2010年5月26日水曜日

清志郎さん幻のテープ巡る書籍(511asahi)


音楽の原点を探る


日本の「キング・オブ・ロック」、忌野清志郎さんが亡くなり1年が過ぎた。清志即さんが高校時代のガールフレ
ンドに贈った録音が見つかったが、それを見つけたのが作家の神山典士さんだ。発見の経緯などを明かしたノンフィ
クション『忌野清志郎が聴こえる 愛しあってるかい』(アスコム)を刊行した。(近藤康太郎)

 清志郎さんががんで亡くなったのは昨年5月。神山さんは、出版社から清志即さんについて執筆を依頼され、まず、高校のころすでにプロデビューが決まっていた清志即さんの原点を探ろうと、都立日野高校の同窓生に片っ端から当たるローラー作戦″をとった。
 「まったくの幸運ですが、同窓生の一人から『初恋の人がいたらしい』という証言を得た。現住所を調べあげて会いに行くと、『たしかに高校2年のころからつきあっていた。高3の冬に清志郎さんからテープをもらったこともある』と言うんです」
 彼女がプレゼントした手袋のお礼にと、ソニーのオープンリールに録音されたテープが、清志郎さんから贈られた。初期RCサクセションのメンバーのトリオで演奏している録音だった。3人で評論家になりきり座談会をしたり、DJごっこをしたり。作られたのは、1968年ごろと思われる。 2人が交際するきっかけになった清志郎さんの爆笑ものの年賀状、教室で会話を交わせないシャイな2人がつっった交換日記などもあった。
 清志郎さんの係累には、『大菩薩峠』の著者中里介山ら、多くの「表現者」がいることも分かった。
 取材の最終盤、神山さんは清志郎さんの伯父を訪ねた。清志郎さんは実母を早くに失い、伯母に引き取られて育った。生みの母の兄だ。「最晩年に至るまで、清志郎さんが足しげく通い、親しく話をしていた重要人物」だという。
 「呼び鈴を押して玄関が開いた瞬間、私は日を疑う思いだった。/-清志郎さんだ!/そこに現れたのは、ディップこそつけていないが白髪をツンツンと天に向かって伸ばし、笑うと溶けてしまうような細い目をした小柄な老人だった」 (本文から)
 伯父は中学、高校教師をしていたが、夢介という筆名で著作もあった。
 清志郎さんの最後のアルバムとなったのは、米ナッシュビル録音の「夢助」。夢を見続ける男、Dreamerの和訳と推測されていたが、神山さんは「夢介を『ゆめすけ』と読んだ、清志即さんの自らのルーツへの思いがあったのではなかったか」と想像している。

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