美術学科の建石修志の個展のお知らせです。
2012年3/6(火)~3/18(日) 期間中無休 10:00~19:30
渋谷東急本店 Bunkamura Gallery
「leaf/poetry Ⅱ─表層から紙片の狭間へ」
建石のここ近年の、平面作品、オブジェ作品など80点余の展示。
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/120306tateishi.html
2013年美術学科体験講座
2012年2月20日月曜日
装丁家/グラフィックデザイナー 名久井直子さん(220asahi)
出来る全ての事で本を送り出す母心かな
なくい・なおこ●1976年岩手だ生まれ 武蔵野美術大学卒井後、広告会社にアートディレクターとして勤務。在職中に友人である歌人・錦見映理子の歌集の装幀を手がけたことから本の仕事がスタート。2005年に独立し、ナンクデザインを始め、紙まわりの仕事に携わろ。年間にデザインを手がける本は100冊近い。主な装丁本に「やわらかなレタス」(江國香織/文芸春秋)、「本日は大安なり」(辻村深月/角川書店)、「すべて真夜中の恋人たち」(川上未映子/講談社)ほか多数。
小説、辞典、絵本の装丁、雑誌の表紙など名久井さんが手がける分野は広く、書き手本人から「名久井さんの装丁で」と指名されることも多い。それは激戦区の書店で売れることも意味するのだろう。
美術大学を出て初めに就職したのは広告会社。アートディレクターとしてだった。一つの広告に大規模な予算と時間をかけ、半年以上も練り上げたものが、はんの一週間ほどで打ち上げ花火のように消えていくことになじめない感覚があったそうだ。
「素晴らしいクリエーターの方と仕事が出来るのは、とても刺激的です。でも作ったポスターなどは、物として誰の手にも届かない(笑)。それが残念でしたね」
だが、本業とは別に手伝った友人の本の装丁が、編集者の目に留まった。会社の仕事をしながら次々と装丁の依頼がくる。こっちの制作の方が好きだと思いながらも、名久井さんは数年闇両立させて頑張り、100万円をためてから独立する。
「ダメもとです(笑)。パソコンも使えるし、いざとなれば食べるぐらいのことは出来ると患って」
でも、その日から装丁の仕事が途切れたことはない。作家が書き終えたゲラを読み、まずふわふわと慕ってくる「世界」を巫女さんのように感じ取ることから始まると笑う。
「どれ一つ同じ世界はありません。だから、私が感じたことを読者の目に、手に訴えるために、紙、書体、デザイン、行間、帯、そのはかあらゆる感覚を総動員しますね。出来うる限りの全てを持たせて、送り出してあげたい、というお母さんの心境なんです。持たせ忘れたと後悔したくない。そして向こうで売れておいで、
と」(笑)
ある本では、外国から名久井さんに届いた少年の手紙のl文字ずつを切り取ってタイトルにしたそうだ。「そこまでやるか」と感嘆した作者がエピソードを伝えるはどのこだわりよう。町へ出れば古いそば屋の箸袋を持ち帰ったり、気になるものは拾い集めたり。
名久井ワールドは面白い。 田中美絵=文 南條良明=写真
なくい・なおこ●1976年岩手だ生まれ 武蔵野美術大学卒井後、広告会社にアートディレクターとして勤務。在職中に友人である歌人・錦見映理子の歌集の装幀を手がけたことから本の仕事がスタート。2005年に独立し、ナンクデザインを始め、紙まわりの仕事に携わろ。年間にデザインを手がける本は100冊近い。主な装丁本に「やわらかなレタス」(江國香織/文芸春秋)、「本日は大安なり」(辻村深月/角川書店)、「すべて真夜中の恋人たち」(川上未映子/講談社)ほか多数。
小説、辞典、絵本の装丁、雑誌の表紙など名久井さんが手がける分野は広く、書き手本人から「名久井さんの装丁で」と指名されることも多い。それは激戦区の書店で売れることも意味するのだろう。
美術大学を出て初めに就職したのは広告会社。アートディレクターとしてだった。一つの広告に大規模な予算と時間をかけ、半年以上も練り上げたものが、はんの一週間ほどで打ち上げ花火のように消えていくことになじめない感覚があったそうだ。
