2012年6月2日土曜日

ファウスト  悪夢たどるような不気味さ(601asahi)


 ゲーテの有名な戯曲を原作にしているが、アレクサンドル・ソクーロフ監督が自由に脚色した独自な映画である。原作の壮重さ碓大さとは違って、むしろ徹底的に卑小でグロテスクな世界になっているが、しかしこれまで見たこともないようなイメージが次々に現れて、自分はいったい何を見ているのだろうかと、悪夢を確かめるような気持ちで圧倒されてしまう。
 まだ錬金術のあった時代のドイツかどこかの田舎町。この町の様子自体がどこか悪夢めいている。ファウストは当時の先端の学問をきわめた知識人らしいが、汚い小屋の中で人間の死体の解剖に熱中して、内臓などをさぐっては「魂はどこにあるのだ?」とわめいている。学問の追求がついに狂気に至ったような不気味な場面である。科学の発達で人類の自滅も可能になった今日では、学者が正気を失ったら困るので、原作の戯画化として笑ってもいられない。
 ファウストはこんなあやしげな研究の費用に困って、悪魔だという噂のあるマウリッツィウスという高利貸を訪ね、なんでも望みがかなうという契約を結ぶ。そして純情な乙女マルガレーテの悲劇がおこる。この女性の素晴らしく美しい場面もあるが、この映画でいちばん印象に残るのは、メフィスト役のこの男の薄気味の悪さである。小さな尻尾があったりして妖怪めいており、それでめっぽう愛想よくファウストにまとわりついて
くる。彼が喜々としてふるまうこの田舎町全体がなにやら化け物の巷のように思えてくる。
 これは昔の話だが、少し見方を変えればいまの世界もこんなふうに見えるかもしれない。ソクーロフの映画は見てどう受け止めればいいのか途方に暮れることが多いが、こんどはとくにそうだ。昨年のベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作品。(佐藤忠男・映画評論家)
 2日から各地で順次公開。

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