2013年7月10日水曜日

人から物へ視点の革命(709asahi)

シャルダン×写真家・作家藤原新也


 僕は反動的な仕事をしているというイメージをもたれているが、実は、静物画の魔術
師といわれるフランスのシャルダン(16991779)に影響を受けている。
 静物画というと、おとなしく小市民的な感じがするが、当時の西洋において、絵画から人を消すということは革命的なことだった。それまでの西洋絵画のモチーフというものは神話や宗教画、王侯貴族の肖像画といった人間中心世界で、静物や風景や動物はただの背景に過ぎなかった。
 そんな人間中心の西洋絵画史において、シャルダンが片隅にあるただの静物を主役にしたということは大変なことだった。純粋に美しいと思うものを措いたからだろう。誰かのための絵というしがらみを抜け出し、日常生活で使うモノを主役にするという、革命的なことをサラっとやってのけた。19世紀には印象派は自然を主役にしたが、その視点の転換はすでにシャルダンが先陣を切っていた。
 見上げるような威張った絵ではないことも魅力だ。小さいけれど頑強で擦るぎない。虚飾がなく、そこには確固とした存在がある。ひょっとすると、その擦るぎないささやかな日常が彼にとっての宗教だったのかも知れない。
 出あいは高2の時。親の旅館が破産して、親しい人がハゲタカに変わるのを見た。北
九州の門司から大分の別府に引っ越し、大人への不信感と新しい土地の言葉になじめな
い孤独感を抱えていた。
 そんな時、美術の教科書に載っている絵の静けさに引きつけられた。赤銅色の給水器
が斜光を受けていて、油絵の具で描かれた物が、銅そのものに見えた。措きたいと思っ
た。倉庫からさびた消火器を引っ張り出した。当時の画法を調べ、絵の具を自分で練っ
て作ったりもした。
 シャルダンから受けた影響は、絵そのもの以上に大勢にとらわれない独白の視線だっ
たと思う。僕の写真は視覚の外にある死角、つまり人が普段は見ていないものを主役に
する場合が多い。以前、セイタカアワダチソウの写真を雑誌に載せたら、誰もが悪者と
思う帰化植物も美しかったんだ、と言う読者がいた。すべてをご破算にして世界を見る
と価値の序列が変わり、普段は見えなかったものが見えて来るということでしょう。
 世の中に流通する価値観を壊し、中心ではなく端に目を向けることは、ある意味反社
会的な行為かも知れない。上京後に東京芸術大に入学したが、絵の世界のヒエラルキー
を感じてやめた。シャルダンが今に生きていたらきっと芸大を中退していると思う。

(聞き手・吉村千彰)

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