「素晴らしいクリエーターの方と仕事が出来るのは、とても刺激的です。でも作ったポスターなどは、物として誰の手にも届かない(笑)。それが残念でしたね」
だが、本業とは別に手伝った友人の本の装丁が、編集者の目に留まった。会社の仕事をしながら次々と装丁の依頼がくる。こっちの制作の方が好きだと思いながらも、名久井さんは数年闇両立させて頑張り、100万円をためてから独立する。
「ダメもとです(笑)。パソコンも使えるし、いざとなれば食べるぐらいのことは出来ると患って」
でも、その日から装丁の仕事が途切れたことはない。作家が書き終えたゲラを読み、まずふわふわと慕ってくる「世界」を巫女さんのように感じ取ることから始まると笑う。
「どれ一つ同じ世界はありません。だから、私が感じたことを読者の目に、手に訴えるために、紙、書体、デザイン、行間、帯、そのはかあらゆる感覚を総動員しますね。出来うる限りの全てを持たせて、送り出してあげたい、というお母さんの心境なんです。持たせ忘れたと後悔したくない。そして向こうで売れておいで、
と」(笑)
ある本では、外国から名久井さんに届いた少年の手紙のl文字ずつを切り取ってタイトルにしたそうだ。「そこまでやるか」と感嘆した作者がエピソードを伝えるはどのこだわりよう。町へ出れば古いそば屋の箸袋を持ち帰ったり、気になるものは拾い集めたり。
名久井ワールドは面白い。 田中美絵=文 南條良明=写真
2012年2月16日木曜日
写真そっくり超絶技巧平久弥展(215asahi)
エスカレーターや階段といった硬質な都市風景をとらえた写真−。平久弥(1960年生まれ)の個展に並ぶ14点の多くは、印刷物やネットで見た場合はもちろん、現物を前にしても、少し離れていれば写真にしか見えない。だが実際は、絵の具で措かれているのだ。
近年、国内では人物などの精細な写実に情感を込めた表現が注目を集めるが、平の表現は、主観を排したフォト・リアリズムの系譜か。70年代の米国を中心にした動向で、写真という覆製物をそっくり描き、ポップアートに近いとされる。
平は、ガラスの透明感や金属の光沢といった絵の具では実感描写の難しそうな対象まで、見事に再現。都市の写真化の絵画化というコピーの反復の結果、写真か絵画か見分けるには、展示場で現物を凝視するほかない事態に。デジタル時代にローテクな超絶技巧によって、ひと昧違う“オリジナル信仰小が生まれる可能性も漂う。
(大西若人)
▽26日まで、東京・広尾5の19の4 1223現代絵画。月、火曜休み。500円。
爆発的な才能の発露から自裁へ(212asahi)
30秒に燃えつきた生涯
川村蘭太(著)
リッチでないのに リッチな世界などわかりません ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません「夢」がないのに 「夢」をうることなどは・・・・・・とても嘘をついてもばれるものです
テレビCMの花形ディレクターだった杉山登志は、こんな言葉を残して1973年に自殺した。本書は、37歳で閉じた杉山の生渾を追いつつ、いまも衝撃力をもつ遺文の由来と意味するものをまさぐっている。
石油会社のCM。「ノンビリ行こうよ俺たちはー・なんとかなるぜ、世の中は」。そんな言葉が流れ、2人の男が両脇から古いダットサンを手で押して行く。高度成長期、モーレツ社長という時代の言葉に逆行する慰札と映像だっ一た。締めは「車はガソリンで動くのです」。杉山は、こんな秀抜な「消耗商品」を年間八十教本も制作していた。
画家を志したこともあったが、縁あってCM制作会社に籍を置く。ナイーブな、翳りを宿した青年は業界の先駆者となってひた走る。
名声、外車、酒と女。多くを手に入れつつ、亀裂と空洞は広がっていく。好きな作品
はという問いに「ないですね」と答える。「いやだなあ、この職業は」とつぶやきつつ、「CMが当たる、当たらないは二の次だ。商品が美しくあればそれでよい」とも口にする。
十数秒、あるいは数十秒の虚の世界。そこに、自身の逃げ場のない「生き方」をも込
めていた。だから才能が爆発的に発露したのだろう。走り切って白裁する。それはもう
