は「分類すると近代の常識に収めてしまう事になるし、もっと軸足を暮らしに置きたい。展示すれば、芸術のように見えるかもしれないが、芸術であってもなくても構わない」と話す。
 とかく「これはアートか否か」を先にするのが近代芸術の世界。谷川が雑貨を集める
理由の一つは「(こうした)芸術病から解放されていたから」だという。
 そう、両展は既成の枠組みからの「解放」で通じている。 (編集委員・大西若人)

芸術?そうでなくても構わない

鎮魂と再生の祭り」膨らむ構想(305asahi)

みちのくアート巡礼・赤坂憲雄

 「まだ妄想状態ですが」と断りながら、赤坂憲雄・学習院大教授(60)は「みちのくアート巡礼」というプロジェクト構想を語る。
「被災地で毎年11カ所、アートイベントを開き、人々が巡礼のようにたどって歩く。8年続ければ88カ所の『札所』となり、鎮魂と再生のモニュメントが残される」という内容だ。
 専門は民俗学。福島出身の父祖に導かれるように東北各地を歩き、総合的な地域研究「東北学」を提唱してきた。
 東北芸術工科大(山形市)の教員となったことでアートが身近に。大学院長を務めた2006年ごろから、山間の湯治場を舞台にした小さなアートイベントに関わった。「院生らが湯治場の人々と交流しながら制作をすることで、地元の若者の活動も盛んになり、裏返していた湯治場の風景が変わった」
 その後、福島県立博物館(会津若松市)の館長として10年から「会津・漆の芸術祭」を開催。地場産業・漆工の職人と現代アートの作家が協働する試みだった。地域に関わるアートの可能性に確信を深め、福島と北開東、新潟を巡る広域型アートイベントを構想し
ていたところに、震災が東日本を襲った。
 被災地、とりわけ原発事故に見舞われた福島には、「復興や賠償を巡って、深刻な分断と対立がある。だからこそアートの無用性と無償性が武器になる」。被災地の隠された現実を思いがけない形で浮き彫りにし、人々を祈りや瞑憩に導くアートへの期待が「巡礼」構想に発展した。
 これまで各地でアートイベントの「種」をまいてきた。すでに「巡礼」構想に参加したいという声も届いている。「東京オリンピックという中央集権的な『祭り』とは対極的に、草の根の小さなイベントをつなぐ『鎮魂と再生の祭り』を目指したい」  (西岡一正)