2013年3月16日土曜日

小説は死者と生者つなぐ(311asahi)

 東日本大震災から2年を迎えるこの春、死者とともに歩む2冊の本が刊行された。池澤夏樹氏の『双頭の船』は、被災地を旅する船が復奥の衝へと変身する軌跡を描く。いとうせいこう氏の『想像ラジオ』は、生者にも死者にも声を届けるディスクジョッキーの物語。1万5千人以上が亡くなった事実をどう受け止めるのか。考え続ける作家が対談した。
 池澤 被災地には何回も通っているが、行くたびに、人がいる気配を感じる。建物がなくなった後のコンクリートの土台がお墓に見えて、墓参のような気持ちになる。原発や町の再建問題もあるが、ずっと考えているテーマは死んだ人たちのこと。
 いとう 被災地を車で走っていた時、晴闇の中からざわざわと声が聞こえると思った。それを聞き取らないとダメだと思った。僕は16年間小説が書けなかったが、震災チャリティーで短編を数本書いた後、あの声を書かなければ二度と書けないと思い、『想像ラジオ』を書き始めた。震災関連の労作は多いが、死者と生者をつなぐフィクションがなくて、今回、池澤さんの『双頭の船』を読んで、向こう側とこちら側とに通路があり、そこ
に風が吹けば、死者と生者をつなぐ何かが生まれると感じた。
 池澤 以前から、唐突に死んでしまった人は自分の死をどう納得するのかが気になっていた。.準備ができていない死、不慮の死をどう受け入れるか。宗教を持たない僕らの大半は、向こうへの渡り方、見送り方、悼み方を持っていない。そのことをずっと考えていたところへ震災が来た。
 いとう 日本には、非業の死を遂げた人の霊をしずめるための能や歌舞伎や浄瑠璃があった。死者の恨みをどう共有するのかという意味で、芸能や文学が人の魂にふれてきたと思う。今、科学も宗教も生と死をとらえきれない。だから、その中間領域に小説を置かないといけないと思った。
 池澤 医学は科学だから「ご臨終です」で、終わる。でも、そこから始まるものがある。死を納得するための工夫が要る。僕は、震災で母親を亡くした友人から、どうやって亡きがらを見つけ、どう弔ったかを丁寧に聞いた。彼は語ることで自分の申の何かを鎮めた。僕は体験の一部を受け取ることで何かを担った。
 いとう 「双頭の船」というのは、頭の一方が死の世界に向かっていて、もう一方が生の世界へ向いていると思う。死の海が生の舶先に接し、生の海は死に接し、死と生が行き来する動力でこの船は進む。そして、船を縦にすると時間軸になる。下は過去でみんな死んでいる。上は未来ご」れから生まれる未来の人は、今はまだ死んでいるともいえるわけで、過去と未来は死でつながっている。
 『想像ラジオ』の主人公はディスクジョッキーだが、最後の方で次のDJが出てくる。つながっていく。未来と過去はこうして扱わなければいけないのかなと。
 池澤 被災地の初期のざわざわが鎮まるための2年だった気がする。三回忌というのは、死者が向こうへ歩き始める時期なのではないか。
 いとう 僕の場合は死者が話しかけてくるまでに2年かかった感覚です。向こうから「聞
け」と言ってくる声を想像で書くには、客観性と批評性が必要で、それは小説だった。
 池澤 政府発表や大メディアのメッセージ、「大災害」や「きずな」といった言葉が空回りすることに危険を感じていた。それを切り崩すには一人一人の声にもどらなくてはならない。つかみきれないものをつかもうと、もがいてもいた。
 いとう 一人一人を書くということは悼むことかもしれないし、何かにふたをしようとするものへの反抗かもしれない。池澤さんは『双頭の船』を故意に軽いタッチで描かれましたね。僕のDJもちゃらちゃらとしゃべる。客観性があればそこにユーモアが出てくる。死者もニヤっと笑うエピソードを書きたかった。
 池澤 深刻にしてしまうと、深刻であることだけで先に行けなくなる。
 いとう 当事者ではないのに深刻になるのは失礼ではないか、という思いもあった。
 池澤 葬式などの儀式だと、きちんとやったからいいでしょと納得させられて終わる。小説では、向こうへ行こうとしている彼らとともに歩ける。どこかでじ.やあねといってすっと別れられる。余韻が残る。
 いとう 音楽や映像ではなく、文字という簡素な、濁る意味貧しいメディアであるが故
に、生きる時間とも弔いともリンクがはれる。本という形だからこそ、開くたびに、亡くなった人の声や無念が立ち上がってくることを祈ります。
            (構成 吉村一彰)

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