(自然)とさえ思えてくる。
著者は「事実」の確認というこだわりをもって鬼才の足跡をたどる。少々肩の凝るペ
ージもあるが、杉山への愛惜の念があふれている。仮構(バーチャル)がますますは
びこる今日、灘された言葉は消耗されることなく世をさまよっている。
評・後藤 正治(ノンフィクション作家)
川村蘭太(著)
リッチでないのに リッチな世界などわかりません ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません「夢」がないのに 「夢」をうることなどは・・・・・・とても嘘をついてもばれるものです
テレビCMの花形ディレクターだった杉山登志は、こんな言葉を残して1973年に自殺した。本書は、37歳で閉じた杉山の生渾を追いつつ、いまも衝撃力をもつ遺文の由来と意味するものをまさぐっている。
石油会社のCM。「ノンビリ行こうよ俺たちはー・なんとかなるぜ、世の中は」。そんな言葉が流れ、2人の男が両脇から古いダットサンを手で押して行く。高度成長期、モーレツ社長という時代の言葉に逆行する慰札と映像だっ一た。締めは「車はガソリンで動くのです」。杉山は、こんな秀抜な「消耗商品」を年間八十教本も制作していた。
画家を志したこともあったが、縁あってCM制作会社に籍を置く。ナイーブな、翳りを宿した青年は業界の先駆者となってひた走る。
名声、外車、酒と女。多くを手に入れつつ、亀裂と空洞は広がっていく。好きな作品
はという問いに「ないですね」と答える。「いやだなあ、この職業は」とつぶやきつつ、「CMが当たる、当たらないは二の次だ。商品が美しくあればそれでよい」とも口にする。
十数秒、あるいは数十秒の虚の世界。そこに、自身の逃げ場のない「生き方」をも込
めていた。だから才能が爆発的に発露したのだろう。走り切って白裁する。それはもう
(自然)とさえ思えてくる。
著者は「事実」の確認というこだわりをもって鬼才の足跡をたどる。少々肩の凝るペ
ージもあるが、杉山への愛惜の念があふれている。仮構(バーチャル)がますますは
びこる今日、灘された言葉は消耗されることなく世をさまよっている。
評・後藤 正治(ノンフィクション作家)
2012年2月11日土曜日
脱原発10万人集会呼びかけ(208asahi)
大江さんら都内で7月
脱原発をめざす作家の大江健三郎さんらが8日、東京都内で会見を開き、全国各地の原発立地自治休の首長にあてて、停止中の原発を再稼働させないよう求める要請文を発表した。7月16日には都内で10万人規模の集会を予定していることも明らかにした。今月11日には東京・代々木公園で集会が開かれる。昨年9月、垂泉・明治公園での集会には約6万人が参加した。
会見で大江さんは「倫理という言葉を、日本人は新しい意味で使い始めた。倫理に責任をとろうとするなら、今、原発を廃止するという決断を示さなければならない」と語った。
大江さんは「さようなら原発一千万人署名市民の会」の呼びかけ人の一人。呼びかけ人はほかに作家の落合恵子さん、ルポライターの鎌田志さん、音楽家の坂本龍一さん、詩人・作家の辻井喬さんら。
脱原発をめざす作家の大江健三郎さんらが8日、東京都内で会見を開き、全国各地の原発立地自治休の首長にあてて、停止中の原発を再稼働させないよう求める要請文を発表した。7月16日には都内で10万人規模の集会を予定していることも明らかにした。今月11日には東京・代々木公園で集会が開かれる。昨年9月、垂泉・明治公園での集会には約6万人が参加した。
会見で大江さんは「倫理という言葉を、日本人は新しい意味で使い始めた。倫理に責任をとろうとするなら、今、原発を廃止するという決断を示さなければならない」と語った。
大江さんは「さようなら原発一千万人署名市民の会」の呼びかけ人の一人。呼びかけ人はほかに作家の落合恵子さん、ルポライターの鎌田志さん、音楽家の坂本龍一さん、詩人・作家の辻井喬さんら。
2012年2月10日金曜日
身体から紡ぎ出す(208asahi)
