2012年5月9日水曜日

ささいなものに潜むドラマ(404asahi)


ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー

人が地上で生きる限り、逃れられないものがある。時間、重力、あるいは自分の休。人類は文明や科学を進め、時間を縮めたり空を飛んだりして、それらからの解放を目指してきた。
スイスの男女2人組による過去最大の個展は、そんなご立派なもの言いとは裏腹に、とるにたらないもの、ささいなものにあふれている。最初の一室は、コケのような自然物から造花のような人工物まで、がらくたとも見えるものが重ねられたり、つられたり。楽しげだが、戸惑う人もいるかもしれない。しかし次第に、ささいなものへの繊細なまなざしに気づくだろう。例えば「涙を読む人」では、乾燥して結晶化したいろんな人の涙を顕微鏡で見る。細かい編み目が走るものあり、粒状のものあり。隣りには作家の涙の結晶の写真が拡大展示されているが、これもさまざま=写真上。
休調や気持ちで形が変わります、などと聞かされると、人が生きた時間のつつましくも確かな痕跡を、体をうんと小さくしてたどった気になる。切なさといとおしさが胸に去来する。
2人は、開催他の水戸に1カ月以上滞在して制作。高い吹き抜けを持つ展示室で展開される抜けを持つ「リンパ系」もその一つだ。
鑑賞者は、天井から吊るされたアルミ箔状幕による大きな円筒の下に寝そべる。この寝そべり鑑賞は二人のおはこで、見上げると、幕に乱反射する光の中、木の枝や部ブイらしきスチロールの塊などが多数中空に。その間を巡るビニール観を、鼓動とともに液体が進む。-同下。
なるほどリンパ液。体内に入り込み、生命の樹を体感する気分。一方で、重力から解かれた宇宙空間のようでもあるし、風にざわめく幕の音が葉擦れに聞こえ、今度は一瞬にして森の中で寝ころぷ感覚になる。さらにブイは藻着物にも見える。すべてのものを流した昨年3月の記憶も封印されているのか。
日常的なものを表現に導入するのは現代美術の手法の一つだが、導入すれば美術になるわけではない。しかし彼らは、一見とるにたらない、しかしいとおしいものに潜む力を引き出し、見る側の時間や重力、大きさの意識を変容させる。現代美術も侮り難い。(璧委員・大西若人)
▽5月6日まで、水戸市五軒町の水戸芸術館。4月9、16、23日、5月1日休館。

0 件のコメント:

コメントを投稿