2012年2月10日金曜日

身体から紡ぎ出す(208asahi)


 現代社会や人間像を見据えた作品群で評価を得てきた日韓の女性作家による大規模な個展が今、首都圏で開かれている。画家の松井冬子(38)と現代美術家のイ・ブル(48)。これまでの歩みが概観できる展示からは、彼女たちが投げかける問いが浮かび上がってくる。
◉「松井冬子展」
「痛み」共有できたら
 


狂気や死の気配が息苦しいぼど立ちこめる世界を、日本画の技法を生かし現出する。横浜美術館の「松井冬子展」 (3月18日まで)では、そんな松井の10年ぼ
どの仕事ぶりを味わえる。
 「女、メス、リアリティーのあるものしか措きません」と松井は言う。その借
念に貫かれた約100点が、「受動と自殺」 「ナルシシズム」など九つのテーマに分けて招介される。
 「プロとしての第一歩」と振り返るのが、2002年の「世界中の子と友達になれる」。少女のつま先は血にまみれ、取り巻く藤の花にはスズメバチが群がる。東京芸大の卒業制作で、松井の方向性を決定づけた。この作品は、本展の副題にもなっている。
 最近の充実ぶりは、たとえば九相国からうかがえる。人間が死んでから骨と化すまでの9段階を措いた鎌倉時代の連作から想を得た。すでに発表した5点を並べると、新しい作品ほど画面が澄んでいる。「網に合うように、粒子の細かい岩絵の具で強く発色するものを使っています。技術的にうまくなったかなあ」
 作品は綿密な計算で構築している。「世界中の~」は、写生を重ね、ゆりかごや少女の配置の異なる下図をいくつも試みた。写生や下図は「見せないもの」と考えていたが、あえて本泉に出した。「イメージがしっかりあって練っている、その過
程を理解してほしかった」
 「痛み」を措き続ける。「痛みは孤独な感覚で、他人には伝わらない。でも
(絵という)視発から得られる什報で、その構みを共有できたら」。万人に伝わ
らないことはわかっている。「1万人に1人の割合でもスカンと暮ん中に入れば十分。伝わると居じています」    (新谷祐一)

◉韓国の現代美術家「イ・プル展」
人間の条件語りたい
 身体から都市風景へ。

 東京・六本木の森美術館の「イ・プル廣」 (5月27日まで)に表れる彼女の20
年の歩みは、そんな風に形容できる。
 人間の腋器が肥大化したような布製の彫刻。冒頭、ひりひりする切迫感を伴う
1989年の表現に出あう。「不条理な世界への抵抗であり、既存の彫刻とは違う表現を選びました」
 軍事政権から民主化へと動く時期に「アーティストなら制約がない」と選んだ
通。内面が表出したような彫刻を身にまとい、パフォーマンスを繰り返した。
 97年ごろにサイボーグのシリーズを始める。人体改造、遺伝子操作、ロボット
といった現代の知と欲望と痛がうずまく存在を、日本のアニメを思わせる硬質さ
と、ギリシャ彫刻の崇高さを重ねた白い立体で表現。生命科学の暴走を連想させ
るモンスター的作品も含め現代の空気をすくい取って国際的評価を高めた。
 2005年ごろから、歴史上の理想郷などを参照した都市風景的立体へ。エスペラント語の電飾でユートピアに関する言葉を伝える塔状の作品や、複数の理想建築が集合する模型状の「私の大きな物語 石へのすすり泣き」 (05年)だ。
 しかしその都市風景は、小さな部品や断片の積み重ねで生まれ、鏡面の床の上
で浮遊感を醸す。「世の中は部分や小さなできごとによってしか把撞できない」
と語るイ・ブル。その身休から紡ぎ出されたドローイングを組み合わせ大作にし
てゆく点では、身休の延長上にあるともいえる。
 文化や社会の違いを超えて「普遍的な人間の条件について語りたい」と話す。
誰もが持ち、痛みや欲望の起点となる身体からの表現と、過去作を「当時は野心
だけが大きくて、準備が足りなかった」と振り返る聾実さが、それを支える。-
 混迷の続く21世紀、「アートに答えは出せないが、大きな問いを考えるきっか{
けにはなる」。(大西若人)

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