2012年10月25日木曜日

見えないものを示す機能(1024asahi)

3.11とアーティスト進行形の記録
 アートや芸術とは、実生活で役立たぬものの代名詞的存在だろう。一方で、アートを生み出す人々もアーティストである前に、実生活を送る普通の人間。昨年3月の大震災の後、被災地へ向かった者も多い。この展覧会は、23作家の動きを、ほぼ時系列で淡々と記述している。

 その動きを大別すれば、まず被災者を励ます試み。いや、励ますというのはおこがましい。気分転換を図る、か。2人組のトーチカは仮設住宅の人々とペンライトで空中に絵を描き、加藤翼は故障した灯台の2分の1模型を廃材で横倒しに作り、住民と引き起こした。「みんなでいっしょに」が鍵だ。
 次が記録。宮下マキは被災地の妊婦を現場で、畠山直哉は故郷・陸前高田市の姿を静かにとらえている。タノタイガにいたっては、アートらしいユーモアを込めているとはいえ、がれき撤去鬼どの普通のボランティア活動の跡を写真やゆかりの品々で紹介。そんな「普通」の記録が、美術展に出ていることに軽い戸惑いを栄えつつ、一方で、会場に置かれた、被災者から護り受けたワニの剥製が遠洋漁業に従事する人が多いことを物語ると知り、なるほどとも思う。
 実はこの展覧会は、アートに別の力も見ているように映る。
 会場最初の展示は、照屋勇賢の「自分にできることをする」=写真上。滞在先の前橋市で震災を体験した照屋は、直後の数日間の地元紙1面に大きく載った被災地や福島第一原発の写真部分に切り込みを入れ、小さな芽を数百本立ち上げている。
 藤井光は追悼集会の映像などを教本展示しているが、展覧会の終わり近くの大画面では森の風景を見せる=同下は「沿岸部風景記録」から(部分)。鳥のさえずりがなければ、動画と分からない静けさ。しかし福島県飯舘村の森と知り、ああ、このどこまでも美しい森に放射性物質が降り注いだのだと思う。
 府屋はどんな災厄からも新しい芽が生まれうることに、藤井は飯館の森の本来の美しさに気づかせる。見えないもの、見過ごしがちなものを示すこと。これぞ忘れてはならないアートの機能の一つだろう。タノタイガのワニの剥製に納得したのも、これがあるからに違いない。
 飯館の森でも、毎年新しい芽が生まれ続けるはずだ。見終われば、そう思いが及ぶことになる。  (編集委員・大西若人)
 ▽12月9日まで、水戸市五軒町の水戸芸術館。月曜休館。

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