2010年9月28日火曜日

老いてなお権威への挑戦(922asahi)


「前衛★R70展」

 奇妙な名の展覧会だ。その名も「前衛★R70展」。ギャラリーによれば、★は美術界のスターを、R70は70歳以上を意味するという。82歳の池田龍雄を筆頭に、赤瀬川原平、秋山祐徳太子、田中倍大郎、中村宏、吉野庶海という6人の出品作家=写真上=は全員70歳以上。会場では、全員が描き下ろしのドローイングと手形を披露していたほか、肝心の作品も、近年の宗教的な関心を強く反映した池田の「場の位相」、かつての反芸術そのままの秋山の「ダリコ
像」、路上観察学会での活動を連想させる赤瀬川の「日々是現実」など。中村の「似而非機械」=写真下=も田中の平面や吉野の立体もすべて新作で、おのおのファンにはおなじみの造形によって長年のモチーフの一貫性を示していた。

 それにしても、前衛というタイトルには意表を突かれる患いがする。もともと軍事用語だったこともあり、前衛という言葉は既存の権威に対する攻撃的なニュアンスが強い。本来なら血気盛んな若手作家に対して用いる言葉のはずなのだが、その対極にいる彼ら大ベテランの展示に、前衛という言葉は思いのほかなじんでいた。
 この展覧会に前衛というタイトルがふさわしいとすれば、戦後間もない時期に若くして頭角を現した彼らが今なお健在で、当時の問題意識を見失わずにいるからだろう。しかしそれは、その後の社会の大きな変化に伴って、社会
変革と密接に結びついた前衛美術の新たな展開が著しく難しくなってしまった現実の裏返しでもある。
 初日の会見で前衛という言葉についての質問がとんだとき、何人かは、半ば死語と化しているのではないかとの認識を示していた。5月には、長らく戦後の前衛美術批評を牽引してきた針生一郎が亡くなったが、それもまた象徴的な出来事に違いない。もはや前衛が過去を回顧する言葉と化してしまったことが明らかな今、それに代わる新たな言葉、若い作家の先駆的な試みを的確に評する言葉を見つけ出す必要があることを実感した。
  (美術評論家・暮沢剛巳)
 ▽10月2日まで、中央区銀座4の4の13のギャラリー58、9月23日、26日休み。

脇役「かげ」に光(922asahi)

国立美術館5館が企画「陰影礼讃」展



国立美術館5館が企画「陰影礼讃」展


 「陰」と「影」の違いをご存じですか。東京・六本木の国立新美術館で開催中の「陰影礼讃」展は、いつもは脇役の美術作品の「かげ」に注目した珍しい企画展。しかも、独立行政法人国立美術館が運営する五つの美術館が共同企画し、コレクションだけで構成した異色の展覧会でもある。(西田健作)