現代社会や人間像を見据えた作品群で評価を得てきた日韓の女性作家による大規模な個展が今、首都圏で開かれている。画家の松井冬子(38)と現代美術家のイ・ブル(48)。これまでの歩みが概観できる展示からは、彼女たちが投げかける問いが浮かび上がってくる。
◉「松井冬子展」
「痛み」共有できたら
狂気や死の気配が息苦しいぼど立ちこめる世界を、日本画の技法を生かし現出する。横浜美術館の「松井冬子展」 (3月18日まで)では、そんな松井の10年ぼ
どの仕事ぶりを味わえる。
「女、メス、リアリティーのあるものしか措きません」と松井は言う。その借
念に貫かれた約100点が、「受動と自殺」 「ナルシシズム」など九つのテーマに分けて招介される。
「プロとしての第一歩」と振り返るのが、2002年の「世界中の子と友達になれる」。少女のつま先は血にまみれ、取り巻く藤の花にはスズメバチが群がる。東京芸大の卒業制作で、松井の方向性を決定づけた。この作品は、本展の副題にもなっている。
最近の充実ぶりは、たとえば九相国からうかがえる。人間が死んでから骨と化すまでの9段階を措いた鎌倉時代の連作から想を得た。すでに発表した5点を並べると、新しい作品ほど画面が澄んでいる。「網に合うように、粒子の細かい岩絵の具で強く発色するものを使っています。技術的にうまくなったかなあ」
作品は綿密な計算で構築している。「世界中の~」は、写生を重ね、ゆりかごや少女の配置の異なる下図をいくつも試みた。写生や下図は「見せないもの」と考えていたが、あえて本泉に出した。「イメージがしっかりあって練っている、その過
程を理解してほしかった」
「痛み」を措き続ける。「痛みは孤独な感覚で、他人には伝わらない。でも
(絵という)視発から得られる什報で、その構みを共有できたら」。万人に伝わ
らないことはわかっている。「1万人に1人の割合でもスカンと暮ん中に入れば十分。伝わると居じています」 (新谷祐一)

◉韓国の現代美術家「イ・プル展」
人間の条件語りたい
身体から都市風景へ。

東京・六本木の森美術館の「イ・プル廣」 (5月27日まで)に表れる彼女の20
年の歩みは、そんな風に形容できる。
人間の腋器が肥大化したような布製の彫刻。冒頭、ひりひりする切迫感を伴う
1989年の表現に出あう。「不条理な世界への抵抗であり、既存の彫刻とは違う表現を選びました」
軍事政権から民主化へと動く時期に「アーティストなら制約がない」と選んだ
通。内面が表出したような彫刻を身にまとい、パフォーマンスを繰り返した。
97年ごろにサイボーグのシリーズを始める。人体改造、遺伝子操作、ロボット
といった現代の知と欲望と痛がうずまく存在を、日本のアニメを思わせる硬質さ
と、ギリシャ彫刻の崇高さを重ねた白い立体で表現。生命科学の暴走を連想させ
るモンスター的作品も含め現代の空気をすくい取って国際的評価を高めた。
2005年ごろから、歴史上の理想郷などを参照した都市風景的立体へ。エスペラント語の電飾でユートピアに関する言葉を伝える塔状の作品や、複数の理想建築が集合する模型状の「私の大きな物語 石へのすすり泣き」 (05年)だ。
しかしその都市風景は、小さな部品や断片の積み重ねで生まれ、鏡面の床の上
で浮遊感を醸す。「世の中は部分や小さなできごとによってしか把撞できない」
と語るイ・ブル。その身休から紡ぎ出されたドローイングを組み合わせ大作にし
てゆく点では、身休の延長上にあるともいえる。
文化や社会の違いを超えて「普遍的な人間の条件について語りたい」と話す。
誰もが持ち、痛みや欲望の起点となる身体からの表現と、過去作を「当時は野心
だけが大きくて、準備が足りなかった」と振り返る聾実さが、それを支える。-
混迷の続く21世紀、「アートに答えは出せないが、大きな問いを考えるきっか{
けにはなる」。(大西若人)
ピンと張った背の軸(131asahi2)
石岡瑛子さんを悼む
周到な準備と強い意志のもとに、石岡瑛子がニューヨークを本拠として選んでから30年ほどの年月が経った。
世界を舞台に活躍するという形容がぴったりの芸術活動で知られる石岡さんの急逝には、彼女に直接面識がなくてもその仕事のイメージを見ていた多くの人たちが驚き、私を含め仕事を共にした各国の仲間は深い悲しみに沈んでいる。
