美術学科主任建石修志の出品展覧会
2014 1/21(火)~2/01(土)
11:00~19:00
銀座スパン・アート・ギャラリー
http://www.span-art.co.jp/exhibition/201401kisouno/index.html
2013年美術学科体験講座
2014年1月20日月曜日
日常ゆさぶる はみ出し女子(104asahi)
マチューセッツ工科大学助敦 スプツニ子!さん(28歳)
大理石の床にコツコツとハイヒールの音を響かせ、マンションの玄関に姿を現した。173センチのすらりと伸びた背に、モデルと見まごうクールビューティーな顔立ち。父は日本人、母はイギリス人。スプツニ子!は「色白でロシア人ぼい顔立ち」から、アメリカンスクール時代に旧ソ連の人工衛星「スプートニク」からついたあだ名だ。
その正体は英ロンドン大学で数学を学んだ「リケジョ(理系女子)」であり、ポップでシニカルな作品を繰り出す気兢のアーティスト。
東京都現代美術館(MOT)の「うさぎスマッシュ展」。装置と映像、音楽で構成された最新作「ムーンウォーク☆マシン、セレナの一歩」を公開中だ。月面を模した白砂が広がる展示室。月面探査車が走った跡には、ハイヒールの靴跡も点々と残る。壁をスクリーンに、リケジョのセレナがカツコいい靴跡を月に残すべくユニークな探査車を発明する・・・という動画ドラマがテクノポップのメロディーとともに映し出される。
昨秋、高松市美術館で作品が生まれた背景を小学生に語った。「人類が1969年に初めて月面に降りてから12人が足跡を残したけど、全員アメリカの男たち。月ってみんなのものなのにムカつかない?女の子も月に行くべきだ!そんな願いを形にしたの」
主張の押しっけや、結論を見せつける手法は好まない。「みんなの当たり前の日常をゆさぶって、自分の頭で考え、行動するきっかけになれば」
両親はともに数学者。白身も大学では数学科に進んだが、一般教養の音楽の授業
で、曲づくりに目覚め、ライブ活動を始める。音楽という自己表現ツールを手に入れてからは、アーティストへの動きが加速する。
「型を破るためには、まず塾を知ること」と名門、英国王立芸術学院大学院を受験。「自信があったのは熱意とアイデアだけ」だったが、美大卒の優等生に交じって難関を突破する。
「君を入れたのは、その年一番のギャンブルだった」。後に担当教官から聞かされた本音だ。
「アイデアが重要。形にするのは一人じゃなくていい」。在学中は技術のある学生とチームを組んで、男性に生理を疑似体験させる「生理マシーン」など刺激的な作品を次々と制作した。「観測されないものは、存在しないも同じ」。リケジョらしい量子力学の論理で、作品の映像を動画サイトに投稿。話題を呼び、MOTやニューヨーク近代美術館から出展依頼が舞い込んだ。
昨秋から世界の知能が集まる米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教という肩書も加わった。
「重視したのは『アンチ専門分野主義』。既成の分野に収まらない考え方で清動する彼女こそ適任だ。新たな表現法を編み出し、世界中にインパクトを与えてほしい」と同ラボの伊藤穣一所長(47)。
本人はこんな言葉を残し、世界の舞台に立った。「求められているのは、誰にも求められていないことをやること」文・進藤健一 写真・郭 允
「アートは世界を動かす力を秘めている」
− これまでに手掛けた中で、最もお気に入りの作品は?