画家の巧みさ映す



 まずは、「陰影法」を基に同展が示す「かげ」の違いから。展示されたアレクサンドル・ロトチエンコの「階段」=写真国=を見ると分かりやすい。「陰」は光がさえぎられて薄暗く見える部分のことで、階段の暗い部分がこれに当たる。また「影」は足元や地面に落ちる人や物のかげのことを指すという。
 「陰影礼讃」展は、独立行政法人国立美術館の発足10年を記念した企画。同法人は、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館を運営している。
 2007年秋から、5館の学芸員が展覧会についての議論を重ねてきた。それぞれ守備範囲が違う5館が共通して取り組める企画として「陰影」をテーマに選び、合計約3万3千点の所蔵品から展示作品を選んだ。
 会場では100作家の170点を4章に分けて展示する。第1章で影と陰の違いについて触れた後、絵画や版画のかげ、写
真のかげ、現代美術のかげを順に取り上げる。
 絵画や版画にとって、かげは立体感や実在感を表すものだ。一方、展示作品を見ると、画家が陰影を巧みに操作していることが分かる。
 例えば肖像画。17世紀の画家フセーペ・デ・リベーラは、哲学者の深い精神性を、誇張した陰影によって措く=写真口。顔の陰から左側が光源のはずだが、背景はなぜか左側の方が暗い。平山郁夫や松本竣介は人をシルエットとして措き、平山は釈迦を囲む弟子の心情を、松本は都会人の孤独を表現する。
 また、モネの風景画の影には色があり、空想を措いたシュールレアリスムの絵にすら陰影があることに気が付く。2次元のカンバスに3次元を表現する画家にとって、かげがいかに重要だったかが分かる。一方、写真では、映り込むかげをどう生かすかに工夫を凝らす。「階段」は陰影による構成美を追求した作品。現代美術になるとかげも多様になり、高松次郎の「影」=写真B=では、人がいないのに本物そっくりの影があり、想像力を刺激する。
 もっとも、今展の企画を提案した国立国際美術館の中西博之主任研究員は「5館の共同企画で、展示も所蔵品に限られたので制約も大きかった」と話す。例えば、かげを意識的に描いた絵は、ルネサンス期の作品にさかのばれるが、そのころの作品はばとんどない。また、約78万人を集めた「オルセー美術館展」と「日展」に挟まれ、展示期間も1カ月余りに限られてしまった。
 ただし、「かげ」という切り口によって所蔵品が新鮮に見えることも事実だ。国立新美術館の宮島綾子主任研究員は「かげを意識すれば見方が広がり、ほかの作品の楽しみ方も増える」と期待する。
 予算不足に悩む全国の美術館は近年、所蔵品をどう見せるかに工夫を凝らす。複数館の所蔵品を新たな切り口で見せた今展は、その好例ともいえる。
 ◇10月18日まで、垂泉・六本木の国立新美術館(ハローダイヤル03・5777・8600)、火深み。

映画「ハープ&ドロシー」アートと暮らす質素な夫婦(915asahi)

給料で美術収集4千点



 ロックフェラーにグッゲンハイム。アメリカの美術コレクターといえばそうそうたる大富豪の名前が思い浮かぶが、ハーブ&ドロシーのヴォーゲル夫妻はその対極にある。もと郵便局員と図書館員の小柄なカップルは、給料の中からアートを買い、質量ともに圧倒的なコレクションを築いた。アートを愛しアートと暮らす2人の姿を措くドキュメンタリー「ハーブ&ドロシヘが今秋、公開される。(編集委員・佐久間文子)

