2012年3月24日土曜日

吉本隆明さんを悼む(319asahi)

思想の「後ろ姿」見せてくれた
高橋源一郎(作家)

いま吉本さんについて書くことは、ばくにはひどく難しい。この国には、「わたしの吉本さん」を持っている人がたくさんいて、この稿を書く、ほんとうの適任者は、その中にいるはずだからだ。
吉本さんは長い間にわたって、多くの人たちに、大きな影響を与えつづけてきた。
けれども、その影響の度合いは、どこでどんな風に出会ったかで、違うのかもしれない。
半世紀以上も前に、詩人としての吉本さんに出会った人は、当時、時代のもっとも先端的な表現であった現代詩の中に、ひとり、ひどく孤独な顔つきをした詩を見つけ驚いただろう。そして、この人の詩が、孤独な自分に向かって真っすぐ語りかけてくるように感
じただろう。
60年代は、政治の時代でもあった。その頃、吉本さんの政治思想に出会った人は、社会や革命を論じる思想家たちはたくさんいるけれど、彼の思想のことばは、他の人たちと同じような単語を使っているのに、もっと個人的な響きを持っていて、直接、自分のこころ
の奥底に突き刺さるような思いがして、驚いただろう。
あるいは、その頃、現実にさまざまな運動に入りこんでいた若者たちは、思想家や知識人などいっさい借用できないと思っていたのに、この「思想家」だけは、いつの間にか、自分の横にいて、黙って体を動かす人であると気づき、また驚いただろう。
それから後も、吉本さんは、さまざまな分野で思索と発言を続けた。そこで出会った人たちは、その分野の他の誰とも違う、彼だけのやり方に驚いただろう。
吉本さんは、思想の「後ろ姿」を見せることのできる人だった。
どんな思想も、どんな行動も、ふつうは、その「正面」しか見ることができない。それを見ながら、ばくたちは、ふと、「立派そうなことをいっているが、実際はどんな人間なんだろう」とか「ほんとうは、ばくたちのことなんか歯牙にもかけてないんじゃないか」と疑うのである。
けれども、吉本さんは、「正面」だけではなく、その思想の「後ろ姿」も見せることができた。彼の思想やことばや行動が、彼の、どんな暮らし、どんな生き方、どんな性格、どんな個人的な来歴や規律からやって来るのか、想像できるような気がした。どんな思想家も、結局は、ばくたちの背後からけしかけるだけなのに、吉本さんだけは、ばくたちの前で、ばくたちに背中を見せ、ぼくたちの楯になろうとしているかのようだった。
ここからは、個人的な、「ぼくの吉本さん」について書きたい。
ばくもまた、半世紀前に、吉本さんの詩にぶつかった少年のひとりだった。それから、吉本さんの政治思想や批評に驚いた若者のひとりだった。
ある時、本に掲載された一枚の写真を見た。吉本さんが眼帯をした幼女を抱いて、無骨な手つきで絵本を読んであげている写真だった。それは、ぼくが見た、初めての、思想家や詩人の「後ろ姿」の写真だった。その瞬間、ずっと読んできた吉本さんのことばのすべてが繋がり、腑に落ちた気がした。「この人がほんものでないなら、この世界にほんもの
なんか一つもない」とばくは思った。その時の気持ちは、いまも鮮明だ。
大学を離れ、世間との関係を断って10年後、ばくは小説を書き始めた。吉本さんをたったひとりの想像上の読者として。その作品で、ばくは幸運にもデビューし、また思いがけなく、その吉本さんに批評として取り上げられることで、ぼくは、この世界で認知され
ることになった。ばくは、生前の吉本さんに何度かお会いしたが、このことだけは結局、言いそびれてしまった。おそらく、それは「初恋」に似た感情だったからかもしれない。ばくが、この稿に適さぬ理由は、そこにもある。
吉本さんの、生涯のメッセージは「きみならひとりでもやれる」であり、「おれが前にいる」だったと思う。吉本さんが亡くなり、ぼくたちは、ほんとうにひとりになったのだ。

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