断トツで、英国王立芸術学院(RCA)の卒業制作になった「生理マシーン、タカシの場合。」です。女の子になりたい、女性の気持ちをもっと知りたいーと、女装だけではもの足りない男子のタカシが月経を体感するため「生理マシーン」を作って身につけるというコンセプト。「テクノロジーでジェンダー(性別)を超越す
る」がテーマでした。腹部には鈍い痛みを伝える電極をつけ、後部タンクからは血を平均月経量と同じ80ミリリットル、5日間かけて流す装置を考案しました。
でも、指導教官が考えたコンセプトは「生理がなくなった未来の女性が、生理を思い出すためのマシーン」。それは「イフ」が多すぎてリアリティーがない、と私は反論しましたが、お互いの主張は食い違ったまま平行線をたどりました。「これ以上、議論にエネルギーを費やしても無駄」と判断した私は仲間を募り、自分の考え通りに作品を完成させました。
−日本なら教官に従ってしまいがちです。
「今おもしろいものは何か」を直感的に感じ取る能力は、教官より学生が優れていると、RCAでは考えられています。RCAの卒業制作は、若い感性と知識が豊富
な教官がタッグを組むため、アートとデザインのこれからを表しているものが多く、注目されています。結果的に「生理マシーン」が話題になって、東京都現代美術館とニューヨーク近代美術館への出展が決まり、アーティストとして一歩、臍み出すことができました。
−教員として迎えられた米マサチユーセッツエ科大学メディアラボは、どんなところですか。
本でしか出会えなかった天才たちがぞろぞろいて、そんな人たちと自由に議論やランチができる刺激的な場所ですね。例えば、「世界中から学生を採りたいね」と運営方針を議論していた教授会。くたびれたトレンチコートを着たおじいちゃんがよろよろと入って来ると、ソファにどかっと座り、「優遇した結果、国内の優秀な人材が入れなくなるのはフェアじゃない」と助言して退出して行きました。不思議なオーラがあった彼こそ、人工知能の父と呼ばれるマービン・ミンスキー教授(86)でした。私も研究グループを立ち上げ、デザインの力でいろんな未来像を提案するつもり。どんな未来にしたいのか、という議論が世の中に生まれるきっかけにしたいですね。
歌うリケジョ枠
−日本の若者や社会をどう見ていますか。
議論が苦手で、何が正しくて、何が正しくないかを自分で判断する力が不足しているように感じます。それは日本の学校が「正しいこと」を先生から一方的に教わる学習スタイルだから。私が通ったアメリカンスクールでは、個人の考えとは関係なく、主張を入れ替えながらディベートしました。根拠を考えて主張をぷつけ合うことで「何が正しいか」を考える力をつけることができたのです。
優等生ばかりが中枢に集まるシステムも問題ですね。失敗のリスクを恐れるあまり、誰も大きな間違いをしない。結果、イノベーション(革新)が生まれにくくなって組織自体の首を絞めかねません。
− リケジョ(理系女子)がアートの世界に飛び込みました。
大学で数学を学び音楽のライブ活動をしてたけど、デザインの知識や技術も不足していた私が、もし日本の美大を受験しても落ちていたと思う。私を受け入れた英国王立芸術学院大学院には「クリエーティブは異分子に活性化されてイノベーションを生む」という考え方があったのです。「歌うリケジョ枠」で進学できました。
発想変われば…
−創作のキーワードの一つとして「ドラディカル・デザイン」を提唱されていますね。
アートやデザインって、見た目が美しいとか、便利で使いやすいといった機能性や実用性を求める風潮が強い。でも、デザインには、問題を提案して議論を活性化
させるきっかけにする分野があります。「クリティカル・デザイン」 (社会批評的デザイン)です。例えば、私がデザインした「菜の花ヒール」。菜の花には土
壌のセシウムやストロンチウムなどの放射性物質を吸収する働きがあるとされています。そこで、歩くと、靴の先端から菜の花のタネがまかれ、歩いた先から菜の花が咲いていくというハイヒールを考案しました。東日本大震災からの復興を議論する上で一つのシンボルになり得るのではないか、と。そうした考えをソーシャルメディアを使ってポピュラーに広め、復興の議論を深められないかと思い、たどり着いたのが「ドラえもん」でした。「ドラえもん」が、4次元ポケットから出すひみつ道具は「文明とは何か」ということを考えさせるという意味で、まさにクリティカル・デザインです。
思い付いたのが「ドラえもん」と1970年代にイタリアで発生した社会批評デザイン運動のラディカル・デザインを合わせた造語「ドラディカル・デザイン」でした。
クリティカル・デザインがより身近になれば、人の発想が変わり、そこから生まれる世界も変わる。アートは世界を動かす力を秘めているのです。
プロフィル
★1985年、東京都生まれ。3人兄妹の長女。小学校までは日本の公立校に通い=写真=、中学からアメリカンスクールに。高1の時、髪の長いチアリーダータイプば
かりがモテる風潮に「見た目じゃない」と髪を角刈りに。「スプツニ子!」と命名した親友で、白身も坊主頭にした山村頼子さんは「学校で、2人で空想を巡らしノートに落書きをして楽しんでいた。彼女の創作につながっているのかも」。中高通じて、数学は得意科目。学校対抗の数学大会で3度優勝。
★2003年、単身渡英し、ロンドン大学インペリアル・カレッジに入学。数学を学ぶかたわら作曲を手掛ける。