無心の鑑賞眼に称賛

 監督の佐々木芽生さん(48)はニューヨーク在住。テレビ番組の制作をてがけていた2002年に初めて夫妻を知った。 展覧会のオープニングなどで、地味な身なりの2人にアーティストたちが次々にあいさつに来る。つましい生活の中で買い集めた膨大なコレクションを無償でナショナルギャラリーに寄贈した夫妻に「現代のおとぎ話のような感動があった。いつかこの話を綺介したいと思って」と佐々木さん。
 妻ドロシーの給料で生活し、夫ハーブの給料で作品を写つ。2人は1960年代、まだ評価が定まらないミニマルアートやコンセプチュアルアートに狙いをつけた。毎日多くの個展に足を運び、アーテイストのスタジオを訪ねた。
 コレクション自体が一つの作品であるかのように、2人は狭いアパートに集めた4千数百点ものアートを売ったことがない。アートバブルも暴落も無縁だった。多くの美術館から譲渡の申し込みがあったコレクションを寄贈されたナショナルギャラリーは、「緊急時に2人が作品を売らなくてもいいように」謝礼を支払ったが、夫妻はギャラリーに還元すべくその金でも作品を買ったという。
 ハーブ88歳、ドロシー75歳。映画では過去と現在を行き来しながら、アートとともにあった2人の暮らしを映し出す。
 「彼らになぜこの作品が好きか聞いてもちゃんとした答えが返ってこない。困っていたら、あるアーティストが『だからあの2人はすばらしいんだ』と言うんです。『みんな理屈をこねるけど2人の目を見てごらん、ものすごい目で作品を見るだろう』って。見て見てとにかく見て、見えてくるものを自分で発見する。それで2人の目のアップを必ず撮るようにしました」と佐々木さんは話す。
 クリスト&ジャンヌクロードや、リチャード・タトルほか、たくさんのアーティストが楽しげに2人を語る。「誰も見向きもしない時から熱心に見てくれたからつい安く売ってし事つ」 「地下鉄やタクシーで持ち帰れないものはほしがらない」などなど。
 本作は佐々木さんが初めて辛がけた映画だ。アメリカの六つの映画祭で賞を取った。
 彼らのもとには、それまでに何人もの著名な監督が訪ねていた。「2人はいちども撮影依頼を断ってないそうです。でも『お金ができたらまた来る』と言って、戻ってきた人がいなかった。私はまったくの素人だから、お金を作ってから撮るという発想がなかっただけ」
 制作途中でハーブの健康状態が悪化、助成金や個人の寄付のぼか制作費の足りないぶんは白宅を抵当に借り4年かけて完成させた。
 試写会を自分のギャラリーで開くなど公開に協力している小山登美夫さんは「いろんな場で夫妻を見かけ、コレクターとして尊敬されているのがわかった。美術を買うことが彼らの生活のすべてになっているからだ」と話す。
     ◇
 映画は11月、東京都渋谷区のシアター・イメージフォーラムで公開される。10月に、横浜美術館など首都圏各地で監督のトークと上映会が開かれる予定だ。
 収集した作品に囲まれるヴォーゲル夫妻。映画「ハーブ&ドロシー」から
 

2010年9月23日木曜日

◆10月23日(土)オープンカレッジのお知らせ

「ミッキーマウスは誰だ?!」 担当講師:建石修志

 様々なメディアに出没し、最もポップなキャラクターとして誰もが知っている彼らを、その虚像と隠された実像に思いを馳せながら、平面上に新たに再生させてみよう。ミッキーマウスに歯はあったのか? ドナルドダックは泳げたか? トムとジェリーはバンドエイドを使ったか? ポパイはなぜ缶切りを使わない? ベティ・ブープのあごはどこへ行った? キャスパーは鏡にその姿を映したか? 
 例えばミッキーマウスと云うキャラクターを、拡大縮小、変形歪曲、トリミング、トレースなど、あらゆる造形的手段を用い、また、線描、べた塗り、写実的表現など様々な方法を混在させつつ、新たなキャラクターの現出を試みてみよう。













2010年9月14日火曜日

ルフトで画本を

美術学科主任の建石修志が参加する展覧会のお知らせ



銀座の青木画廊で展覧会を開いている作家の画本と、作家の新旧の作品1点づつを展覧する企画展。同時にウィーン幻想派のエルンスト・フックスの銅版画展も同時企画。
2010年9月21日(火)~30日(木)
銀座青木画廊
銀座3-5-16島田ビル2.3F
03-3567-3944
http://www.aokigallery.jp/

-Change The World-

講師亀井清明の参加する展覧会のお知らせ



亀井清明×山田和宏
2010年9月13日(月)~10月8日(金)
11:00~17:00 日・祝休
武蔵野美術大学2号館1階 gFAL
Gallery of The Fine Art Laboratory
The Fine Art Laboratory
小平市小川町1-736
042-342-6051

「五線の会」展

美術学科主任の建石修志が参加する展覧会のお知らせ



門坂流(エングレービング)柄澤齊(和紙に墨・アクリル、木口木版)多賀新(エッチィング、鉛筆)建石修志(混合技法、鉛筆)坂東壮一(エッチィング)
それぞれ異なる画材、技法で制作を続けて来た5人の展覧会であるが、通底しているのは幻想への果てしない視線である。各作家15点程の出品からなる。
福島県喜多方市東京からは少し離れていますが、何かの機会がございましたら、是非ご高覧下さい。
2010年9月11日(土)~10月11日(月)
喜多方市美術館
喜多方市字押切2-2
0241-23-0404

http://www.city.kitakata.fukushima.jp/bijyutsukan/

「孤高の画家」意外な一面(908asahi)

