2010年5月9日日曜日

パンク、音楽を超えて(422asahi引用)



マルコム・マクラーレンを悼む
  東京芸大准教授
( 社会学・文化研究)
  毛利義孝

 マルコム・マクラーレンとは何者だったのか。セックス・ピストルズの元マネジャー、70年代のパンク・ムーヴメントの仕掛け人というのが一般的な紹介だが、ピストルズ結成前からヴィヴィアン・ウエストウッドとファッションブティックを立ち上げ、パンクを音楽だけではなく、ファッションやライフスタイルを含む総合的な文化現象として広めたのは、間違いなく彼の功績だ。ピストルズ解散後は、音楽プロデュースの傍ら自らミュージシャンとしても活躍した。
けれども、これぼど毀誉褒I相半ばした人物も珍しい。ピストルズの成功をすべて自分の手柄にしようとする露骨な言動もさることながら、あらゆるスキャンダルやトラブルを話題作りに利用しようとするその露悪的な手法は、一般大衆だけではなくしばしば音楽業界内でも撃買った。揚げ句の果てには、解散後の権利関係を巡ってピストルズのメンバーとまで法廷で争つことになった。天才プロデューサーと評価される一方で、どこか「詐欺師」「いかさま師」のイメージが付きまとったのも事実だ。
 けれども、90年代になって、パンクが歴史の一コマになり、当時の時代状況が客観的に分析されるようになると、マルコムに別の位置付けが与えられつつある。それはシチュアシオニスト(情況主義者)の末裔としてのマルコムである。
 シチュアシオニストとは、フランスの思想家・映画作家、ギー・ドゥボールが50年代末に始めた、文化を通じた政治運動だ。現代社会をメディアと資本主義が支配する「スペクタクルの社会」ととらえるこの運動は、落書きやビラなど自律的なメディアを利用しながら白分たちの生活を再デザインし、メディアに奪われた都市生活を自らの手に奪還することを主張した。68年のパリ五月革命にも影響を与えたことで知られる。
 学生時代にパリ五月革命に参加しようとした(が、結局たけこ辿りつけなかった)マルコム自身、インタビューの中でシチユアシオ:ストに大きく影響されたことを語っている。実際自主レーベルや「ジン」と呼ばれる同人誌などのパンク文化のDIY(Do It Yourself)精神は、シチュアシオニストの戦術と重ね合わせることができる。一過性の流行に見えたパンクは、マルコムにとって、いささかひねくれた形ではあるが、68年の政治に対する彼なりの回答だったのではないか。
 今日、メディアと資本主義の支配はますます強固になりつつあるように見える。その一方で、インターネットやデジタル技術の発達のおかげで、パンク文化とは違った形の、新たなDIY文化を可能にする環境も整いつつある。ポップ・シチュアシオニスト、マルコムの死は、デジタル時代のパンク的な政治文化のあり方を再考するきっかけとなるかもしれない。

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