2012年9月20日木曜日

死を恐れず、冒険者であれ(918asahi)

しりあがり寿「オーイ♥メメントモリ」
生のはかなさと悦び表現

 今にも死にそうな主人公が、人気スポットで「メメント・モリ(死を思え)」と叫ぶ、しりあがり寿のギャグ漫画『オーイ♥メメントモリ 完全版』 (メディアファクトリー)が出た。東日本大乗災以後、死と再生をテーマにした作品の出版が相次ぐ獲画家の、死生観とは。
 『オーイ♥メメントモリ』は1999年から昨年4月まで、11年半にわたる月刊誌の連載をまとめた。今も新シリーズが続く。
 毎回、やせ細った主人公が病院を扱け出し、人気アイドルグループのコンサートや都会のトレンドスポットに出かける。そこで生のはかなさを思い、時に「あの世」を夢想し、そこに集う人々に無理やり死を思い出させて終わる。
 この主人公が誕生したのは81年にしりあがりが美大を卒業して作った獲画研究会OBの同人誌。以来、30年以上も描いてきた。「80年代はパロディー獲画を措いていて、重いもの、価値のあるものを笑ってやろうとしていた。その中で死をどうとらえるか。ぼくは死がすごく怖かったからひきっけられ、描くことで死を納得したかった」としりあがりは振り返る。
 当時、ホラー映画や次々に人が惨殺されるスプラッター映画がブームだった。「生活からどんどん死が見えなくなっていく一方で、みんな生きていることを確認するために、死体とか血が噴き出す生々しさを求めている気がした」 90年代からは、お伊勢さんを目
指す弥次さん喜多さんが、夢とも現ともつかない世界にはまり込んでいく『真夜中の弥次さん亭多さん』に始まるシリーズで、「死」というテーマを正面から追求した。
 それが、少し変わってきた。「年を取って自分の死よりも、子どもとかその未来に興味が移ってきたかな。死んですべて終わり、などと言ってられない」
 大裏災後に緊急出版した『あの日からのマンガ』では、「あの日から」50年後の子どもたちを天使のような翼を持つ姿に措いた。
 今年5月に出版した『ゲロゲロブースカ』は、放射能に汚染され、老人と14歳までしか生きられない子どもだけの世界が舞台だ。86年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに描き、5年前に単行本化した作品の新装版だ。
 その最後のシーンは一言、「生きて」。描いた当時は、まさか日本で原発事故が起きるとは思っていなかった。今回、あとがきにこう書いた。
 「それがどんなに過酷な生でも、そこには生きている悦びがあるだろう」 「子供たちよ、死を恐れる健常の奴隷でなく、無常を悦ぶ冒険者であれ」  (伊佐恭子)

「死者と共にある」姿勢
    精神科医・斎藤囁
 しりあがり寿のマンガには、デビュー当時から一貫して、脱力系ギャグと清冽なリリシズムが混在している。それは『メメントモリ』でも変わっていない。
 死に対する恐怖をどう扱うかは作家によって異なるが、しりあがりの場合、「死者と共にある」という姿勢が一貫している。この姿勢は、3・11以後は広く共有されたが、彼に
は本来の資質として備わっているのだろう。
 『弥次喜多』では、死を取り込んだゾンビ的な存在を措きながら、根底に鎮魂のモチーフ『メメントモリ』に通ずる感覚だ。
 『ゲロゲロブースカ』は今回の新装版で初めて読んだが、発表当時に流行っていた終末観とはかなり異質な作品だ。ここに描かれる「未来の子供」たちは、死者たちと同じ「不在の他者」。彼らとともにあろうとする感覚もまた、鎮魂に通ずるだろう。

朝日新聞の連載マンガ「地球防衛家のヒトビト」でも、『あの日からのマンガ』になった震災後のシリーズには死の影が出てきた。3・11で彼の資質がより鮮明になった印象が
ある。

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