「田中一村 新たなる全貌」展

 奄美に渡って独創的な日本画を措きながら、無名のまま生涯を閉じた画家、田中一村(1908~77)。画業の全容を見せる「田空村新たなる朝鮮」展が千葉市美術館(同市中央区)で開かれている。「孤高の画家」のイメージが強いが、作品や資料の検証によつて画業の幅広さや周囲の支えが見えてくるなど、一村の新たな側面が浮かび上がってきた。 (小川雪)
周囲の支え・幅広い画業一村は栃木県出身。垂尻と千葉での暮らしを経て50歳で単身、奄美大島に移住した。紬工場で働きながら亜熱帯の風土に根ざした絵を措き続けるが、公に発表する機会を得ず69歳で亡くなった。「発掘」されたのは80年代。テレビで紹介されて反響を呼び、各地で展覧会が開かれた。
 主な作品を網羅する今展はスケッチや写真なども合わせて約250点。うち約100点が新発見を含む初公開だ。濃密な土着性に妖しさ、官能性も加えた奄美時代の画で知られるが、東京、千葉、奄美と時代順の展示をたどると、その画業は思った以上に多様だったことがわかる。
 幼い頃から南画(文人画)に習熟し、大正末から昭和の初めには、当時の日本で流行した中国・上海画壇の文人画を多く辛がけた。「藤花園」(26年)のように粘りのある強い描線が特徴だ。そして31(昭和6)年ごろ「南画に決別」する。

 その昭和初期はこれまで画家の「空白期」とされた。だが今回の調査で、松尾知子・千葉市美術館学芸員は「日本画の装飾的な技法をはじめ、様々な画風と画題へ手を伸ばしていたことがわかった」と話す。調査では、細密な博物画のような「楼之国」 (31年)も発見された。
 松尾さんは一村の「変化」の背景に国際情勢をみる。31年は満州事変の年。中国へのあこがれが日本人から失われて中国画への需要もなくなり「新たな画風の確立を迫られたのでは」という。
 戦後は洋画的な画風も身につけ、日展や院展などの公募展に精力的に応募したが、思うような結果を得られず中央画壇との決別につながった。
 今展はゆかりのある千葉、鹿児島、栃木、石川各県の美術館学芸員らが研究会をつくり、3年がかりで調査、準備した。8月のシンポジウムでは、各地で少数ながらよき理解者を得た一村の姿も見えてきた。55年には支援を受けて九州や四国を旅し、撮影した写真を画の構図に生かしている。奄美時代に特徴的な、事前にクローズアップした植物を配して遠景と対比させる構図もこの時期に辛がけた。
 「孤高」「禁欲的」とされる奄美大島での暮らしも、「人間関係が濃密な島では、住民と距離をとるくらいでないと制作に打ち込めない。周りもそれを見守った」と鹿児島県奄美パーク田中一村記念美術館の前学芸員、前村卓巨さんは話す。心を許せる住民との交流もあった。
 若い頃から貪欲に、器用に様々な技法、画題を吸収した一村。原初的な自然の精気が充満する晩年の代表作は、模索や試行の蓄積の上に花開いたものだった。
 600点近くに及ぶ絵画作品の総目録や、落款の一覧も載せた図録は力作。松尾さんは「一時期ブームのようになった一村は、まだきちんと検証、研究されていない。この展覧会が出発点」と話す。
 ◇26日まで。会期中無休。鹿児島市立美術館、鹿児島県奄美パーク田中一村記念美術館(同県奄美市)へ巡回。

真撃に向き合うためのたくらみ(901asahi)