★08年、英国王立芸術学院大学院に進学。卒業制作展で出品した「カラスポット☆ジェニー」「寿司ボーグ☆ユカリ」「生理マシーン、タカシの場合。」の3作品が注目を集め、東京都現代美術館(MOT)に出品。「ステレオタイプではない、シンプルですがすがしい方法論が持ち味」と同館キュレーター長谷川祐子さん。11年にはニューヨーク近代美術館に出展。
★13年、世界的なデジタル技術研究所、米マサチューセッツ工科大メディアラボ助教に。自叙伝「はみだすカ スプツニ子!」(宝島社)を出版。ネットと違って考え方をまとめて届けることができ、本の力を感じた」
2013年12月13日金曜日
胸に迫る「瞬間の幾何学」(1211asahi)
ジョセフ・クーデルカ展
近代の芸術表現は、卓越した才能が切り開いてきたと言ってよい。写真なら例えば、美しい構図を見いだす才能や、ある瞬間を締らえる才能といったものがあるだろう。
旧チェコスロバキア出身の写真家ジョセフ・クーデルカ(75)の回顧展も、才能のすごみを確認させるものだ。1968年のワルシャワ条約機構軍によるプラハ侵攻を撮った作品群が一昨年に垂居で紹介されたが、なぜあの奇跡のような写真が撮れたかについても考えさせられる。
58~飢年の初期作からして舌を巻く。ある現実にレンズを向けているだけで、モダニズムの美意識に貫かれたスタイリッシユな画面が登場しているのだ。
例えば、オフィスらしき光景の「『初期作品』から チェコスロバキア、プラハ」(飢年)=写真上。ガラス窓が描き出す格子を背景に、瓶に差された鉛筆と、机に突いた人物の脱が平行になった瞬間をとらえる。左隅で滞らぐ人影も心憎い。写真家は、冒頭に挙げた「構図」と「瞬間」という両立の難しそうな二つの才能を併せ持つ。いわば、瞬間の幾何学への才能。
写真は通常、「いつ何を撮ったのか」といった記録性を意識しがちだが、この写真家の画面はあまりに純度が高くそれらを忘れさせる。劇場を撮った連作なら、芝居の中身よりも人間開係の本質が浮上する。ロマ族の連作でも、民族固有の問題より、人間とは、生きるとは、といった普遍性に意識が及ぶ。
プラハ侵攻の作品が目に突き刺さってくるのも、旗を掲げ、戦車を取り込む人々に、瞬間の幾何学が働いているから心遣いない。70年に英国に亡命したクーデルカは、自身と重ねるように流浪者をテーマにした連作を手がけている。「『エグザイルズ』から アイルランド クロー・パトリック巡礼」 (72年)=同下=といった一枚でも、人物と杖の織りなす幾何学を瞬間的にとらえつつ、それぞれの人物の内面すら漂わせている。
86年以降は、廃虚などの風景を極端に横長のパノラマカメラで撮り続けているが、これもまた構図への意志のゆえだろう。
胸に迫る「瞬間の幾何学」に貫かれた作品群を見終えた後、2年前の東京で聞いたクーデルカの言葉を思い出していた。「見極める目を持った写真家なら、どんな場所でも美は見いだせる」 (編集委員・大西若人)
∇来年l月13日まで、東京国立近代美術館。12月16、24、28日~l月l日、6日休館。
名画を内から読み換える(1204asahi)
森村泰昌展「ベラスケス頌」「レンブラントの部屋、再び」
絵画の登場人物になりきった写真作品で知られる森村泰昌(62)が、名画をいわば内側から読み換える独白のアプローチをさらに深化させている。
新作「ベラスケス頌‥侍女たちは夜に甦る」の対象は、スペインの宮廷画家ベラスケスの代表作「ラス・メニーナス」。幼い王女を中心にした侍女や小人の群像と絵筆を手にしたベラスケス自身を措く。画面の事前にいると想定される国王夫妻が背景の鏡に映り込むなど、絵画空間の複雑な構成を巡り、様々な読み解きがなされてきた。その名画の世界を、森村が登場人物に扮した大型写真8点による「一人芝居」として展開している。
舞台はマドリードのプラド美術館。「ラス・メニーナス」がある展示室に森村がたたずむ=写真上。場面が変わると、ベラスケスが絵画から抜け出して展示室に立つ。やがて王女らが展示室に現れる=同中=など、登場人物が絵画の内と外を往還するうちに、「ラス・メニーナス」は森村が全登場人物に扮装した異貌の絵画へと転じていく。
鑑賞者は各場面の差異を確かめながら会場を巡るうちに、絵画の内外からの視線が交錯するという、原画の謎めいた構造を身体的に経験する。知的な構想を榔敵な写真で具現した作品は、上質なエンターテインメントとしても楽しめるだろう。
別の会場で、1994年の個展をほぼそのまま再現した「レンブラントの部屋、再び」が開
催中。こちらの作品では、オランダの巨匠レユプラントの自画像に森村が扮している=同下。
レンブラントは生渾にわたって約60点の自画像を措いたという。森村は、若き日から画家として成功した壮年期、借金と破産に苦しむ後半生へと「画家の一生」を追う。新作が絵画空間の謎に挑んだとすれば、こちらはレンブラントに重ねて「私」という謎に迫っている。
80年代半ば、ゴッホの自画像から始まった森村の「名画シリーズ」は、すでに四半世紀を超す歴史を刻んでいる。今回の2展は、その表現の深化と達成を改めて認識する機会となっている。 (西岡一正)
▽「ベラスケス」は25日まで、東京・銀座の資生堂ギャラリー。曜休館。「レンブラント」は23日まで、垂屏・北品川の原美術館。最終日を除く月曜休館。
登録:
投稿 (Atom)








