2012年2月10日金曜日

ピンと張った背の軸(131asahi2)

石岡瑛子さんを悼む

 周到な準備と強い意志のもとに、石岡瑛子がニューヨークを本拠として選んでから30年ほどの年月が経った。
 世界を舞台に活躍するという形容がぴったりの芸術活動で知られる石岡さんの急逝には、彼女に直接面識がなくてもその仕事のイメージを見ていた多くの人たちが驚き、私を含め仕事を共にした各国の仲間は深い悲しみに沈んでいる。
石岡さんは1970年代の東京で、グラフィックデザインを中心にアートディレクターとして強い存在感を示しているが、それは広告一つにも時代を見すえ、社会的なメッセージを盛りこむ意気込みあってのことだった。「女性よ、テレビを消しなさい」と角川文庫で、「西洋は東洋を着こなせるか」とパルコのファッション広告で呼びかける。
 正義感というと大げさなようだが、石岡瑛子の背筋にはピンと張った軸線があって、女性が顕在化し、はっきりした表現を示すことを望み、もちろん男性にも対等にそれを認めるよう求めた。広告主の経営者とは直接会い、アイデアの理解を徹底した。
 フォトグラファー、イラストレーター、コピーライターなどの若い才能がいっせいに開花しはじめた頃で、石岡瑛子はそれら同時代のクリエーターのすぐれた才能との共闘で新聞、雑誌、テレビなどのメディアに切り込むリーダーシップを発揮した。フェミニズム私凰柳はしなかったけれども自らの行動でそれを示していた。その自借の基盤には昭和のリベラルな思想と愛情をもって娘を見守った両親の存在がある。
 広告も、発想から定着まであらゆるプロセスを完壁につくりあげたからこそ、それは自立する作品となり、海外のクリエーターの注目を集めることになる。
 EIKO by EIKO』という作品集の出版を機に東京を後にするが、グラフィックデザインの分野に安住することを望まず、仕事の領域を広げて自分により高い妻求をつきっけることを考え、実行したのだった。
 フランシス・コッポラ監督は『EIK0 0N STAGE』の序文で「領域など無いことを知っているアーティスト」と書いているが、チャレンジとレボリューションを常に語っていた彼女の口から、あのやわらかで少し鼻にかかった声を聞くことはできなくなった。
 ロング・グッバイエイコ!
小池一子   (クリエイチイプ ディレクター)

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