「オノデラユキ 写真の迷宮へ」展



 ありのままを撮ることが写真の本道だと考えるならば、オノデラユキの写真ほどそこから離れたものはないだろう。ある作品では新聞や雑誌の切り抜きを人形のよう
に見せ、別の作品では人工の壁面で背景を隠し、撮影場所を分からなくしてしまうのだから。
 だが、「オノデラユキ 写真の迷宮(ラビリンス)へ」展を見ると、作者のたくらみが実は、写真と真摯に向き合う行為であることがよく分かる。
 1962年生まれ。93年からパリを拠点にしている。2003年に写真界の芥川賞と称される「木村伊兵衛写真芦、06年に仏の写真業「ニエプス賞」を受賞した。
 首都圏の美術館では初の大規模な個展となる今回は、これまで手がけた全18シリーズのうち9シリーズを選び、約60点を並べた。
 初期のシリーズ「古着のポートレイト」=写実上=では、パリの空を背景に、古着が生きているように立つ。見ていると持ち主を知っているような気持ちになる。
今も制作が続く代表作の「Transvest」シリーズでは、ポーズをとった男女の人影が大きく写る。だが、人影に実体はなく、新聞や雑誌の切り抜きだという。モノクロの2シリーズは、レンズの向こうに無いものまでが懐かしさと共に伝わってくる。一方、最新シリーズの「12Speed」=写真下=では、作風が大きく変わる。展示はモノクロとカラーの作品が各4点。中でもカラーが刺激的だ。
 仏の森で撮っているが、フレームに収まるのは作家が仮設した濃いピンクの壁面のみ。台に置かれたポップな小物も、ピンクにのみ込まれて目立たない。実在する静
物をカラーで撮っているのに、かえってレンズの向こうが分かりにくくなっている。
 「カメラには制約があり、目で見るのと同じようには撮れない」とオノデラユキは亭つ。作家は写真家の技でつじっまを合わせようとはしない。むしろ、万能とはい
えない暗箱の不思議さを、あの事この事で作品にし、私たちに示しているのだ。  (西田健作)
 ◇26日まで、東京都目黒区の東京都写真美術館。祝日を除く月曜と21日休み。写真集『オノデラユキ」 (淡交社)も出版。

「美術館は小宇宙」(901asahi)

オランダ改築騒動が映画に

 レンブラントやフェルメールの名作で知られるアムステルダム国立美術館が、改築をめぐる巌動で7年にわたり閉館中−。オランダで起きている事態を措いたドキュメンタリー「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」が公開中だ。なぜ、そんなことに?
 映画にも登場するメンノ・フィツキ同館アジア美術主任学芸員に聞いた。
 19世紀初頭に起源を持つ同美術館。老朽化などで2003年に「閉館」し、5年の予定で改築にとりかかった。だが理想主義的である館長の計画に、敷地を日常の交通路に使う地元市民は大反発。映画はこの衝突を軸に、学芸員や建築家、準備鼻らの、時に偏愛的な情熱を措く。
 結局、館長は交代し、再開は2013年に延びた。「今は順調に進んでいる」というフィツキさんが騒動で実感したのはコミュニケーションの大切さ。「とことん耳を傾ければ、意見の異なる相手も納得するかもしれない」
 映画での学芸員たちは、市民から突き上げられても展示づくりに余念がない。「美術館は世間と違う小宇宙。それを見せるのも大事かと」
 カメラは、展示品をシビアに選抜する場など美術館の裏側にも入っていく。「自らの責任を美術館が明確に示すべき時代。近寄りがたい、権威に満ちた『美の殿堂』だけではいけないんです」
 東京・渋谷のユーロスペースで公開中。順次各地で。(小川雪)

アートで探る私の属性(901asahi)

