2013年1月10日木曜日

中西夏之展(1121asahi)   作者目線 新鮮な空間

見やすく、分かりやすく。展覧会は、ふつう鑑賞者の立場で構成される。だが、戦後日本の現代美術に確かな足跡を残す中西夏之(77)の今回の個展で、異なる立場があることを知った。

 中西は前衛美術集団ハイレッド・センターの一貝として1960年代に見せたパフォーマン
スや立体でも知られる。だが今回は絵画に焦点を絞り、50年代末から60年代の連作と、最新の連作を中心に成り立っている。
 第1室の大半を、59~63年の「韻」の連作が占める。砂をまぜた絵肌に、白抜きされたT字形がわずかな間隔を空けて連なり、ファスナーにも背骨の化石にも見える=写真上(「韻'60」 千葉市美術館蔵)。密集ぶりが時代のエネルギーを感じさせつつ、一方で地上絵や何かの痕跡のようにどこか実体を欠く。線で画面を区切ることへの違和感から選ばれた手法というが、それゆえの隙間のある連鎖と、虚構性なのだろうか。
 第2室になると印象が一変。金属製の洗濯ばさみが画面にとりついたシリーズを従え、空間を支配するのは2009年以降の大作絵画の群れだ。白と紫を基調に斑点や編み目のような姿が光に満ちて描かれる。形が確定されず、分化前の万能細胞や解釈される前の網膜上の映像とはかくや、と連想させる。
 見る身が包まれる大画面が十数枚、壁はもとより、展示室に配された数台の画架の上に衝立のように置かれて、こちら向きに連なる=同下。画架の作品が床から十数センチに位置することも手伝い、浮遊感はこの上ない。一方、壁に近づけば、衝立状の作品の裏側が見える。画面表を見せる展示は、極めて珍しい。
 実は中西は、長い柄に筆を取り付けて描く。ならばこの展示は作者の立ち位置から考えられたものではないか。展示室の中央に立って長い筆で壁や画架の作品を描く姿が夢想される。いわば巨大なアトリエなのだ。
 絵画特有の正面性や垂直性を衝立状の作品で際だたせる展示は、制作者の位置という新しい視点を示す。半世紀前の作品に表れた記号の連なりは、絵画と絵画の連なりとなり、ある種の未完の感覚は継続されつつ展開される。絵画の可能性を探ってきた作者の立ち位置ゆえに、展示は創造の瞬間の新鮮さを備えている。 (編集委員・大西若人)
 ▽来年1月14日まで、千葉県佐倉市坂戸のDIC川村記念美術館。祝日を除く月曜と、12月
25日~1月1日休館。

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