石岡さんは1970年代の東京で、グラフィックデザインを中心にアートディレクターとして強い存在感を示しているが、それは広告一つにも時代を見すえ、社会的なメッセージを盛りこむ意気込みあってのことだった。「女性よ、テレビを消しなさい」と角川文庫で、「西洋は東洋を着こなせるか」とパルコのファッション広告で呼びかける。
正義感というと大げさなようだが、石岡瑛子の背筋にはピンと張った軸線があって、女性が顕在化し、はっきりした表現を示すことを望み、もちろん男性にも対等にそれを認めるよう求めた。広告主の経営者とは直接会い、アイデアの理解を徹底した。
フォトグラファー、イラストレーター、コピーライターなどの若い才能がいっせいに開花しはじめた頃で、石岡瑛子はそれら同時代のクリエーターのすぐれた才能との共闘で新聞、雑誌、テレビなどのメディアに切り込むリーダーシップを発揮した。フェミニズム私凰柳はしなかったけれども自らの行動でそれを示していた。その自借の基盤には昭和のリベラルな思想と愛情をもって娘を見守った両親の存在がある。
広告も、発想から定着まであらゆるプロセスを完壁につくりあげたからこそ、それは自立する作品となり、海外のクリエーターの注目を集めることになる。
EIKO by EIKO』という作品集の出版を機に東京を後にするが、グラフィックデザインの分野に安住することを望まず、仕事の領域を広げて自分により高い妻求をつきっけることを考え、実行したのだった。
フランシス・コッポラ監督は『EIK0 0N STAGE』の序文で「領域など無いことを知っているアーティスト」と書いているが、チャレンジとレボリューションを常に語っていた彼女の口から、あのやわらかで少し鼻にかかった声を聞くことはできなくなった。
ロング・グッバイエイコ!
小池一子 (クリエイチイプ ディレクター)
周到な準備と強い意志のもとに、石岡瑛子がニューヨークを本拠として選んでから30年ほどの年月が経った。
世界を舞台に活躍するという形容がぴったりの芸術活動で知られる石岡さんの急逝には、彼女に直接面識がなくてもその仕事のイメージを見ていた多くの人たちが驚き、私を含め仕事を共にした各国の仲間は深い悲しみに沈んでいる。
石岡さんは1970年代の東京で、グラフィックデザインを中心にアートディレクターとして強い存在感を示しているが、それは広告一つにも時代を見すえ、社会的なメッセージを盛りこむ意気込みあってのことだった。「女性よ、テレビを消しなさい」と角川文庫で、「西洋は東洋を着こなせるか」とパルコのファッション広告で呼びかける。
正義感というと大げさなようだが、石岡瑛子の背筋にはピンと張った軸線があって、女性が顕在化し、はっきりした表現を示すことを望み、もちろん男性にも対等にそれを認めるよう求めた。広告主の経営者とは直接会い、アイデアの理解を徹底した。
フォトグラファー、イラストレーター、コピーライターなどの若い才能がいっせいに開花しはじめた頃で、石岡瑛子はそれら同時代のクリエーターのすぐれた才能との共闘で新聞、雑誌、テレビなどのメディアに切り込むリーダーシップを発揮した。フェミニズム私凰柳はしなかったけれども自らの行動でそれを示していた。その自借の基盤には昭和のリベラルな思想と愛情をもって娘を見守った両親の存在がある。
広告も、発想から定着まであらゆるプロセスを完壁につくりあげたからこそ、それは自立する作品となり、海外のクリエーターの注目を集めることになる。
EIKO by EIKO』という作品集の出版を機に東京を後にするが、グラフィックデザインの分野に安住することを望まず、仕事の領域を広げて自分により高い妻求をつきっけることを考え、実行したのだった。
フランシス・コッポラ監督は『EIK0 0N STAGE』の序文で「領域など無いことを知っているアーティスト」と書いているが、チャレンジとレボリューションを常に語っていた彼女の口から、あのやわらかで少し鼻にかかった声を聞くことはできなくなった。
ロング・グッバイエイコ!
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