2013年8月22日木曜日

「内臓感覚」展(807asahi)

体内の感覚視覚で表現

 刺激的な映像やスマホの画面など視覚優先の情報が駆け巡る今の世にあって、逆に身休感覚や皮膚感覚を生かした、あるいは題材とした美術表現も目立っている。この展覧会はさらに踏み込み「内臓感覚」。内外の13 作家には、一度見たら忘れ難い強度を備えた表現が多い。
 草間蒲生(1929年生まれ)は60年前後の網目の絵画とともに、布製の小立体100点による「雲」(鎚年)を出品=写真上。色こそ白いものの、肉片や内臓のようでもあり、うごめ
くような存在感に圧倒される。
 今廣は解剖学者の故・三木成夫の考察に刺激を受け、根源的で精神にも関わるという「内臓感覚」を手がかりにしている。こうした存在を、視覚表現で伝えうるかがポイントだろう。
 オランダのサスキア・オルドゥオーバース(71年生まれ)による、白い抽象彫刻が滴り溶けるような映像には、ぬるぬる感を味わ一つ。スウェーデンのナタリー・エールベリとハンス・べり(ともに78年生まれ)は、生々しい身体が登場する、コミカルにして毒気のある粘土のアニメを展開。志賀理江子(80年生まれ)は写真の表面にぬめりすら感じさせる。
 女性作家の表現が目立つのは、「内臓」を意識することが多いからか。男性では、体
にハンディを抱えつつ花の生理に向き合った故・中川幸夫の臓器のようなガラス器や、胎児を思わせる人物像を毒々しい色づかいで描き出す加藤泉(69年生まれ)の絵画が見逃せない。
 そして、スイスのピピロッテイ・リスト(62年生まれ)が円形の展示室の全壁面に映像を投影した「肺葉(金沢のまわりを飛び交って)」 (09年/13年)=同下。泥水の中を歩んだり、果物を手でぐじゃぐじゃに握ったり、花を食べたりといったイメージが鮮やかな映像と気だるい音楽とともに続き、自分も体験している感覚に。あるいは作者の体内を巡る味わいか。
 多くに通じるのは、突き詰めた内側が「クラインの壺」のように外側に表出した感触や、視覚表現が「ぬるぬる」といった擬態語で表される触覚を導く快楽、官能があること。これぞ表現の妙味といえるだろう。
 環境汚染、難病、放射線にさらされる現代。身体、そして内臓は表現の集約点の一つとなっている。 (編集委員・大西若人)
 ▽9月1日まで、金沢市の金沢21世紀美術館。19、26日休館。図録は赤々舎から。

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