クリエーター・佐藤雅彦さん企画




記名、身体測定…「注文の多い」展覧会

 クリエーターで東京芸大教授の佐藤雅彦さんが企画した「これも自分と藷めざるをえない」展は、ちょっと変わった展覧会だ。何しろ、作品を体験するために自分の氏名や身長体重だけでなく、指紋、瞳の虹彩といった個人情報の最たるものまで捏供しないといけないのだから。最先端の科学技術を表現に活用し、佐藤さんが「自分がまだ分からないもの」に挑んだ展覧会でもある。       (西田健作)

 展覧会は東京ミッドタウン(東京都港区赤坂)にある「2121デザインサイト」で開かれている。ディレクターの三宅一生さんの「来場者が大いなる疑問を持ち帰るような展覧会をして欲しい」という注文を受けて企画した。
 佐藤さんは、子どもの考え方を育てる番組「ピタゴラスイッチ」 (NHK教育)を監修して
いる。「これまでは、自分の申で一度解決したものを多くの人に分かるような形にしてきた。
今回は、自分でもまだ何だか分からないけれど面白いものを見せようと考えた」と話す。選ん
だテーマが「属性」だった。
 科学の進歩で、虹彩や静脈といった身体的な属性を正確に抽出できるようになってきた。今
回は名だたる企業の協力を得て、展示した22作品の大部分に生体認証の最先端技術を使って
いる。半数が佐藤さんが選んだり、作家に制作を依頼したりした作品で、残りの半数は自らが
制作にかかわったものだ。
 「注文の多い」展覧会でもある。希望者は入り口で氏名を入力し、身長体重を計る。センサ
ーを手に持ってひと筆書きで星を描いたあとに、鹿の虹彩も読み取られる。
 最初の展示作晶は「指紋の弛」。懲証センサーに指を置くと、自らの指紋が魚のように泳
ぎ出し、群れの申に入る。もう一度指を置くと、指紋は自分の所に戻ってくる。カメラが「男
性/女性」 「29歳以下/30歳以上」を判断する「属性のゲート」や、星の描き方で個人を特
定する「ふるまいに宿る属性」など、磯城はあの手この事で鑑賞者の属性を読み取ろうとする。
 企画当初、佐藤さんが考えていた展覧会の題名は「これもまさしく自分である」という積極
的なものだった。
 だが属性に対する人の反応は、当初の想像とは違っていたという。「人間は自分自身や自
分の属性にすごく無頓着だ、ということが分かってきた」。会場では、「金魚が先か、自分が
先か」や「座席番号G−19」といった作品を通じて、この意外さを体感できる。
 他方、属性を管理される怖さを実感できる展示も。「204只」は虹彩で個人を識別する。
精度が高く、虹彩の画像データの一部を画面上で消しても「まだあなたです」と特定され続け
る。
 生体認証の技術開発は今後も進むはずだ。そのとき私たちは、どのようにして自分を自分
と認識するのか−。「分からないもの」に挑む同展は、自分というものの固有性について考
えさせる刺激的な内容になっている。
 ◇11月3日まで、11月2日以外の火曜休み。展覧会について佐藤さんが青いた『属性』 (求
龍堂)も刊行。

2010年9月2日木曜日

9月18日(木)オープンカレッジのお知らせ

「モノクローム−鉛筆空間」担当講師:建石修志

 筆記用具としての鉛筆から、画材としての鉛筆を認識したい。
 画材としても、デッサンの道具止まりでは、鉛筆の持つ奥深さはなかなか見えてこないだろう。「鉛筆画」の作品として考えた時、初めて鉛筆のその漆黒の奥深さ、繊細さ、絵の具では出すことのできないモノクロームの力強い魅力に気がつく。鉛筆画の実際を、講師建石修志の作例をもとに検証し、実際に鉛筆を手にして、モチーフ描写を試み、その可能性の一端に触れることを願っています。

2010年9月1日水曜日

Exclamat!ons in Germany

フランス、そして、ドイツを巡回する幻想系アーティストたちによる展覧会 。
エクスクラメーションマーク、通称ビックリマーク「!」の形をした絵画が並びます。

こちらはドイツの部です。
美術学科講師菅原優が出品しています。