2013年10月24日木曜日

分析すり抜ける無限の謎(1023asahi)

横尾忠則の「昭和NIPPON」

物事を整理・分類し、独創性を重んじること。あるいは技術を磨き、前進、進歩してゆくこと。画家・横尾忠則(77)の表現は、こうした近代の価値に何かにつけて反し、あるいはそこから逸脱してゆく。青森県立美術館での大規模個展は、そうした思いを強く抱かせる。
 まず、展示構成。様式やモチーフではなく、戦後日本の精神史を手がかりに、「日本資本主義」 「忘れえぬ英雄」といった章ごとに、絵画やポスター、雑誌の原画などが時代を超えて集められている。昭和史、特にその大衆的、土着的な側面に、強い色彩と奔放な筆の絵画などを通し、一人で呼応できる驚き。同時に、こうした筆立てが次々に無効化される快感を味わう。例えば、「陰惨醜悪怪奇」なる章の絵画「地球の果てまでつれてって」 (1994年)=写真上。洞窟内の泉のような場所でエロチックな光景が展開される。見てはいけないものをのぞき込むような少年たち。そして奥には赤いキノコ雲。これらは
他の作品でも繰り返し登場するし、この一枚も、「泉」の章でも「幼年時代」の章でもおかしくない。分野分析してもスルリと逃げてゆき、謎めいた魅力を残す。副題にある「反復・連鎖・転移」のゆえだろう。
 近代の表現といえるグラフィックデザインからスタートしながら、81年に画家宣言した横尾の表現を美術史に位置づけたくもなるが、模写や引用の多用ならポップアートだし、大きな筆遣いと鮮やかな色彩はニューペインティングや表現主義に通じている。いや、夢と現実、生と.死が混交する以上、超現実主義や象徴主義あたりか。でもそのどれでもなく、また反復、転移してゆく。毎年のように各地で横尾展が成立しうるのは、解釈も無限に転移するからだろう。
 そして、建築家の青木浮が縄文遺跡の発据現場に着想を得た建築空間。展示室が洞窟のように連なり、塵や床が土でできている部分もあり、作品の土着的な魅力を引き出す=同下。見終わると、また振り出しに誘導するのも心憎い反復性だ。
 ここにあるのは、土俗的な前近代なのか、大衆的な脱近代なのか、情念の一人ポストモダンなのか。常識はずれの規格と無限の謎を秘めた世界は、頭をクラクラさせながら堪能するほかない。 (編集委員・大西若人)
 ▽11月4日まで、青森市安田の青森県立美術館。図録は赤々舎から刊行予定。

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