2010年6月15日火曜日

「ヤン・ファーブル×舟越桂」展(609asahi)



東西・古典との「対話

 「ヤン・ファーブル×舟越桂」という、異色の顔合わせによる展覧会が金沢21世紀美術館(金沢市)で開かれている。崖虫や骨を素材とする立休で知られるベルギー出身のファーブルに対し、舟越は木彫で遠くをみつめる人物像を造形する。2人の主要作品を網羅するとともに、それぞれの創作の背後にある古典絵画を展示し、重層的な「対話」を試みている。(西岡一正)

新しい人間像追う2人

 緑色のタマムシで覆われたドレスのような立体。そう聞けばファーブルの代表作「昇りゆく天使たちの壁」に思いあたるだろう。今回の展示では、フクロウの頭部を並べたインスタレーションや自身の血液を使ったドローイング、自ら騎士に扮して見えない敵と戦う映像などが加わり、「死」のイメージはさらに濃い。一方、舟越は木彫による人物像で一貫している。その表現は身近な人物から、肩に突起や手が生じた造形、両性具有者へと緩やかに変容してきた。特徴的なまなざしも「みつめる」から「観照する」へと深まっている。近年の「スフィンクス」シリーズの、戦争という人間の愚行を眺める作品に、それが端的に表れている。
 この2人の作品が円形の展示室で向かい合う。輪切りにした骨片で外面を覆った「ブリュージュ3004(骨の天使)」と、肩に羽のような手がついた女性像「水に映る月蝕」。ファーブルが「聖母マリアのイメージを重ねた」という前者は、「死」とともに「再生」を含意する。後者の、肩についた手は「人は他者に支えられて生きている」ことを形にしている、と舟越は語る。膨らんだ腹部にも「生」への希望が宿る。
 この「対話」から浮かび上がるのは、両作家が「新しい人間像」を希求していることだろう。もとより資質も作風も大きく異なるから、「希求」の様相もまた異なる。それを照らし出すのが、古典絵画との「対話」だ。
 「骨の天使」の背後の壁面には15~16世紀のフランドル絵画が展示されている。いずれも宗教絵画で、イエスの誕生と受難などを措く。ファーブルが「フランドル絵画は私のルーツ。今もインスピレーションを得ている」と認めるように、「死と再生」というテーマは古典から受け継いでいる。
 だが、古典に象徴される歴史や精神文化は、現代の作家にとって束縛ともなる。狩れを作品化したのが「私自身が空になる(ドワーフ)」だろう。15世紀フランドルの治者を描いた肖像画に顔を打ちつけるように立ち、血を流す自己像だ。創作の背後に隠れた、歴史とのすさまじい「格闘」をあらわにしている。
        
 舟越の作品には河鍋暁斎の「慈母観音像」 (展示は27日まで)など、明治期の仏教絵画対置される。西洋文明と直面する中で措かれた観音像と、日本人でカトリック信者である舟越の彫像。ファーブルの場合ほど明瞭ではないが、日本的近代とのひそかな葛藤をう
かがわせる。
 現代の作家と古典を「対話」させる企画は、仏ルーブル美術館が2004年から続けているとい
う。今回の展示は、08年に開催されたファーブル展をさらに膨らませて、西洋と東洋との「対話」を重ねている。さらにいえば、古典を収蔵するルーブル美術館と現代アートを発信する金沢21世紀美術館との「対話」という試みでもある。
 ▽8月31日まで。金沢市広坂1の2の1。7月19日、8月9、16、30日を除く月曜と7月20日休み。

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